もともと麻雀は紙札ゲーム。そして構成要素も索子・筒子・萬子の数牌だけ。1860年頃、それに風牌、三元牌、花牌が加わり、かつ骨牌化して現在のセットが成立してきたというのが現在の定説。
その傍証の1つに、1909年、中国の北方地方の某所で、原正風という日本人が郭雲亭という儒学者と会ったときのエピソード、郭雲亭に会ふの記がある。下記はその中の一節。
>「四十年ほど前には、索子・筒子・萬子だけでやって居ったものだ」
>「風牌や三元牌は使用しなかったのか」
>「今ソコでやっているのも花牌を抜いて居るではないか。風牌、三元牌、花牌は使っても使わぬでもよい。麻雀をする人の自由である。元来、そんな牌は後から加へたものだから、どうでもよい」
この会話があったのは、1909年のこと。そこから40年ほど前といえば、1870年頃。まさに麻雀揺籃期。そこでこの郭雲亭に会ふの記は、麻雀史上、貴重な資料となっている。ところが昨年12月、朝日新聞のニュースサイトでびっくりのコメントを見つけた。
asahi.comに「ハルピン発なんのこっちゃ」というコラムがある。コラムニストは中国のハルビンの大学で教師兼留学生をしている岩城元(いわきはじむ)という人物。そのコラムに、昨年の12月、「遊びをせむとや生まれけん 」というタイトルで、トランプ・マージャン・社交ダンスなどの話題が取り上げられていた。
http://www.asahi.com/column/aic/Thu/d_iwaki/20031211.html
トランプや社交ダンスはどうでもよかったけど、マージャンの話しも載っていた。(ふんふん)と思いながら読んでいたところ、最後の方に、こんな記述が。
広い中国のこと、マージャンのルールも地域によって異なるだろうが、ここハルビンのマージャンは極めて「単純」である。まず、牌のうち「東」「南」「西」「北」および「発」「白」は使わない。「役」だの「点数」だのといったややこしいものもない。とにかく「順子」「刻子」と「雀頭」を作って上がればよろしい。
おぉ中国の東北地方には中国原始麻雀が生き残っていたのか(゚0゚)
もちろんこの記述だけではホントに中国原始麻雀が生き残っているのか、あるいは字牌などを使うのが面倒なので 最近(ここ2、30年くらいの間?)登場してきたルールなのか判らない。とは云うモノの、地方には古い文化が残りやすいということもある。ひょっとしたら歴史の生き証人かも知れない。そしてこの記述には、ビックリの続きがあった。
ただし必ずリーチをかけなければいけないし、かつ、リーチの前に一回は鳴いていなければいけない、一九牌か字牌(つまり)が一枚は無ければいけない、などの規制がある。
いや、これにも驚いた。先年から話題になっている中国麻将。その公式ルールではアガリ役が80も採用されている。しかしこの中にリーチはない。この中国公式ルールのアガリ役、全国各地から集めた約300もの候補をカットして80にしぼったものだという。とうぜんリーチは、カットされた中に入ってる。それもたぶん最初の段階で。それくらいリーチは、中国麻将ではローカルな存在。
ではどこの地方のローカルルールかといえば、中国の東北地方。むかしで云う満州である。この満州麻雀のリーチが、第2次大戦後、満州からの引き揚げ者によって伝えられ普及したというのが、現在の定説。そしてハルピンは、まさに中国の北方地方。まさにリーチの源流は中国の北方麻雀という定説を裏付けるような記述である。
さらに驚いたのは、「リーチの前に一回は鳴いていなければいけない」というルール。これはまさに途中リーチ。
古典の満州麻雀でのリーチは、もともと日本麻雀のダブルリーチを意味した。そして単にリーチといえば、現在の日本では途中リーチのこと。このゲーム途中におけるリーチは、現地で関東軍の将校がゲームを楽しむ中で採用し始め、後年、それが日本で普及したということになっている。うみゅう、満州麻雀では、最初から途中リーチがあったのか?
もちろん現在 ハルピン辺りで行われている途中リーチは、日本から逆輸入された可能性もある。しかしもともと存在したリーチルールが、「一九牌か字牌(つまり)が一枚は無ければいけない」という変化を交えながら独自に成立してきた可能性もある。いずれにしても、この「ハルピン発なんのこっちゃ」の「遊びをせむとや生まれけん 」というコラムは、麻雀史に残る(かも知れない)コラムだ。う〜ん、なんだかハルピンへ行ってみたくなった。
なお郭雲亭に会ふの記において原正風氏は、「思ふに郭雲亭先生の話(に出てくる麻雀の姿)は清朝の宮廷内だけに行はれていたのではないかと思ふ」と述懐している。もちろん「ハルピン発なんのこっちゃ」にもある通り、それは正しくない。麻雀はもともと庶民の遊び。宮廷内でも大いに遊ばれたことは間違いないが(ココとかココ、参照)、宮廷内だけで行われていたのではない。
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