History 歴史

    (19)郭雲亭に会ふの記


 中華民国9年(大正9年)、原 正風(はらせいふう)という日本人が中国の奥地で、郭雲亭(かくうんてい)と号する儒学者と対話する機会があった。郭雲亭老儒は当時、戦乱を避けて僻地に隠棲中であった。

 「郭雲亭に会ふの記」はその対話で記述したもので、林茂光(りんもこう)麻雀研究所機関誌「麻雀」S6/4月号に掲載されたもので、歴史的にもルール的にも貴重かつ興味深い話が記述されている。


 原文は(1)(2)に分かれているが、本文にあまり関係のない部分もあるので、一部編集した。


 「人生は無限の旅程、旅人は永遠の徒歩を續ける」と訓(おし)へられた老儒の唇邊(しんぺん)にもれた神韻を、麻雀の話だけでも牌友にお傳へしたい------

 直隷(ちょくれい)の西北に大安山といふ寒村がある。住民の五分の一は今なほ穴居しておる原始的な土地であるが、或る日、東道の支那人が一人の老人をつれて来た。

 「
この老爺(ろうや)は以前、清朝の儒官であったが、政體變革によりこの村に世塵を避けて居られるゝが、近く郷里河南省に帰られるとのことである。老爺は人の運命を占することが非常に優れて居られるから、一つお願いしたら如何」と言われた。

 「日本人の運命は支那人には不明瞭だろう」と一矢を酬(むく)ひたところ處、案内人は妙な顔つきをして居ったが、老人は天を仰ひで、突然、「貴下は幾歳になられるか」と問はれた。

 そうして筆を執(と)りて直ちに十五、六枚に渉りて筆者の運命を物せられて示された。これは現に筆者が秘蔵して居る。


 夜に入って一行の者が晩餐をともにした後、麻雀を始めた。先生も競技を見ていたが、筆者に向かって貴下は竹戦をやらぬのか」と問ふた。

「若干の興味は有しているが、こんな場所でやるのは好まぬ。のみならず牌の組み合わせが面白くないから、深く好んで居らぬ」と一知半解の返事をした。

夫(そ)れは貴下は牌の成立を知らぬからだ。がんらい麻雀はソコでやっているやうな方法は最近の仕方であって、昔の方法とは違って居る。今から四十年ほど前には、索子・筒子・萬子だけでやって居ったものだ」

「風牌や三元牌は使用しなかったのか」
今ソコでやっているのも花牌を抜いて居るではないか。風牌、三元牌、花牌は使っても使わぬでもよい。麻雀をする人の自由である。元来、そんな牌は後から加へたものだから、どうでもよい

------晩年寒村に追はれて易占に生くる老儒・郭雲亭よ。未知の日本雀人に向かって老後の面影を語らずとも、其の對話を考證して麻雀原始の装を彷彿たらしめ得ば、友遠くにありの感もあらう------ 

 郭雲亭老儒の話によれば、麻雀の筒子は制銭(穴あき銭)を、索子は制銭を結束する索縄を意味し、萬子は結束せられたる金高を意味するという。これによりて一筒・一索・一萬の3個の一連、これを連子(リェンツ)と云ふは一萬貫を意味し、五筒・五索・五萬の一連は五萬貫を意味するという。すなわち現今の技法では斯くの如き連絡は認められて居らぬが、此の同數牌對々和の形は雀頭を入れずに和了した時代の配列であるという。

 麻雀は筒子・索子・萬子の三種からなっている。そして三種とも同じやうに、一から九まで連續した數を表現する数列を四列づつ有して居る。此の數列がいずれも一から九までに止まって居るのは何故であろうか。用牌法の原則が、此処に根源を有して居ることは云ふまでもない。

 三元牌は紅中・緑發・白板の三種である。此の牌は數を表現しないで唯其の性質のみを表現して居る。數を表現する基本牌が三種あるのに對し、性質を表現する三元牌が三種あることは、用牌法の基調を保つ組成の根本から考えて無理のない存在である。

 麻雀にはこの外に八種の花牌と四種の風牌がある。もともと三と九と云ふ数的概念を基本として成り立った競技に、其の基本数に調和しない八種八個や四種十六個の花牌や風牌を混入すれば、何処かに無理が出てくるのは當然である。

 
雀頭は和了も目標として構成すべき単位の一つであるが、此が竹戦に加わったことは、麻雀が發生してから永い年代を経た後の事である。まだ雀頭の制度が発生しなかった時代には、一気通貫という和程が競技上の最高の目標であった。

 此の一気通貫は順子の3組みが連續したもので、今日の用語に言ひ換へれば清一色平和の形である。然もそれが連續した形で、丁度基本牌の一列をそのまま抜き出した形である。そしてそれが和了である。何となれば手牌は八個で、九個になって三組みの成立が完うすればよいからである。


 次に刻子は、同種基本牌が有する四數列を縦にとって、それを一単位として成り立つ。この刻子は基本牌の内の1種に限られた中から抽出せらるゝ単位であって、他種の基本牌に對して関係のない事は順子と同じである。

 然るに連子は基本牌の全部の内から一ケづつ抽出して三ケでなければならぬ。斯くのごとく観察するとき、順子は基本牌の一數列に其の根元を有し、刻子は同種牌の三數列を基礎として成立し、連子は基本牌の總躰に渉り、同數字に向かって成立の根底があることがうなづかれるであらう。

 此処において考へねばならぬ事は、用牌法の根元たる順子・刻子・連子の三単位を基本牌の内から抽出するには、基本牌の數列が三個、すなわち三數列あれば足りて居るのに、四數列目が置かれてあるのは何の為であらう。

 
無意味なる槓子の成立を許さんが為に四數列目を置いたのではないのである。假に各基本牌の數列が三列しかないものと考へると、其の参列の内から刻子を一単位だけ抽出(ちゅうしゅつ)すれば、それによって數列が両斷されて、輕妙なる順子の成立が甚だしく妨害せられるであらう。

 然れども此の時尚ほ、外に一數列が存在するとせば、順子の活動範囲は、尚ほ若干存續の餘地が残るではないか。麻雀組成の巧妙なのは、此の數列が必要以外に尚ほ一列存在する事に寄るのである。
(後略)
--------筆者(原正風)が郭雲亭先生に會見したときは民国九年で、其の時先生はすでに六十四歳の高齢であった。(先生の話による麻雀の姿は)先生が十三、四歳のときの話であるから、約六十年前のことである。

 筆者はこの會見によって、麻雀成立の原理に觸れたような感を抱いた。しかし其の時代の南方支那の麻雀には基本牌の外に種々の牌が混入して居ったから、技法も様々であった。

 思ふに郭雲亭先生の話(に出てくる麻雀の姿)は清朝の宮廷内だけに行はれていたのではないかと思ふ。何となれば、此の遊戯は其の時代、民間で禁制になっていたからである。さるにても此の話から麻雀原理の端緒を引き出せることになれば、吾々同人の欣幸とする処である---------


あさみ
 現在でも中国の北方ルールには連子(レンツ)という組み合わせが存在する。とはいえ現在の連子は萬筒索の同数字なら何でも良いというのではなく、1・5・9の数牌に限られている。1のセットを幺喜(ヤオシー)、5のセットを五喜(ウーシー)、9のセットを九喜(チョーシー)と呼ぶ(「中国麻将打法」吉林省科技出版)。

 また別書には白發中というセットも「暗箭(アンチェン)」という名称で紹介されている(「麻将」北京科技出版)。

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