歴史上、もっともすごい超財宝牌と思われるのは、清(シン)の西大后(せいたいごう)の使用していた牌であろう。清稗類鈔(シンはいるいしょう)という当時の史書に寄れば、「象牙製で精緻きわまりなく、鬼神が作ったと疑わせるほどであった」という。
※西太后
咸豊帝の第二夫人。第一夫人に子がなく、咸豊帝崩御の後、自分の子が皇帝(同治帝)となったため、太后(皇帝の母)となった。本来、太后は一人しかいないが、第一夫人がいたため、第一夫人を東太后、第二夫人を西太后と尊称した。やがて東太后、同治帝が相次いで逝去したため、絶対的な権力を握った。
その清稗類鈔によれば、麻雀が大好きであった西太后は、大臣などを相手に毎日のようにゲームしたという。西太后の手牌には必ず三元牌が対子で入っていたという。もちろん相手が必死で積み込んだものだ。それで西太后がアガると、そのたびに相手3人は西太后の前に進み出てひざまづき慶賀の言葉を述べた。
もちろん西太后からロンアガリするなどあり得なかった。しかし当時の麻雀はロンアガリ、ツモアガリに関係なく3人払い。西太后以外の相手からロンアガリしても西太后にも支払いが発生する。そんなとき、アガった本人は西太后の前に進み出て、叩頭して(床に頭を打ち付けて)詫びをいれ、西太后から受け取った分の金銭を返却した(受け取って知らぬ顔をしていれば、“無礼者め”と打ち首になる(笑))。
それくらいなら最初からアガらなければいいようなものだが、実は相手3人の後ろには、一人づつ公主(諸王の娘=お姫様)が立っていた。公主の役目は、大臣達の手を西太后に通すこと(そんなことしなくても大臣達には鼻から勝つ気はないが)。そんな状態でロンアガリの見逃しとか、ワザとアガらないように打つなどしたら、イカサマをしているとして打ち首(笑)。
こんな麻雀だから、相手3人はボロ負けするに決まっている。おまけに西太后とゲームするのだから賭け金は大きい。これじゃあたまらんと誰しも思うが、実はちゃんとフォローされていた。ボロ負けした相手は、ゲームのあと、司道(いうなら大蔵大臣)のところへ行き、いくら負けたか申し出る。すると司道からは、その額の10倍が渡されたそうだ。打ち首はイヤだが、こんな麻雀、やってみたいぞ。
西太后死去の後、清(シン)はラストエンペラー愛新覚羅溥儀をもって滅びる。その戦乱の中、この西太后の使用牌が、どこへ行ったのか今もって行方不明。しかしこのあと、どうやらあれがその牌ではなかったかというエピソードが残っている。おまけに、そのエピソードには、当時の日本の特務機関が関係している。
清(シン)の末期、中国ではさまざまな軍閥が台頭した。その中でも有力な一つが張作霖(ちょうさくりん)率いる北方軍閥。満州へどんどん進出しようとしていた関東軍にとっては、目の上のたんこぶ。どうにかして潰してやろうというので、いつも動静を探っていた。
そんな中で、陸軍歩兵隊・園田茂三大尉が満州鉄道で運ばれる荷物の中に、張作霖宛の荷物があるという情報をつかんだ。さっそく手を回して、その箱をチェックすることにした。以下は園田大尉による参謀本部への報告書。
張作霖へ持参せる箱、早速密偵せるに錠ありてなかなか開かず。本官は直ちに硫酸にて錠を焼きて開きたるに、古風にして如何にも支那趣味に飾られたる文箱の如きもの表れ出でたり。されば爆弾或いは毒瓦斯の類かと用心しつつ開きたるに、色々の文字を印せる小さき駒を見いだしたり。
函の表には麻雀とあり、庭に来る雀の意とも存じられず、竹に雀と云ふことあれど、眞に妙なる雀なり。東中發北等の文字あり。花の咲き乱れたる紋のつきたる管を並べたるあり。細査せるに、上は象牙、その象牙の面にはルビー、サフワイア、ダイヤモンドなどを散りばめてあり。例せば「中」の字はルビー、東南西北はサフワイア、また白き面の中心にはダイヤモンド一個嵌めたるものありき。紋章など絢爛比なきものなり。
本官はそれ以外に異常を認めず、されば麻雀なる箱を元の位置に戻し置きて帰り来たれり。その後、本官は、いささか支那に通ぜる友人に出會ひし折り訴問せるに、そは五千金と呼称せらるる最高価の世界唯一の麻雀とのことなりき。
この牌が西太后使用牌であるかどうか明確ではない。しかしこれほどの牌がいくつも制作されたとも考えにくいので、十分その可能性がある。
当時の五千金というのが現在でどれくらいの額になるのか見当もつかない。しかし仮りに5千金が現在の5千万円や5億円だとしても、歴史的価値は別問題。発見されれば、値段どうのこうのという前に、中国の国宝に指定されるだろう。
う〜ん、σ(-_-)が園田大尉だったら、モノも云わずに持ってきてしまったのだが・・・・。あ、もちろん欲で云ってるのではないぞ。麻雀文化の保存のためじゃ......
この後、張作霖は乗っていた列車を爆破されて死亡した(関東軍の謀略と云われている)、。それとともにこの超財宝牌も完全に行方不明。ひょっとしたら、列車が爆破されたあたりに行ってみると、超財宝牌の1枚や2枚、見つかるかもしんない。。。。
PS:「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」という唄がある。この函谷関(かんこくかん)というのは、中国の真ん中へんのものすごい難所(とても箱根どころの騒ぎではない)。そこで中国では、この函谷関の東側を関東(函谷関の東側)、西側を関西(函谷関の西側)としていた。そしてシナ事変の時、派遣された日本軍は主としてその関東地方に展開したので関東軍と称した。
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