清(シン)朝歴代の皇帝のうち、雍正帝(ようせいてい 1723-1735)=世宗(せそう)は、血滴子(シュエティツ)、意訳すると血の一滴という名称の秘密組織を持っていた。怖そうな名前の通り、雍正帝は血滴子を使って家臣をいつもスパイ、裏切りの懼れがある者や気に入らない者を片っ端から暗殺したそうな。
ここで紹介するエピソードは麻雀学の先人、榛原茂樹氏が紹介したもので(麻雀タイムス第19号S27.4.1)、「清朝史演技」に載っている話。文中に登場する紙牌(チーパイ)は、3索が登場することでも分かる通り、麻雀の前身である馬吊関連の紙札ゲーム。
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清(シン)の雍正帝の即位のはじめ頃、正月休みに礼部尚書(内務大臣)の王雲錦(おううんきん)が、蒋廷錫(しょうていしゃく)、勵廷儀(れいていぎ)、魏廷珍(ぎていちん)という3人の大官を招いて紙牌(チーパイ)をしていた。
何ゲームかしたあとで、雲錦は3索マチでテンパイしたが、いっこうに出てこないの勝負が終わってから調べてみたところ、3索が1枚なくなっていた。雲錦はフッと思い当たることがあったので、「今夜はこれでもう止めよう」と言った。そしてまだやりたがっている3人の耳に口を当てて何事かをささやいた。
後日、宮中で皇帝陛下の御前に出ると、帝が雲錦に「正月の休みは何をしていたか」と尋ねた。雲錦が「葉子戯(ようしぎ-紙札遊びのこと)をしておりました」と応えると、帝は「お前は正直なやつだ」と言って 何物かを雲錦の前に投げ出した。雲錦が拾ってみると、それは先夜 紛失した3索であった。
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血滴子は雲錦の家に仕える従者の1人であったらしい。もし雲錦が鈍感な人間で、3索の紛失を血滴子の仕業とも思わず、帝の問いに「読書をしていました」なんて恰好つけていたら、命が無かったかも。
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