書談No.17で「麻雀の原理を探る」という本を紹介した。その著者・永松氏から、「麻雀という名称が、その前身であるマーチャオに由来するとしても、そのマーチャオという名称は、何に由来するのでしょうか。また字も “馬棹” “馬弔”
“馬吊” などあるようですが、どの字が正しいのでしょうか」という趣旨のメールを頂いた。
さっそく返信させて頂こうと思ったが、他にもこういう話題に興味を持つ人がいるかもしれないと思い直した。そこで永松氏の了承を得て、こちらへUPすることにした。
マーチャオの由来といっても数百年ものむかしの話。おまけに遊びの世界の話とて、はっきりしたことは分からない。そこで
“こういう事ではなかろうか”、という個人的な推論レベルの話になってしまうが。。。
まずマーチャオであるが、これは明(ミン)代(1368-1662)中期に成立したカードゲームと言うのが、現在の定説(もっとも盛んに行われたのは万暦年間(1572-1629)から清(シン)代(1644-1912)半ばと言われている。とはいえこの明代中期に誰かが発明したというものではない。それ以前に存在した幾多のカードゲームが、この時代にマーチャオとして結実したと思われる。
このマーチャオという名称について、次のような伝承的な話がある。
「宋朝の頃、、宋江(そうこう)、兵を山東(地方)に起こし、梁山泊に寨(とりで)を築く。朝廷は張牧夜を大将とし、此れを討たせた。張は四方に布告して、宋江を捕らへた者には銭(大銅銭)九萬を賞すと。そして捕盗役すなわち馬快班が編成された。馬快班はすなわち馬将(マーチャン)である。これが「マーチャン」というゲームの名称の起こりである。馬将は当時、萬・筒・索の108枚から出来ていたが、清朝に至り、長髪族の東南西北の四将にちなみ風牌を増し、さらに三元牌を加えて12枚を加えて全部で136枚の麻雀になった」<梁武山「麻雀日本(s8/1)」>
非常に面白い伝承である。しかし清朝の長髪族(太平天国軍)の乱の時代(1851-1865)くらいに、数牌のセットに風牌や三元牌が加わって今日の麻雀が成立したという他は、史実的にはいささか問題がある。
※反乱軍自身は太平天国軍と称していたが、清朝は長髪族と呼称していた。これは清朝が満州族の王朝であり、漢民族も満州風に弁髪を強制されていた。しかし太平天国軍は反清勢力なので、従来の漢民族ヘアスタイル、すなわち長髪であった。そこで清朝は、これを長髪族と呼称した。
水滸伝は4大奇書(西遊記・三国志・聊斎志異・水滸伝)の一つで、中国では大変人気がある。その水滸伝で梁山泊の豪傑は108人。そこで清朝時代にも、その108人を数牌に模した麻雀カードが存在した(現代でも、中国でそのような牌が売られている)。だからといって馬快班=馬将が馬将(マーチャン)というゲーム名称の元というのは飛躍しすぎの感がある。
たしかにマーチャオには、馬将という呼称も用いられたらしい。しかしマーチャオというゲームが誕生するのはもっと後の明の時代である。たとえ宋代にも紙札ゲームがあったとしても、マーチャオはまだ存在しない。またマーチャオが「馬将(マーチャン=ma3jiang1)」と呼称されるようになったのは清朝末期になってからで、当初は馬掉脚(ma3diao4jiao3マーチャオチャオ)、馬掉(ma3diao4)、馬脚(ma3jiao3、馬角(ma3jiao3、馬弔(ma3diao4)、馬吊(ma3diao4)などの表記であったと思われるからである。
※併音(ピンイン)は中共表記(民国(台湾)ではウェード式)。
※「a」は、上に「^」がつくのであるが、PC辞書に無い。(-_-;
中国語としては、馬掉(ma3diao4)と馬角(ma3jiao3)の発音は異なる。しかしこれはいずれも現代北京音、数百年前の発音と少々異なっても不思議ではないかもしれない。
※新中国が成立する前、中国は清(シン)朝(満州族)の時代。そこで現在の標準語は、満州語系と言われる。
しかし馬掉脚(馬が脚を振る?)、馬掉(馬が(脚を)振る?)、馬脚(馬の脚)はなんとか意味があるとしても、馬角(馬の角)や馬弔(馬を悼む?)、馬吊(馬を吊る?)では何のことか分からない。もっとも「吊」は、もとは「弔」の俗字である。したがって「吊」は「diao4」の音借用で、馬弔の当て字と思われる。そして角(jiao3)と脚(jiao3)の関係も同様と思われる。
すると元々の表記として考えられるのは馬掉脚、馬掉、あるいは馬脚と言うことになる。いずれも馬の脚に関係している。ではどうして馬の脚と関連する名称なのか。確かな理由は、現時点では不詳というしかない。そこでここからは類推の幅もかなり大きくなものになる....
類推の第一は、四門(スーメン)からの連想によるものではないかということ。周知のようにマーチャオは十字門、萬字門、索子門、文銭門の四門(4スート)で構成されている。そこでこのゲームは、単純に「四門」とも呼称されていた。
現代では人々の脚(足)として自動車はなくてはならない存在。そして当時、自動車に相当する存在は馬。馬はもっとも身近で、すべてにおいて必要不可欠の存在であった。いうまでもなく馬は四ツ足。そこで四門(4つの門)を戯語的に馬脚(馬の四ツ足)と呼称した。それがいつのまにか一般的呼称になったのではないかという類推である。日本でもフリー雀荘のことを「蛸足(たこあし=お客の足が8本(4人)揃うと、ゲームができる、の趣旨)」などと称することがあるらしいが、その乗りではないかということである。
この四門(4スート)構成の馬弔から十字門を除き、萬字門、索子門、文銭門の三門(3スート)30枚で行うカードゲームが看虎(カンフー)、止三章(シーサンチャン)、止五章(シーウーチャン)など。後にこの三門(3スート)にデュプリケーションが発生し、かつ三元牌、風牌が加わって成立したのが現在の麻雀と考えられている。
※止三章、止五章の「止」は、ホントは手編(才)に止→「才止」。しかし字が無い。
“マーチャオ”という呼称由来のもう一つの類推は、元々は「摸掉(mo2diao4=モーチャオ)と呼称されていたのではないか」というものである。
すなわち当時、「おい、摸(モー=持ってくる)掉(チャオ=振る)でもやろう」と言っているうちに、それがゲームの名称のごとくになった。その「摸(モー)」が音便変化で「馬(モー)」=馬掉(マーチャオ)となり、以下、馬脚(マーチャオ)→馬角(マーチャオ)/馬弔(マーチャオ)=馬吊(マーチャオ)、さらに馬将(マーチャオ)→麻雀(マーチャオ=マーチャン)=麻将(マーチャン)→と変化してきたのではないかという類推である。
この類推はいかにもそれらしい魅力がある。しかしこれも難がないわけではない。「摸」の第一義は「手さぐりする=模索」、第二義に「とる」、「つかむ」である。その点はいいのであるが、中国で壁牌を持ってくる表現としてよく使われていたのは「才庶 来(チーライ)」で、「摸」という表現は比較的新しい可能性がある。
また摸した牌を捨てるのはいいが振っても仕方がない。しかし「掉(diao4)」の原義は「振る」であって「捨てる」ではない。となればマーチャオ=摸掉(モーチャオ)由来説もまだまだ検討の余地がある。
というわけで、マーチャオという名称の由来については、まだまだ判然としていないというのが現状である。
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