日本史年表Ⅰ
(古墳-飛鳥・白鳳・奈良時代)


目次
(該当項目をクリックして下さい)
   日本史年表Ⅰ  古墳時代から奈良時代(西暦400-805年)の出来事を掲載しています
   日本史年表Ⅱ  平安時代(西暦794-1192年)の出来事を掲載しています
   日本史年表Ⅲ  鎌倉時代から安土・桃山時代の出来事を掲載しています
   日本史年表Ⅳ    江戸時代 西暦1600年から1868年の徳川幕府の治世時代を掲載しています

時代 西歴 和暦 天皇 日 本 史 東アジア略史
古墳 400 1 17履中 磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)で即位
高句麗好大王、新羅を援助
高句麗、倭軍を破り加羅、任那に退却させる
404 5 倭軍、高句麗軍と戦い敗退 高句麗、倭軍を再び破る
405 6 百済の人質名忽王の子、未斯欣を百済王として兵とともに護送する 未斯欣、百済王として即位
406 1 18反正 反正天皇即位  河内の丹比(たじひ)に都を作り柴籬宮(しばかきのみや)という
412 1 19允恭 允恭天皇即位
415 4 詔により、姓氏を正すために盟神探湯(くがたち)を行う .
454 1 20安康 穴穂皇子(あなほのみこ)が即位し都を石上に遷す
457 1 21雄略 大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)朝倉で即位しそこを都とする ・475年百済、高句麗に漢城落とされ、百済王殺される
・479年[宋]滅び、[斉]建国  
478 22 倭王武、宗に朝貢し、順帝から安東大将軍の称号を受ける
480 1 22清寧 白髪皇子(しらかのみこ)即位、磐余に都を置く
485 1 23顕宗 弘計王(おけ)、近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)で即位
488 1 24仁賢 億計王(をけ)、石上広高宮で即位 
499 1 25武烈 小泊瀬稚○○尊(おはつせのわかさざきのみこと)、泊瀬列(はつせのなみき)で即位、ここを都とす
500 2
502 4 倭王武、梁の武帝から征東将軍の称号を受ける 503年、斯盧国、国号を新羅と改める
・523年、百済、武寧王没・524年、百済、聖明王が即位
507 1 26継体 継体元年。大伴金村、応神五世の孫を即位させる
526 20 磐余の玉穂に遷る
527 21 継体21年11月、【磐井の乱】起こる
528 22 継体22年11月、物部大連、築紫の御井郡で磐井を切り、乱を平定
531 25 継体天皇崩御、勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)即位
継体天皇を摂津の藍野陵に葬る
534 1 27安閑 都を大倭国の勾金橋(やまとのくにのまがりのかなはし)に遷す
百済国より朝貢使、来朝する
535 2 安閑天皇崩御、武小広国押盾尊(たけおひろくにおしたてのみこと)即位
536 1 28宣化 都を檜隅の廬入野(ひのくまのいおりの)に遷す
537 2 新羅が、任那に侵入したので大伴狭手彦を遣わし任那を助ける
539 1 29欽明 天国排開広庭命皇子(あめくにおしはらきひろにわのみこ)即位し、都を礎城郡(しこのこおり)の礎城嶋に置く
541 2 百済に任那復興を命ずる
552 13 百済国から高麗、新羅との戦いへの援軍要請あり
【仏教伝来】(百済から公式に伝わる)538年説もあり
553 14 欽明14年百済国から、高麗、新羅との戦いへの援軍要請あり
554 15 欽明15年5月内臣(うちのおみ)、軍船を率いて百済に向かう」 554年百済の聖明王、新羅に殺される
556 17 欽明17年1月、兵士1000名を送り百済を救援する
557 18 欽明18年3月、百済の王子余昌、王位に就く(威徳王) 557年、百済の王子余昌、王位に就(威徳王)
562 23 欽明23年、任那日本府、新羅に滅ぼされる
新羅討伐の詔下る
大将軍紀男麻呂宿禰(きのう まろの すくね)新羅討伐へ派遣
大伴連狭手彦(おおとのむらじ さでひこ)を高麗討伐へ派遣
570 31 蘇我大臣稲目死去
高句麗の使節、国書を携え北陸に漂着
571 32 新羅に使を派遣し任那が滅びた理由を問責する
572 1 30敏達 敏達天皇即位
百済大井(奈良県広陵町百済)に宮を造る 
王辰爾(おうじんに)欽明31年漂着高句麗使節の国書(烏羽の表)読み解く
584 13 蘇我馬子、石川の宅に仏殿を造る
585 14 31用明 橘豊日皇子が即位
蘇我馬子、大野丘の北に仏塔を建てる
物部守屋・中臣勝海ら仏塔、仏殿を破壊する
587 2 用明天皇崩御し、泊瀬部皇子が即位 .
蘇我馬子、物部守屋を河内で倒す(用明2年5月)(「丁未の乱」または「丁未の変」) .
聖徳太子、四天王寺建立発願 .
蘇我氏、法興寺(飛鳥寺)建立発願 .
588 32崇峻 蘇我氏、法興寺(飛鳥寺)建立開始 .
590 3 学問尼善信ら百済国から帰り、桜井寺に住む、またこの年多くの尼が得度する 589年、隋、中国統一
591 4 任那奪回を目的に約2万人の兵を築紫に集結させるも、派兵中止
592 5 崇峻5年11月蘇我馬子、東漢駒(やまとのあやのこま)に崇峻天皇を暗殺させる
33推古 崇峻5年12月額田部皇女(敏達天皇の皇后)、豊浦宮にて即位(推古天皇) .
593 聖徳太子、摂政となる
594 2 「三宝興隆」の詔、発布(仏教公認される .
595 3 高句麗の僧 慧慈来日 .
百済の僧、慧聡来日 .
596 4 蘇我馬子、息子善徳を寺司とする .
600 8 任那に派兵し、新羅と和平する .
第一回遣隋使派遣 .
601 聖徳太子、斑鳩宮建立開始 .
602 9 新羅討伐のため来目皇子(聖徳太子の弟)を将軍とする約2万5千人の兵を築紫に集結させるも来目皇子急死のため中止となる .
603 11 【小墾田宮に遷都】 .
冠位十二階制定 .
太秦に広隆寺建立 .
604 12 十七条憲法制定 隋の煬帝即位
605 13 斑鳩宮完成し聖徳太子移り住む .
607 15 法隆寺建立される .
四天王寺落成する .
第二回遣隋使(小野妹子等)を派遣 .
608 16 遣隋使(小野妹子等)帰国、随使裵世清ら来日 .
第三回遣隋使(小野妹子等)を派遣(随使裵世清らを送るため)高向玄理・南淵請安、留学 .
609 17 遣隋使(小野妹子等)帰国 .
法興寺(飛鳥寺)完成する .
610 18 第四回遣隋使派遣 マホメット、イスラム教を創始
推古18年10月、新羅、任那の使人来朝する .
613 21 難波から飛鳥までの大道をつくる(竹内街道のことか?) .
614 22 第五回遣隋使(犬上御田鍬)を派遣 .
615 23 遣隋使(犬上御田鍬)帰国 .
618 26 高句麗使、隋軍30万を撃退したこと伝える 618年、隋滅び唐成立、李淵(りえん)初代皇帝となる..
621 29 間人皇后(聖徳太子母)没
622 30 推古30年2月21日、妃膳部菩岐々美郎女(聖徳太子妃)没
推古30年2月22日、聖徳太子没 .
623 31 新羅討伐軍数万を派兵 .
626 32 推古34年5月、蘇我馬子没(「馬子大臣が亡くなった。桃原墓に葬った」日本書紀(桃原墓は奈良県明日香村石舞台古墳説が有力視されている) 第2代皇帝太宗即位.
628 35 推古天皇崩御 .
629 1 34舒明 田村皇子(敏達天皇の孫)即位 .
630 2 第一次遣唐使(犬上御田鍬)を派遣(遣唐使のはじめ) .
632 4 第一次遣唐使(犬上御田鍬)帰国 632年、新羅、善徳(そんどく)女王即位.
633 5 留学生恵日ら帰国し唐との国交を建言
636 8 舒明8年6月、岡本宮焼亡し田中宮へ遷る .
639 11 7月、大宮・大寺建立の詔、出される(百済宮と百済寺) .
12月、九重塔を百済川のほとりに建てる .
640 12 舒明12年4月、厩坂宮(橿原市大軽町)に遷る .
舒明12年10月、百済宮に遷る .
641 13 舒明天皇崩御(49歳) .
642 35皇極 皇極元年1月、舒明天皇の太后である宝皇女が即位 .
皇極元年12月、小墾田宮へ遷る .
643 皇極2年11月、蘇我入鹿、巨勢徳太古臣、土師娑婆連の軍を差し向け、山背大兄王(聖徳太子の遺子)を斑鳩宮で自害せしむる .
644 中臣鎌子連、法興寺の槻の木の下で、蹴鞠をしていた中大兄皇子と初めて出会う .
蘇我蝦夷、入鹿親子、家を甘樫丘に並べて建てる(大臣の家を「上の宮門(みかど)、入鹿の家を「谷(はざま)の宮門」といった) .
645 大化 1 36孝徳 大化元年6月、【乙巳の変】、中大兄皇子と中臣鎌足、蘇我入鹿を宮中で謀殺する 。蘇我蝦夷は自殺する。 .
6月、皇極天皇から弟の軽皇子へ譲位し孝徳天皇として即位 .
蘇我倉山田石川麻呂、右大臣となる .
9月、古人皇子、謀反の疑いで殺される .
倭国と多武峯・百済による統一政権が模索される。 .
同12月、【難波長柄豊崎に遷都】孝徳天皇、飛鳥から難波長柄豊崎に遷都し、造営開始 .
646 2 大化2年1月、「改新の詔」発布される .
647 3 七色十三階の冠定める 647年新羅、真徳(ちんどく)女王即位、金春秋(後の武烈王)を倭国へ国情視察のため派遣する
649年、唐、第3代皇帝高宗即位..
新羅が金春秋をらを遣わしてきた、金春秋を人質とする(日本書紀)
649 4 冠位十九階を定める
左大臣阿倍野内麻呂が死去
大化5年3月、右大臣蘇我倉山石川麻呂、謀反の嫌疑をかけられ山田寺で自害
650 6 年号「白雉」に改める .
651 7 孝徳天皇、難波長柄豊崎宮に遷る .
新羅の使が築紫に来るが、唐の服を着用していたのを不快として追い返す .
652 8 難波長柄豊崎宮完成する .
653 9 旻法師死去する .
中大兄皇子、孝徳天皇に大王宮を難波から飛鳥へ戻すことを進言するも認められず、母の退位した皇極天皇、実の妹で孝徳天皇の皇后である間人皇女をはじめ多数の豪族を引き連れ飛鳥に移る .
遣唐使(吉士長丹)派遣(二隻241名) .
遣唐使(高田根麻呂)派遣(遭難) .
654 10 白雉5年10月、孝徳天皇崩御(59歳) 654年、
・則天武后、皇后となる(則天武后の垂簾聴政(すいれんちょうせい)はじまる) 
・新羅、武烈王即位する...
遣唐使(吉士長丹)帰国
遣唐使(押使 高向玄理大使 河辺麻呂 副使 薬師恵日)派遣
655 1 37斉明 斉明元年1月、皇極上皇が斉明天皇として飛鳥板蓋宮にて重祚する
遣唐使(高向玄理)帰国、但し高向玄理は唐で没
656 2 高麗国より使者来朝(大使:達沙以下81名)
遣高麗使派遣(大使:膳臣葉積(かしわでのおみはつみ)) .
657 3 遣新羅使派遣、新羅の唐への大使派遣に日本の大使を同行させよと依頼するも、新羅国これを拒絶。 .
658 4 1月、左大臣 巨勢徳太臣 死去 .
4月、阿倍比羅夫、軍船180隻を率いて蝦夷へ遠征する .
11月、有間皇子(孝徳天皇の皇子)、謀反を問われ処刑される(19歳) .
659 5 遣唐使(坂合部石布)派遣(第一船南海に島に漂着、大使殺される) .
660 6 中大兄皇子、漏剋(水時計)を造る 百済、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる..
7月、百済、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる
10月、百済の鬼室福信より救援を要請される
661 7 5月、斉明天皇出征し築紫朝倉宮を本営とする 新羅、文武王即位(武烈王の長子). .
7月、朝倉宮にて斉明天皇崩御
8月、前軍・安曇比羅夫連、後軍・阿倍引田臣比羅夫らを遣わして百済を救援する
遣唐使(坂合部石布)第二船帰国
662 1 38天智 1月、百済の鬼室福信に矢・綿・布などを与える 唐・新羅が連合して高麗を攻める
3月、高麗、救援を求めてきたのに応え将軍を派遣する
5月、安曇比羅夫連、軍船170隻を率いて豊暲らを百済に送り国王の位を継がせる
663 2 天智2年8月、【白村江(はくすきえ)の戦い】で唐・新羅連合軍に敗れる
664 3 百済王善光王らを難波に住まわす 玄奘三蔵入寂 
対馬、壱岐、築紫国などの防人を置く
665 4 百済の百姓400余人を近江国に住まわせる
百済の遺臣に長門国、築紫国に城を築かせる
送唐客使(守大石ら)唐使劉徳高を送る。唐使法聡来日
666 5 高麗使、来朝する(1月、10月)
百済の男女二千余人を東国に住まわせる
667 6 天智6年3月、【近江大津宮遷都】
送唐客使(守大石ら)帰国
送唐客使(伊吉博徳)、唐使法聡を百済に送る
大和の高安城、讃吉国の屋嶋城、対馬国の金田城を築く
668 7 天智7年1月、中大兄皇子即位して天智天皇となる。 高句麗、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる
中臣鎌足等「近江令」を撰定する
行基、渡来人の子孫として河内国大鳥郡で生誕
669 8 遣唐使(河内鯨)派遣(帰国の有無不明)
中臣鎌足没(56歳)、天智天皇より藤原姓を賜る
百済の男女700余人を近江国の蒲生郡に住まわせる
唐、郭務悰(かくむそう)ら2000余人を送る
670 9 天智9年4月、若草伽藍(法隆寺前身寺)全焼する 670年、羅唐(新羅、唐)戦争始まる
671 10 大友皇子を太政大臣、蘇我赤兄臣を左大臣、中臣金連を右大臣とする
天智10年12月、天智天皇崩御(46歳)
奈良 672 1 39弘文 大友皇子が即位し39代弘文天皇となる(明治3年に決められたもので史実としては定かではない)
天武元年6月、【壬申の乱】大海人皇子、吉野から東国へ  高市皇子、大津皇子がこれに合流する 7月、大海人皇子の軍勢、大和へ侵攻する  大友皇子、自害する  8月、左大臣蘇我赤兄、流罪となる  9月、大海人皇子、飛鳥に入り、飛鳥淨御原宮を造営
673 2 40天武 2月、大海人皇子、飛鳥浄御原宮で即位し、天武天皇となる 3月、川原寺で一切経書写  「造高市大寺司」任命される
674 3 10月、大来皇女、斎宮として伊勢へ向かう
676   5 この年、藤原宮の造営検討されるも中止となる  
677 6 6月、天武天皇、東漢直等を七つの罪状をあげ戒告する 676年、新羅、唐軍を駆逐し、朝鮮半島を統一する
8月、飛鳥寺で一切経転読される
9月、高市大寺、大官大寺と改称される
678 10月、官人の考課・選叙法される  12月、山田寺丈六仏像、鋳造される  この年、新都城建設計画検討始まる 678年、新羅、四天王寺建立
679    8 5月、天皇・皇后・六皇子、吉野で会盟する  11月、竜田山、大坂山に関を置き、難波宮に羅城を築く   
680 9 11月、天武天皇、皇后の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願する 
681 10 2月、「浄御原令」撰定の詔、出される 新羅、新文王即位(文武王の長子)
草壁皇子、皇太子となり摂政する
682 11 大官大寺で140余人出家 682年、新羅、感恩寺建立.
慈恩大師入寂
683 12 僧正、僧都、律師を任じ、僧尼を統領させる 683年、唐、高宗没、その子中宗が即位.
諸国に詔して陣法を教習させる
684 13 2月、造都のため、畿内・信濃の地を視察させる  3月、藤原宮の建設地、決定される  10月、「八色の姓」制定される   684年、唐、則天武后、中宗を廃し実権を握る686年、新羅、唐の冊封を受ける
687年、新羅、孝昭王即位(神文王の長子)
685 14 9月、天皇病気平癒を祈り 大官大寺、川原寺、飛鳥寺 において誦経が行われる 
686 朱鳥 1 9月、天武天皇崩御
41持統 9月、鸕野讚良皇后(うののささら) 称制する(持統天皇)。
10月、大津皇子、謀反の疑いにより殺される(24歳)
689 3 4月、皇太子草壁皇子没
690 4 1月、鸕野讚良皇后(うののささら)正式に即位(持統天皇)  7月、「浄御原令」を実施し、太政大臣高市皇子以下を任じ、公卿、百寮の朝廷での礼を定める  この年、初めて伊勢神宮内宮の遷宮が行われる 690年、唐、則天武后、即位し聖神皇帝を名乗り国号を「周」とする
691 5 この年、藤原京(新益京)、建設工事始まる
692 6 持統天皇、伊勢に行幸する
飛鳥淨御原令の施行「中央の諸官司に令一部二十二巻を分け下し賜った」 日本書紀持統三年六月二十九日
694 8 12月、【藤原京遷都】
696 10 7月、高市皇子没(42歳) 唐と渤海との間で戦争始まる
697 2月、軽皇子(草壁皇子の長男)、皇太子となる
1 42文武 8月、軽皇子、即位し文武天皇となる(15歳)  持統天皇、太上天皇となり文武天皇の後見となる  藤原不比等、娘宮子を入内させる
698 2 8月、詔により「藤原」の姓は不比等とその子孫に限り、意美麻呂以下は神事に携わるため旧姓中臣に復する。  10月、薬師寺、開眼仏会行われる  698年、渤海国、建国される(698-926)(初代王 大祚栄(だいそえい))
699 3 5月、役小角、世を惑わす妖言をなした疑いで伊豆の島に流される。
700 4 3月、僧道昭没、火葬される
6月、刑部親王、藤原不比等らに律令の撰定を命ずる
701 大宝 1 3月、「大宝令」が施行される    
3月、新令による官名・位号を改制される
3月、藤原不比等、正三位大納言となる
6月、大安寺で「僧尼令」講説される
8月、高安城、廃止される
この年、宮子、首皇子を生む 県犬飼三千代(後の橘三千代)、安宿媛(光明子)を生む
702 2 2月、「大宝律」が施行される 702年、新羅、聖徳王即位(神文王の第二子) 
遣唐使栗田真人派遣(山上憶良、小録として派遣される)。道慈留学
10月、「大宝律令」の全国領布、行われる
12月、持統太上天皇没(58歳)
702~704頃、役行者により観心寺草創。寺号は雲心寺
704 石上麻呂、右大臣になる
慶雲 1 遣唐使栗田真人帰国
705 2 この年、大風、日照りのための飢餓と疫病の流行が二十カ国に及ぶ(続日本紀) 706年、唐、則天武后、譲位を迫られ中宗が復位し、国号も「唐」に復される
その後も飢餓と疫病は河内、摂津、出雲、安芸、讃岐、伊予にも広がり、盗賊が横行し人民、辛苦する(律令制度の破綻早くも現れ始める)
707 3 6月、文武天皇崩御(25歳) 707年、則天武后、乾陵に高宗と合葬される
43元明 7月、阿閇皇女(あへのひめみこ)即位(元明天皇)。阿閇皇女は天智天皇の第四皇女で草壁皇子(天武天皇と持統天皇の息子)の正妃
708 元明天皇即位の宣命において「不改常典」を明らかにする
和銅 1 1月、藤原不比等、正二位となる
2月、「遷都の詔」出される
3月、藤原不比等右大臣となる
8月、和同開珎が作られる
710 3 3月、【平城京遷都】
711 4 このころ、法隆寺完成する
712 5 1月、太安万侶が「古事記」を撰上する 712年、唐、玄宗皇帝(李隆基)即位(712~756)
713年、唐、渤海国を冊封する
713 6 5月、諸国に「風土記」の編纂を命じる
714 7 6月、首皇子、皇太子となる
715 8 5月、遠江国で地震おこり、地震による堰き止められた天竜川が決壊し洪水発生、死者多数  9月、元明天皇、娘の氷高皇女(ひたかのひめみこ)に譲位し、太上天皇となる。
霊亀 1 44元正 氷高皇女、即位する(元正天皇)
716 2 この年、不比等の娘、安宿媛(光明子)、首皇子の妃となる
大安寺、この年平城京へ移される  
この年、出雲大社建立される 
717 3 右大臣石上麻呂没、不比等が名実ともに第一人者となる。
養老 1 3月、第9回遣唐使(大使:大伴山守)派遣(玄昉・阿倍野仲麻呂・吉備真備・井真成ら留学)
4月、行基の布教活動に対して禁令出る(養老元年4月 続日本紀))  
この年、郷里制施行
718 2 12月、遣唐使(大伴山守)帰国
この年、法興寺(飛鳥寺)、薬師寺、平城右京に移される
この年、藤原不比等等、「養老律令」撰定を始める
719 3 6月、首皇太子、朝政を聴く  
720 4 2月、隼人、反乱を起こす  3月、大伴旅人、征隼人将軍に任じられる  5月、舎人親王ら「日本書紀」を撰上する  8月、藤原不比等没(62歳)  9月、蝦夷の反乱  この年、造興福寺仏殿司おかれる
721 5 1月、長屋王、右大臣となる、 藤原武智麻呂は中納言、房前は従三位、宇合は正四位、麻呂は従四位と昇進する  12月、元明太上天皇崩御(61歳) 721年、新羅貢朝使、来朝するも元明太上天皇崩御を理由に帰す
722年、新羅国、日本の賊の侵入に備え、毛我郡城を築く
723年、新羅使来朝
722 6 遣新羅使(元明太上天皇崩御を報告するため
長屋王、百万町歩開墾計画を奏上する
723 7 3月、満誓、太宰府観世音寺造営を命じられる
4月、三世一身の法発布される
この年、興福寺に施薬・・悲田院作られる
724 神亀   1 45聖武 2月、元正天皇、首皇子(おびとのみこ)に譲位する。首皇子、即位し聖武天皇となる(首皇子は文武天皇の第一皇子 )  長屋王、左大臣に任じられる  藤原武智麻呂、房前、正三位となる
3月、蝦夷の反乱起こる  4月、藤原宇合、征夷持節大将軍に任ぜられる
この年、多賀城、造営される
この年、遣新羅使(聖武天皇即位を伝えるため)
この年、勅により、藤原夫人宮子を大夫人を称することとするも、長屋王等の異議申し立てにより、後に皇太夫人と改める
725 2 詔して、諸寺に「金光明最勝王教」の転読を義務付ける
726 3 この年、聖武天皇、興福寺東金堂を建立 726年、新羅使来朝
728 4 遣渤海使(引田虫麻呂)62名を派遣(高斉徳ら8名を送るためと渤海と通交することにより新羅を牽制するため) 727年、渤海使(高斉徳ら八名)初来朝
729 5 9月、皇太子(基王)没  10月、僧正・義淵没
天平 1 天平元年2月、【長屋王の変】右大臣長屋王、謀反の嫌疑をかけられ、妃吉備内親王および諸王子と共に自害する(54歳)
8月、年号を天平と改められる
8月、夫人藤原光明子を皇后とする(光明皇后)
730 2 この年、光明皇后の発願により興福寺五重塔建立される
9月、行基集団の活動に対して再び禁令出る
731 3 7月、大伴旅人没(67歳) 731年、新羅、日本の兵船(300隻)が東辺を襲うが撃退する
8月、行基集団に対して、男子61歳以上、女子55歳以上の者に出家を許可する詔勅を出す(天平3年8月)
11月、新羅国との有事に備え藤原宇合を副総監に任命し、畿内に総管理、諸道に鎮撫使が設置される
732 4 新羅使来朝 732年、唐、新羅に渤海攻撃を要請する
遣新羅使(新羅使送るため)
733 5 4月、第10回遣唐使(大使:多治比広成、副使:中臣名代)派遣(船舶数:4)第四船難破。戒師招請の任務を受ける興福寺僧・栄叡、普照も乗船
橘三千代没
734  玄昉・吉備真備ら帰国(734~739)
新羅使来朝、しかし新羅が王城国と名乗ったことに怒り日本朝廷は追い返す
1月、光明皇后、母橘三千代の菩提供養のため興福寺西金堂建立する
4月、畿内七道で大地震発生、死者多数  
735 7 9月、新田部皇子没、同11月舎人皇子没  735年、新羅、唐から冊封を受ける
736 8 第10回副使中臣名代の遣唐使船薩摩に帰国(同船にて唐僧道せん(どうせん)、インド人僧菩提僊那、ベトナム僧仏哲ら来朝する)
葛城王を臣籍に降ろし橘諸兄と改名させる
遣新羅使(734年新羅使への答礼か?)
737 9 この年、天然痘が流行する 737年、新羅、孝成王即位(聖徳王の第二子)
藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡 (天平9年4月房前(57歳)没、同7月麻呂(43歳)、武智麻呂(58歳)没、同8月宇合(44歳)没)
12月、国名を「大倭国(やまと)」から「大養徳国(やまと)」に改める   皇太夫人宮子(53歳)、玄昉の看病により快癒し、聖武天皇と対面する
738 10 1月、阿倍内親王を立太子させ、橘諸兄を右大臣に任じられる 739年、渤海使来朝
7月、長屋王の冤罪が判明する
12月、藤原広嗣、太宰少弐として太宰府へ左遷される
新羅使来朝、しかし日本朝廷は新羅使を太宰府から追い返す
740 12 9月、【藤原広嗣の乱】藤原広嗣玄昉、吉備真備の排斥を求めて九州で挙兵する  
10月、聖武天皇、東国行幸へ出発する
11月、広嗣、肥前国松浦郡家で処刑される
12月、聖武天皇、山背国恭仁京に移る(恭仁京へ遷都)
741 13 2月、国分寺建立の詔、国分寺、国分尼寺の建設始まる
742 14 1月、太宰府、廃止される 742年、新羅、景徳王即位(孝成王の同母弟)     遣新羅使を日本朝廷は失礼があるとして追い返す
8月、聖武天皇、近江国紫香楽に離宮を造営する
新羅使来朝、しかし日本朝廷は新都未完成を理由に入京させず
743 15 5月、墾田永年私財法発布される  橘諸兄、左大臣に任じられる
10月、聖武天皇、紫香楽宮に盧舎那仏造営を発願   行基、弟子たちを率いて広く民衆に盧舎那仏造営に参加を勧誘する  塩焼王、伊豆へ配流される
12月、恭仁京造営中止となる(紫香楽宮造営のため)
744 16 閏1月、安積親王没  2月、聖武天皇、難波宮に移る(難波を首都とされる)
この年、紫香楽宮に於いて盧舎那仏の建立始まる
745 17 1月、紫香楽を新京とされる  行基、大僧正に任じられる 745年、唐、玄宗皇帝、楊太真を貴妃とする
4月、<天平地震>岐阜県美濃地方で大地震発生
5月、聖武天皇、平城京へ戻る(平城京へ還都)
6月、太宰府、複置される  
8月、大養徳国金光明寺で大仏造立開始される
11月、玄昉、太宰府観世音寺造別当として左遷される
746 18 玄昉没(藤原広嗣の遺臣に斬られた?)
遣唐使大使石上乙麻呂任命されるも中止
747 19 東大寺大仏(盧舎那仏)鋳造始まる
光明皇后、新薬師寺建立
748 20 元正上皇崩御(60歳)
749 天平感宝 1 2月、行基、喜光寺で没
2月、百済王敬福、陸奥国小田郡で採れた黄金を貢上する
4月、聖武天皇東大寺に行幸し自らを「三宝の奴」と称する
天平勝宝 1 46孝謙 7月、聖武天皇、阿部内親王に譲位し孝謙天皇即位、天平勝宝と改元する
宮子皇太夫人、太皇太后の称号を受ける
10月、東大寺大仏鋳造なる。
12月、聖武天皇、東大寺に行幸する
「定諸寺墾田地限」発布される
750  2 1月、吉備真備、筑前守に左遷される  
9月、藤原清河、遣唐使に任じられる(副使として大伴古麻呂)
751 3 11月、吉備真備、遣唐副使に任じられる(仲麻呂による真備排斥)  
752 4 4月、東大寺建立(大仏開眼) 5月、良弁、東大寺別当に任じられる 752年、新羅、新羅国王子を派遣し日本との関係改善を図る
753年、渤海使来朝
3月、第12回遣唐使(藤原清河)派遣。副使として大伴古麻呂、吉備真備
753 5 12月、遣唐副使大伴古麻呂、吉備真備帰国、同船に便乗し鑑真来朝(遣唐使・藤原清河の船は漂流し帰国できず)(天平勝宝5年12月)
遣新羅使(唐朝に於ける席次争いにより追い返される)
754 6 2月、鑑真、平城京に入る(天平勝宝6年2月)
4月、鑑真、東大寺大仏殿前に戒壇を備え聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇、その他約440名に授戒する(天平勝宝6年4月)
7月、宮子太皇太后没 
755 7 9月、鑑真、東大寺に戒壇院を設置 755年、唐、「安史の乱(安祿山・史思明の乱)」(755~756年)
756年、唐、粛宗皇帝即位
756 8 2月、橘諸兄、隠退する
5月、聖武太上天皇崩御(56歳)
この年、東大寺正倉院できる
このころ、橘諸兄、大伴家持により、万葉集第一次編纂行われる
757 天平宝字 1 1月、橘諸兄没(74歳)  
3月、道祖王(ふなど)、皇太子の身分剥奪される
4月、大炊王立太子  藤原仲麻呂、紫微内相となる
5月、「養老律令」施行される
7月、【橘奈良麻呂の乱】起こる、大伴古麻呂、拷問の上殺害される
758 2 47淳仁 8月、孝謙天皇、皇太子(淳仁天皇)に譲位し、大炊王即位(淳仁天皇)大炊王は天武天皇の皇子舎人親王の七男 758年、新羅、恵恭王即位(景徳王の子)
758年、渤海使来朝
8月、藤原仲麻呂、大保(右大臣)となり、「恵美押勝」の名を賜る
大仏殿竣工される。
9月、遣渤海使小野田守、安史の乱の情報を伝える
759 3 1月、大伴家持、万葉集最後の歌を詠む 渤海使来朝
遣唐使(迎入唐大使使 高元度)派遣
この年、唐招提寺建立される。
この年、恵美押勝(藤原仲麻呂)、新羅討伐の準備に入る
遣渤海使(内蔵全成)
760  1月、恵美押勝(藤原仲麻呂)、太政大臣となる   
6月、光明皇太后没(60歳)
9月、新羅使来朝、しかし日本朝廷は新羅使の身分が低いことを理由に追い返す
761 5 遣唐使(迎入唐大使使 高元度) 渤海使来朝
762 6 5月、孝謙太上天皇、淳仁天皇の「国の大事」(人事、軍事)の権限を取り上げることを宣言する 762年、唐、代宗皇帝即位 ・渤海使来朝
遣唐使 仲石伴任命されるも船破損のため停止
763 7 5月、鑑真和上没  9月、道鏡、少僧都に任ぜられる 新羅使来朝
764 8 9月、【恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱】吉備真備、中将大将に任じられ藤原仲麻呂を三尾(近江国高島郡)にて討つ  10月、孝謙太上天皇、淳仁天皇を廃し淡路島に配流する
 
48称徳 10月、孝謙太上天皇即位し称徳天皇となる
この年、西大寺、称徳天皇の発願により造営開始される
765  天平神護  8月、和気王、謀反の罪で処刑される  
10月、道鏡、太政大臣禅師となる
10月、淳仁天皇自害する(33歳)
11月、僧侶参加の異例の大嘗祭行われる
766  10月、海龍王寺の毘沙門天像の中から仏舎利が出る  
10月、道鏡、法王となり、藤原永手を左大臣に、吉備真備は右大臣となる
この年、西大寺造営開始される
767 神護景雲   1 3月、法王宮職が置かれる  
この年、伊治城(陸奥国)完成する   この年、最澄、比叡山麓で生誕
768 2 道鏡の弟子、基真、海龍王寺毘沙門天像から出た仏舎利捏造の罪等で飛騨国に流される 768年、新羅、大恭らの反乱勃発
769 3 5月、【不破内親王の呪詛事件】称徳天皇を呪詛したとされ、不破内親王(称徳天皇の異母姉妹)追放、その子・氷上志計志麻呂(しけしまろ)、配流される
9月、【宇佐八幡宮神託事件
10月、詔により由義宮を西京とし、河内国を河内識とされる
新羅使来朝
770 4 2月、由義宮行幸  4月、百万塔、諸寺に分配される  8月、称徳天皇崩御(53才)  
宝亀 1 49光仁 8月、白壁王立太子  白壁王は天智天皇の第七子である施基親王の第六子
8月、道鏡、下野(栃木県)薬師寺別当へ左遷される
9月、右大臣・吉備真備、皇太子(白壁王)に辞職を願いでる(これ以降、真備、政界より引退する)
10月、白壁王即位(光仁天皇)
11月、井上内親王立后
この年、阿倍仲麻呂、唐で客死する
771 2 1月、他戸親王、立太子  2月、左大臣藤原永手没 渤海使来朝
772 3 4月、道鏡没の報、天皇に言上される
3月、光仁天皇を呪詛したとして井上内親王廃后され、これに連座して他戸親王、皇太子を廃される(井上内親王は光仁天皇の皇后)
773 4 1月、山部親王(桓武天皇)、皇太子となる(山部親王は光仁天皇の妃高野新笠との子) 渤海使来朝
774 5 陸奥鎮守将軍大伴宿禰駿河麻呂に蝦夷征討の勅を出す(以降、約38年間に及ぶ蝦夷征討が始まる)  この年、空海、讃岐国屏風浦(香川県善通寺)で生誕 新羅使来朝 
775 6 4月、井上内親王、他戸親王、死去(暗殺?)  10月、吉備真備没
777 8 9月、内大臣・藤原良継(藤原宇合の第二子)没   
778 9 3月、山部皇太子の病を祓うため誦経と大赦が実施される  
779 10 1月、藤原魚名(藤原房前の子)、内大臣に任じられる  7月、藤原百川(藤原宇合の第八子)没(48歳)  8月、新旧の銭貨を等価で通用させる  遣新羅使(交流のため) 渤海使来朝
780 11 3月、【宝亀の乱】伊治公呰麻呂(これはるのきみあざまろ)が反乱を起こし多賀城を占拠して桉察使を殺害、放火する  藤原継縄、征東大使に任じられる  この年、元興寺の僧・智光没 780年、唐、徳宗皇帝即位
780年、新羅、金志貞らの反乱勃発し、恵恭王殺される(武烈王の王統これにて絶える) 宣徳王即位 
781 天応 1 50桓武 4月、桓武天皇即位(光仁天皇が譲位)、早良親王立太子  藤原魚名、左大臣に任じられる  12月、光仁太上天皇崩御
782 2 閏1月、【氷上川継の乱】 氷上川継、謀反発覚したとして配流される
延暦 1 6月、左大臣藤原魚名、罷免される(氷上川継の乱に連座してか?原因不詳)
783 2 2月、藤原乙牟漏(藤原良継の娘、後の平城・嵯峨両天皇の母)、皇后となる
784 3 11月、【長岡京遷都】
785 4 9月、造長岡京使藤原種継、暗殺される 785年、新羅、元聖王即位
10月、種継暗殺に関わったとして皇太子早良親王(桓武天皇の同母弟)廃される。(その後、淡路島へ配流途中に餓死)
11月、安殿親王(桓武天皇の長男)が立太子
788 7 この年、最澄、比叡山に一乗止観院建立し、延暦寺の基を開く
793 12 この年、空海、和泉国槇尾寺で勤操大徳のもとで得度
平安 794 13 10月、【平安京遷都】
795 14 空海、東大寺戒壇院において具足戒を授かり空海と改名 渤海使来朝
797 16 国司による不正等を調査するため、令外官の勘解由使(かげゆし)、設置される  
799 18 遣新羅使(交流のため、これ以降、派遣されず) 新羅、昭聖王即位
800 19 12月、薩摩、大隅で班田収受実施される
804 23 この年、空海、最澄、入唐
805 24 最澄帰国  最澄、高尾山寺で灌頂を行う 唐、順宗皇帝即位

  ※1 天皇名で赤字は女性天皇  ※2 太字は重要な事変を表示


 
<更新履歴>2010/5作成  2010/8  2010/11  2011/6  2011/8  2011/11  2012/10  2012/12  2013/3  2013/9  2013/12  2014/2  2015/6  2019/1
日本史年表Ⅰ