西暦 |
和暦 |
天皇 |
将軍 |
日本史 |
世界史 |
1600 |
慶長 |
5 |
後陽成 |
|
・7月、石田三成挙兵する |
イギリス、東インド会社設立 |
・9月、 関ヶ原の戦い |
・10月、三成、小西行長、安国寺ら、京都六条河原で斬られる |
1601 |
6 |
|
・家康、東海道に伝馬制度を設ける
・上杉景勝を会津(120万石)から米沢(30万石)に移す |
1602年、オランンダ東インド会社成立 |
1603 |
8 |
家康 |
家康、征夷大将軍となる ・出雲の阿国、京都で歌舞伎踊初演 |
1604 |
9 |
朱印船の制度を定める |
1605 |
10 |
・4月、豊臣秀頼、右大臣となる
・家康、秀頼に上京し、謁見するよう促すが秀頼これを拒否 |
1605年、セルバンテス「ドンキホーテ」刊行
1609年、オランダ、スペインと休戦(オランダ事実上独立)
1609年、琉球王国、島津家久によって征服される
1613年、ロシア、ロマノフ王朝成立、1616年、ヌルハチ、後金建国
|
1607 |
13 |
・朝鮮通信使、来日する |
1609 |
14 |
秀忠 |
・2月、幕府、島津家久に琉球へ出兵を命じる
・4月、家久、首里を攻略し琉球王を捕らえる
・5月、オランダ船に貿易を許す
・8月、オランダ人、平戸に商館を建設
・9月、幕府、西国大名の500石以上の大船を没収 |
1613 |
18 |
後水尾 |
・伊達政宗、支倉常長を欧州に派遣 ・キリスト教禁止 |
1614 |
19 |
・大坂冬の陣 |
1615 |
元和 |
1 |
・大坂夏の陣、豊臣氏滅亡 |
・武家諸法度・禁中並公家諸法度・諸宗本山本寺の諸法度、一国一城令発布される |
1616 |
2 |
・欧州船の寄港地を平戸、長崎に制限する |
・徳川家康死去 |
1617 |
3 |
・日光東照宮が建立される ・幕府、吉原遊廓の開設を許可 |
1618 |
4 |
・喜多見忠勝を堺奉行とし、攝・河・泉の国奉行を兼ねさせる |
1618年、ドイツで30年戦争始まる
1620年、清教徒、北米移住
1624年、オランダ、台湾を占領 |
1619 |
5 |
・5月、秀忠上京
・6月、福島正則を改易 ・8月、大坂町奉行を置く、大坂に城代・城番を置く |
1622 |
8 |
・長崎でキリシタンが多数処刑される(元和の大殉教) |
1623 |
9 |
家光 |
・イギリス、日本より撤退 |
1624 |
寛永 |
1 |
・11月、女御徳川和子、中宮となる ・12月、朝鮮使節、家光に謁見 |
1625 |
2 |
・狩野探幽、二条城の襖絵を描く |
1629 |
6 |
・紫衣事件(1627-1629) 紫衣禁止に反対して、沢庵、出羽に流される |
1629年、英国、チャールズ1世、議会を解散させる
1632年、スウェーデン王グスタフリュッツエンの戦いで、ドイツ皇帝軍を破る |
|
|
・長崎奉行車で、踏絵、始める |
1630 |
7 |
・寛永飢饉 ・寛永の禁書令(キリスト教関連漢訳洋書の輸入禁止)
・日蓮宗不受不施派を弾圧 ・山田長政、シャムで毒殺される |
1631 |
8 |
明正 |
・奉書船制開始(海外渡航船に朱印状の他に奉書を交付(奉書船)を定める) |
1632 |
9 |
・旗本諸法度を定める |
1633 |
10 |
・ 関東地方で大地震 ・第一次鎖国令 ・幕府、六人衆置かれる
・黒田騒動(筑前黒田藩お家騒動) |
1633年、ガリレオ、宗教裁判にかけられる |
1634 |
11 |
・徳川家光上洛する ・大名火消の制を定める
・譜代大名の妻子を江戸に常住を命じる
・第二次鎖国令
・長崎商人に出島を築かせる(36年完成)
・小堀遠州、二条城の茶室を造る |
1635 |
12 |
・武家諸法度を改定し、外様大名に参勤交代を命じる
・寺社奉行を設置
・500石積み以上の大船建造禁止
・このころ仮名草子流行 |
1636 |
13 |
・江戸・近江に銭座を設置 ・第四次鎖国令
・寛永通宝鋳造される
・ポルトガル人を出島に移す(貿易に関わりがないポルトガル人を追放し、貿易関係者は長崎の出島に 移住させる}
・諸大名に江戸城の修築を命じる |
後金、国号を清と改める |
1637 |
14 |
・島原の乱 ・水戸・仙台で寛永通宝鋳造 |
1638 |
15 |
・大老職設置 ・お陰参り流行する(伊勢参宮の流行) |
1640年、英国、チャールズ1世、長期議会を賞する
1642年、英国、ピューリタン革命起きる |
1639 |
16 |
・第五次鎖国令(ポルトガル船の来航を禁止) ・江戸城内に紅葉山文庫設立 |
1640 |
17 |
・寛永の大飢饉 |
1641 |
18 |
・平戸のオランダ商館を長崎出島に移す <鎖国体制が完成する>
・オランダ と中国は幕府直轄の出島、朝鮮とは対馬藩、琉球は薩摩藩、
アイヌは松 前藩で貿易が行われた |
1642 |
19 |
・譜代大名にも参勤交代を命じる |
1643 |
20 |
後光明 |
・田畑永大売買の禁令 ・9月 幕府「寛永諸家系図伝」を作成 |
1644 |
正保 |
1 |
・国絵図、郷帳をつくらせる
・風説書の初め(海外の情報を集めるため出島商館長に「オランダ風説 書」を差し出させる) |
1644年、明滅び清朝建国
同年、清国、北京へ遷都
1647年清国、科挙を行う |
1648 |
慶安 |
1 |
・江戸市中諸法度を定める
・農民の土地貸借を禁じる ・松永尺五、尺五堂を開塾 |
1649 |
2 |
・慶安御触書 ・検地条目制定 ・高野山学侶らの法度を定める |
1650 |
3 |
・お陰参り流行(1650~1651) |
1651 |
4 |
家綱 |
・慶安事件(由井正雪の乱) ・末期養子禁の緩和 |
1652 |
承応 |
1 |
・承応の変(戸次庄左衛門の乱、承応事件) ・江戸市中の浪人を調査する
・江戸に旗本奴・町奴流行 ・若衆歌舞伎禁止される |
1652年、・ケープタウン、オランダ人により建設される
同年、第一次蘭英戦争勃発
1653年、英国、クロムウェルが護国卿になり独裁政治を始める |
1653 |
2 |
・佐倉惣太郞、苛政を幕府に直訴する |
1655 |
明暦 |
1 |
・後水尾上皇、京都修学院離宮の造営を始める |
1656 |
2 |
・江戸浅草に鋳銭座を設置する |
1657 |
3 |
後西 |
・明暦の大火、江戸城本丸焼失(振袖火事) |
1658 |
万治 |
|
・9月、大坂で、町中宗旨改の作法が定められる |
1660 |
3 |
・江戸浅草に鋳銭座を設置 |
1661 |
寛文 |
1 |
・相対済令、出される |
1661年、ルイ14世の親政始まる |
1663 |
3 |
・武家諸法度を改定、殉死の禁止 <文治政治への転換> |
1664 |
4 |
・評定所訴訟規定 ・諸大名に寛文印知、発給される |
1665 |
5 |
・諸社禰宜神主法度、諸国の神社の統制を始まる
・諸大名の証人制(人質制)廃止される |
1666 |
6 |
・諸国の農村に法度を公布 |
1667年、ルイ14世スペイン領ネーデルランドへ侵攻、南ネーデルランド継承戦争勃発 |
1668 |
8 |
・京都町奉行所、設置される |
1669 |
9 |
・シャクシャインの戦い(アイヌと松前藩の戦い) ・山鹿素行「中朝事実」
・小石川後楽園完成 ・江戸枡を京枡に統一 ・不受不施派寺請禁止を命じる |
1671 |
11 |
・河村瑞賢が東廻り航路をひらく ・伊達騒動裁断 |
1673 |
延宝 |
1 |
霊元 |
・分地制限令(田畑の分割相続の制限)
・三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く
・初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる
・赤本(草双紙の一)出る ・談林俳諧の流行 |
1674 |
2 |
・新銭4貫文=金1両に定め、古銭の通用を禁止 ・関孝和「発微算法」 |
1675年、英国、グリニッチ天文台設置される |
1677 |
5 |
・「延宝検地」機内周辺8ヶ国、備中国、陸奥国の幕府領で実施された検地 |
1680 |
8 |
綱吉 |
・世襲代官制を廃止し代官の官僚化を進める |
1681 |
天和 |
1 |
・諸国へ巡検使派遣される 天和の治 |
1682 |
2 |
・諸国高札立替 ・勘定吟味役設置される |
1683年、オスマントルコ、ウイーンを包囲する |
1684 |
貞享 |
1 |
・貞享書上げ ・出版取締令公布 |
1685 |
2 |
・相対済令、出される |
1686 |
3 |
・挑戦貿易制限 ・琉球貿易制限 |
1687 |
4 |
・1月、生類憐み令を出す(この後、1708まで繰り返し布令)
・4月、田畑永代売買禁止を再令 |
1688 |
元禄 |
1 |
・柳沢吉保が側用人になる ・美服禁令
・井原西鶴「日本永代蔵」 ・長崎に唐人屋敷を作る |
1688年、英国、名誉革命により、ジェームス2世追放される 1689年、英国、権利の章典、成立する
同年、英国、仏国間で、北米の植民地を巡ってウイリアム王戦争起こる(~1697) |
1689 |
2 |
・松尾芭蕉、奥州(「奥の細道」)への旅に出る |
1690 |
3 |
・荻原重秀佐渡奉行に就任
・ドイツ人医師ケンペルオランダ商館付医師として来日する
・林羅山の私塾、綱吉の命により湯島に移転(湯島聖堂) |
1692 |
5 |
・諸役人の役料制定される ・東大寺修復なり開眼供養行われる |
1694 |
7 |
・柳沢吉保、老中になる |
1695 |
8 |
・「質地取扱の覚」出される ・元禄の貨幣改鋳(金・銀貨を改鋳される )
・西川如見「華夷通商考」を著す ・武蔵国中野などに犬小屋ができる |
1696 |
9 |
・荻原重秀、勘定奉行に就任 ・改鋳金銀交換規則を出す
・農学者・宮崎安貞「農業全書」を著す
・大阪の商人淀屋辰五郎、驕奢なりとして闕所となる |
1697 |
10 |
・「御蔵米地方直し令」(旗本知行制の改定)発布される (元禄地方直)
・「酒株改め」厳しく実施される(元禄酒株改め)
・酒造高に対して5割の運上賦課を命じる |
1698 |
11 |
・20年以上の小作地を永小作とする |
1699 |
12 |
・江戸の米穀不足のため諸代官へ江戸廻米を命じる
・酒造量を5分の1に制限する |
1700 |
13 |
・金銀銭三貨の比価を定める(金1両=銀60匁、=銭4貫文)
・12月、徳川光圀没(73) |
1700年、ロシア、ピヨートル1世、スウェーデンに侵攻(北方戦争)(~1721)
1701年、ドイツでプロイセン王国成立する 同年、ルイ14世、孫のスペイン王家継承権を求めて介入し、スペイン継承戦争始まる(~1713) |
1701 |
14 |
・赤穂藩主・浅野長矩が吉良義央を江戸城中で刃傷に及ぶ |
1702 |
15 |
東山 |
・赤穂浪士討ち入り
・相対済令、出される
・松尾芭蕉「奥の細道」著す |
1703 |
16 |
・2月、幕府、大石良雄らに切腹を命ずる
・5月、近松門左衛門「曽根崎心中」、竹本座で初演される
・室鳩巣「赤穂義人録」著す |
1704 |
宝永 |
1 |
・1-2月、浅間山噴火
・2月、幕府、大和川の付け替え工事に着手(10月に完工) |
1705 |
2 |
・2月、間部詮房、西丸側衆となる
・5月、大坂の豪商・淀屋三郎右衛門を追放・闕所にする |
1707 |
4 |
・宝永の大噴火(富士山大噴火・宝永山ができる) |
1707年、イングランドとスコットランドが合併、大ブリテン王国成立
1709年、ロシア、ピヨートル一世、スウェーデン軍を破る |
1709 |
6 |
中御門 |
家宣 |
・新井白石を登用<正徳の治> ・生類憐みの令廃止 |
1710 |
7 |
・武家諸法度改定 |
1711 |
正徳 |
1 |
・2月、新井白石の建議で朝鮮使節の待遇改め、将軍の称号を「日本国王」とする |
1713 |
3 |
・天領の大庄屋制度廃止される
・貝原益軒『養生訓』を著す
・新井白石『采覧異言』を著す |
1714 |
4 |
・貨幣の質、元へ戻す |
1714年、英国、ジョージ一世が即位し、ハノーヴァー朝が成立する |
1715 |
5 |
家継 |
・正徳新例の発布 ・新井白石『西洋紀聞』 |
1716 |
享保 |
1 |
吉宗 |
・享保の改革(1716-1745) ・新井白石、間部詮房を解任
・新井白石「古史通」 自叙伝「折たく柴の記」を著す |
1718 |
3 |
・江戸市中の両替屋人数600人、寺社方35人に定められる
・この年、伊勢おかげ参り流行する |
1719 |
4 |
・10月、吉宗、朝鮮通信使を引見
・11月、旗本御家人の困窮救済のため、金銀貸借・買い掛けの訴訟は不受理とする
(相対済し令) |
1719年、この年、デフォー「ロビンソン・クルーソー」を刊 |
1720 |
5 |
・1月、三奉行に刑罰基準の制定を命じる(公事方御定書の淵源)
・8月、江戸町火消「いろは」47組、設置される
・この年、キリスト教以外の洋書の輸入を解禁 |
1720年、広東に公行創設
同年、イタリアで、サルディニア王国成立 |
1721 |
6 |
・2月、田中丘隅「民間省要」・3月、江戸大火・6月、浅間山噴火
・7月、大坂蔵米の延べ売り・買い占めを禁止し、堂島米商人数名を逮捕する
・8月、評定所門前に「目安箱設置」される
・同月、幕府、小石川薬園(現在の小石川植物園)を設ける |
1722 |
7 |
・7月、上げ米の制を制定し、参勤交代の緩和される
・出版書籍業者に取締令を出す
・12月、幕府、小石川薬園に施薬院小石川養生所を設ける |
1723 |
8 |
・6月、足高の制、定められる ・12月 江戸大火 幕府、瓦屋根を奨励
・幕府、心中物の出版、上演を禁ずる |
1724 |
9 |
・2月、米価下落につき、諸色の元値引下げを命じる
・3月、大坂大火、市街の大半408町焼失
・6月、諸大名、幕臣に対して倹約令出される |
1724年、・清国、キリスト教布教を禁止
1726年、・英国、スウィフト「ガリバー旅行記」を著す |
1727 |
12 |
・荻生徂徠「政談」を著す ・青木昆陽の進言により甘藷の栽培始まる |
1729 |
13 |
・4月、幕府、米価下落のため、米商人に買米を奨励する
・10月、幕府、1702年以降の借金銀の利息を5分以下にするよう命じる
12月、金銀貸借訴訟を再び受理することを布告(相対済し令の廃止)
・この年、太宰春台、「経済録」を著す |
1730 |
15 |
・上げ米の制を停止し参勤交代を復旧する
・米価の調整を意図し、大坂堂島の米市場を公認 |
1732 |
17 |
・享保の飢饉
(この年の秋、山陽、南?、、西海、畿内地方、蝗害のため大飢饉となり、
餓死者多数発生) |
1733 |
18 |
・江戸で、米問屋打ち壊し起こる |
1735 |
20 |
・青木昆陽がサツマイモの性質・栽培法などを記した「蕃薯考(ばんしょこう)」を著す |
1735年、・ウイーン条約により、ポーランド継承戦争終結
・12月、清、乾隆帝即位 |
1736 |
元文 |
|
・5月、金銀改鋳行われる(元文金銀) |
1738 |
3 |
・4月、長崎廻銅の減少のため大坂に銅座再設置される
・11月、金銀引替所廃止される |
1739 |
|
4 |
・1月、尾張藩主徳川宗春に蟄居を命ずる
・吉宗の子、宗伊に一橋門内に宅地を与える(一橋家創始) |
1741 |
寛保 |
1 |
・幕府、江戸の油買受人の全てを油問屋仲間に加入させる |
1740年、マリア・テレジアの即位を原因にオーストリア継承戦争始まる
1743年、「大清一統志」成る |
1742 |
2 |
桜町 |
・公事方御定書制定される
・この頃、産銅不足により長崎貿易額半減する
・この年、長崎で、鉄銭鋳造される |
1743 |
3 |
・幕府、大坂米方両替株を増やす ・諸大名留守居役の遊所寄合を禁じる |
1744 |
延享 |
1 |
・幕府、西国33カ国秤改めを命じる
・田畑永代売買の罰則を軽減
・「御触書寛保集成」成る |
1744年、・仏、インドにて、英に宣戦、第1次カーナティック戦争起こる(~1748) |
1745 |
2 |
家重 |
・2月、江戸大火
・9月、吉宗、家重に譲り西丸に移る
・この年、京都西陣高機仲間、成立する |
1747 |
4 |
・幕府、道中人馬通行の制(1712)を再令
・寄合板倉勝該、江戸城中にて熊本藩主細川宗孝を刺殺する
・幕府、江戸札差仲間を9組に分け、行事を定めさせる |
1747年、・2月、清国、四川大金川土司の乱(~’49)
1748年、・10月、アーヘン条約により、オーストリア継承戦争終結 ・・この年、モンテスキュー「法の精神」刊行
|
1748 |
寛延 |
1 |
・加賀騒動(加賀藩お家騒動)
・「仮名手本忠臣蔵」、初演される |
1749 |
2 |
・勘定奉行に、定免法の全面施行を命じる
・この年、奥州各藩で、一揆多発する |
1750 |
3 |
・幕府、農民の強訴・徒党・逃散を厳禁する
・各地で一揆多発
(讃岐丸亀藩で一揆、伊予大洲藩で強訴(内の子騒動)、備前諫早藩で一揆
甲斐幕領で一揆(米倉騒動) )
・幕府、銅座を廃止し諸山の銅を長崎直買い入れとする |
1750年、・第2次カーナティック戦争起こる(~1754)
1753年、・大英博物館設立される |
1751 |
宝暦 |
1 |
・田沼意次側衆となる(-1786田沼政治) |
1754 |
4 |
・久留米藩で、年貢減免の大一揆起こる
・幕府、1715年以来の酒造制限令を廃止し、1697年の酒造高までは勝手作りを認める |
1755 |
5 |
・宝暦飢饉(奥羽地方冷害、餓死者多数) |
1758 |
8 |
桃園 |
・宝暦事件(尊王論者・竹内式部捕らえられる) |
1758年、・第3次カーナティック戦争起こる(~1761)
1765年、・ワットが蒸気機関改良に成功する(
・この頃から英国で産業革命始まる)
1762年、・ルソー「社会契約論」著す |
1760 |
10 |
家治 |
・幕府、大坂の菜種問屋・綿実問屋の株を定める |
1762 |
12 |
・大坂金藏から江戸への送金を、為替に変え現金銀とする(~1767) |
1764 |
明和 |
1 |
・1月、幕府、大坂に金銭延売買会所の設置を許す
・2月、家治、朝鮮通信使を引見する
・12月、伝馬騒動、日光東照宮150回忌法要に伴う助郷役増徴に反対し、
信濃・上野・下野・武蔵の農民蜂起する
・この年、米沢藩主上杉重定、領地返上を決意する |
1767 |
4 |
後桜町 |
・明和事件(山県大弐ら処刑される)
・この年、上杉鷹山による米沢藩改革始まる |
1768 |
5 |
・大坂の町人、家質奥印差配所設置の反対し、激しい打ち壊しが起こる
・この年、上田秋成「雨月物語」成る |
|
1770 |
7 |
・大坂油問屋株を定める
・江戸質屋株を定める |
1770年、・ボストン虐殺事件起こる
1773年、ボストン茶会事件おこる
1774年、・ルイ16世即位 |
1772 |
安永 |
1 |
・田沼意次、老中に就任
・江戸大火(目黒行人坂火事) |
1773 |
2 |
・三浦梅園「価原」を著す(商品経済における価格について説明した経世論)
・川柳、洒、本・黄表紙が流行する |
1774 |
3 |
・杉田玄白/前野良沢らの「解体新書」が刊行される |
1775 |
4 |
・長久保赤水「日本輿地路程全図」 ・スウェーデンの植物学者ツンベルグが来日
・三浦梅園「玄語」を著す |
1775年、・アメリカ独立戦争(1775-1783)
1776年、・アダム・スミス「富国論」著す |
1776 |
5 |
・平賀源内がエレキテルを復元 |
1777 |
6 |
・大坂で歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」初演される |
1778 |
7 |
後桃園 |
・ロシア船、厚岸来航、松前藩に通商要求
・西35か国斗量濫用を戒む |
1779 |
8 |
光格 |
・松前藩、ロシア船の要求を拒否 ・塙保己一「群書類従」編纂に着手 |
1781 |
天明 |
1 |
・絹糸運上騒動起こる、
(上野の農民、絹糸貫目改所設置に反対し蜂起、幕府、設置を撤回する) |
1781年、・米、仏連合軍、ヨークタウンにて英国軍を破る |
1782 |
2 |
・天明の飢饉始まる(1782-1787)
・印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)の干拓が行われる |
1783 |
3 |
・浅間山大噴火 |
1783年、・イギリス、アメリカ合衆国の独立承認(パリ条約) |
1784 |
4 |
・佐野政言、田沼意知を刺す ・江戸両替店を643株とする |
1785 |
5 |
・蝦夷地調査隊を派遣する |
1786 |
6 |
・田沼意次が老中から失脚 ・林子平「海国兵談」 ・最上徳内ら千島を探検 |
1787 |
7 |
家斉 |
・5月、江戸、大坂など各地で打ち壊しが起こる(天明の打ち壊し)
・6月、「御所千度参り」の人数一日7万人にも膨れ上がり、
光格天皇、幕府へ貧窮民救済を要請する 幕府、1500石の救い米を放出する
・7月、松平定信、老中となり<寛政の改革>(1787-1793)が始まる |
1788 |
|
・1月、京都大火、1424町が延焼し禁裏、二条城も焼失する
・7月、飛騨幕府領の農民大原郡代の非政を幕府に越訴、大原郡代流罪となる
(大原騒動・天明騒動) |
1789 |
寬成 |
1 |
・7月、内裏造営始まる
・9月、棄損令(旗本・御家人の負債を免ずる) ・諸大名に囲米を命ずる |
1789年、、・フランス革命起こる
・同年、米国、ワシントン、初代大統領ぬ就任1792年、フランス八月十日事件事件起こる
1793年、フランス、ロペスピエールによる恐怖政治始まる(~1794)
・同年、ルイ16世、マリー・アントワネット、処刑される
1796年、・ナポレオン、が指揮するフランス軍がイタリアに侵攻 |
1790 |
2 |
・2月、幕府、全国に諸物価引き下げを命じる
・同月、幕府、江戸石川島に人足寄場設置
・5月、幕府、湯島聖堂で朱子学以外の異学の講究を禁ずる(寛政異学の禁 )
・同月、洒落本の版行禁止書籍出版取締令
・11月、江戸で帰村奨励の触を出す |
1791 |
3 |
・男女混浴を禁止 ・山東京伝、洒落本「仕懸文庫」などの刊行で手鎖50日の処罰
・囲米奨励
・異国船渡来処置令
・江戸町法改正七分金積立制定 ・七分積金制
・米国商船のレイディ・ワシントン号が和歌山県串本町に寄港 |
1792 |
4 |
・大黒屋光太夫と共にロシアのラクスマンが根室に来航、通商を要求する
・「海国兵談」を絶版にし、林子平に蟄居を命ずる
・海防を厳重にし始める
・尊号事件、起こる
・林子平「海国兵談」出版禁止される |
1793 |
5 |
・松平定信失脚 ・蘭学者が江戸でオランダ正月を祝う |
1797 |
9 |
・ロシア人が択捉島(えとろふ)に上陸する |
1798 |
10 |
・本居宣長「古事記伝」を著す ・諸藩の米札濫発を禁止
・女師匠が男に教えることを禁止
・根岸肥前守鎮衛が南町奉行になる ・志筑忠雄「暦象新書」を著す
・本多利明「西域物語」を著す
・近藤重蔵(幕臣)が択捉島エトロフを探査し、島に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる |
1798年、・ナポレオン、エジプトに侵攻 |
1799 |
11 |
・「寛政重修諸家譜」の編纂開始 ・蝦夷地を直轄領とする
・藤田幽谷「勧農或問」を著す
・米価騰貴する ・江戸・大坂で打毀 |
1799年・英、ロシア、オーストリア第回対仏大同盟結成する
同年、・仏国、ブリュメールのクーデターにより、統領政府成立、ナポレオンが、第一統領となる |
1800 |
12 |
・伊能忠敬が蝦夷地を測量する ・昌平坂学問所、竣工される |
・京・大坂の銀座を廃止される ・南鐐二朱銀の鋳造再開される |
1801 |
享和 |
1 |
・米価高騰、買い占めに怒り童山形などの豪商、豪農への打ち壊しなど一揆起る
(村山一揆) |
1802 |
2 |
・蝦夷奉行を箱館奉行に改称する |
1804 |
文化 |
1 |
・6月、朝鮮通信使の礼を対馬で受けることに変更
・9月、ロシア使節レザノフ、長崎に来航し、通商を要求する
・12月、華岡青洲、全身麻酔による乳がんの手術を行う
・この頃から家斉の文化文政時代始まる |
1804年、ナポレオン皇帝即位
1805年、トラファルガー海戦1806年、ライン同盟結成
1807年、米国フルトン、蒸気船の航行に成功
1808年、ナポレオン、スペイン国王を強制退位させる
1812年、ナポレオン、ロシア遠征失敗に終わる
1813年、ナポレオン、英国、ロシア、オーストリアなどの連合軍に敗れる
1814年、スティーブンソンが、蒸気機関車を発明する
1815年、ナポレオン、ワーテルローの戦いで、連合軍に敗れる |
1805 |
2 |
・1月、ロシア船来航につき、諸大名に警戒を命じる
・2月、伊能忠敬、伊勢・紀伊・山陽・山陰沿岸の測量に向かう
・3月、ロシア、レザノフの通商要求を拒否
・6月、関東取締出役を設置 |
1806 |
3 |
・1月、ロシア船の来航の際の取り扱い処置を諸大名に指令
・2月、米価下落につき白米の江戸廻送を禁止
・4月、南部、津軽両藩に西蝦夷地の守備を命じる
・9月、ロシア船サハリン・オフィトマリに上陸、松前藩会所を襲撃 |
1808 |
5 |
・4月、間宮林蔵、樺太探し、樺太が島であること発見
・8月、英国軍艦フェートン号、長崎港に侵入し、オランダ人2名を捕らえ、
オランダ商館の引き渡しを要求(フェートン号事件) |
1811 |
8 |
・天文方に蛮所書和解掛が設置される |
1812 |
9 |
・高田屋嘉兵衛、ロシア船長リコルドによりサハリン海上で捕らえられる |
1815 |
12 |
・4月、杉田玄白「蘭学事始」成る |
1816 |
13 |
・2月、武家屋敷内などの博打禁令の厳守を命じる
・11月、駿河、遠江の各地で、強訴打ち壊しなど頻発 |
1817 |
14 |
仁孝 |
・イギリス船、浦賀に来航する |
1818 |
文政 |
1 |
・イギリス人ゴルドン、浦賀に来航し、貿易を要求するも、幕府、これを拒否 |
1821 |
4 |
・東西蝦夷地を松前氏に還付 |
1822 |
5 |
・英国船、浦賀に入港し、薪水を求む |
1823年1月、ギリシャ独立を宣言 |
1824 |
7 |
・2月、南鐐二朱銀を改鋳(文政二朱銀)・5月、文政一朱金、鋳造される |
1825 |
8 |
・異国船打払令 |
1825年7月、ジャワ戦争始まる(~’30) |
1827 |
10 |
・幕府、文政の改革に着手し、関東全域に改革組合村の結成を指令する |
1828 |
11 |
・10月、シーボルト事件
(書物奉行高橋景保、秘かに地図などをシーボルトに与えたとして捕らえられる) |
1829 |
12 |
・幕府、南陵一朱銀(文政一朱銀)を鋳造する
・この年、葛飾北斎「富嶽三十六景」出来る |
1829年2月、清、銀の流出、アヘンの流入問題化する1830年2月、ロンドン議定書によりギリシャの独立が国際的に承認される |
1830 |
天保 |
1 |
・お蔭参りが流行(500万人が、伊勢神宮を参拝したと言われる) |
1831 |
2 |
・長州藩、村田清風が財政再建に着手する |
1832 |
3 |
・天保の飢饉始まる |
1833 |
4 |
・歌川広重「東海道五十三次」 |
1836 |
7 |
・甲州一揆、起こる |
1837 |
8 |
家慶 |
・大塩平八郎の乱
・モリソン号事件(浦賀で、アメリカ船のモリソン号を砲撃) |
1838 |
9 |
・緒方洪庵、大阪に適々斎塾を開く
・松平春嶽、越前福井藩主となる |
1839 |
10 |
・蛮社の獄 ・水野忠邦、老中首座に就く |
1840 |
11 |
・オランダ船、アヘン戦争の勃発を伝える |
1840-42年、アヘン戦争
1842年、英国、清国の間で、南京条約結ばれ、香港、英国に租借
|
1841 |
12 |
・天保の改革(1841-1843) ・株仲間解散令 |
1842 |
13 |
・物価引下令
・ 薪水給与令(しんすいきゅうよれい)が出される(打払令、緩和される) |
1843 |
14 |
・人返し令、出される |
1844 |
弘化 |
15 |
・オランダ国王親書幕府に届く |
1846 |
17 |
孝明 |
・2月 江川英龍、伊豆七島巡視 ・4月、仏米船など日本に渡来
・10月 幕府、朝廷に外国船渡来の状況を報告 |
1848 |
嘉永 |
1 |
・外国船の対馬、五島、蝦夷地、陸奥沿岸など航行が増加し、
幕府、打払令復活など検討、対応に苦慮する |
1848年、パリで二月革命
同年、マルクス、エンゲルスが「共産党宣言」を発表する |
1849 |
2 |
・幕府、打払令復活を予告し諸大名に防備の強化を命じる |
1850 |
3 |
・江川英龍、韮山に反射炉を建造 |
1851 |
4 |
・3月 十組問屋ほか株仲間の再興許可 |
1851年、太平軍、清朝討伐を宣言
1853年、太平軍、南京を占領し、北伐開始
1854年、上海アメリカ租界成立
同年3月、英・仏、ロシアに宣戦布告(クリミア戦争) |
1852 |
5 |
・オランダ商館長、来年米国が来航し開国を要求するとの情報を幕府に伝える |
1853 |
6 |
・関東地方に地震
・6月、ペリー、軍艦4隻を引き連れ浦賀に来航、開国を迫る |
1854 |
安政 |
1 |
家定 |
・1月、ぺりー、軍艦7隻を率いて再び、神奈川沖に来泊
・3月、日米和親条約を締結
・4月、京都、大火(禁裏焼亡)
・6月、近畿地方に大地震
・8月、日英和親条約
・11月、大地震発生し,東海道の交通途絶する、下田に津波、プチャーチン乗船の
露艦船沈没
・12月、日露和親条約 |
1855 |
2 |
・2月、幕府、全蝦夷地を収公する
・7月、幕府、長崎に海軍伝習所設置
・9月、幕府、米、英、露国との条約締結について朝廷に報告する
・10月、安政の大地震 倒壊消失家屋14346戸、町人の死者4千人余
・10月、日仏和親条約
・12月、日蘭和親条約 |
1855年5月、パリ万国博覧会開催される |
1856 |
3 |
・10月、米国総領事ハリス、下田に着任し、玉泉寺に領事館を置く
・11月、薩摩藩、天璋院篤姫が家定に輿入れ
・この年、吉田松陰、松下村塾を開く |
1856年12月、南アフリカ共和国成立 |
1857 |
4 |
・5月、下田協約を締結 ・8月、日蘭追加条約を締結 ・9月、日露追加条約締結
・10月、米大統領親書を携え、ハリス登城
・この頃、広重、「名所江戸百景」を画く |
1858 |
5 |
家茂 |
・4月、井伊直弼、大老に就任
・6月、日米修好通商条約を締結
・9月、安政の大獄、始まる |
1859 |
6 |
・3月、オールコック、初代駐日総領事に任命される
・10月、吉田松陰らが処刑される |
1859年、ダーウィン「種の起源」刊行される |
1860 |
万延 |
1 |
・1月、勝海舟、咸臨丸で米国へ出立
・3月、桜田門外の変(水戸浪士らが井伊直弼を暗殺)
・5月、京都所司代酒井忠義、将軍家茂と皇妹和宮との婚儀勅許の斡旋を、
関白九条尚忠に請う
・9月、英仏連合軍による北京攻略、オールコックから幕府に伝わる |
1861 |
文久 |
2 |
・皇女和宮、将軍家茂に輿入れ |
1861年、・英仏連合軍、北京に入城、清英北京条約、清仏北京条約締結 ・リンカーン、大統領に当選
1861年、・米国、南北戦争勃発 1863年、・米国、奴隷解放宣言発布 |
1862 |
1 |
・2月、将軍家茂と和宮の婚儀、江戸城内で行われる
・7月、幕府、慶喜を将軍後見職とする
・同月、松平容保、京都守護職とする
・8月、生麦事件(薩摩藩士がイギリス人を殺傷) ・ |
1863 |
2 |
・3月、家茂、将軍として230年ぶりに上洛
・5月、幕府、生麦事件などの賠償金11万ポンドを英国に交付する
・同月、長州藩、米国商戦を砲撃する
・同月、老中格の小笠原長行、兵2000人を率いて大坂に上陸
・6月、将軍、長行の入京を阻止し、長行を罷免する
・同月、米軍艦、長州藩砲台を攻撃しこれを占拠
・同月、高杉晋作、奇兵隊を編制する
・7月、薩英戦争
・8月、八月十八日の政変により長州藩、尊王攘夷派京都から追放される
・同月、天誅組の変起こる |
1864 |
元治 |
1 |
・3月、天狗党挙兵
・6月、新撰組、池田屋を襲撃
・7月、長州藩兵、幕府軍と禁裏諸門で交戦する(禁門の変)
・同月、第一次長州征伐
(幕府、長州藩追討の勅命を受け、西南21藩に出兵を命じる)
・8月、4国艦隊、下関砲撃
・9月、4国艦隊下関に上陸し、砲台を占拠
・10月、長州藩、幕府に恭順謝罪のため、奇兵隊など諸隊の解散を命令
・11月、長州藩、3家老に自刃を命じる
・12月、高杉晋作ら、馬関を襲撃
・この年、「ええじゃないか」全国に拡大 |
1864年、・第一インターナショナル、ロンドンで結成される |
1865 |
慶応 |
1 |
・1月、高杉晋作ら馬関を再度襲撃、占拠する
・2月、長州藩の藩論が幕府への強硬姿勢に一変する
・3月、長州藩、諸隊の再編成など、軍制改革を始める
・5月、第二次長州征伐(幕府、紀州藩主徳川茂承を征長先鋒総督に任命)
・同月、将軍家茂、上京参内し、長州藩再征を奏上する
・6月、西郷隆盛、坂本龍馬らと会見し、長州藩の武器購入助力を約する
・7月、長州藩井上、伊藤らが薩摩藩の斡旋で、グラバーから鉄砲購入する
・9月、英米仏蘭4国代表、条約勅許・兵庫開港を求め軍艦で兵庫沖に来航
・10月、家茂、条約勅許と兵庫開港を朝廷に奏請
・同月、朝廷、条約は勅許するも、兵庫開港は不許可と裁定 |
1865年、米国、南北戦争終わる |
1866 |
2 |
・1月、薩長同盟密約成立
・6月、第二次長州征伐戦闘始まる
・7月、将軍家茂大坂城内で死去
・8月、将軍死去のため征長停止の沙汰書出される
・9月、幕府長州休戦を協定する
・12月、徳川慶喜、征夷大将軍に補任される |
1866年、米国、公民権法成立 ・独国、プロイセンで国民自由党結成され、ビスマルクの与党となる |
1867 |
3 |
明治 |
慶喜 |
・3月、慶喜、兵庫開港を奏請するも、却下される
慶喜、英仏蘭代表と会見し、兵庫開港を確約する
・4月、海援隊、坂本龍馬が隊長となり、土佐藩に属す
岩倉具視、久我建通ら4卿の入京許可される
・5月、土佐藩板垣・中岡らと薩摩藩西郷・小松ら京都で倒幕を密約
慶喜、参内し、兵庫開港を迫り、勅許される
高杉晋作、病死(享年29歳)
・6月、土佐藩五島・福岡・坂本・中岡らと薩摩藩小松・西郷・大久保ら京都で、
大政奉還などの薩土盟約7カ条を結ぶ
・7月、大久保・岩倉ら王政復古を計画
・9月、薩長芸3藩挙兵倒幕を約す
・10月、
- *3日、土佐藩、幕府へ大政奉還を建白
- *6日、薩摩大久保、長州品川、、王政復古策岩倉具視らと協議
- *13日、岩倉具視、薩摩藩に倒幕の蜜勅を伝達
- *13日、慶喜、在京10万石以上の諸藩重臣を二条城に集め、大政奉還を諮問
- *14日、慶喜、大政奉還上表を朝廷に提出
- *同日、長州藩宛てに倒幕の蜜勅出される
- *15日、慶喜、参内し大政奉還の勅許の沙汰書を受ける
- *24日、慶喜、将軍職辞職を請う
・11月
- *13日、薩摩藩兵、薩摩を出発(23日入京)
- *15日、坂本龍馬、中岡慎太郎、京都で暗殺される
- *25日、長州藩兵、出発(29日摂津西宮に上陸)
・12月
- *7日、兵庫開港される
- *9日、朝議の後、宮中で、王政復古が宣言される
- *12日、慶喜、大坂城に退去
- *25日、旧幕府、江戸薩摩藩邸襲撃焼き討ちする
|
1867年
・ノーベル、ダイナマイト発明する
・マルクス「資本論」(第一巻刊)
1869年
・4月、上海共同租界に会審衛門成立
・5月、米国、大陸間横断鉄道完成
・11月、スエズ運河開通
1870年
・7月、普仏戦争始まる・9月、フランス、共和制を宣言(第三共和制)
・10月、ローマイタリアに併合され、イタリアの国土統一完成する |
1868 |
明治 |
1 |
|
・1月、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争が勃発)
・2月、慶喜、江戸城を出て、上野寛永寺に閉居する
・3月、西郷、勝の合意により江戸城開城
・4月、倒幕軍、江戸入城し、慶喜、水戸へ退去する
・5月、奥羽越列藩同盟成立 ・同月、倒幕軍、彰義隊を上野で討つ
・同月、徳川家達を駿河府中70万石に封ずる
・7月、江戸を東京と改称
・8月、榎本武揚、幕府の艦船8隻を率いて品川を脱走する
・9月、明治と改元される ・同月、会津藩降伏
・12月、榎本武揚ら蝦夷地を占領し五稜郭を本営とする |
1869 |
2 |
|
・5月、新政府軍、函館総攻撃を開始し、榎本武揚、降伏(戊辰戦争終わる)
・11月、大村益次郎、襲撃された傷のため死去 |
1870 |
3 |
|
・1月、山口藩諸隊脱隊兵士、藩疔を包囲するも木戸孝允が藩兵により鎮圧
・4月、海軍所を東京に、陸軍所を大阪に置くことに決定
・10月、岩崎弥太郎、土佐開成商社を設立 |
1871 |
4 |
|
・廃藩置県が行われる |
1877 |
10 |
|
・西南戦争(士族の最大の反乱) |