【 煩わしいのか、疎ましいのか、それとも −お題20− 】



 


 ――― 煩わしいのか、疎ましいのか、それとも。


 ……冬の風の冷たさはそのままに、差し込む日差しが明るくなってきた。
 夜更けに積もった雪の上に、朝日がきららかに輝く。
 枯れたような木々も、その雪の下で芽吹く春を待ちわびている。

 吹き抜けた風に髪をなぶられ、ふと視線を遥か空の高みへと向ける。


 かつては ―――


 あの空の高みが己の『場』であったように思う。
 誰に干渉されることもなく、誰を構う事もなく……

 ただ、ただ己 独り。

 それは、そう遠い昔の事ではなかった。
 『連れ』が増えた今、この雪が消えぬうちはここに留まるしかないと思いはしたが、それでも一つ所に留まる事のなんと煩わしい事か。

 いや、なによりも煩わしいのは……

 空の一点に、見たくもないものを見つけ私は視線を逸らす。
 冷涼な凛とした冬の風の中に、あれの妖艶な香りを感じた。

 山間の野趣そのままの庭先に突風とともに立ち現れたのは先の狛の后にして、我が生母。
 柔らかく吹き上げた風に、庭の木々から雪が払い落とされる。

「ふ…ん。相変わらずの仏頂面よな、殺生丸」
「何か用か」
「用なくば、来てはならぬのか? 折角土産をもってりんや仔等と遊ぼうと思っておったが」

 どこか悪戯めいた笑みを浮かべ、狛の后は私の顔を見る。

「……さっさと帰れ、とでも言いたいような顔じゃな、殺生丸」
「……否定はせぬ」
「ほんに可愛気のない奴よのぅ。まぁ、よい。妾(わらわ)もお前などに用はない」

 苦々しく顔を顰めた私を無視して、庭先から座敷へと上がってくる。その後ろに、先駆ける女主人にようやく追い付いた供周りの数人の女官。手に手になにやら捧げ持っている。

「りん! この声が聞こえているか? 母が遊びに来たぞ、顔を見せておくれ」

 殊更に楽しそうに声を弾ませ、りんを呼ぶ。
 なんと忌々しい事かっ!!
 我が母ながら、許せぬ!

「お義母上様っっ!!」

 屋敷の奥から、小鳥が囀る様な明るい声で答えながらバタバタと廊下を走る音がする。
 その後を、さらに小さな足音二つ。こちらの足取りは、明らかにこの来訪者を嫌がってる風が感じて取られる。
 母はそんな気配を微塵にも気に留めず、屋敷の主であるこの私すら眼中にはないと言う素振りでさらに座敷の奥へと歩んで行く。

「おお、りんか! うん、元気にしているか。風邪など引いては居らぬな」
「はい、お義母上様。殺生丸様がとても良くして下さるので、なに不自由ありません」
「そうか、そうか。仲良き事は美しき哉。良い良い、されどりんよ、だからと言ってあれを甘やかしてはならぬぞ」
「甘やかす…? そんな、いつもりんの方が殺生丸様のお手を煩わせているのに」
「ふふ、判ってはおらぬのだな、りんは。まぁ、そこがまた初々しくて可愛らしくもあるが」

 そんな言葉を吐きつつ、ちらりと麗しげな視線をこの私に投げ寄越す。

「のぅ、殺生丸?」

 何が言いたいっっ!!
 言いたい事があれば、はっきりそう言え!

「お義母上様?」

 判らぬ気に、りんが首を傾げる。

「あれの言いなりになるな、と言う事じゃ。正月に毒仙に言われた事を覚えておろう?」

 その一言で、りんの全身が真っ赤になる。

「……素直な事じゃ。ふん、どうせあれが無理強いしたのであろう? 堪え性のない奴であるからな」
「ご義母上様……」

 赤い顔をして少し潤んだ瞳でりんが母を見つめる。

「りん、お前が悪い訳ではない。だが、そのままではお前の身に障るばかりで、次の子などそう望めもすまい」
「ですが…、ご義母上様。する事しないともっと出来ないと、殺生丸様が仰るんです」

 はぁ〜、と母がぺちりと自分の額を叩く。

「こーゆーものはな、りん。ガンガンやれば出来ると言うものでもないのじゃ。大事なのは『間』じゃ、『間』。それをあやつは少しも判っておらぬ!!」

 くるりとりんの前から踵をかえすと、こちらに向き直り縁で佇んでいたままの私の前についと詰め寄る。
 そして、りんには聞こえぬように声を潜めるといささか険しい表情で私を詰(なじ)る。

「殺生丸! お前は自分とりんの『違い』をちゃんと判っておるのかっ!? りんはただの人間の小娘。なんの力も在りはせぬ。それでもお前と添いたいと、人の暮らしを捨てたような健気な娘じゃ」
「なにを今更」
「いや、判ってはおらぬ。今のまま、お前が欲に任せてりんを抱くのなら、早晩にりんの命運は尽きるじゃろう。言うた筈じゃ、三度目はないと」

 ……一番聞きたくはない言葉。

「だから、なんだ!!」

 返す言葉に、これ以上はない怒気を込める。

「……ともに過ごせる『時』を少しでも長らえるよう心を配っても、悪くはあるまい。責め殺してでも、お前はりんを抱きたいのか!?」
「……………………」
「毒仙の診立てじゃ。りんが次の子を孕めぬのは、正真正銘お前の『毒』のせいじゃと。りんの体に溜まった『毒』は、りんが成長する事で少しは薄くなる。半年程とはそう言う意味。よ〜く肝に銘じておけ!」


 今更、今更言われるまでもない ―――


「あの…、ご義母上様……」

 心配そうな、りんの顔。
 その後ろを、やはり心配そうというか険しい顔で双子の仔等が守っている。

「ああ、案ずるな。少しきつく灸を据えただけじゃ。多分、そんな事になるのではないかと思ってな、良いものを持って来ておる」

 その言葉が聞こえたのか、庭先で待っていた女官の一人が殺生丸の前をなにやら含みのある笑みを浮かべつつ目礼し、我が女主人の下へと捧げ持っていたものを差し出す。
 とても良い香りの白木の木箱に納められていた物。それを取り出し、りんの前に広げてみせる。
 蜻蛉の羽よりも薄く、光をそのまま織ったような色彩。微かに五色に煌く、天女の羽衣のよう。

「それは?」
「ああ、帯じゃ。お前のために持ってきた」

 あまりに薄くて軽く、触れるとすっと指が突き抜けてしまいそうなほど儚げで。
 しかし、意外やその質感はしっとりとした上物の練り絹のようでもあった。
 それをりんが着けている帯の上から更に締める。

「あれ? 消えちゃった??」

 不思議そうにあちらこちらと触ってみるが、あの羽衣のような帯の質感は何処にもない。
 得々とした、にこやかな笑みを浮かべてそんなりんの様子を見ている母の企みに、気付いたが後の祭り。母の後ろに立ち、ぼそりと地の底を這うような声で問う。

「あの帯は、まさか……」
「そう、そのまさかじゃ。このくらいせねば、りんの身を守れぬでな。お前に堪え性があれば、なにもこんな無粋な真似をせずとも良かったのだが……」
「…………………」
「言っておくが、あの帯はお前ごときの妖力で解けるものではないからな。あの帯には闘牙の妖力とこの私の妖力が込めてある」

 今、この場にりんや仔等が居らねば変化して、この母と一戦交えたいと思うほど、私の怒りの針は振り切れていた。


 ――― 下賎な妖怪などならいざ知らず、高貴な『妖』ともなると本能的な行為に対しても格式のようなものが生まれてくる。それはまた、互いが強く結びつく為に必要な儀式の一端でもあったのだが……

 闘牙がこの后を娶った時、その新床で渡したのがこの帯だった。
 妖と言え戦乱の多い時代。新妻を残し、またはともに戦場を駆けるとしても何があるか判らない。
 夫を持つ女のたしなみ、ぶっちゃけ言えば妻の貞操を守るための帯である。

 その帯を解けるのは、それを贈った者だけ。
 それを、今りんに……

「……何を考えている!!」
「何? 言わずと知れたこと。りんの身の安全が一番。お前が大人しくしていたら、年に二・三度は解けるようにしてある。それで我慢せよ」

 かんらかんらと高笑い。
 ますます深まる、実母への殺意。

 おろおろと両者を見比べるりんと仔等。

「本当なら、もっとゆっくりしたかったのだがそういう訳には行かぬようじゃな。土産を庭に置いておくから、子ども達にあげておくれ」

 怒りのあまり凍りついている殺生丸を尻目に、優雅に裾を返し狛の后は庭に降り空へと飛翔する。後に続くはお付の女官達。
 天空高く行く途中、一位の女官が畏れながらと言葉をかける。

「……りん様と若君をあのままにして大丈夫でしょうか?」
「心配は要らぬ。あれがどれほど怒りに荒れても、りんの身を傷つけることは叶わぬでな。あの帯が守るのは貞操ばかりではないからのぅ」
「でも…、やはり少し若君がお気の毒で……」

 年嵩の訳知りな女官の言葉に、意外にもすっと真面目な声が返ってくる。

「……理不尽でも、いずれ慣れよう。今のあれなら」
「お方様……」
「そう…。愛しい者を抱けぬ辛さよりも永遠に失ってしまう哀しみを、少しでも遠ざけてやりたいと願う母の気持ちなど気付きもせぬだろうが」


 ――― 少しずつ、全ての事が変わり始めていた。
 それは殺生丸にとって……


 ――― 煩わしいのか、疎ましいのか、それとも。


【終】



【 あとがき 】

閉鎖された「絡繰からくり」様よりお借りしたお題20本、今月で全て消化いたしました。
来月3月からは、こちらのWEB拍手の在り方をいままでのコンテンツ扱い(…月1更新の、お礼SSでのシリーズ展開)を止め、本来のWEB拍手の機能に戻そうと思います。
お礼画面の設定はしますが、その時思いついた小ネタ風な物になると思います。

拍手SSで展開していた「殺ファミリー物」はテキストページ殺りんコンテンツ内にて今後もシリーズを続けて行きます。

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