【 聖 夜 −サイレント・ナイト− 】
――― 白すぎる雪に
見つけだした 君の足跡
口付けて 溶かした
僕が全て 消してしまうよ ―――
……今年の冬はいつにない寒波。
早くも、空からは白いものが舞い落ちる。
この時期になると……
思い出す ―――
『これ』は私の記憶か?
いや、これは……
『あいつ』の、記憶(もの)
白い、白い雪の中。
零れ落ちた寒椿のような、赤。
まるで蝋のように白くなった肌を染めた
お前の鮮血のように ―――
だから……、触れてはならない。
決して!!
日付は12月24日。
早いものでりんが殺生丸様の許に引き取られて来てから、もう二度目のクリスマス。
昨年の今頃はようやくりんも落ち着いてきたばかりで、クリスマスらしい事は何もせずに過ぎてしまったが。
( ……無理もなかろうな。その夏に家族をいっぺんに亡くしてしまったんじゃからな )
ワシは友達のクリスマス・パティーに呼ばれたりんを迎えに行き、その迎えの車を運転しながらそう思った。
この一年でりんはすっかり見違えるように元気になった。
もともとが人懐こいのか、学校でも仲の良い友達が何人も出来て楽しそうに学校生活を送っている。
そう言うワシもりんの御陰で、それなりに変化に満ちた毎日を送るようになっていた。
そう……、殺生丸様は世間の雑事に囚われる事のないお方。
世がクリスマスだろうが正月だろうが、一切関係なし。
りんを引き取ったからと、今までの生活が変わる事はなく。
どちらかと言えば、なお留守がちになったくらいで。
「りん、友達の家でのパーティは楽しかったか?」
迎えの車に乗り込んでから、どうしてか口数少ないりんを気遣いワシはそう声をかけた。
りんは昨年の年末に殺生丸様が誂えたシフォンのドレスとシルバー・フォックスの毛皮を纏っている。
りんの通う学校の生徒の家でのパーティなら、この位の装いは常識じゃ。
「うん、とっても楽しかったよ。りん、あんなパーティー初めてだったし……。でも、みんな優しくしてくれて、ちゃんとりんの分のプレゼントもあったんだよ」
……そう言うもんじゃ。
本当のハイソサエティな人種と言うのは、本来その人となりを見抜く事に長けた人たちの事じゃ。りんの出自が一般人であろうと、りんそのものの素養が好ましければ、それで良いと受け止める事の出来る鷹揚さを持ち合わせている。
三文ドラマで見かける、場違いな素朴な娘をいびるような人間はそう言う意味ではちと外れような、とワシは思っている。バックミラーでりんの様子を伺い見れば、ちょこんと後部座席に座ったりんの膝小僧がドレスの裾から覗いている。
りんくらいの年頃の娘なら丈の短いドレスもまた愛らしいが、このドレスのデザインは膝下丈だったはず。
「その服はもう小さいようじゃな。また、殺生丸様に誂えて頂こうな」
あまりにぴったりの誂えだったので成長の早い子どもでは、一年も経つとかなり窮屈になるようじゃ。
「ううん。りん、ドレスはいいや。あんまり着る事もないし。一回か二回かしか着ないのに、勿体無いよ。それよりもね、りん……」
「りん?」
「……やっぱり、無理かなぁ…? りんもお屋敷で殺生丸様と邪見様とりんとで、家族みたいなクリスマスをしたいんだ」
「りん……」
りんが口にした『家族みたいな』、そう…だ。
りんにとっては今ではワシらが『家族』
……確かに、『家族』にしては余りにもよそよそしい殺生丸様の態度ではあるからの。
「あのね、りんね、最近よく見る夢があるんだ。何時かとか何処かとか判らないけど、殺生丸様と邪見様とりんと……、いつもどこに行くのも一緒で、夢の中のりんはそれが嬉しくて嬉しくて……」
「ほう……」
「目が覚めると、嬉しいのと胸がきゅうっとなるが一緒で……。不思議なんだ」
――― 夢の中のあたしは、今のあたしくらい。
オレンジ色の着物、着てた。
――― たくさんの約束
隠した パンドラの筐
閉じこめた 二人のかけら
ひび割れた夢
眠りの悲鳴の向こうへ ―――
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
人気のないオフィス。
大きな窓越しに街のイルミネーションが見える。
暗い空とオフィスの明かり。
窓ガラスは鏡面のように、イルミネーションに重ねて私の顔を映し出す。
映し出された私の顔とイルミネーションの間に ―――
今の私にはない、月の紋章を額に頂いた金の眸の『奴』の顔が映り込む。
「消え失せろ! 私の前からっっ!!」
――― いつまで、そうしていられるか。
所詮、『お前』は『私』
『あれ』に対する想いも……
強化ガラスであるその窓を、強く叩いて奴の幻影を振り払う。
判っている!!
だからこそ、だからこそだ!
繰り返してはならないと。
そう……、『あの後』お前がどんな時を過ごしたか、流離ったか、私は知っている。
知っているんだ ―――
……お前はまた、それを繰り返したいのか……?
私なら、ごめんだ。
私は、お前ではない。
――― 僕だけのために
流れている時間の中から
僕だけの答えを
拾い集めて歩いてゆく ―――
「冬休みに入ったからと、夜更かしはするでないぞ」
お友達の家のパーティから帰ってお風呂に入って一息ついていたあたしに、そう邪見様が声をかける。
「うん、もう少ししたらちゃんと寝るからね」
あたしが迎えの車の中で言った事は、邪見様には答えられなかった。りんだってね、多分無理だって判っているの。殺生丸様はあたしに良くしてくださるけど、あたしの事を見てくださっている訳じゃないって。
お忙しいのも判っているし……。
でもねりん、とっても不安なんだよ。
夢の中のあの人が、りんの事をずっと見てるようで。
嬉しいのに、何か悲しくて。
なんだかこのままじゃいけない、って気が凄くして落ち着かなくて。
『今』のりんを助けられるのは、殺生丸様だけ。
殺生丸様 ―――
りん―
りん、りん ―――
……もう、この声は届かぬか。
お前の前に在(い)ても、今のお前の瞳に『私』は映らぬ。
今でも、私はお前だけを待っている。
あの時、この手で ―――
お前をなくして
あれから凍てついた時を……
りん、りん ―――
降る雪を、冷たいと思ったのは
お前をなくしてから ―――
――― 降りこめられた 心
凍てついた 竪琴
ふるわせながら 鳴らしても
届かない 音
途切れ途切れの silent night ―――
街並みが聖なる夜の深紺に染まってゆく。
浮かれた気分も静粛な気配も今の私には煩わしく、仕事に没頭しようとしたら、重要なデーターを屋敷に忘れた事に気が付いた。無くてはならぬ物だけに、またこんな深夜に人に届けさせるのも別の意味で煩わしく、結局自分で取りに戻る事にした。
( ……この時間ならば、もうりんも寝ている事だろう。データーを取って、さっさとオフィスに戻ればよかろう )
運転する車の中でそう思いながら、そういえばもう随分とりんの姿を見ていなかったなと、気が付いた。自分のあまりさに、苦笑すら漏れる。そう、確かりんと言葉を交わしたのは夏休み前ではなかっただろうか……?
だが、私の予想は意外な形で覆された。
呼び鈴も鳴らさず、自分の鍵で玄関の重々しい扉を開けホールに入ると、そこに……
「……こんな時間まで起きているのか、りん」
「ご、ごめんなさい。りん、今日はお友達のパーティーに呼ばれて、その所為かどうか判んないんだけど、なかなか眠れなくて……。そうしたら、りんの部屋から殺生丸様の車が見えたから、お帰りなさいの挨拶をしておこうと思って」
もう寝るばかりだったのだろう。
風呂上りの夜衣の上にガウンを纏っていた。それは昨年、ここに来た時に揃えさせた物の一つ。
正装のドレスほど誂えた訳ではないので多少大きめな物を用意させたのに、今では袖も丈も短くなり、覗いた手首が寒々しい。
「……背が、伸びたのか」
「あっ、あ、うん。邪見様にも言われたの。今日のパーティー、去年殺生丸様に作って頂いたドレスを着ていったんだけど、丈が短くなったな、って」
「そうか。ではまた、新しく誂えさせよう」
「あ、あのね、殺生丸様! りん、そんな立派なドレスってあまり着る事ってないから、だから……、くっしゅんっっ!!」
それは、あまりにも自然な触れ合い。
殺生丸の右手がりんの湯冷めした頬に触れた。ひんやりとした頬に、触れた所から熱が生まれてゆく。
……まるで、息を吹き返したかのように。
殺生丸はりんに触れた瞬間、何かが外れたような気がした。
迂闊だったと思ったが、この冷たさと生まれ始めた温かさに手が離せない。
ふと殺生丸の心に浮かんだのは『過去世』の幻影ではなく、あの時止めてしまった『時』をもう一度、この手で紡ぎ直せるかも知れないと言うほのかな可能性。
「殺生丸様の手って、温かい」
「……何時までも起きているから、湯冷めするんだ。熱でも出したらどうする?」
「……ごめんなさい」
殺生丸は着ていた上着を脱ぐと、りんに着せ掛けた。
「殺生丸様?」
「もう一度、ちゃんと体を温めておいた方が良いかも知れんな。私の部屋へエッグ・ノックでも持ってこさせよう」
言葉の意味がりんの中で理解出来た時、それはなに物にもましてのりんへのクリスマスプレゼントになった。
りんはここに来て初めて、殺生丸の部屋に入ったのだ。
夜中に殺生丸に叩き起こされた邪見は、殺生丸の指示でりんにはほんの数滴ブランデーを垂らした温かなエッグ・ノッグを、殺生丸にはブランデーのロックを部屋へ持っていった。
そこで邪見は、はっとする。
殺生丸とりん。
殺生丸の自室に置かれた小振りのソファーとテーブル。そのソファーにりんを座らせ、自分は自室の机のイスに座り……。
この二人だけの光景は、空間は―――
侵さざるべきもの。
それを納得させる何かが邪見の中にもあった。
エッグ・ノックとブランデーのグラスを載せた銀の盆をテーブルに置くと、邪見はそっと部屋を退出した。
それを見届け、殺生丸は銀の盆の上の湯気を立てているミルクシェーク色の飲み物を目で指し示し、自分は琥珀色の液体の入ったグラスを手にする。
「殺生丸様、これ……?」
「体が温まる。それを飲んだら、自分の部屋へ帰れ」
言われたとおりミルクカップを手にし、ふうふうと息を吹いて少し冷ます。ほんの少したらしたブランデーが大人の香りを醸し出し、りんには少しくすぐったい。
一口、口に含むとお砂糖の甘さに玉子とミルクの風味が口いっぱいに広がって、そこに香りの良いブランデーの風味が加わる。アルコール分が高いので、温かい飲み物に入れた時点でかなりアルコール分そのものは飛ぶのだが、未成年……、いや幼年のりんにはそれでもかなりの刺激になるようだ。
口当たりが良いので、一口二口と飲むうちに、体はぽかぽかと温まり出しひんやりしていた頬はほんわかと上気してくる。目元が少し赤いような……?
( あれ? りん、なんだか変……。なんか、とってもぽかぽかしていい気分。どうして?? )
酔いが回ったのか、時間の所為か。殺生丸が気付いた時には、墜落睡眠。部屋に帰る間もなかった。
ことり、と自分のグラスをテーブルに置きりんが握り締めているミルクカップを取り上げるとテーブルに並べて置く。
一瞬、戸惑いの表情が殺生丸の顔に浮かんだが、りんの寝顔の安らかさに何か一つ吹っ切ったかのような色を浮かべ、小さなりんの体を自分の寝台へと運んだ。
その傍らへ、シャツ姿のままで自分も横になる。
今だけ、この聖なる夜だけは、このままで ―――
( ……寒い夜のスリー・ドッグス・ナイトと言うところか。りん、お前ならば一人で十分だがな )
果たしてどちらが犬なのか?
ほんの少し、想いを満たして聖なる夜は更けてゆく。
* * * * * * * * * * * * *
部屋の外。
窓ガラスの向こう側。
更に深まる夜闇のその奥で……
二人を見詰める、金の眸。
――― 降りこめられた 心
凍てついた 竪琴
ふるわせながら 鳴らしても
届かない 音
途切れ途切れの silent night ―――
【終】
BGM Zabadak[遠い音楽] より
『とぎれとぎれのsilent night』
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