【 真夏の夜の夢2 】




 ……本のタイトルが読めると言っても、りんがよく知っているような昔話や童話のような本は一冊もなくて、やっぱりそれなりに難しそうな本が多かった。それでもどうにか読めそうな本を何冊か引っ張り出してみる。

 一冊目は「クゥトール神話」と言う本。
 りんの知っている神話は、星座のお話の元にもなっているギリシャ神話を少しだけ。この本もそんな感じの本なのかな? と思って手に取って見たのだけれど、開いてみて見なければ良かったと思った。
細いペン描きの挿絵はみんな不気味で病人か死人か怪物みたいで、書いてある言葉も「死者の書」だとか、「暗黒都市」だとか恐い言葉ばかり。あたしは急に恐くなって、その本を閉じると周りを見回した。

「……大丈夫、大丈夫。これは、本の中のお話なんだから」

 辺りの白々しい程の照明がなんだか普通じゃないような気もしたけど、暗いよりはずっと良いやとあたしはその本を本棚にしまい、もう少し判りやすいタイトルの本を探した。そうして、ようやく見つけたのが「最後のユニコーン」。

 ユニコーンって動物ならあたしも知っている。ううん、もちろん空想上の動物だけど、ギリシャ神話の中にも出てたっけ。
 これなら読めそうだなとあたしは思って、その本を手に窓際の寝椅子の所に行った。ちゃんと読めるかどうか少し中身を読んで、これでもダメならまた別の本を探さなくちゃ。

「……読めない漢字がいっぱいあるけど、読めるところだけでも読んでみようっと」

 学校の国語の教科書のようにすらすら読めないのは、難しい言い回しのせいだけではなく読めない漢字のせいでもなく、何となくりんとは『別世界』の本だから、と言う気がした。

「きっと殺生丸様なら、こんな本でもすらすら読んじゃうんだろうな。子供の時でも」

 本当に拾い読みしか出来なかったけど、それもほんの初めだけだけど、『最後』のユニコーンが仲間を探して旅をする話だと言う事だけは判った。

( 旅…… )

 何だろう?
 何かとても、気に掛かる。

 りんも、旅をしてた?
 『誰』と?

 難しい本を読んだ目の疲れと、昼間の水泳の授業の疲れ。
 それに、本当ならもう眠ってなきゃいけない時間になっていたのもあって、りんの頭の中はぐるぐるしていた。
 そのぐるぐるしていた頭に浮かんだ、『思い出』の様なもの。
 それはりんのものなのか、『他の誰か』のものなのか判らなかったけど……。


 暗い暗い森の中、『あたし』の前を行く、あの白銀(ぎん)色は ――――

 もう、眠たくて目が開かない。
 手にした本が、あたしの指先から滑り落ちる音を遠くで聞いた。
 閉じたあたしの目の端で、ゆうらりと揺れる白銀の色。

( そこにいらっしゃるには、誰? 殺生丸…さ…ま……? )

 あたしが覚えているのは、そこまでだった。



 ―――― りん


 それは、【声】ならぬ【声】。
 眠ってしまった『りん』の傍らに、明るすぎる書斎の照明が歪んで収縮したように『気』が揺らぎ、幻影(かげ)を生み出す。全身が陽炎ように燐光を発し、そのものが只人(ただびと)ではない事を示していた。異質なる高貴さ。いつの時代の物か、典雅な装束を身に纏い宝物造りの太刀を帯びる。
彼の者が焦がれ愛しんだ、流れるような白銀の髪の輝きもそのままに、その幼き身を包んだ柔らかな毛並みもまた。

 ―――― りん

 何度、この『声』をお前の耳に届けようと思った事か。
 そう、『お前』がここに来てから。
 あの頃のように寝入ったりんの頬に瞼に触れようと、爪長き妖しの馬手を翳す。
 真白き部屋の灯かりに、その手は寝入った者の上に影を落とす事もなく、閉じた瞼の上を柔らかな頬の上を突き抜けた。窓に映された虚像の中、妖(あやかし)の手はりんの頬に触れ瞼にかかる癖の在る前髪を払い、眠りを覚まさんと瞼に触れ……。
その様子を、深みを増した金の獣目で睨みつける。

 ―――― 構わぬ。

 この手で触れる事は叶わぬとしても、この手はお前を覚えている。
 お前の柔らかさを、滑らかさを、熱さを。
 頭の髪の毛一本の癖から、足の指の爪の形まで。
 りん、お前の全てを ――――

 私の『名』を呼ぶその声の響きも、私のもの。

 誰にも渡しはしない。
 そう、それが『殺生丸』。
 お前であろうと、だ。




「……そこで何をしている」

 気が付いては、いた。
 私の背後からの刺すような視線。
 ゆっくりと、振り返りもう一人の『己』と対峙する。

「りんに、何をした?」

( 何をせずとも…… )

 口元に嘲りを込めた冷笑を浮かべる。

( もとより、これは私のもの )

 触れる事の出来ぬ右手で、寝入っている傍らのりんの身体を撫でさする。
 覚えている、覚えている。
 掌の下でざわめいていたお前の甘い吐息を。

「……ふん。お前がどう喚こうが、所詮は過去の『亡霊』。いや、亡霊と言うにももう当たらぬか」

( ……………………… )

「お前の『魂』を持って転生したのが、この私だからだ」

( ……何が、言いたい )

「お前は過去の『妄執』が生んだ、在らざる『幻影−まぼろし』。疾く、過去の闇に消え失せよ!」

( 『お前』が『私』だと、認めるのか? )

「……いや、違う。『私』は『私』だ。 そう、この『りん』がお前の『りん』ではないように」



( う〜ん、何だろう? りんの側で、誰かが言い争ってる…。でも、どちらも同じ【声】に聞こえる…… )

 あたしはまだ夢の中。
 深い深い森の中を一生懸命に『誰か』を追いかけている、『あたし』。

( ああ、この『声』はとても懐かしい。でも…、どこか恐くて哀しくて…… )

 場面は変わる。
 今度は今いる、書斎の本の杜の中。
 一生懸命に探しているのは【本】? 
 それとも……

( ……本当はね、りん。もっと色々お話してみたいんだよ……… )

 夢の中の『想い』は、呟きとなって零れ落ちる。
 あたしは知らず、胸の花束を握り締めていた。

「殺生丸…様……」

 どちらに呼びかけたものか、それは誰にも判らない。
 影さえ出来ぬほどに強い照明の下、りんの手にした花束がきらりと薄紫色の光を反射させる。
 それを目にし歩み寄ったのは、未だ上着さえ脱いではいない『殺生丸』。
 らしくもなくりんに与えたその花束を見、浮かべる微笑。

「……お前が『りん』に与えたものは何だ? 人にあらざる暮らしと、惨たらしい最後」

( ……………………… )

「……差し出した野辺の花一つ受け取るでなく、りんの花を散らし、死に至らしめた。そんなお前が今更何を言う!」

( ……『お前』に何が判る? 『私』であって『私』ではないお前に! )

「ああ、判らないとも! 私が判っているのは、『お前』と同じ轍は踏まぬと言う事だけ。りんは私が守る!!」

 常にない大きな声は、りんの目を覚まさせるのに十分だった。
 目覚める瞬間、りんはそこに『二人』の殺生丸が在るのを見たような気がした。

「殺生丸…様?」

 まだ幾分か寝ぼけたようなあたしの声。

「今、ここに誰か居ませんでした?」

 あたしはきょろきょろと辺りを見回した。
 本棚が沢山あるから見通せないけど、でも『誰』かがいるような感じはない。

「……寝ぼけてたのかな、りん」
「……こんな時間に、こんな所で何をしていた」

 そう問いかけた殺生丸様のお声は少し怒っていらっしゃるようで、あたしは小さくなってぼそぼそと答えた。

「あの…、学校の宿題で……。自分の好きな本を学校に持って行って、その理由を説明する宿題なの」

 そう答えたあたしの手の中にある本を見て、殺生丸様が少し眉を顰めた。

「それはお前の本ではないだろう。それにお前が読むにはまだ難しすぎると思うが」
「うん、あの… その……、殺生丸様の本だからって説明しようと思って…。りん、殺生丸様の事、好きだし、だから……」

 あたしの言葉に、ふっと殺生丸様の表情が変わったような気がした。

「……くだらん。さっさとその本を持って、自分の部屋へ帰れ」

 そう殺生丸様は仰ると、スーツのネクタイを緩めながら書斎の入り口へと歩いて行く。あたしも置いて行かれないように慌てて後について行く。扉の所であたしを先に出すと、一階のホールへの階段を登り終わるまで書斎の灯かりを消さずに待ってて下さった。
 あたしは殺生丸様に見守られているような安心感で、自分の部屋に戻った。
 殆ど言葉を交わす事もないあたしと殺生丸様。
 でも、あたしが言った『好き』と言う言葉を、殺生丸様は怒らなかった。
 それだけで、りんは嬉しかった。


 ―――― 今日はもう書斎に入る気が失せ、自室に戻る。


( 殺生丸様の事、好きだし…… )


 りんの言葉を反芻する。
 まだ、判ってはいない。
 自分が言ったその言葉の意味など。
 それで良い。
 今は、それで。

 お前がいつか見つける、お前の本当の幸せの為にその言葉は取っておくが良い。
 私はそれまで、お前を見守り続ける。

 それが、お前の『過去世』への償い ――――



 それでも……


( お前に何が判る! )


 ……判っては、いけない。


 『あいつ』の身を妬くような、この『想い』を!
 あいつの『想い』なのか、私の『想い』なのか?

 触れたい、と感じる事がある。
 見詰めていたい、と思う事がある。

 そう思う心の片隅で、『あいつ』の北叟笑む気配を感じる。
 『私』は『私』である事を、強く望む ――――



 繰り返してはならぬ、その『想い』ゆえに。





【完】 
2005.7.11





【 あとがき 】

なんだかこの現代版のシリーズも回数が増えてきました。最初は突発でそれを書いている時に、おまけが2〜3本付く位かな? と思っていたんですが、最近では少し丁寧にこのシリーズを続けていってもいいなぁ、と思うようになりました。このシリーズのラストの部分はもう決まっているんですが、そこに至るまでをりんちゃんの成長に合わせて書いてみようかな、と。
ええ、最初はりんちゃんが殺生丸に引き取られる小学生の頃の話。それから、かなりアブナイ中学生時代と、りんちゃんが自立する高校生編。それからラストへと…。
大雑把にそんな感じでプロットを立てていたので、その間をこんな感じの突発ネタで繋いで行くのも良いかなv

今回の話は、いつも過去世の兄上に余裕をかまされている今生の兄上のリベンジ編、と言う趣でしょうか。
りんちゃんの中の【りん】もそろそろ覚醒させないといけないですね。


TOPへ  作品目次へ


誤字などの報告や拍手の代りにv 励みになります(^^♪


Powered by FormMailer.