【 降誕祭 】




 どうしたらいいかわからない ――――

 ハロウィンの夜、ガラスを割って手に怪我をされた殺生丸様。なぜ割ったのか、どうして割ったのか判らないけど、なんだかあの時の殺生丸様は恐かった。勝手にお友達の家のハロウィンパーティーに出かけた事を怒ってらっしゃるのかもしれない。


あれからずっと殺生丸様は、りんの事を避けてらっしゃる。


 あの時、りんはほんの一瞬記憶がなくなった。その時、勝手にパーティーに出かけた事以上に殺生丸様を怒らせるような事をしちゃったんだろうか? 一生懸命思い出そうとするんだけど、どうしても思い出せない。思い出したいのに、思い出せない感じ。なんだかずっとずっと頭の片隅で、胸のどこかで引っかかっている。

 あっという間に11月も過ぎて、12月に入ると町中クリスマスツリーの飾りやイルミネーションでキラキラわくわくした感じが溢れていて、楽しそうだからもっと自分の気持ちがどうしようもない焦りのようなもので苦しくなる。どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろう。


 りんは何かとても大切な事を忘れているのかな……


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「あら? どうしたの、邪見さん」

 そっとりんの部屋をうかがっていた邪見の背中越しに、若い女の子の声がかかる。悪い事をしているところを見つかった子どものように、びくっと体を震わせて恐る恐る邪見は後ろ振り返った。そこにはにこやかな笑顔を湛えたメイド服に身を包んだかごめの姿。

「な、なんでお前がここにいるんじゃ!」
「なんでって……、冬休み中のバイトに決まってるでしょ。実家の方も年末年始は大変なんだけど、楓おばあちゃんにどうしてもって頼まれたから」
「メイド頭の楓にか? どうして…、お前にバイトを頼まなくとももともとのメイドが楓の他に四人も居るのにか?」

 邪見はこの家の執事である自分に断りもなく、勝手に孫をバイトで雇い入れている楓に少なからず腹を立てていた。

「うん、多分わたしはりんちゃんの相談相手に、って事じゃないかな? りんちゃん、最近元気がないみたいだからって……。邪見さんも、それが気になってさっき様子を伺ってたんでしょ?」
「あ、ああ…、そう言う事か。あむ、確かにこの家のメイドは楓を筆頭に皆それ相応にいい年をした者ばかりじゃからな」
「楓おばあちゃんの話だとハロウィンの後辺りからだって聞いたから、もしかして私のせいもあるかなぁ、って気になって……」
「ん、まぁ確かにその辺りから、またこの屋敷に帰らなくはなったのぅ、殺生丸様は。お仕事が忙しい事もあられるが、たまに帰って来られても殆ど自室に篭りきりでな。りんが可哀想なくらいにしょげておる」
「ふ〜ん、その辺りは今もあんまり変わらないものみたいね。自分のやりたいようにしかやらないのよね、殺生丸は」
「こりゃ、かごめ! 殺生丸様を呼び捨てにするとは何事ぞ!! 無礼であろうが!」
「あ〜、そうだったわ。現在(いま)はご主人様って呼ばなきゃね」

 何気に呟いた我が主に対してのぞんざいなかごめの言葉を聞きとがめ、邪見が目を吊り上げる。そんな邪見を軽く流して、かごめはりんの部屋の扉をノックした。

「こんにちは、りんちゃん」
「あ、かごめお姉ちゃん……」

 ベッドの端に腰掛け、何事か考え込んでいたりんが顔を上げる。その表情を見て、かごめは僅かに眉を動かした。冬休みに入ったばかりの、十歳前後の子どもにとっては大きなお楽しみが二つもあるこの時期の表情ではないと判断する。幼さとはアンバランスな重みをもった心。それが何に由来するかは……。

( おばあちゃんが心配する訳だわ、それに邪見もね。こんな表情、りんちゃんらしくないもの )

 そして、その原因もかごめには判っていた。

 この時代なら、『それ』は禁忌。

 いや……、『あの後』何がこの二人に起こったのか自分は知らないのだから、本当の原因は二人の心の奥にあるものなのだろう。

「冬休みの間このお屋敷でバイトする事になったから、またよろしくね」
「うん、りんも嬉しいよ」

 最初より、すこしりんの表情がほぐれたような気がかごめにはした。

「りんちゃん、今年のクリスマスはどう過ごすの? 去年はお友達の家のパーティーにお呼ばれしたんでしょ?」
「……今年は行かない。もうお友達には予定が入ってるからって断ってるし」
「りんちゃん……?」
「りんみたいな子どもが呼ばれるようなパーティーって年に1回あるかないかで、パーティードレスを作るのは勿体無いし、それに……」

 それに、とりんは言葉を途切らせる。りんが言わなかった言葉を汲んで、かごめがそっと言葉を足した。

「殺生丸、…様に、何か言われたのね? ハロウィンの後で」

 かごめの問い掛けに、りんは小さく首を横に振る。

「……判らない。ハロウィンの夜に玄関でランタンを持ったままお出迎えして、りんそこで少し記憶が飛んでるんだ。でも、何も殺生丸様は言われなかったよ。りん! って一回だけ強く名前を呼ばれただけで」
「そう……」

 かごめは何か考える風に額に手を当てた。

「そう言えば、りんが大人っぽい格好するのはお嫌いみたいな感じだった……。りんの唇に口紅がついてるのを見て嫌そうなお顔をされたから」
「……ごめんなさいね、りんちゃん。私が調子に乗っちゃったから、いやな思いをさせちゃったわね」
「ううん、ううん! そんな事ないよ!! ハロウィンはとても楽しかったから!」

 りんの素直な健気さが伝わってくる。そうして、どうしていつもりんにこんな想いをさせるのだろうかとかごめは、自分の中に湧いてくる怒りのようなものを感じていた。

「それじゃ、私とりんちゃんだけでこっそりクリスマスをしましょう。二人でこのお部屋を飾って、ケーキも作ってプレゼントを交換して。それならあいつも怒らないでしょ」

 にっこり笑いかけるかごめの笑顔につられ、ようやくりんの顔にも笑みが浮かんだ。かごめがりんの部屋を出た後、りんはもう暗い窓の外を遠い眼差しで見つめた。部屋の照明を受けて、窓ガラスが鏡のようにりんの姿を映し出す。そこに映る自分の顔を見ながら、不思議な気持ちになる。そこに映っているのは本当に『りん』なのだろうかと。自分に良く似た、自分じゃない誰かのような気がして時々恐くなる事さえある、ここ最近のりんだった。

 その不安な気持ちの中でふと安心感と言うか確かさを感じるのが、邪見や楓、そしてなぜかかごめの存在なのだ。一番側に居たいと思う殺生丸には、安心感や確かさの他にもっと今のりんでは現し切れない複雑で刹那な想いが絡んでいた。

「ねぇ、あなたは本当にりん? あたしはそんなに大人みたいな顔をしてる?」

 窓に映ったりんの鏡像は薄暗がりに浮かんでいるせいか、どこか儚く大人びて見えた。

「もしかしてあなたは、あたしの知りたい事を知ってるかもしれないね……」

 りんの呟きにその鏡像が、泣くように微笑んだような気がした。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


( 確かめなきゃね、あいつが何を考えどう思っているのかを )

 かごめは初めてこの屋敷に来た時に思った事を、改めてそう自分に問い直していた。この屋敷に臨時のバイトで入ったのは、この年の夏休みが最初。自分の祖母が『楓』だったとあの後で気付いて、もしかしたらもっと何かあるかもしれないとどこかで期待していた所もあった。

 その予感は、ここに来てこの屋敷の主とその養い児を見た時に外れてはいなかったと実感した。それが自分の身の上に起こるとは限らないけれど、有り得ない様な切れそうな糸でも手繰り寄せたい。それにこの二人の事は、あの時もそして今もとても気になって仕方のない事だった。共に在りながら、なぜか遠くにあるように感じていた二人。切れそうで切れない、でもとても儚い絆のように思えて ―――― 

 邪見の言ったとおり、なかなか殺生丸は屋敷に帰ってこなかった。かごめが冬休みのバイトに入って三日目に、ようやくその姿を見せたのだ。

「あ、これ書斎に持ってゆくお茶でしょ? 私が運ぶわね」

 邪見が用意したティーセットのワゴンを横から取るように運び出し、すたすたと書斎へ向かう。かごめが見た感じだと、邪見もりんもこの現代を当たり前に生きているように見える。だけど、殺生丸に関しては何か引っかかるものを感じるのだ。それがかごめに取って確かめたいモノだった。メイドらしく、控え目にそれでもはっきり判るように書斎のドアをノックする。
 以前はこの書斎にはりんも良く本を読みに来ていたらしいが、何度かあからさまにここで殺生丸に避けられるような態度を取られてから、足が遠のいている。

「入れ」

 聞き覚えのある、冷たい声。かごめは怯む事無く、ワゴンを押して書斎に入って行った。自分の姿を見て、殺生丸が眉を顰めるのをかごめは確かに見た。それはどう言う意味での仕草なのか、かごめは頭のすみでちらりと考える。

「……この屋敷の者でもないお前が、なぜここにいる」
「冬休みの間だけのアルバイトです。りんちゃんのお守り、って言うのが本当のところ」

 最初はそれなりに丁寧に、後半は素のままで返事を返しながら、無駄のない繊細なフォルムの薄手の白磁のティーカップにセカンドフラッシュの香り高いアールグレイを注ぐ。

「りんに余計な事は吹き込むな」
「余計な事? 今の子らしく、その時期その時期のイベントを楽しんでもらいたいと思っただけよ。どうせ、今もりんちゃんの気持ちなんて考えてないんでしょ?」

 ソーサーにカップをセットして、すっとお茶を殺生丸の前に差し出す。

「お前……。今も、と ―――― 」
「ああ、やっぱり。まさかと思うけど、あんた五百年以上生きてきた、なんて言わないわよね?」

 その一言の影響は計り知れない。常に冷静な殺生丸の顔に、殺気のような険しい物が色濃く浮かび出す。

「五百年……、お前は『あいつ』を知っているのか!?」
「ええ、あんたが戦国時代でりんちゃんをいつも連れ歩いていたのを、この目で見ていたわ。とても不思議な気持ちで、本当ならありえない事なのに…。ううん、むしろあってはならない事だって判ってたけど、それでもダメだって言えなかった」
「…………………………」
「あの時のりんちゃんには早すぎると思った、犬夜叉のお母さんと同じ道を歩むのはって。でも、りんちゃん夢の中にいるように微笑んでいた。あんたたちを否定するのは、犬夜叉のお父さんやお母さんを否定する事だから、それって犬夜叉の存在も否定してしまう。だから、私は ―――― 」

 ティーポットに添えたかごめの手が小さく震えている。

「生まれ変わりなんでしょ? あんたもりんちゃんも邪見も。ああ、うちのお祖母ちゃんもそうね。そして、あんたには妖怪だったころの記憶が生まれた時から残っているのね?」
「……お前もか」

 かごめは影のある笑みを浮かべて、頭を横に振った。

「……私は四魂の玉の因果と私自身が桔梗の生まれ変わりだったって事で、『時空を超えた』の。あの時代で妖怪・殺生丸に会った私と、今あんたの目の前にいる私はどちらも同じ日暮かごめよ」

 そうあの後、四魂の玉は消滅し時の流れの歪を是正させるかのように骨喰いの井戸は戦国時代にいたかごめを光の奔流に投げ込み、現代に押し返してしまった。そして、もう二度と井戸の底はあの時代に繋がる事はなく、犬夜叉達との記憶もかごめの中に残っただけだった。あの時空を超えた冒険の数々は全て、かごめの中だけに。

「お前があの時代、犬夜叉とつるんだのはお前の中のあの巫女の想いゆえか」

 そう呟く殺生丸の顔が、どこか痛々しい。

「殺生丸……?」
「自分の中のこの想いが、自分の物なのか『あいつ』の物なのか。私には判らない……」
「……最初はそうかもしれない。なんであんな奴の事が気になるんだろうって。あんな乱暴で嫌な奴なのにって。でもね、最初はどうでも、後からは『わたし』の気持ちで犬夜叉を好きになった。そして犬夜叉は私の事を桔梗に似てるって言ったけど、桔梗とは別人にしか見てなかった。きっと今のりんちゃんもそうだと思うわ。りんちゃんが見ているのは今の殺生丸よ、だからあんたもちゃんと今のりんちゃんを見てあげて!」
「かごめ……」

 かごめの手が殺生丸の前に置かれたティーカップを下げる。

「お茶、冷めちゃったわ。淹れ直してくるわね」

 確かめたかった事、伝えたかった事はそれ。
 ここで転生した二人がめぐり合った奇跡に立ち会いながら、かごめの胸にささった棘のような不安。特に殺生丸に感じたそれは、目の前のりんよりも過去のりんを見ているような感じがして。同じ魂が転生してめぐり合ったのなら、惹かれあうのも無理はないと思う。確かにあの時の出会いは『ありえないもの』だったかもしれないけど、それでも出会った事実には変わらない。その事を、今の殺生丸が否定したがっているようにもかごめには見えたのだ。

 ワゴンを押しながら、書斎を出る。カタカタという音を聞きながら、かごめの思いは続く。自分はあの後、戦国時代に行けなくなったからこの二人がどんな道を辿ったか知らない。でもきっと最後まで、いや、多分人間だったりんにはそんなに長い時間はなかっただろうけど、それでもその時まで一緒に過ごした事だと思う。そうじゃなければ、この現代でまたこんな形でめぐり合う事なんで出来ない。それほどに深く思いあっていたのだろうと。

( ……今の殺生丸は、昔の妖怪だった頃の自分を否定したいのかもね。あの頃の、りんちゃんへの行いも何もかも含めて )

 半地下の書斎から続く廊下をホールに向かって歩く。緩やかな斜面を登りながら、ふいにかごめは自分の首筋に突き刺さるような冷たい視線を感じた。今では感じる事もなくなった、強い妖気を含んだ視線。反射的に振り返るかごめの視界の端に一瞬金と白銀の煌きが残像として残り、あとにはゆらりとした蜃気楼のような何かが立ち消えただけだった。

 ここに不似合いなかごめの存在が去ると、書斎にはまたいつものような静寂が訪れる。

「今のりん……? 今の、自分 ―――― 。そう割り切れれば、どんなに楽だろう。あれがここに在るのも、『殺生丸』が呼び寄せたからかも知れぬのに。幸せだったりんの家族を奪ってまで……」

 翳る瞳で顔を伏せる殺生丸を、金の眸が嘲るように見下ろしていた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 次の日、かごめはりんに約束していたようにクリスマスのオーナメントや手作り用のケーキの材料などを抱え込んで、バイト先でもある殺生丸の屋敷に出勤した。屋敷の中に入ろうとしたら、庭先から三階のりんの部屋の窓を見上げている殺生丸に気がついた。

「おはようございます。今日はお仕事はお休みですか?」

 休日・祭日関わらずビジネス優先の生活を知っての、かごめらしい軽い嫌味。

「お前には関係ない。……また、りんに下らぬ事でも吹き込むつもりか」

 かごめの手にした荷物にちらりと視線を走らせ、そう言い捨てる。

「下らないって……、りんちゃんくらいな年頃ならこーゆーイベント事は大抵好きなんじゃないかな。ここに来る前は、毎年やってたかもしれないのに。私もハロウィンの時はやり過ぎたかも知れないけど、ご主人様のご機嫌を損ねたみたいだって思って、子どもらしい希望も言わずにお友達からの誘いも前もって断って、屋敷で息をひそめるみたいにして過ごすのって可哀想じゃない」
「宗教上の理由もなく騒ぐのはみっともないがな」
「もう、あんたって朴念仁はっっ!! りんちゃんの子どもの時代の彩りじゃないの、こう言うのは! 今のあんたはりんちゃんの『保護者』なんだから、そーゆー気遣いくらいしても罰は当らないと思う」
「下らんものは、下らん。勝手にすればよい」
「ええ、そうするわ。りんちゃんの部屋でするホームパーティなら文句はないわよね!?」

 とてもバイトのメイドの台詞とは思えないような口調で言い切ると、つかつかと足音高く屋敷の中に入って行った。その威勢の良いかごめの後姿を見送り、今のかごめの眼には『自分』がどんな者に映っているのだろうかと考える。考えて、唇の端に冷笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべた。


( ……全てを知っている訳ではないだろうが、過去世の『私』を知っていてあの態度なら、この流れに乗って見るのも悪くはないかも知れぬ。過去は変える事は出来ない、ならば今からを変えれば ―――― )


 同じ過ちは繰り返さない。
 りんの、『子どもの時代』を奪わない。
 『おまえ』の想いと、私の『想い』。

 どちらが、今のりんを幸せにする事が出来るか。

 りんを想うあまり失う事を恐れ、求め続けた挙句にりんを壊し殺してしまった『おまえ』――――

 最後の最後まで、逆らう事無く怯える事無く『おまえ』を受け入れ続け逝ったりん。


 過去世の『りん』を封印したまま ―――― 

 
 同じ時の流れを刻むこの現代で、りんのこれからの時間をりんの望むようにさせる事が今の自分になら出来るだろう。あれはまだ雛、庇護するものの腕や翼が必要な雛。いつかそれらを必要としなくなった時に、あれの眼に自分がどう映るかはその時の話。


 それまでは、この想いを眠らせる ――――


 午前中から屋敷の厨房の一角を借りて、かごめとりんはケーキ作りに励んでいた。そんな年の離れた姉妹のような二人を微笑ましく見ながら、屋敷のシェフがクリスマス用にアレンジした料理の幾つかを作ってくれている。

 焼き上げて、冷めたばかりのスポンジ台一面に生クリームを塗りつけているりん。デコレーション作業用の回転台の上に置かれたスポンジは回るたびに予定外の模様を刻む。一生懸命なめらかになるように頑張っているりんは、スポンジ台に近づきすぎてとうとう自分の鼻の頭で模様をつけてしまった。

 つまみ食いのような昼食を厨房で済ませ、仕上のフルーツやチョコプレートやら文字などをそえ、かごめとりんは顔を見合わせた。昼下がりの厨房にひとしきり上がる笑い声、甘い香りと美味しそうなご馳走の匂い。スープの湯気があたりに立ちこめ、ほわっとした温かさも。そこに邪見が現れた。


「あ〜、殺生丸様は夕方はお出かけになるそうだ。夕食の支度は不要との事じゃ」

 その一言で、りんのはしゃいだ気配がしゅんとなる。

「……お仕事、お休みみたいだったから今夜は一緒にご飯食べられるかなと思ったのにな」
「なんか、大人げないわね。こんな日にわざわざ用事を入れなくてもいいのに。まったく、私への当てつけかしら」

 途端にかごめがふくれっ面。

「もう本当に一言言わなきゃ腹の虫が納まらないわ!! 殺生丸、どこにいるの!?」

 ずい、と邪見の前に進み出て、その怒った顔を近づけた。

「あ、ああ…、お出かけになったのは昼前じゃ! 先ほど、外出先から電話があって、そう伝えておけと……」

 邪見の言葉に、かごめが近くのテーブルを怒りを込めて激しく叩いた。

「怒らないで、かごめお姉ちゃん!! 殺生丸様は本当にお忙しい方だもの。去年もその前も、クリスマスでもお仕事してたんだから、これが当たり前なんだよ」

 一番寂しい思いをしているのはりんだろうに、必死で殺生丸の弁護をしかごめを宥める。

「りん平気だよ。こうしてかごめお姉ちゃんも邪見様も屋敷の皆もりんの事に構ってくれるから、寂しくないし大丈夫だよ」
「りんちゃん……」
「それに一緒にクリスマスのお祝いは出来ないけど、ちゃんとりん、殺生丸様からプレゼントは貰ったよ。前の前の年は素敵なドレスやら毛皮やら貰ったし、去年は殺生丸様のお部屋でお話して温かい飲み物飲んで、殺生丸様の隣で休ませてもらって……」

 そう語るりんの表情は、高価なドレスや毛皮を貰った時よりも僅かな時間でも殺生丸と過ごせた時の方が嬉しかったと物語っている。

( ……あの時言い淀んだ殺生丸の『想い』。りんちゃんの事を想ってはいるのよね。だけど、りんちゃんを避けるのは距離を取るのは自分が怖いから? 妖怪だった、『人でないもの』だったあんたが、今と同じ年頃だったあの時のりんちゃんに何をしたか…。それを怖れてるの、殺生丸 ―――― )

 同じ魂でありながら、妖と人との狭間で殺生丸の想いは揺れているとかごめは悟った。

( あまりにも違いすぎたから、あの時は。力もそれぞれが持つ命の時間も、なによりも殺生丸が戦国一の大妖怪だったって事。自分の側にいるだけで本当はりんちゃんの命を削っている事に気がついて、でも手放せなくて…… )

「かごめお姉ちゃん……」

 黒目がちなりんの瞳がかごめを見上げる。その瞳に映った自分の顔は、怒りよりもどこか遣る瀬無さを浮かべているような気がした。

「……判ったわ、そーゆー性格はそう簡単には変わらないのね。それじゃ、私たちで楽しみましょ」

 気分を変えるために、厨房を出て三階にあるりんの部屋の飾り付けに向かう。初めてりんがこの部屋に通された時に感じたホテルのようなよそよそしさは、りんがこの部屋でこの屋敷で暮らし始めて、随分と和らいだものに変わってきた。

 そこで暮らし生活しているものの色に染まり、生きてる感じがしてきたからだろう。邪見が気を利かせたのか、庭師に手配して小ぶりだが樹姿の整った樅ノ木が運び込まれていた。後ろからついてきた邪見が、少し胸をそらしながら二人の様子を見ている。

「邪見様……」
「あ〜、こーゆーバカ騒ぎは殺生丸様は好まれぬので、今日だけ特別じゃ。明日にはその樅ノ木は庭に戻すからの」

 偉そうに取り繕ってそう言う邪見が後手に隠し持っている包みが、りんへのクリスマスプレゼントだと気付き、かごめは瞳の端に笑みを浮かべた。

「さあさ、ワシも手伝うからとっとと飾り付けじゃ!」

 部屋に入り、邪見はこれまた偉そうにりんとかごめを指図しながらこっそりそのプレゼントをりんのベットの枕の下に隠す。隠しそこねた照れた表情を浮かべながら。

( ふふ、いいところあるじゃない、邪見ってば。よっぽどあんたの方があの朴念仁より乙女心がわかってるかもね )

 かごめも口元が緩むのをそっと隠した。


 そして飾りつけも終わり料理も運び込まれ、屋敷の少ない使用人たち……、邪見以外は通いの使用人なのでそれぞれ自分の家のクリスマスをする為に帰ってしまい、残ったのは家が神社なので神様違いなかごめと楓、それから邪見とりんとでクリスマスを迎えた。二人で苦心して仕上たクリスマスケーキにナイフを入れようとしたその時、りんの部屋の扉が開いた。
 そこには ――――


「出かけるぞ、りん。早くこれに着替えろ」

 この場にもっとも不似合いな、そして常と変わらぬ冷たげな声でそう言う。

「殺生丸様……」

 りんに差し出した幾つもの大きな紙袋のロゴを見て、かごめが溜息と共に驚きも吐き出す。有名ブランドが溢れる今でもなかなか手に入らないそれらの品々。人気があるのはもちろんだが、むしろ店が客を選ぶような、それが双方共にステイタスになる。そんな店の名前が入っている。

「ほんっとに相変わらず、傍若無人と言うか唯我独尊と言うか……。言葉の足りない所も、そのまんま。言葉は『言霊』よ? もっと大事にしてよね」
「あの…、かごめお姉ちゃん……」

 りんは善意とサプライズの板ばさみ。殺生丸の足元に視線を落とし、準備の整ったホームパーティーのテーブルを眺める。

「きっと短気なのも、そのままよね。いらっしゃい、りんちゃん。私がドレス・アップしてあげる。なので、ちょっとの間みんな部屋を出てて」

 扉の所に立っていた殺生丸の他に邪見や楓も追い出して、かごめはりんをドレッサーの前に立たせた。紙袋の中身を手早く開けて、中の物を確認する。ドレスは勿論、その下に着けるランジェリーも揃っている。シルクのストッキングにシルクのキャミソール。ストラップは繊細な光を弾く、多分ホワイトゴールドのチェーン。靴にバックに毛皮のコート、小さめの箱が三つ。その中にはアクアマリンの可憐なデザインの耳飾りと同じデザインをモチーフにしたサテンリボンの首飾り、もう一つの箱にはオーソドックな真珠のセット。そして、最後の一番小さな箱には……。

( 本当にもう…、殺生丸ったら。後でちゃんと釘をさしておかないとね )

 かごめの手で、りんはまるでシンデレラのように変身して行く。仕立ての良いファンデーションでボディラインを整え、その上からシンプルだけど優雅なラインを描くドレスを着せる。出かける先がとてもフォーマルな所なのだろうとは、そのドレスのデザインから察せられた。袖のないデザインの純白のイブニング・ドレス。肩口を柔らかいブルーのチンチラで縁取り、上半身はタイトにスカート部分は裾にたっぷりのフレアを入れたマーメイドライン。手にはショート丈のボビンレース製の手袋。これにもサテンのリボンがついており、プリンセスカットされたアクアマリンがセットされている。

「う〜ん、手袋がこれなら身に着けるアクセサリは、同じアクアマリンが良いわね。そしたら、真珠は髪飾りに使いましょう」

 ドレスの着付けを終わらせ、今度は髪のセット。ゆるめのアップスタイルにセットして、結い上げて留めた髪の根元付近から真珠の首飾りを覗かせるように結い髪の中に通してゆく。変わって行く自分の姿を鏡の中に見つけ、りんが目を丸くする。

「うわぁ、これがりん? りんじゃないみたい」
「うふふ、あともう少しよ。ちょっと顔を私に向けてね」

 かごめの手には最後の一番小さな箱から取り出した、コンパクトのようなものが乗っていた。

「あ、かごめお姉ちゃん、それはダメ!」

 かごめが手にしたものの正体に気付いて、りんが止める。

「大丈夫よ。だってこのルージュは殺生丸が選んだものよ? りんちゃんにつけて欲しくて選んだんでしょうから」
「でも…、りんこの前怒られたよ」
「それはきっと、自分以外の人に見せたからでしょうね。だから今日は大丈夫」

 不安げな顔をしているりんの唇に、紅というより桃色珊瑚のような柔らかな色見を乗せる。派手さはないが、それだけでぱっとりんの顔が華やかに輝く。

「はい、出来上がり。もういいわよ、りんちゃん」

 おずおずとしているりんを促して、部屋の扉を開く。扉の外で待っていた殺生丸はそんなりんの姿に一言の感想も漏らさず、すっと背を向け階段を下りはじめた。

「何をしている、置いてゆくぞ」

 戸惑っているりんは、その一言で慌てて後を追いかけて行った。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 りんの部屋の窓から二人が殺生丸の愛車に乗って出かけるのを見送り、かごめはサプライズの後片付けを始めた。

「もう、朴念仁なんだか不器用なんだか……、せめて綺麗だとか可愛いくらいの一言があってもいいのにね」
「じゃが、かごめ。殺生丸様の口からそんな言葉が出ると考えたら、違う意味で寒く感じるが」

 かごめの隣で片付けの手伝いをしていた楓がそう口を挟む。

「まぁ、そう言えばそうかもね。それにしてもあいつ、どんな顔をしてこれだけの物を揃えてきたのかしら? 超一流品ばかりだったけど、でもね……」

 かごめの脳裏には清楚でセクシーさはないけれど、それでも女性の下着を選ぶ殺生丸の姿を想像すると、可笑しいような恐いような気がして頭からその想像を追い出すようにぶんぶんと横に振った。それだけではない、今朝まで多分予定もしてなかった今夜の舞台を用意するのにどれだけの手腕を発揮したのかと思えば、確実に殺生丸も変わってきているのだろうと思う。

「あ〜あ、ご馳走はりんが帰ってくるまでお預けじゃな」

 邪見ががっかりしたような声でそう言う。がっかりした声の半分は、りんが自分が用意したプレゼントを見た時にあげる歓声を聞くことが出来なくなった、と言う思いも込められていた。あれだけの物を贈られた後では、どんなものを贈られても見劣りするばかり……。

「……多分、今夜は帰って来ないと思うけどな、りんちゃん」
「はっ? それはどういう意味じゃ?」
「だって殺生丸、自分で車運転して出かけたでしょ? ディナーでお酒を飲めば、運転は出来ないわ。車検の時でもない限り、自分の車を他人に運転させないってお祖母ちゃんが言ってたし。そしたらホテルかどこかに泊まってくるんじゃない?」
「や、それはちと問題じゃないか、かごめ。妙な噂でも立てられたら……」
「それは自分が蒔いた種だもの。自分で刈り取るしかないでしょ」

 かごめにしれっとそう言われ、返す言葉もない邪見。昨今、その手の取締りが厳しくなっている折、誤解を招くような行動は慎んだ方が良いに決まっている。決まっているが、唯我独尊を地でゆく己が主にそんな意見が通るとも思わない。それに邪見自身、『それ』が当たり前のような気がどこかでしている。

( きっと、なるようになるんじゃよな? 何かあってもワシのせいじゃないもんね )

 同じくかごめも、心のなかで呟いた。

( どこかで開き直ったのね。多分、早まった事はしないと思うし。だって現在(いま)は、同じ時間を生きる二人だもの。焦る必要はないのよ、殺生丸 )

「今日殺生丸がりんちゃんに贈った口紅を、殺生丸が返してもらうのはまだまだ先の事でしょうね」
「はぁ? りんが返す口紅…? そんなもの受け取ってどうするんじゃ? 殺生丸様は女装の趣味などありはせぬぞ!!」

 にぶい邪見に苦笑いしつつ、ようやく転生した二人の時間の歯車が噛み合いはじめた様にかごめには思えた。


 二人はかごめにとっても奇跡。


 こうして生まれ変わった二人が出会えたように、自分ももう一度生まれ変わった犬夜叉に会えるかもしれない。生まれ変わった犬夜叉は、今のりんのようにきっと自分の事を忘れているだろう。だけど、それでいい。自分も昔の犬夜叉を生まれ変わった犬夜叉に重ねるんじゃなく、今の犬夜叉を好きになってゆきたいと思うから。


 そうなれるかもしれない、そうならないかもしれない。


 だから、この二人にそうなってほしいと願う。過去を踏まえて、今を大事にして、未来に繋いで欲しいと。


 過去は過去なのだから。


「えっ…?」

 この前感じたのよりももっと鋭く、刺すような殺気のこもった視線を感じた。


 振り返った先は、夜の闇を切り取った窓。その闇に浮かぶモノ ――――


 金の眸 白銀の髪。
 額に月の紋章を頂き、時代がかったそしてかごめの眼には見覚えのある装束。


( 殺生丸っっ!? )


 金の眸に妖赤の色を揺らがせ、かごめを睨みつけるとふっとその姿は掻き消えた。

 かごめの体に訳の判らない悪寒が走る。



 なにか自分はとても大切な事を、重大な事を見落としたような気がして……


 なにかが、闇の中で息づき始めたような気がした。





【終】
2007.12.21




= あとがき =

この話の中のかごめと殺生丸はある意味同属のようなものです。今回は、その辺りを書いてみました。と言って、殺かご展開は絶対ありませんので^_^; ただ、かごめの干渉で事態が動き始めたのも事実。それが吉と出るか凶と出るかなのですが……。

クリスマスSSと銘打ちながら、ちっともクリスマスらしくないのは例年通りです。


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