――― あたし達は、何もなく出遭った。
そう、想いも、『声』も。
そこは、侵さざるべき神域。
静寂に満たされて。
そして『貴方』は、そこに居た ―――――
【 愛は静かな場所に降りてくる 】
……いつの間にか、この腕の中に収まるようになった、脆く儚い存在。
出遭った頃はまだ、ほんの人間の小娘で。
脆く儚い身を持ちながら、その瞳に宿る光の強さ。
怖れもせず。
逃げもせず。
真っ直ぐに見据えるお前の黒い瞳に、変化の解けかけた私が映る。
あの時、お前は私に何を見た?
私は、お前に ―――――
* ――――― 翼休める 高い木も
どこかへ消えた その日が
誰かにとって 始まりになるなら
その時 何を見る ――――― *
私の腕の中で、眠るお前。
『妖』の私にとっては瞬く間でも、『人間』のお前には長い時間。
片手で摘めるほどちっぽけなお前が、今では隻腕では持て余すほど。
小娘から、一人前の『女』へ ――――
『時』の流れが、お前を『変化』させる。
出遭った頃の面影を色濃く残しながら、その黒髪は艶と豊かさを増し、年齢相応に伸びた四肢は、そう生まれついたものか幼少の頃の翳りか肉 付き薄く、折れそうに華奢だ。
そう、抱き締めるのを躊躇う程に。
細い項に唇を寄せれば、薄青く浮いた血管を牙で食い千切りそうで、滑らかな肌を弄(まさぐ)れば、己の指先から『毒』を注ぎそうで…。
儚く、脆く。
何故、お前は『人間』なのか、りん?
私の手の中、握り締めた一握りの砂のように、お前の『時』が零れ落ちて行く。留める術もなく。
『人間の時』を、『妖の時』に重ねて『生きる』、お前。
お前の『人としての時』が果て、黄泉路を逝くを我が剣にて押し留めたとしても、それはお前の望むものではないのだろう。
それを私に判らせるために、お前はここにいるのか? りん。
* ―――― 愛はいつも
静かな場所へ降りてくる
神々と 話する
その 夢の中に ―――― *
……素肌に触れる心地よい毛並み。
柔らかく、暖かく、優しく ――――
もっとずっと小さい頃は、あたしの寝床はあの物言わぬ、だけど心の通じ合っている霊獣の側だった。
いつも寝息を子守唄がわりに、心臓の音を重ねて。
―――― いつの間に?
でも、きっとそんな事はどうでも良い事で ――――
出遭った時と、ちっとも変わらない。
『人』ならぬ、その美しさも。静寂も。
あの時から、これ以上美しいものを見た事はない。
夜の闇に流れる様に、月の光に紛れる白銀の髪。
臈(ろう)たけた白磁の肌、高貴な瞳。
きっと、あの時にあたしは捉まってしまったのだから。
貴方の全てに。
『人』の姿であろうと、『妖』の姿であろうと。
そして、不安になる。
( …あたしみたいなのが、お側にいてもいいの? )
多くは語らない。
だから、問いかけもしない。
さらり、と目の前を流れる一条の白銀。
そっと触れ様と手を伸ばし、見つける答え。
その証(あかし)。
……二の腕の、内側に刻まれた鮮やかな朱(あか)、所有の刻印。
( ……これが消えるまでは、そう思っていてもいいんだよね )
身体の内裡(うち)から蘇る、息苦しい程のざわめき。
幸せすぎるから、恐くなる。
有り得ない事だから、なお一層。
( 何時まで…、お側に居ていいんだろう。こんなあたしが )
……『時』の流れが違う事は、幼い時から感じていた。
この美しい主に仕える下僕(しもべ)は、百数十年を供にしたと言う。
……あたしは、そんなに長くは生きられない。
こんなに不安になるのなら、あのまま、幼い日のまま『時』が止まればよかったのかも知れない。
傍らに横たわる、その麗しき身に縋り付きたくなるのをぐっと堪(こら)え、夜の闇を見据える。
* ―――― 見開いた目は 雲の上
記された言葉を 見つける
歩き始めた この子らは どこへゆく
その先に 何を聞く ―――― *
「……眠れぬのか」
夜の静寂(しじま)を破ることなく、冷涼な声が降りてくる。
「ご、ごめんなさい、殺生丸様。起こしてしまって……」
「…お前に起こされた訳ではない」
このままお側に侍(はべ)るのは失礼なような気がしてりんは、褥(しとね)代わりの毛皮から、その華奢な裸身を起こしかけた。
幼さの残る背中の線に、月の光が淡く映える。
まるで、幻のように。
思わず殺生丸は、りんの手を取り己の胸に抱(いだ)き込む。
「せ、殺生丸…、様?」
「…まだ、夜明け前だ」
「殺生丸様…」
言葉にしない分、腕に込めた力が想いを物語る。
今は、今だけは、 ――――
( りん、お前は私のものだ )
きつく、りんの細い身体を抱き締める。
―――― 考えていた事は、同じ事。
このどうしようもない、『時』と言う残酷な神を、夜の闇の中で睨(ね)め付ける。
りんの、『人』のあまりの儚さに、いっその事この手の一振りでケリを付け様かと思った事もある。
こんな華奢な身体、引き裂くのは訳もなく ――――
そうすればこの訳の判らない不安から、焦燥感から逃れられるのならば。
出来なかったのは、何故なのか?
この『時』を失したくないと、思ってしまうのは?
このままではいつか必ず訪れる、その『時』を受け入れるしかないのに。
それでも ――――
* ―――― 愛はいつも
静かな場所へ 降りてくる
神々と もうひとつの
約束をする日 ―――― *
―――― りん。
お前は私に下された、天の配剤。
私が『私』となる為に。
私の、りん ――――
【終】
2003.10.31.
Zabadak‐『遠い音楽』より −愛は静かな場所に降りてくる−
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