【 刀がたり‐天生牙 】
―――― 私は、今は亡き大妖の牙から生まれた。
生まれたといっても、今あるこの姿ではなかった。
豪快な気性と大らかでも燃え盛る激情の持ち主に良く似た、幅広な刃の大太刀・鉄砕牙の内に、大妖の想いとともに未だ形にならぬものとしてであった。
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「ったく、無茶させやがってよぉ。ワシが精魂込めて鍛えた鉄砕牙が内から砕けちまったら、打ち直しも出来ねぇーんだぞっっ!!」
私が私として意識を持った最初に聞いたのは、そんな言葉。
「いいか、闘牙! 鉄砕牙は斬る刀、この世にある敵と見なすものをまとめて切り捨てるのが本質だ。その鉄砕牙に、死んだものの命を繋ぐ力を持たせるなんて、内で相反する力が限界超える直前だったんだぞ!!」
そう言いながら、先ほどからうるさくまくし立てている者が、私と対になるものをその痩せさらばえた腕に抱き寄せる。骨と皮のようなその腕からは、見かけに似合わぬ力強さを感じた。
「そう怒るな、刀々斉。俺もまさか、鉄砕牙がそんな風に変化するとは思わなかったのだ」
その声は、私の主であり私自身でもある大妖のもの。
「言ったはずだぞ、闘牙。鉄砕牙は打ち負かした相手の力を己のものにする。お前がワシにこの鉄砕牙を打たせたのは、あの人間の姫様を守り、やがて生まれ来る半妖の赤子の為にだろう。お前の仔であっても半妖であらばその妖力は、殺生丸のような生粋の妖怪にはとうてい及ばない。それを補わせるために」
「ああ、そうだ」
「そして、妖怪だろうが人間や他の畜生だろうが、生まれたら死ぬのが定め。それを判っていながら、なぜこんな『この世のもの』ではない力まで持たせた!?」
そう、この古(いにしえ)からの刀鍛冶の言う『この世のもの』ではない力を納めるために、私は本体である鉄砕牙から打ち分けられたのだ。
「……俺が、望んだからだ。いや、俺だって天の理(ことわり)は弁えている。死なねばならぬ者まで、現世に引き留めようとは思わぬ。だがこの世には、死なぬともよい者が不慮の死を迎えることがある。そのような者達を救うことは、間違っているのだろうか?」
真摯な響きのその声。
ああ、その深い想い故に、今私はここに「存在(あ)」るのだ。
刀鍛冶の手が、私たちを大妖の手に託す。
「ふん。どーせワシが何を言っても、お前はやりたいようにしかやらん奴だからな。一振りで百の敵を斬り伏せる鉄砕牙、一振りで百の命をこの世に繋ぐ天生牙。確かに、お前に渡したからな」
「無理を言って済まなかった、刀々斉」
「いや、まぁ、いいさね。久々にワシも良い仕事が出来たしなぁ。どうだ? 一杯付き合え」
そう言いながら刀々斉の手は、大振りの椀二つに並々と酒を注いでいた。
闘牙はそれを美味そうに一気に呷り、同じく椀の中の酒を飲み干した刀々斉に返杯で酒を注ぐ。
「……しかし、半妖の赤子にお前の牙から打ち出した刀を二口とは、殺生丸が聞いたらその赤子、殺されかねんな」
「いや、この二口はそれぞれの息子に渡すつもりだ」
「それぞれに? でも、それじゃ……」
「ああ。鉄砕牙は十六夜の子に。天生牙は殺生丸に」
そう聞いて、刀々斉は飲んでいた酒をぶっっと吹き出した。
「あの殺生丸に斬れない刀である天生牙をかっ!? よけい頭に来るんじゃねぇーのか? あいつなら」
「殺生丸は俺と奥との間に生まれた、生粋の大妖怪だ。親の力なぞ、生まれた時からとうに超えている。鉄砕牙の力は、あいつには余計なものだ」
「だからといって、慈悲の心無くば使えぬ天生牙を、殺生丸にかぁ…。あの冷血漢にゃ、無用の長物じゃねぇのか?」
「親の期待に水を差すな、刀々斉。あれも俺の仔、きっと判る日が来る。天生牙を使いこなせる日が」
「……来るといいな、そんな日がよ」
刀鍛冶のその呟きに、私は内心そっと冷や汗を流した。
私の主となる方の名は、殺生丸様。
……なにやら、性格に難のある方であるようだ。
「来てもらわんと、俺が困る。天生牙には癒しの力だけではなく、『アレ』も預けているのだからな」
「まったく!! お前が調子に乗って誰彼構わず闘いを挑んだ結果、現界の剣である鉄砕牙に二つもこの世ならざる力をつけやがって! 打ち分ける前の鉄砕牙は、もうぎしぎし悲鳴を上げていたんだぜ」
「それを見事、天界の剣である天生牙に打ち分けたのだから、天下一の刀鍛冶だな、刀々斉は!!」
……褒め殺しか、と私は内心で呟いた。
やがて、私の最初の主である大妖は愛する人間の妻と半妖の赤子の為に命尽き果て、大妖の遺言どおり鉄砕牙は生まれたばかりの赤子に渡された。
そして、私は殺生丸様の元へ。
大妖怪でありながら、生きとし生きるものへの慈しみを持っていたあの方の、想いとともに。
そう、闘牙様のより強い想いが、私をここに在らせるのだ。
闘牙様から、殺生丸様へ。
「慈しみ」の心を、伝える為に。
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……あれから、どのくらいの時が流れたのだろう。
私は目の前で繰り広げられる惨状に、もう何度目になるか分からない深い溜息をついた。もちろん、私は一口の剣である。目がある訳でもなければ、呼吸をするための口がある訳でもない。
だがそう表現せねばならないほど、私は私の主・殺生丸様に落胆し続けていた。
( ……闘牙様は俗に言う、親なんとかであられたのだろうか? 第三者である刀々斉様の言葉の方が、より真実であったかも知れん )
闘牙様亡き後、殺生丸様は鉄砕牙を探す旅に出られた。
鉄砕牙が、ある特殊な呪力でもってとある所に封印されたらしいとしか知らぬ殺生丸様は、手当たり次第に怪しげな場所に赴いては山を崩し、大地を引き裂き、荒らし回っていた。その行く手に人間などの軍勢などがあろうものなら、それはもう阿鼻叫喚の地獄図と化す。
闘牙様のお心と、真反対の道を驀進される殺生丸様。
これを、嘆かずにいられようか!?
そして、今もまた!!
( あああっっ!! 幾ら行く手に陣取っていたからと、それだけで大将の首をもぎ取るとはっっ!! 殺生丸様、それはあまりにも、あまりな行い! )
小さく主の腰でカタカタと鳴動してみても一切気付かず、見た目に似合わぬ剛力ぶりで、首のない胴体を軽々と振り回す。大将を殺され恐れおののく臣下の兵を、緑色の小妖怪に持たせた妖杖に炎を吐かせ、焼き尽くす。
( 私が、この方のお側に居る意味があるのだろうか……? )
父君である闘牙様の残された力の剣、鉄砕牙に酷く執着され、既に共にある私など見返ろうともしない。
( そのうち、どこか路傍の叢にでも投げ捨てられるかも知れぬな、私は )
繰り返される惨劇に、私はもう大きな望みを抱かぬようになっていた。いっその事、早く討ち捨てられて新たな主の元へ行く方がまだ、闘牙様のお心を叶える事が出来るかも知れないとまで思いだしていた。
そんな事を思っていた私だが、それでもこの主・殺生丸様の火急の事態には、私の力を放出せずにはいられなかった。
鉄砕牙を巡り、闘牙様の墓でもある遺骨の中での兄弟対決。
半妖如きと殺生丸様は犬妖本来のお姿に変化され、犬夜叉様と闘われた。巨大な妖犬の鋭い爪と牙が犬夜叉様を襲い、吐き出す瘴気と毒気の塊が、連れの人間の少女を襲う。
人間である犬夜叉様の母上と犬夜叉様を守り、命尽きた闘牙様。
それ故に、殺生丸様の人間への恨みも深かった。いや、恨みなどという人間のような感情ではない。存在価値を一切認めぬ、殲滅されても当然の塵芥のようなもの、としか思ってはおられない風だった。
壮絶な殺し合いの様相を強くする墓の中、あの世の闘牙様がどれほどお嘆きの事か。
( それにしても、何をしている? 鉄砕牙!! いちおー、お前の主は、あの犬夜叉様だろう!? なぜ、さっさと助けにゆかぬのかっっ!! この寝坊助めっっ!!! )
私は変化された殺生丸様の体毛の下で、未だ眠りこけている私の分身である鉄砕牙にも軽く毒づいていた。
しかし、私がそう思ったのはほんの一瞬、人間の少女が眠っていた鉄砕牙を台座から引き抜いた時に、私の緊張感は否が応にも高まった。殺生丸様の怒気が、一挙に膨れ上がったのを感じたからだった。
その少女を、人間を『守る』と言い放った犬夜叉様に、眠っていた鉄砕牙は目覚め巨剣に変化し、犬夜叉様は巨体と己の妖力の強さに奢っていた殺生丸様の左腕を切り落とした。そのまま返す刃で胴を真っ二つにされていたら、さしもの殺生丸様でも絶命するのは明らか。
……殆ど、本能に近かったと思う。
親が子を助ける為に、業火の中に、あるいは荒れ狂う海の大波の中に飛び込むが如く。
私は最強の結界で殺生丸様の傷付いた身体を包み、犬夜叉様から遠く早く退いたのだった。おそらく、殺生丸様には、敵を前にしてこのような逃亡劇を演じたのはこれが初めて。この矜持の高い殺生丸様のお心に、どれほど深い傷を付けたことだろうか……。
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正直、この闘いの後、どう殺生丸様が変わられるかが私には怖ろしかった。嘲っていた半妖の異母弟に左腕を切り落とされ、あれほど求め探し続けていた鉄砕牙はその異母弟の手に渡った。
( ……どうしようか。この闘いの影響で、もし殺生丸様が手の付けられぬほど荒れた妖怪になってしまわれたら…… )
ふるっと私は身震いをした。私を信じ、きっと私を「天生牙」を使いこなせると託された闘牙様のお気持ちに応えられないのならば、私も潔く自ら砕けよう。砕けて、あの世の闘牙様に詫びようと。
静かだった。
まだ、どちらとの判別がつかず、ただ私は殺生丸様の出方を固唾を飲んで待ち受けていた。
そこは、殺生丸様の御身をただ安全にとそれだけを想い、飛んだ地であった。それもまた、今にして思えば闘牙様の導きだったのかもしれぬ。人里離れた山の中、殺生丸様の敵となるような妖怪もおらず、人間の目もない。歳経た古木が生い茂る静謐な地で、森の精気・山の精気を薬に殺生丸様は身を癒されていた。
此度の争いが、ひどく殺生丸様の御気持ち傷つけたことは明白。あまりの衝撃に、常ならば見せることのない『隙』を見せてしまわれるほどに。
そして、これこそが天の配剤とでも言うべきか。
その『隙』が常に戻り、怒りで埋まってしまう前に、あの娘と出会ったのは。
……痩せこけた、みすぼらしい娘であった。
冬を越せない小さな虫を思わせる、黒めがちな大き瞳が目立つ娘。
それこそ常時の殺生丸様であったならば、目の前を飛ぶ羽虫を追うが如く、そのお手を一振りされるだけの存在であったろう。
そして、死んだ虫けらに目をくれることもなく。
幼い娘であった。
なんの力もない、弱く卑小な生き物であった。
そんな娘が、殺生丸様と出会ったのだ。
娘がいくら幼くとも、古木の下に身を横たえているのが人間ではないことぐらい分っているだろう。まして大怪我を負い、その気を荒ぶらせていることも。
怖く無い訳はない。
恐ろしく無い訳はない。
それでも、娘は ――――
泥と流血で汚れた殺生丸様の身を清めようと近くまで寄り、いきなり頭から水をかけた。威嚇されても、怪我を負われた殺生丸様を想い毎日のように殺生丸様の下に通った。
治すすべもなく、およそ殺生丸様が口にはせぬだろ糧とも言えぬものをせっせと運んだ。娘が飢えているのは、その様子を見れば一目瞭然。自分が口にすればよいものを、この目の前の傷ついた妖(あやかし)の為に運び続けた。
( ―――― !! これこそ、慈悲の具現者か!? )
高位の僧でもなければ、修行を積んだ聖でもない。ましてや、霊力高く心優しい巫女でもない。本当に、『なにもないもの』が見せた無償の行為こそが、慈悲に繋がる尊いものであった。
( この娘ならば、もしや ―――― )
あれほど人間を忌み嫌っていた殺生丸様が、この娘を引き裂きはしなかった。
下劣すぎて、目にしたくないだろうモノを糧として目の前に出されても、要らぬと打ち払うことはあっても、娘に怒りを向けることはなかった。
何よりも、言葉を無くした娘に、自ら声をかけたのだ!
あの殺生丸様がっっ!!
ひどく腫れた、目元に黒く痣を作り、歯も欠けた醜いとすら思うその娘に。
その時見せた娘の笑顔ほど、私は愛らしいと思ったことはない。
こんな時が続けば、やがては殺生丸様の御心にも『慈悲』の念が生まれてくるのではと、淡い期待を抱いていた。
だが、やがて傷は癒えた。
動けるようになれば、一つどころに留まる事はなさらぬお方。
頃合いかと、側付きの小妖怪も遅ればせながら迎えに来た。迎えを断り,ここに居るだけの理由もない。
ここで芽生えかけたものも、また修羅に塗れれば忘れ去られてしまうだろう。
( 時、至らぬか…… )
長らく待ち望んできた事への、初めて感じた可能性だっただけに、私の落胆も今まで以上だった。
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その娘は、私が思う以上に殺生丸様の御心を動かしていた。
隠れ処を立ち去ろうとしたその時、ふっと通り過ぎた風に娘の血臭を読み取り、その場へと駆けつけた。駆けつけた時は既に遅く、飢えた妖狼達が仕留めたばかりの獲物を食い千切ろうとしているところだった。
喉笛を噛み裂かれ、夥しい鮮血の池に横たわる骸 ――――
今までに感じたことのないほどの怒気を、殺生丸様から感じた。
他者を思っての、その怒り。
妖狼どもは獲物を横取りされまいと牙を剥くが、殺生丸様の気に触れ、一目散に逃げ出していた。
狼どもに手をかけることもなく、足元の小さな躯に視線を落とす。
その顔に浮かんだ表情には、それは深い深い『慈愛』の色に満ちていた。
「ああ、もう死んでおりますな。狼どもに襲われて、ひとたまりもなかったのでしょうなぁ」
緑の小妖怪が、杖の先で骸を塵のようにつつき、そう言葉をもらす。
「この娘、殺生丸様の知り合いで?」
「いや……」
私はこの機を逃しては、もう二度と殺生丸様の御心に慈愛の念など浮かぶはずもないと、必死で己の存在を知らしめた。
( 殺生丸様! 殺生丸様!! 私がおりますっっ! この、天生牙が!! 命を繋ぐ剣である、天生牙がっっ! )
カタカタカタ、ガタガタガタっっと、今までにないほどの刃鳴りを起こして。
「天生牙……」
私の存在をようやく思い出して下さったのか、いつほどぶりにか私の名を口にされる。
「今、使えというのか。お前は ―――― 」
初めて殺生丸様と心が通じたようで、生身であれば歓喜の涙を流していただろうと思えるほど、私の心は嬉しさで満たされていた。鞘から抜き放たれ、白く霊光を発する刀身を正眼に構える。慈悲の光を灯したその眸に、あの世の使いが映し出される。
餓鬼の姿に似た子鬼どもが骸の周りに群がって、骸から娘の魂を引きずり出そうとしていた。その使いを横一線に薙ぎ払い切り伏せる。骸から抜け出そうとしていた娘の魂は、そのまま骸に残り噛み裂かれた喉笛も、傷ついた手足も元の通りに再生された。
血塗れの娘を腕に抱く、殺生様の横顔は優しく ――――
その娘が腕の中で瞼を開いた時に、殺生丸様が間違いなく密かに詰めていた息を吐き出されるのを、私は感じていた。
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あれから ――――
生き返った娘は、自分を助けてくれたものが誰をかを悟り、そして孵化したばかりの雛が最初に見たものの後を追うように、殺生丸様の後をついてきた。
そして、それを殺生丸様も許された。
私は、これもまたあの偉大な父君・闘牙様の導きだと信じて疑わなかった。
本当に偉大なモノ、器の大きなものであれば、相手が人間だろうが、幼く薄汚い力のないものであろうが、問うことはないだろう。
力がないものならば、己の強力な庇護下におけばよい。
見てくれの薄汚さなど、本来が獣身を持つものからすれば取るに足らぬことだ。
またどれほど美しいものであろうと、殺生丸様と並び立てば霞むのは致し方ないこと。それならばむしろ、比べるのが愚かしいほど違うものの方が良いのではないだろうか?
なによりも ――――
( この私が気に入ったのだ、この娘は! あの殺生丸様に水をぶっかけるなど、並みの神経では出来ぬ。過ぎたる日々のあんな時やこんな時、この私は人型になれるものならば、なんど頭から水をかけてやりたいと思ったことかっっ!! )
そう、あの時。
私の長年に渡る溜飲が下がったのは、ここだけの話である。
いずれこの娘・りんが、殺生丸様を良いように変えてゆくことだろう。
それが、まぁ、色々言われるような事もやらかした後だとしても、なるようになるものだ。またいつか、そんな顛末を語る日が来るかも知れぬ。
では、またその日まで ――――
【終】
2011.5.19
=あとがき=
4か月ぶり以上の更新で、改めて殺生丸とりんちゃんの出会いのシーンを、第三者視点で書いてみました。
随分と長いこと殺りん妄想をしてきた私ですが、ここまで初期の頃の話って書いたことがなかったんですね。
本当に、今更感が半端ないのですが、書いてみたい時に書くのが私のスタイルv
次に語ってくれるのは、鉄砕牙かもしれません♪
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