【 日高川番外編 】



 ―――― くしゅん!!


 それは緊張の糸が切れた瞬間。

「おお、こりゃ、いかん!! 早く、火を熾さねば!」

 慌てて邪見は、りんが走り出て来た木立ちの方へと駆け出した。

「あ、邪見様!」

 りんも急いで立ち上がろうとしたが、まだ体が言う事を聞かない。よろけた所を殺生丸の腕に抱き止められる。

「せ、殺生丸様…」

 殺生丸は何も言わず、そのままりんを邪見が走り去った木立の際へと連れて行った。確かに、滝のすぐ側に佇んでいるよりは、木立ちの中の方が幾分かマシだろう。夜風を避けるのも、滝の飛沫を浴びずにすむのも。
 
 冬の木立ちなので、枯れた柴や小枝を集めるよりも手近な木々の枝をバキバキへし折り、瞬く間に枝を積み上げると人頭杖の吐き出す炎で大きな焚き火を作る。

「邪見様…」

 その焚き火の火影を受けながら忙しげに走り回り、邪見はあれこれと喚いていた。

「うむ。まずは、着替えじゃな。それから、何か体を温める食い物でも。ああ、人間の食い物など、何が良いか判らん!! それと、当座の塒(ねぐら)も捜さねば!」

 あたふたあたふた、ばたばたばたばた。

「邪見様…」

 己が使命感に燃え、周りの声など耳には入ってなかった。

「申し訳ございませんが、殺生丸様! 阿吽をお借り致します!!」

 言うが早いか、もう空へ舞い上がっている。

「…すごいね、邪見様。もう、あんなにちっちゃくなっちゃった」
「……………」

 邪見の今の姿に己の影を見たような気がして、殺生丸はその考えを頭の中から抹殺する。


 焚き火の炎に炙られ、赤い影がゆらゆら揺れる。
 その火影の前で、りんが小さな自分の体を抱き締めている。
 濡れた着物を着ているので、炎に炙られている面は火傷しそうに熱いのに、火に当たらぬ面は凍りそうに冷たい。それを避け様と顔面を火に向けたり、背中を向けたり。早く乾かそうと焚き火に近付き過ぎて、爆ぜた火の粉を浴び小さな悲鳴を上げる。
 その間を繋ぐように、くしゅんくしゅんくしゅんとくしゃみを連発する。

 賑やかだ。

 賑やか過ぎるほど、賑やかだ。

 それが…、先ほどまでの状況と落差がありすぎて、殺生丸はいささかまた別の意味で苛つき始めていた。


 くしゅん、くしゅん、くしゅん。
 ぶしゅん、ぶしゅん、ぶしゅん!
 げほん、げほん、げほんっっ!!!!


 それは、頂点に達した!


「りん、着物を脱げ!」
「えっ? 殺生丸様…?」

 イマイチ、言われた事が飲み込めていないりん。
 その反応の鈍さに、殺生丸は有無を言わせずりんの帯に手をかけ、あっと言う間にりんの着物を剥ぎ取ってしまう。

「殺生丸様っっ!!」

 剥ぎ取られた着物に手を伸ばそうとしたりんを無視して、それを焚き火の上の焦げぬくらいの高さの枝に掛ける。

「そんな事では、いつまでも乾かぬ」
「でも、りん、裸だよ」

 そう言うとりんは寒そうに自分の体をぎゅっと抱き締め、ぶるぶると震えた。そのりんを己の腕の中に抱き取り、【もこもこ】に包み込む。

「殺生丸様……」
「乾くまで、そうしていろ」

 焚き火の火影が殺生丸の端正な横顔にも赤い影を落とす。



 ―――― 如何したんだろ? りん。



 胸の奥が、どきどきして熱い。
 でも、嬉しい。
 こんな風にしてくれたのは、初めてで二度目。
 一度目は置いて行かれそうで、不安でどきどきしてた。

 今度は、大丈夫だよね? 
 殺生丸様。

 りんは無意識にもこもこを握り締め、腕の中の暖かさと無言の安心感に身を委ね、深い眠りに落ちていった。
 殺生丸は握り締めた手を見咎め、その手の甲の傷を見詰めた。
 手の甲の傷は、りんが夜闇の中、必死に後を追おうと藪をかいた時に作ったもの。見かけよりも深い傷は、まだ生乾きで血の匂いを立ち昇らせている。殺生丸は衝動的に傷を舐め、その血の甘さに慄(ふる)えた。


 いつか ――――


 この手でりんを…



 殺生丸の中に棲み付いたその想いは、消す事は出来ず ――――



 夜が明けて、いつもより手際良く事を運んだ邪見が戻って来た時、りんは邪見が見たいと願っていた、頬をバラ色に染めたそれは安らかな寝顔見せ、それに反し殺生丸はどこか不機嫌な色を浮かべていた。


【おわりv】

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