【 夢 痕 】
―――― 目の前を、朝の光のような白銀の髪が朝風に踊る。
あたしは阿吽の背に揺られ、その様を見詰めていた。
手綱を引く邪見様の、繰り返す愚痴が聞こえる。
「ったく! りん、お前の口車に乗った所為でこの様じゃ!! すぐ戻ると言うたは、お前じゃろうがっっ!!!」
いつもより、すこ〜し背が高くなった邪見様。
そう、頭のコブの分だけ。
そして、それを作ったのは……。
( ……殺生丸様、怒ってらっしゃるんだろうな。どうしよう…? )
『帰るぞ、りん』
そう、一言発しただけで、後は何も言わず先を歩く。
それは、いつもの事なのだけど。
――――― そう、いつもの事。
不意にあたしの胸に、不安が広がる。
( ……もしかしてあれ、りんが見た夢? )
そう考えた方が、納得出来るような気がして。
殺生丸様が、あたしなんてお相手にして下さる筈はない。
あんな『夢』を見たのは、あたしが殺生丸様の事を好きだから……。
でも、でも!!
りん、あんな事 考えた事もない!
あんな事っっ!!!
阿吽の背に揺られる様に、あたしの心も揺れている。
―――― 先を行きながら、背後の気配を読み取る。
いつもと違い、抑え様のないはしゃいだ気配が鳴りを潜めている。
りんは、滅多な事で言いつけを破る事はしない。
結果としてそうなったとしても、大抵は『忘れた』場合が殆どで、悪意がない分、叱られてもケロリとしている。
「……………」
何故かは、予想がつく。
予想が付かぬのは ―――――
何故、あんな所へ出向いたか?
選りにも選って、犬夜叉の許へなど!!
( ……気付かれた、か。まぁ、良い。隠すつもりもない )
殺生丸。
人界の常識・良識など当てはまる御仁ではない。
己の心の赴くままに。
( ……りん )
……いつの間にか、私の胸内の中に飛びこんで来た娘。
私の魂の領域に。
だから、求めた。
そう、決めた。
お前が人間の小娘であろうと、幼かろうと、私の知った事ではない。
私に取って重要なのは、りん お前がそこに存在(い)る事。
判っているのか? りん ――――
( ……やっぱり、『夢』だよね。ふつーに考えたら、あんな事あるはずないもんね )
あたしは、こんなにちっぽけな人間の娘で。
前に逢った事のあるお姫様みたいに、綺麗じゃないし。
釣り合わないよね、全然!!
でも……。
どうして、『ここ』がシクシク疼くんだろう?
まるで、まだ……。
そっとあたしは、自分のお腹の下の方を擦ってみた。
これも、『気のせい』なのかな?
―――― 今まで感じた事のないような、切ない気配が揺れている。
何か言葉を、と思いはすれどかける言葉を見出せず。
『無理を ――― 』
……させたのは、己で。
『無茶を ――― 』
それは承知で。
考えあぐねて、絞り出した言葉は ――――
「辛いか、りん」
そんな言葉しか……。
『辛いか、りん』
その言葉は、最初どんな意味で言われたのか、あたしには判らなかった。
その言葉を、胸の中で繰り返し繰り返し ――――
( あっ! ……殺生丸様、りんの事 気遣って下さってる……? )
それは、取りも直さず ――――
( ……夢、じゃないんだ。夢じゃないんだっっ!! )
『あれ』にどんな意味があるのか、りんには判らない。
だけど、きっとそれは『特別』な事で。
ほんの少しでも、殺生丸様の『特別』になれた事が嬉しくて。
「りんなら、平気! 大丈夫です、殺生丸様!!」
嬉しくて、嬉しくて!!
( ……な〜んで、ワシにはお声を掛けて下さらんのじゃろう、殺生丸様。辛いのはりんでは無うて、このワシじゃ。なんでワシばかり、こんな目に逢う? )
頭ヒリヒリ、手綱を引きつつ、邪見にはもう一つ愚痴が増えた。
朝、ここで待っている様にと言われた場所へ戻り、阿吽の背から下りようとしたら、すっと殺生丸様の手が差し伸べられた。
帰り道に着く時も、阿吽の背に抱き上げて下さった。
ああ、やっぱりそうなんだと、りんの胸はいっぱいになる。
りんを下に降ろすと、殺生丸様はいつものように大木の木陰に入ってしまわれた。
「ほれ、りん。珍しかろう? 遠くは唐の国にあると伝えられし竜眼の実じゃ。この季節に食せるは稀有な事ぞ」
「邪見様、これ どうされたの?」
あたしは目の前に差し出された、茶色で団子くらいの大きさで木の瘤(こぶ)のような果物を見詰めた。
「どこぞより、殺生丸様が持ち帰られた物。お前に食わせろとの仰せじゃ」
あたしはその言葉に、その実を一つ、枝からもいだ。
茶色の皮は、樹木の皮のようだけどそんなに固くはなくて、あたしの手でも簡単に剥けた。
中から半分透き通った白い実が出てくる。
恐る恐る口に入れてみると、それは不思議な甘さで、たっぷりの汁があたしの喉が乾いていた事を教えてくれた。
( そっか、夕べあたし…… )
―――― 嫌だっっ!!
―――― もう、止めてっっっ!!!
身体が叫んでしまいそうなのを、必死の思いで噛み殺した。
言ってしまったら、もう『お終い』なような気がして。
噛み殺された叫びは、喘ぎに変わって ――――
( 殺生丸様…… )
「りん。食い終わったらこれも飲んでおけと、殺生丸様からのお言いつけじゃ」
惚々(こつこつ)と物思いに耽っていたら、邪見様のダミ声で現実に引き戻される。
そう言って渡されたのは、万能薬草の煎じ汁。
「あっ、は〜い」
「ん、その前にその『虫刺され』の痕にも、付けておかねばな」
そう言いながら邪見様は、あたしの首筋を指差した。
「こんなに赤くしおって、痛くはないか? 痒みは? 性質の悪い毒虫だったらなんとする」
まったく、有り難迷惑な小言爺である。
「あっと、えっと…、大丈夫だから」
耳まで赤くしたあたしに、ちっとも気付かず。
慌ててあたしは、『それ』を隠そうとして、手で押さえた。
あまり勢いよく、手を上げたので袖がずり落ちニの腕までが晒される。
「なんじゃ、なんじゃ。ここも刺されておるではないか。ああ、ここもここも」
曝け出されたニの腕の赤い痕を一つ一つ数え上げ、更にと検分されて、合わされた襟元に隠されていた胸元の痕まで見つけられ……。
「りん、お前 一体どんな寝方……、ギャッッッ!!!!」
邪見様の言葉は最後まで発せられる事はなく……
どこかから飛んで来た、一抱えもある岩の下敷きになってしまった。
( ……これ、飲むだけでいいのかな? やっぱり、あそこにも付けた方がいいのかな? )
……きっと、こう言う事も段々覚えて行くんだろうな。
哀れ、邪見。
―――― 邪見が、りんに付いた『虫』の正体に気付くまで、もうしばらくの時が掛かるのであった。
【ちゃんちゃん】
2004.3.22
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