【 としのはじめの… 】



 ――― 声は聞こえなくても、思いは届くから。



 年が明けた。


 たった一晩違うだけで、この騒がしさは一体なんだ!?
 だいたいどうして、あやつらがここに居る?

 あれから……

 どこでどう手を組んだものか、りんと『あれ』との間が妙に親密だ。
 あれこれと世話を焼きたがり、要らぬ事をりんに吹き込む。
 野にあり、私とともに在るならば、「人の暦」など無縁であろうに。


 ましてや ―――


「おや? どうなさいました、殺生丸殿。新年からなにやら浮かぬお顔ですな」

 ……馴れ馴れしくも杯と酒器を手に携え意味ありげな、また見ようによっては人を(…私は人ではないが)喰ったような笑みを浮かべた顔をして、胡散臭い法師が声をかけてきた。

「………………………」

 答える気にもならず、にやけたその顔を冷たく睨みつけてやる。

「まったく、こんな良い日が来ようとはあの頃からは思いもつきませんでした」

 白々しくも感慨深げに、そう言葉を続ける。

「まさか、犬夜叉達ばかりではなく私達のような人間までお招きを受けようとは…。これも神仏のお導きでしょうか」

( ふん! もっともらしく抹香臭い言葉を!! はっきり言えば良いものを、確かに『あれ』は人であらず、だからな )

 私は法師に投げかけていた冷たい視線を、この騒がしさの元凶へと向けた。女・子どもの中心に、一際騒がしく派手派手しい『あれ』。
 こちらの視線に気づいたのか、数多の男たちを虜にしてきたであろう最上にして最強・最凶な艶笑(えみ)を、息子である私にまで投げかける。

「流石にあの偉大なる父君の奥方にして、殺生丸殿のご生母様だけの事はあられますな。あの寛大さ、その美貌! まったく、私が妻帯しておらねば、身の程も弁えずに御側に侍りたいくらいです」

 いささかににやけ気味の顔に好色さを滲ませ呟いた言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか?
 姦しい輪の中の一人、この法師の妻である退治屋の娘がきつい視線を送ってくる。

「ははは…。勘の良い妻でして。お陰で私はいつでも手綱を握られているようなものですよ。その点、殺生丸殿は羨ましい。りんのような素直な娘が妻では、そんな心配も無用ですな」
「…貴様、何が言いたい?」

 声にも刃を忍ばせ、相手を斬り付ける。

「いやいや…、殺生丸殿に浮気を薦めている訳ではありません。りんが可愛くて仕方が無いご様子は誰の目にも明らか。なれば他所の女こそが、殺生丸殿には無用のものと」
「貴様っっ!!」

 この私を、女に現(うつつ)を抜かす腑抜けのように…!!

「…不思議な娘ですなぁ、りんは。どこと言って、そこらの村の娘となんら代わりが無いのに、何故か惹きつけられます。かごめ様のように霊力がある訳でも、私の妻のように腕が立つ訳でもないのに」
「お前、りんまで狙って…」
「まさかっ! 私はかごめ様や珊瑚と同じく、りんは可愛い『妹』のようなものですよ。あのお方は、『実娘』のように思われているのでは?」
「…………………………」

 今、この場の主導権は明らかに『あれ』が握っている。
 常の私なら、こんな場などさっさっと後ろ足で土でもかけて、疾うに飛び去っている。
 しかし、まるで人質のようにりんの身柄をああまで側に置かれると ――――

「さぁ、まず一献。今日は明けて目出度い正月です。そんな苦虫を噛み潰したようなお顔では、折角の福も逃げてゆきますよ」

 さんざん言いたいように言われ、手に持たされた杯に屠蘇を注がれる。
 その香りのきつい酒を、さらに苦々しい思いで口にした。



   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「ふ…ん。器の小さい奴よのぅ」
「御義母上様?」

 ご母堂様の呟きに、一番側にいたりんが首を傾げて小さく問いかける。

「いや、なんでもないわ。あのような無粋な様では、折角の正月気分も興醒めじゃからの」

 ……そう。
 全ては、このご母堂の差し金。

 この屋敷は、殺生丸がこの冬の宿りにと物色した館の一つ。勿論、殺生丸の結界が張られていたのだが、そんなものこのご母堂の前では白露きらめく蜘蛛の巣のようなもの。跡形もなく解除されていた。

 それだけならまだしも、人間界で言う所の大晦日の昼下がり。自分の配下の女官を大勢引き連れて、この屋敷に乗り込んできた。殺生丸がその様を睨み付ける間もなく、ご母堂はりんを呼び寄せなにやら密談。

 りんが赤い顔をして話している所をみると……

( 無知も程が過ぎる! そんな話まで、それにするなっっ!! )

 りんの話を聞き終わったらしいご母堂が、にやりとした笑みを殺生丸に向けた時に殺生丸がご母堂に抱いた殺意の深さを、きっと誰も知らないだろう。

 そんなご母堂の手でりんの身なりは新年を迎える為に改められて、見違えるよう。
 普段もそう粗末な身なりではないのだが、この派手好き豪華好きなご母堂の目から見れば、いくらりんが二人児(ふたりご)の母と言え、まだ幼いほどに若いのにそれでは地味だろうと選りに選って仕立てた一式。
 当世風の小袖をこれより後の大振袖のようにさらに華美に仕立てさせ、光沢のある薄金色の絹地にりんに似合いの可憐な野の花や蝶を染め抜き、その上に微妙に色彩の異なる金糸銀糸綾糸で吉祥文様を刺繍させた、とても手の込んだ一品。
 それに合わせる帯も、落ち着いた濃深緑の絹地に殺生丸の花押のような亀甲文様を、それはもう緻密に極細の銀糸で縫い取りさせた物を締めさせる。

 この辺りまではりんに合わせたものであろうが、その後からの内掛けや簪などになるとご母堂の趣味が丸出しであった。りんの結い上げた黒髪を飾るのは、螺鈿細工を施した蒔絵の櫛に飴色のべっ甲笄(こうがい)。紅色珊瑚を花芯に桃色珊瑚を花弁にし、下がり飾りは小粒ながらも質の良い真珠を露のように繋いだ花簪。金具や繋ぎは全て白金の煌びやかさ。
 内掛けはこれまた眩い金襴の地にすっと大振りの松の絵柄。青々と茂る松葉の一枝一枝はそれぞれに趣向が凝らされ、縁を金糸で縫い取り中を絞りにしたもの、柄を染め抜いたもの、金糸銀糸で刺子されたものなど。

 松の幹は輪郭をこれもまた金糸と銀糸で縁を縫い取り、それは丁度螺旋を描くようにして一本の幹を形作り、枝葉を伸ばす。
 伸ばした枝葉の頂き近くには壮麗な翼を持つ鳥が其の翼を繋ぐようにして、下の枝にいる小柄な鳥に向かい合っている。

 さらにその下には、もっと小柄な鳥の姿が三羽描かれ…。

 それは幼い頃からのりんを知っている邪見でさえ口をあんぐりと開けて、びっくりするほどのお姫様ぶりだった。
 その間にも、殺生丸達の仮の宿りの館内は新年を迎える準備に余念がない。


「…一体、この馬鹿げた格好と騒ぎはなんだ!?」
「ほ〜、つくづくお前は面白みのない奴よのぅ。美しく着飾ったりんを見て、惚れ直しはせなんだか?」
「言うに事欠いて、そんな戯言を言いに来たのか。この私が牙を剥かぬうちに、あの者らも引き連れとっとと天空の城に戻れっっ!!」
「…それが、実の母に向かって言う言葉か? 殺生丸」

 おろおろと、困った顔をしてりんが二人の間に入ってくる。

「あ、あのっっ!! お願いです! 殺生丸様、御義母上様!! どうか、喧嘩はしないで…っっ!!」

 こんな事が出来るのは、おそらく天下広しといえどこの『りん』ただ一人。一触即発、超危険物扱いなこの妖怪母子の間に入る命知らずなどは…。
 邪見や半妖の双子達でさえ、その身を恐ろしさのあまり凍りつかせているのに。

「殺生丸様……」

 ぽろぽろと、りんの大きな黒い瞳に涙が溢れてくる。

「男の風上にも置けぬ奴よな。こんなに可愛い妻を泣かせるなどとは…」
「御義母上様…」
「殺生丸よ、つくづくお前は己の事しか考えぬ男じゃな。それに引き換え、りんのなんと健気な事よ」
「…………………」
「人の子の身で、お前に添ったが為にりんは人界より隔たった暮らしをせねばならぬ。ならば年に一度くらい『人らしい』思いをさせても良かろう」
「何を…」

 今の言い争いで手が止まってしまっていた女官達に御母堂は手を打ち鳴らし、仕事に戻るよう促した。

「明日は人間の世界では『正月』じゃ。時の巡りの中でも特に目出度い日とされる。そんな日を、こんな山奥でお前のような無愛想な男の顔を見ながら過ごすとは、りんが不憫でな」
「あの、りんはそんな事……」
「じゃから、妾(わらわ)が祝いの支度をしてやろうと思うてな、こうして出張って来た訳じゃ」
「りんの、為…」
「あの、でも、りん…」
「ん? 遠慮は要らぬぞv なに、祝い事は大勢で楽しんだ方が良いでな♪ りん、お前の名で客も招いておるからな」
「客?」

 ここまで勝手な事をしておいて、さらに ――――

「おおそうじゃv りんの姉代わりの娘達と、お前の出来の悪い異母弟とな」
「何故、あんな奴らを!!」

 これには殺生丸も、もう一度牙を剥きそうになる。

「何故じゃと? ふん! お前、他に呼べる相手などおらぬでないか。まったく亡くなった闘牙と違い、人望のない奴よの」

 やれやれと溜息を扇子で隠しながら、大仰に嘆いて見せる。
 そうこうしているうちにすっかり年越しと新年の準備も整い、やがて御母堂が差し向けた御車でかごめ達がやって来た、と言う訳である。



   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 賑やかしい輪の中心に御母堂を据え、その直ぐ側にりん。そのりんを守るように双子の天生丸・夜叉丸の二人。そしてかごめと珊瑚、珊瑚と弥勒の子でまだ一誕生を迎えたばかりの男の子と七宝と。

 こんな席、殺生丸も居辛かろうが犬夜叉とてかなり…、いや、はっきりと言えば来たくはない席。何しろ、一人の男を巡って対峙したであろう二人の女のその内の一人は自分の母で、その片方がこの御母堂であれば。

「りんちゃん、明けましておめでとう! 今年もよろしくね」
「今年も、お互い親子ともども恙無く」

 略式の新年の挨拶を済ませると、ご母堂が用意したご馳走が女官達の手で給仕される。
 この屋敷まであの愛用の椅子を運ばせたご母堂は、一段高いその高みで玻璃の杯に赤い色の酒を注がせ、その様を目を細めながら満足げに見ていた。

「りんちゃん、あの人が殺生丸のお母さん?」
「はい、そうです。りんの二番目の命の恩人です」
「まぁ、ね。見た目はそっくりだけど、性格は随分違うようだね」
「そんな事ないです! 殺生丸様も御義母上様もどちらも同じくらい『優しい』です!!」

 力説するりんの姿に、かごめと珊瑚は顔を見合わせる。

( …あの殺生丸が、優しい? )
( 私、何度も殺されかけた事があるけど…。まぁ、最近はそれがないだけマシかもね )

 確かに…、『りん』には優しかろう。
 だがそれは、『りん』限定であると言う事を、りんは知らない。

「そこな娘」

 ご母堂に不意に声をかけられ、かごめは誰の事かと周りを見回す。

「何をきょろきょろしておる。奇天烈な成りをしておる、そうお前じゃ、お前」
「えっ? あ、私!?」
「そうじゃ、お前じゃ。お前、奇天烈な成りをしておるが、巫女であろう? 並々ならぬ霊力を感じるが」
「ん〜、自分ではそんなつもりはないんだけど、そうみたい」
「うむ…。これもまた、奇妙な取り合わせよな。お前はあの半妖の女であろう?」

 明け透けな、隠しもしない物言いに、何故か顔が赤くなるかごめ。

「…って、その女って……、間違いじゃないけど、でも………」
「のう、かごめとやら。人間の女とは左様に物好きなものじゃろうか? 闘牙の女だった十六夜と言い、このりんと言い、お前と言い。妖怪の妾でさえ、闘牙を持て余してしまったが」
「あ〜。そう、その物好き呼ばわりされちゃうとちょっと悲しいんだけど、まぁ、そうかも…」

 意外と妖怪の女官達の作ったご馳走は美味しいなと思いつつ、そう答えるかごめ。

「おい、かごめ!! お前、物好き呼ばわりされて、何のほほんと飯喰ってんだよ! おふくろまで同類にしやがって!!」
「ほほぅv いっぱしに吼えるようになったな、犬夜叉。初見の折以来だが、お前はあまり十六夜には似ておらぬな」
「はっ!? 今、なんと…」
「聞こえなんだか? お前にも十六夜にも会った事がある、とそう申したのじゃ」

 その一言が、とても重たく響く。

「…おふくろと俺を、殺しにか…?」
「なぜ、そう思う?」
「だって、そうだろっっ!? おふくろはあんたから…」

 くっくっくと、さも可笑しそうにご母堂は笑った。

「闘牙の事か? ああ、あれは良い。妾は風来な気質でな、一つ処に落ち着いたり一人の者に縛られるのが苦手じゃ。闘牙に別の女が出来たのを幸いに、その世話を押し付けたくらいじゃからな」
「それって…、じゃ、犬夜叉のお父さんとお母さんの仲は殺生丸のお母さんには、公認って事?」
「まぁ、そう言う事になるか。あまり細かい事は気にせぬ性質でな」

 にこやかに、それこそ大輪の牡丹か芍薬が一斉に花開くような艶やかさを振りまいて、にっこりと笑いかける。
 いつの間にか珊瑚達の側に移動してきた弥勒がその言葉を聞き、しみじみと呟く。

「なんと器の大きなお方であられることか。流石は殺生丸殿の御生母にして、伝説の大妖怪・闘牙王の御正室様だけの事はあられる。世の妻たちにこれほどの器の大きさがあれば、諍事(あらそいごと)の半分は減るであろうな」

 そう呟いた瞬間、こんな所にどうやって持ち込んだのか珊瑚愛用の飛来骨が弥勒の頭を直撃する。

「ふん! そんな事になってごらん!! 女達の争いはなくても、身持ちの悪い男の蒔いた種で、あっちでもこっちでもお家争いが起きるってもんだよ!! そうなったら、罪もない子ども達が可哀想だろっっ!」

 …それは殺生丸と犬夜叉の事かな? と思いつつ、でも今の殺生丸を見ればここでは、そーゆー争いは起きないだろうな、と口をもぐもぐさせながらかごめは思った。


「ふむ…。のう、かごめ。お前には、子はおらぬのか?」
「えっ”” 子、子どもって、赤ちゃんの事……?」
「そうじゃv こうして見た所、お前たちの所だけのようじゃな? まだ、子がおらぬのは。ちゃんとやる事はやっておるのか?」
「だって、私まだ学生だし…。やっぱり、ほら(汗)、ちゃんと時期ってものも考えないと……」
「けっ! そんなこっちの事に、首を突っ込むなよな!!」

 『お前たち』と言われた二人、犬夜叉とかごめが顔を真っ赤にしてしどろもどろな返事を返す。

「…心配なのじゃ。もとより『種』の違う組み合わせであるからのぅ。特に妖力に勝る妖怪と人間の間では、本来『半妖』は極稀にしか生まれぬもの。それゆえに……」
「多分、大丈夫だと思うけど。私たちがまだなのは、バースコントロールしているからだし、それにほらっ、りんちゃんのとこにはちゃんと双子の天生丸と夜叉丸がいるじゃない」

 ほぅ、と今度はかなり真剣に憂いを秘めた溜息を零す、御母堂。

「…なかなか次が出来ぬでなぁ。りんはりんなりに頑張っておるのだが、どうにもあれが、な」
「りんちゃんが頑張るって…」

 御母堂の横で、熟し切った柿のように真っ赤に染め上がったりんが、頭から湯気を出している。
 座敷の片隅から、他の者でも判るほどきりきりと突き刺さるような殺気が御母堂に向かって放射されている。

「いや、なに…。あの子らが出来たのは何かの手違いで、やはりそうそう生まれ出る事はないものかと」

 そんな熱気や殺気を何処吹く風と、あっさりと受け流し御母堂は犬夜叉を改めて見つめなおした。年齢不詳の、言わば『熟女』の部類に入る大美人である。その気のない(…殺生丸の生母であると言う事実を外しても)犬夜叉でさえ、胸がどきどきしてくる。

「犬夜叉、お前は半妖ではあるが、狛の一族の族長の血統を引く者。闘牙も変わった男でな。自分がこれと思った女にしか子を孕ませなんだ」
「……………………?」

 かごめの頭に浮かぶ疑問。つまり、それは…

( えっと…、それってもしかして、女性の方でのバースコントロールはいらないって事? )

「お前たちに子が出来ぬのは犬夜叉、お前がまだ『欲しい』と思わぬからか?」

 享楽な陽気な雰囲気をすっと収め、真剣な光をその眸に湛えてそう犬夜叉に尋ねる。犬夜叉は、おもわずくっと身のうちを正すような心持になった。

「…そりゃ、欲しいさ。特に天生丸や夜叉丸を見てればそう思う。だけど…」
「かごめの為か?」
「ああ、かごめにはまだ『向こう』でやらなきゃならない事があるんだ。だから…」
「犬夜叉…」

 犬夜叉の、言葉にしない優しさがかごめには嬉しかった。



   * * * * * * * * * * * * * * * * * * 



 ……奇妙な事の成り行きに、ますます眸を怪訝な色に染め上げ、殺生丸が己の母を中心としたその集団を冷たく睨みつけていた。


 今の、母の言葉。
 それは裏を返せば、己が次の子を望んでないと言わんばかり。
 それどころか、先の双子すら不測の出来事か何かのように。

 確かに、半妖を毛嫌いしていた。
 犬夜叉も、何度この手にかけようとした事か。

 でも『りん』を、無くしたくなかった。
 だから、この手に……

 その結果が、あの子らだ。

 望んだ訳ではなかったかもしれない。
 望んだ訳ではなかったが、『りん』を無くしたくないと思った気持ちの、その形かも知れぬと ―――

 あの夏の、りんの辛さを覚えている。
 その幼い身に宿った、異形な命の為に…

 そして、あの産みの苦しみは未だ尚、鮮やかにこの眸に焼きついている。
 お前に、あの苦しみをもう二度と味合わせたくはないと ――――


「殺生丸様…」

 何時の間にか、りんがすぐ側まで来ていた。

「りん…」
「…本当ですか? 御義母上様の言葉。殺生丸様が次の子を望んでないと…」

 りんの大きな瞳が潤んでいる。
 不思議な娘だ。
 初めてあった時も、そして今も。
 この私を怖れる事無く近づき、そして ――――

 母となった今も、出遭った頃のお前が息づく。
 幼い娘のまま母であり、母でありながら娘のままのお前。

「………………………」
「りんは、いつまでもこのままではいられません。だから…」
「りんっ!?」

 あの母に言われた。
 三度目はない、と。

「りんが、欲しいのです。りんに似た、女の子。りんがいなくなってもりんの代わりに殺生丸様のお側に居られるように」
「…お前にどれほど似ていようと、お前はお前。他に代わりはなかろうものを……」
「はい、それでも。りんはおっ母ととても仲良しでした。だから……」

 女の考える事は良く判らぬと、そう思う。あの母の干渉で、りんが何を思ったのか?

「…お前の家族は、二親と二人の兄とお前の五人だったのだな」
「変ですか? りんのわがままですか?」

 その様は、今よりもっと幼い頃のりんの様。私が口にせぬ物を差し出しては、落胆していたあの頃の ―――

「…好きにしろ」
「はい! 殺生丸様!!」

 そして、今どれほど着飾ろうとそこにいるりんは、村人に殴られ顔を腫らし、それでも殺生丸のかけた一言に太陽のように顔を輝かせたりんだった。



 全ては、あの時から始まっていた ――――



 いまだ慣れぬ、甘くて苦しい想いが殺生丸の胸を締めあげてゆく。



( …どうやら、落ちたようじゃな。それでは、後の杞憂は ――― )

 耳も眸も聡いご母堂が、どうにか落ち着き処に落ち着きそうな様子に、小さく安堵の息をつく。そうして、座敷の外へその金色の視線を向けた。

「おぅおぅ! なんだぁ、お前ぇ〜らも来てたのかぁ? こりゃ正月から、血の雨でもふるんじゃねーのかぁ?」

 どやどやと、新たな客人たちが到着する。

「あ〜、刀々斉のおじーちゃん! それに妖霊大聖様に薬老毒仙様!! えっと…、冥加じいちゃんも?」

 素っ頓狂なかごめの声。
 一癖も二癖もある爺さん連の登場で、さらに宴は賑やかさを増す。

「なんで、おめ〜らがここに来んだよ!?」
「なんでって、ご母堂様に新年の挨拶にきちゃ悪りぃ〜ってのか? ああん??」

 刀々斉がいつも手にしている柄の長い金槌で、犬夜叉の頭をぽこりと叩く。

「ほぅ。妖怪の世界でも、そう言う年中行事のようなものがあるのですね。ですが、ここでお目にかかれて良かった。あの折は、本当にありがとうございました。薬老毒仙様」

 意外な面々に、特に弥勒にとっては薬老毒仙はいわば自分の命の恩人のようなもの。それだけに、この機会を与えてくれたご母堂にまた感謝の念が沸く。

「いやいや、お前に命運があっただけの事じゃ。わしらも人間ごときの新年の祝いなぞどーでもいいんだが、ご母堂様の招きを断る訳にはいかんでな」
「……………………」

 何気に口をついた言葉だが、その言葉のうちにある種の強制を感じたのは、弥勒だけではないだろう。

「おお、これは!」

 りんの晴着姿を見つけ、冥加がぴょ〜んと大きく跳ねた。

「お懐かしや、この内掛け! これは、ご母堂様が闘牙王様の元に輿入れなさった時の御衣装。おお、おおv そうですじゃ、この簪、髪飾りも」

 冥加の言葉に、普段表情を変えぬ殺生丸が瞬時目を見開き、母を見る。
 ご母堂は、それこそにっこりと笑みを返した。
 そのご母堂の隣でかごめがぱちん、と手を叩く。

「そっか! これって、新年のお祝いだけじゃなく、殺生丸とりんちゃんの披露宴も兼ねてるんだvvv」
「へぇ、なかなか粋な事をなさるご母堂様だね。あの朴念仁な殺生丸の母君とも思えないよ」

 ご母堂自ら着付けさせたのは、そういう意味。
 りんの、『母』として『娘』の花嫁支度をと。

「…ふん。またどう言う風の吹き回しか。随分と人間臭い事をなさるものだ」
「相変わらず、憎まれ口の減らぬ奴よの」

 今度はいささか呆れたように、口元を繊細にして豪奢な扇子で隠し、嘆くような面白がるような風情を見せる。

「御義母上様、あの、りん、これ……」
「ああ、良い良い。それは闘牙がこの私に贈ったものじゃが、妾はその柄が気に喰わぬでな。婚礼の儀の時に一度手を通しただけのものじゃ。どうせ、死蔵するのならお前にくれてやる方が、亡き闘牙も喜ぼう」

 ますますご母堂様の器の大きさが際立ってくる。

「へっ、まったく変な夫婦だな、闘牙王とご母堂様は。どっちも何故か人間に構いたがる。バカ兄弟の物好きぶりは、親譲りってか」

 さっさと祝宴の真ん中にどっかと座り込み、酒の壷を小脇に抱えて手酌でぐびぐび飲み始めている刀々斉。その刀々斉に負けじと薬老毒仙も自前の酒を飲み始めた。

「柄が気に喰わぬなど、しれた言い訳を…」

 この場をすっかり仕切っている己が母に、らしくもなく殺生丸が悪態をつく。それを耳聡く、ご母堂が聞いていた。

「おお、気に入らぬとも!! 何故にこの妾が闘牙の下に座せねばならぬ? まぁ、りんとお前ならば似合いの柄であろうがな。そのままでは流石に可哀想なので、少し手を入れさせたが」

 …確かにあの豪放磊落な闘牙の正室だけの事はあろう。ご母堂の言葉によくよくりんの着ている打掛を見てみると、二羽の鳥の下にいる三羽の鳥は後から加えた柄のようだ。

「ね、珊瑚ちゃん。あのりんちゃんの内掛けって、今の殺生丸の家族を表しているのね」
「ん? でも、それじゃ数が合わないよ? ほら、下の鳥は三羽…、あっ! だからか!!」

 ここにいる誰もが、ご母堂の思いの深さを知る。
 愛する息子の、幸せな明日を、と。
 その為の礎となる、帰る場所となる『家族』の存在 ―――

 それは、りんの願い。
 ご母堂が作る事の出来なかった、ささやかなもの。



   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「これ! 薬老毒仙!! 飲んだくれる前に、ちゃんと仕事をせぬかっ!!」


 ぴしりと、ご母堂の指示が飛ぶ。
 もともと酔いだくれの薬老毒仙だが、自前の酒だけではなくご母堂の用意した良酒が気に入ったのか、ざばざばと浴びるように飲んでいる。すでにその姿は酒で戻された干しするめ。

「仕事…? なにかしら」

 正月早々から、仕事とはなんだろうとかごめが首を傾げる。薬老毒仙が渋々と言った感じでよっこらしょと腰を挙げ、酔拳のような足取りでりんの方へ近づいてくる。

「あの…?」
「ああ、すぐ済むでな。えっと…」
「りんです」
「そうか、そうか。年が年だけに嬢ちゃんと言うたものか、奥方と言うたものか迷うてな」

 りんに酒臭い息を吹きかけながら話す薬老毒仙を、殺生丸が物凄い目付きで睨み付ける。

「お前の亭主が、ワシを睨んどるでちゃっちゃっと済ませるとしようのぅ」
「はい?」

 そう言うなり、いきなりりんの手を取ると細い手首のあたりをべろりと舐めた。

「貴様っっ!!」

 慌ててりんが手を引っ込めるのと、片膝立てた殺生丸が薬老毒仙に切りかかるのはほぼ同時。その一瞬の攻撃をどうやってかわしたのか、次の瞬間には薬老毒仙の姿はご母堂様の前にあった。

「どうじゃ、毒仙。お前の診立ては?」
「大丈夫でございましょう。しばし『毒抜き』の間を設けますれば、次のお子の懐妊とあいなりましょう」
「そうか、そうか。そうではないかと思うておったが、やはりそうか」

 ほっとしたように、朗らかにご母堂様が声に思いを出しつつ頷いている。
 そして、殺生丸に一言投げかける。

「殺生丸。『過ぎたるは、及ばざるが如し』じゃ。何事もほどほどが良かろうぞ」

 そう言われた時の殺生丸の顔。
 あんな表情は、今まで見た事がない。
 怒り心頭でもあり、一枚上手の母の手のひらで踊らされているような罰の悪さもあり、密か事に口を挟む煩わしさもあり…。



「えっと、『毒抜き』って…?」

 首を傾げるかごめ。

「ん〜、毒って言うんだから、殺生丸の毒って事かな。やっぱり、人間のりんには側に居るだけで危険なんだ」

 ……確かに、それもまた事実。

 それは承知の殺生丸である。
 だが、この場合の『毒』は…

 こそこそと話しているかごめ達の横で、抑えきれない笑いを必死で抑えているのは弥勒。

「弥勒様? どうして笑っているの?」
「…まぁ、少しかごめ様達が思い違いをされているのを、可愛いなと思いまして」
「可愛い?」

 ますます、疑問符が大きくなるかごめ。

「殺生丸殿とりんは色んな意味で大きく異なる二人です。当然、共に在れば障りのある事もありましょう。あれほどの妖気と毒気を身に携えたお方なのですから」
「うん、そうだね…」
「それでも、お互いが共にと望まれたのです。そして、今はとてもお幸せな二人なのです。それは、それで良いではありませんか」
「でも…」
「かごめ様、『閨忙過ぎたれば、子 成りがたし』と申しまして、あまり仲の良すぎる夫婦には中々子が出来ぬ事もある、と言う事ですよ」

「じゃ、毒抜きの毒って…っ!」
「だから、ほどほどにって…?」

 真っ赤になりながら、ご母堂の謎賭けの答えに辿りついたかごめと珊瑚の二人であった。


「りんや」

 まだ殺生丸の側で固まっていたりんに、優しくご母堂が声をかける。呼ばれたりんは、そのままご母堂の前に出た。

「今、聞いた通りじゃ。かえってお前を頑張らせすぎたのは裏目であったな。毒仙が半年程控えよと申したが、若夫婦が新年の事始もまだでそれは、哀れじゃからな。それが、済んでからでよいぞ」
「はい、御義母上様」

 この段に至って、とうとう居た堪れなくなった殺生丸が宴席から逃げ出した。

 あの誇り高い殺生丸が、である。



 そんな事があっても、宴席は何事もなかったように続く。
 そして、その夜 ―――


 明日の朝に送って行こうとのご母堂の言葉に甘え、りんたちの冬の館に一泊する事になった犬夜叉達。冥加は残ったが、他のじーさん連中はいつの間にか姿を消していた。いたぶる相手がトンズラしたその代わりに、ご母堂に天生丸と夜叉丸は散々おもちゃにされ、すっかり疲れ果てて半妖の双子はもう夢の国。邪見に言いつけ、子ども達の部屋の下がらせる。

 かなり遅くまでかごめ達と話し込んでいたりんだが、殺生丸の帰りを待つからと自分たちの部屋に下がり、弥勒と珊瑚も親子で休めるようにと別の部屋に案内された。


 残ったのは、犬夜叉とかごめの二人。
 部屋にはこの時代には珍しい布団が二組、並べて敷かれている。


「…これも、ご母堂様の心遣いかしら?」
「けっ!! お節介がすぎらぁっっ!」


 悪態をつきながらも、犬夜叉の顔はどこか赤い。


「ねぇ、犬夜叉。あんた、ご母堂様に聞かれた時に答えたのは、本当?」
「あ、ああ…、まぁ……」
「本当は、犬夜叉も子ども欲しいのね?」
「う、うん…」


 真っ赤になって、下を向いて、まるであの初めての時のように ――――

 この時代、かごめが高校に進学した年齢は丁度結婚適齢期。
 そう、そのままこの時代に…、犬夜叉の許へ行く事も選べたのだ。幸い『骨くいの井戸』は未だ、この時代と現代とを繋いでくれている。


 だから…、きっと『甘え』があったのだ。


「うん! 決めた!! 三年も待たせたんだもんね。もう、私も答えを出さなくちゃ!!」
「かごめ…?」

 かごめの声に、顔を上げた犬夜叉目掛けてかごめが気持ちよくダイブする。


 その胸のうちは……


( この時代で生きてゆこう! りんちゃんやあのご母堂様の姿を見ていたら、私も大丈夫って気がしてきたわ。うん、なにしろ私には『犬夜叉』がいるんだもん。だから、大丈夫!! )


「ねぇ、犬夜叉。私たちもりんちゃん達みたいに幸せになろうねv」
「…あいつが、幸せかどうかは判かんねーぞ。あんな凄い母親がいたんじゃな」
「でも、きっと幸せよ。だって、あのご母堂様のりんちゃんの可愛がりぶりを見ればね」
「まぁ、そーゆーもんかもしれないな…」
「ふふ、早く殺生丸もりんちゃんの処に帰ってくればいいのにね」

 いつの間にか、二人の身体はお布団の上に。
 そして、体勢が入れ替わる。

「でも、大丈夫かしら? あの殺生丸が半年も禁欲生活が出来ると思う?」

 悪戯っぽい光を湛えたかごめの黒い瞳が、下から犬夜叉を見上げる。

「さぁな。俺には、無理だけど…」
「もう! 犬夜叉ったら」

 それぞれの思いを込めて、正月一日の夜は更けてゆく。
 幸せな、暖かい心に触れながら。



 だって、それは ―――



 ――― 声は聞こえなくても、思いは届くから。




【完】
2006.12.25



【 あとがき 】

これまた、突発SSです。最初は新年早々に入れ替える、拍手SSをお正月バージョンで書いていた事から始まります。書き出しが書き出しだったせいか、SSはSSでも記念作品並みの長さになりました(汗)

思えばお正月で何か特別にする、と言う事もなかったので今回初の試みですが、さらっと読んでもらってくすっと笑って貰えたら嬉しいです(^^♪
ではでは、今年も一年v どうぞよろしくお願いいたします。


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