【 惜 春 】
はらはらと散りかかる、梅の花弁。
冬枯れの枝の先が薄赤くなってきて、風の冷たさにそぐわぬほど太陽の光は明るくなる。
ああ、そろそろ桜も咲き始めるのね。
それにしても……
な〜んか、こう…… 胸の中がモヤモヤするのはどうしてかしら?
いや……
どーしてかなんて、原因は判っているのよっっ!!
そう、そうよ!
『あいつ』!
『あいつ』の所為!!
どうして、『あんな事』が出来るのっっ!!
あんな、小さな子に……
思い出すたびに真っ赤になって憤慨するかごめ。
『それ』を知ったのは、昨年の晩秋。
珊瑚と共に山の出湯に浸かりに出かけて、そこで偶然鉢合わせ。
同じ敵を追っているからか、度々出くわす事もある。珍しい事に、その時はなぜか、りん一人。
よほど安全な場所なのか、それともそれなりの配慮を施したのか。まぁ、自分達もいる事だし、大夫だろうと山の出湯で女同士、気がねなく寛ぐ一時。
……そして。
そこで、見てしまったのだ。
隠す事なども知らぬ無垢なりんの肌に散る、赤い花びら。
幼いりんの仕草に似合わぬ、情交の痕。
『誰』が散らしたかなど、言うまでもなく ――――
ただ、それが……
決して、りんの無垢を穢す事はなく。
こんな幼い子が、そんな目にあっても相手を恐れるでもなく、寧ろ慕わし気に頬を赤らめる。
あんな朴念仁の何処にそんな甲斐性があるのか、気遣いがあるのか判らないけど、それでもりんは幸せなのだ。
それが判るだけに……
気持ちが落ち着かない。
あまりにも、りんが幸せそうに見えて。
何も知らないから?
幼いから?
いや……
【自分と犬夜叉の間にある、距離】
それを、飛び越えた二人だから ――――
それだけに、かごめの気持ちは落ち着かない。
置いて行かれるようで、追いつけないようで。
そして、その思いは形を変えて ――――
本来なら当事者に向けられるべき非難の目は、不条理だと思いはすれ血の繋がった弟……、つまり犬夜叉向けられる。
その所為で犬夜叉はこの冬、謂れのない冷たい視線と、時として大地に叩き伏せられる言霊の鉄槌とを受けていた。
「のう……、かごめ? なんで、そんなに犬夜叉に腹を立てておるんじゃ?」
「別に。私、怒ってなんてないわよ」
「あんだと〜っっ!! 怒ってもねぇのに、なんで言霊なんて食らわすんだ!」
犬夜叉が切れる。
そりゃ、逆キレもしたくなろう。訳などないと、言われれば。
「ふん!」
―――― 明らかに、八つ当たり。
「……珊瑚。あのかごめ様の荒れる理由をお前、知ってますか?」
「う、うん…。まぁ、なんとなく……」
既に、夫婦約束をした二人。
その余裕からか、はたまたかごめから見れば早婚でもそれが当たり前のこの時代。
流石にりんのそれは、ちと早過ぎようが、相手はあの『大妖』。人間如きの倫理(みち)など知った事ではないのだろうと、納得もする。
「して、どのような訳で?」
「あ〜、う〜ん…。何て言ったらいいのかな……」
年下のりんに先を越された事への焦り?
それとも、羨望?
……どちらにしろ、下手な事は口にしない方がいいだろう。
「珊瑚?」
「あ、やっぱり、あたしも良く判らないから」
慌てて言葉を濁し、その場を離れる。
どちらにせよ、かなり険悪な雰囲気が漂っていた。
その日の夜営の陣では、男組と女組に別れて弥勒と珊瑚は宥め役。
「ねぇ、かごめちゃん。どーして、そんなにかりかりしてるのさ?」
同じ現場を目撃した同士。聞くまでもなく、理由はなんとなく察してはいるのだが……。
「どうして、って! 珊瑚ちゃんも見たでしょ!! あんな、非道い事……。私、絶対許せないんだから!!」
「……うん、まぁ、ね。せめて、もうニ・三年待ちゃいいものをさ。でも、相手は人間じゃないからねぇ」
「ニ・三年っっ!! そんな! それでもりんちゃん、やっと十一か十二くらいでしょう! だって、そんな……」
「でも、それより少し上の十三・十四ともなれば嫁に行く娘は結構ざらだよ? あたしなんか、こんな稼業の所為もあって、かなりヤバイ崖っ淵だったんだし……」
時代が変われば、倫理観も変わる。
いや、人生設計の基準そのものが違うのだ。そこのところ、かごめはあくまで『現代人』であった。
「でも……」
「ん〜、それにさ、かごめちゃん。あの二人がそーだからって、犬夜叉を踏み潰された蛙のように、地面にへばりつかせる理由にはなってないよね?」
「……………」
……確かに、それはそうなのだ。
だけど、だけど!!
「なぁ、弥勒! 俺、なんかかごめの気に障るような事したか?」
ここしばらくの、身に覚えのない事で受けるかごめからの冷たい仕打ちに、かなり煮詰まってきている犬夜叉。
( ……まぁ、『何かした』と言うより、『何もしない』と言う事の方が、かごめ様のお気に障っているような気がするのですけどね )
伊達に場数は踏んではいない。
かごめの雰囲気から、男女間のその手の事だろうと、弥勒は見当を付けていた。
「弥勒! 話を聞いてきたぞ!!」
弥勒の言い付けで、こっそりかごめ達の側に張りついていた七宝が戻ってくる。
「かごめ様達には、気付かれずに済みましたか? 七宝」
「ああ、勿論じゃ! 小さな鼠に化けて行ったからな」
「そうですか。で、かごめ様はなんと言っておられました?」
ニッコリと笑って、弥勒は話を促した。
「うん? でも、かごめは犬夜叉の事は一言も言わんかったぞ」
「ほう?」
弥勒にしても、意外な報告。
「良くは解らんが、りんの事で何やらえろう腹を立てているようじゃった」
「りん?」
「ああ、そうじゃ。珊瑚がもうニ・三年待てば良いのにとか、かごめが非道い事をとか言うっておった」
七宝の報告に、ざわっと犬夜叉が動揺したのが弥勒には手に取るように解った。
( ほほぅ、そーゆー事ですか。まっ、何かありそうな二人でしたが……。なんともまぁ、お手の早い兄上で )
ちろりと、視線を犬夜叉に走らせると、犬夜叉はあからさまにその視線を避けた。
( ふ〜ん。で、珍しくも犬夜叉も『それ』に気付いていた、と。ふむふむ )
言語道断、非道な事ではあろう。
年端も行かぬ娘が相手では。
半妖である犬夜叉でさえ、そう思ったのだ。
いや、犬夜叉の場合は他に重なる思いもあるか。
だが、そんな事。
端がいくら気を病もうと、当の本人達にはなんら関係のない事。
戦国一の大妖は大妖のまま、今でも冷酷で人間や半妖を卑下しているだろうし、あの娘は人間のまま、その大妖の側に在りたいと思っている。
たまに見掛けるりんの健やかさを見れば、あの娘は幸せなのだろうと。
( ……比べられたのだな、かごめ様は。この二股鈍感男と、あの何を考えているか、とんと掴めぬ純粋天然物の兄上とを )
弥勒は、自分の【読み】があながちハズレではない事に確信を持った。
「犬夜叉、お前にも心当たりがあるようですね」
「なっ、何の事でぃ! 俺は、何も……」
「……りんは幸せなのでしょうなぁ、あの兄上の許で」
「知るか! そんな事!!」
「犬夜叉…、かごめ様の腹立ちの原因はその辺りにあるようですよ」
意味ありげに、目だけで笑んでみせる弥勒。
「……何も『しない』お前に焦れてらっしゃるのかも知れませんなぁ、かごめ様は」
と、焚きつけて見る。
「弥勒……」
「これは、どうやらお前とかごめ様の問題でしょう。これ以上、険悪な空気を振り撒かないで欲しいですな」
とっとと、サシで決着を付けてこい! と言葉で犬夜叉の背中を蹴り飛ばす。
憮然とした表情で犬夜叉は、その場から掻き消えた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
ガサゴソと、わざと大袈裟に音を立ててかごめ達の居る場所に近付く犬夜叉。犬夜叉が声をかける前から、かごめ達もそれには気付いていた。
「おい! かごめ!! ちょっと話があるから、こっちに来い!」
ぶっきらぼうな、喧嘩腰な声掛け。
「何よ! 話したい事があるんなら、ここで話せば!?」
受けるかごめも、やや険が立っている。
「……かごめちゃん、そんな喧嘩腰じゃ拗れるばかりだよ? それに、解ってる? かごめちゃん」
暗に、今回の非はかごめの方にあると指摘する。
「珊瑚ちゃん……」
「あたしが居ると話しにくい事もあるだろうから、あたしは法師様のとこに行っとくよ。ゆっくり、二人で話してごらん」
珊瑚は雲母を抱きかかえると、二人の為にその場を離れた。
離れ際、珊瑚はこっそり犬夜叉の耳に耳打ちする。
「女心は複雑だからね。短気を起こすんじゃないよ、犬夜叉」
「……ふん」
珊瑚の忠告に、犬夜叉は鼻で返す。
こんな状態で、二人きりで残されて。
ふぅぅ、と犬夜叉が深呼吸をし、ようよう切り出す。
「……お前、何怒ってんだよ?」
「別に……。怒ってなんかいないわよ」
ふうぅぅぅぅ〜、と今度は溜息。
「じゃ、何か? りんの事であいつに腹立てて、そのとばっちりって訳か?」
がばっとかごめが顔を上げる。
「…犬夜叉、知ってたの? いつから……?」
「あ〜、昨年の今時分か。叢雲牙の件が片付いた、少し後くらい」
「そ…そんなに、前から…? あの二人……」
「ああ、そうなるな」
犬夜叉は話し辛そうに、かごめの視線を避け下を向いてぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「どうして、教えてくれなかったの?」
「言える訳ゃねーだろ! こんな事!! 手前ぇの兄貴がりんみたいなガキに手ぇ出したなんてっっ!!」
そう、夜にも関わらずその様子は、かごめにも良く解った。
「…あ、私……」
「ああ、ほんっとうにとんでもない奴だよな! 俺も、そう思う」
きっと、犬夜叉の方がもっと衝撃が強かったんだろうと、今なら理解できる。
「……私、バカみたい。ごめんね、犬夜叉。一人で勝手に腹立てて、あんたに当り散らして」
「いや…、別に構いやしねーよ。俺だって、当たれるもんなら当たりたかったからな」
そう、そして。
確かに、あの時。
あの二人を見て、羨ましいと思った事も事実で。
「りんちゃんが、とっても幸せそうに見えたから……」
「まったく! 物好きなガキもいたもんだ。あんな血も涙もないような冷酷野郎に懐くなんてよ」
「うん、そうだね。でも、りんちゃんには優しいのかもしれないね」
「あいつが優しいなんて、西からお天道様が昇らぁ!」
「もう! 犬夜叉ったら!!」
だんだん気持ちが晴れてくる。
何をあんなに、腹を立てていたんだろう?
私の側に居てくれるのは、他の誰でもないこの犬夜叉で。
そして、犬夜叉……。
あんたも優しいよ。
「……羨ましかったのかな、私。なんで、あんなに簡単に壁を乗り越えられたんだろうって」
「………………」
「それと…、きっとりんちゃんがとても小さいのにあんなに幸せそうなのが、先を越されたようで焦っちゃったのかな」
ちょっと肩をすくめて、少し顔を赤らめ。
それは正直な、かごめの気持ち。
( かごめ…… )
犬夜叉の脳裏に、ここへ来る前の弥勒の言葉が甦る。
【 …何も【しない】お前に焦れてらっしゃるのかも ―――― 】
( おい、かごめ。それって…… )
ごくり、と唾を飲み込む。
自分も、りんのように ―――― ?
( あ〜あ、やっぱり、ちゃんと話さなくちゃね。八つ当たりなんかして、犬夜叉には悪い事しちゃったな )
向こうは向こう。
こっちはこっち。
それで、どっちもが幸せになれれば良いよね。
それぞれの早さで、それぞれの距離を縮めながら、いつも一緒に。
……そりゃ、あっちはあっちで問題のある性格のようだけど女の子に関しては、りんちゃん一本槍のようで、こっちは今だ昔の【元カノ】引き摺ってるけど。
( うん、そうね。八つ当たりした分、優しくしてあげようっと。ね、犬夜叉
♥)
ようやく、かごめの心にも春の風が吹いてきたよう。
にっこり微笑み、犬夜叉を見る。
「かごめ……」
「犬夜叉
♥ 今までの分、優しくしてあげるね」
かごめの何気ない、そして幾分恥じらいだようなその言葉は、犬夜叉の耳には違う意味に聞こえた。
「いいのか? かごめ……」
犬夜叉の声が微かに、上ずり……
「……? だって、私の方が悪かったんだし」
かごめも、びみょーな行き違いに気付いてはいない。
「じゃぁ、本当に良いんだな?」
「えっ、な、なに…!?」
いきなり、かごめは犬夜叉に押し倒された。
かごめに触れた犬夜叉の身体は既に熱く ――――
「何してんのよっっ!! 犬夜叉!!!」
「お前も、りんのようにして欲しいんだろ!!」
あまりにもがさつな犬夜叉の言葉に、いや… 限りなく経験値の低い犬夜叉には、こんな場合、どんな言葉をかけてやればいいのかなんて、知っている筈もなく……
ぶっち〜んっっっ!!!
「犬夜叉の馬鹿っっ〜!!!」
激しいかごめの怒声と派手な平手打ち。
犬夜叉が怯んだ隙に犬夜叉の身体の下から這い出し、思いっきりの【念】を込めて ――――
「お・す・わ・り・っっっ〜!!!!!」
激しい地響きを立てて、勃てたまま大地にその身を叩き付けられる犬夜叉。
「か、かごめ〜」
「まったくっっ!! 兄が兄なら、弟も弟ね! いくら春だからって、見境なくサカっちゃって!!! そこで、よ〜く、反省しなさい!!」
―――― どこで、どう間違えたのだろう?
確かに、途中まではかごめの言う『良いむうど』とやらの筈だったのに。
あまりの激痛に、起ち上がる事も出来ぬままその場に蹲る。
気が遠くなりながら、ついでに珊瑚の言葉も思い出す。
【 ……女心は複雑だからね。短気を起こすんじゃないよ、犬夜叉 ―――― 】
そんなの、俺は男だ!
んなもの知るかっっ!!
そうは、思いつつも ――――
夜更けの山々に、物悲しい犬の遠吼えが聞こえたとか、聞こえなかったとか。
行く春を、惜しむようなそんな夜の事 ――――
【おわり♪】
2005.3.2
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