【 お ま け 】


 
 
 ―――――  はあぁぁぁ、ワシ 嫌われとるんじゃろか?
 
 そりゃ、今まで随分と永い事お仕えしてきて、全っ然お考えの読めないお方だと言う事は、百も千も万も承知じゃ。
 いやいや、むしろそうでなくては!
 ワシら下賎な者が窺い知るには、恐れ多いお方なのじゃから。
 
 じゃが…、それにしても、のう……、はぁぁぁ〜。
 
 やはり、あの剣。

 あれの所為かのう。
 まったく持って、とんでもなく恐ろしい剣であったからの、あの叢雲牙は!!
 結果としては、あの忌々しい犬夜叉めと力を合わせる事になってしもうたのは腹に据え兼ねるが、父君のご遺言通りあれを封じせしめたのは殺生丸様じゃ。

 父君も、それが本望であったのであろう。

 ワシらには、そのご尊顔拝する栄誉には浴せなんだが、殺生丸様とあの犬夜叉の前にはそのお姿を顕わされ、何か通ずるものがあったのだろうと、ワシは思う。
 あの場を包んだ光と暖かさは、偉大なる父君のものであったのは間違いない。
 大団円であったのじゃ。
 
 ……いや、そのはずじゃ。
 
 それからしばらくは、滅多にワシらの上に止まる事のない殺生丸様の視線を度々感じた。
 まぁ、あのお方の視線じゃから、それがワシの心臓に突き刺さり条件反射のように身体が固くなるのは仕方がないか。
 そう、その視線を感じても今までのように訳も判らず足蹴にされる事も、踏み潰される事もなかったので、これはもしや父君との邂逅で、何か思われる所がおありだったのかと、その中にもしかしてワシへの振る舞いを省みられる事があったのでは……、と。
 
 下僕生活、ん百年。
 
 微かな希望が差した瞬間でもあった。
 
 がっっ!!
 そうそう、世の中甘いもんじゃないわい!!!
 ワシが抱いたささやかな希望は、そのまま過酷な現実となって二倍にも三倍にもなってワシに跳ね返ってきおった!!
 
 ……確かに、殺生丸様は変わられた。
 
 伊達に何百年もお側に付いてはおらぬ。
 何事にも執着なさる事もなく、煩わされる事もないあのお方が何をお考えなのか、かすかにその眸の光を明滅させ、時には近寄り難い程の気を放ち……。
 ふいと、ワシらを残し何処かへ行かれてしまった。
 この主人の気まぐれはいつもの事。
 そう、思っておった。戻って来られるまでは。
 
 戻って来られた殺生丸様は、もうすでに常の殺生丸様ではなかったと思う。どこがどうとはよう言えぬが、『変わられた』とそう言うしかなかった。そしてこの日より、ワシの過酷さは今までより『輪』かける事となる。
 
 そう、まさしくこの時よりワシの更なる苦難の日々は始まったのじゃ。
 
 殺生丸様がお戻りになれたのは、もう日暮れも間近な刻限。
 ああ、やれやれ。これでいつも通りに過ごせるわい、と思ったのも束の間で。
 
「邪見」
 
 そう、一言呼びつけられて。もう日も暮れようかと言うのに、使いに出された。それも、阿吽を駈って一晩中探し回っても見つけるのは困難かも知れぬ薬草を明朝までに持って来いと仰る。
 いやいや、この邪見。このような無理難題など、これもまたいつもの事。何ほどの事がありましょうぞ。この位の事で不平・不満を零すような不忠者ではありませぬ。
 
 じゃが、しかし。
 
 ご使命果たして戻ったワシが、何故大岩の下敷きにならねばならぬのか、
 今でも良く判りません、殺生丸様〜っっ!!!
 
 ……その前の、タンコブの山はワシの落ち度かも知れませぬが、言いつけを守らなかったのはりんの方で。
 そして、いつもより力が篭ってはおりませなんだか、殺生丸様?
 
 ああ、それからじゃ!!
 まるで、嫌事のように夜のお使いが増えたのはっっ!!!
 初めは月に二度・三度程であったのに、今では月に七度・八度。決まって珍しい薬草を取って来いと仰る。
ワシらには必要もなく、あの元気の塊のりんにしても…、あれっ?
 
 ……そう言えば、ワシが使いに出た晩の次の日は、決まってりんの具合が良くないのう。酷く疲れて、熱っぽい事もしばしばじゃ。そうなる事が判っておるんじゃろうか? 殺生丸様。
 いつぞやは、そんな事とは露知らず、ワシが帰りついても起きようとはせぬりんに腹を立て、口汚く罵ったら思いっきり蹴り飛ばされたもんなぁ、ワシ。
 
 また、このりんが。
 
 暖かくなってきた所為か、それともワシが居らぬと『寝相』でも悪くなるのか、やたらと『虫』に刺されおる。
 あちらこちら赤くして、まったく無様なほどじゃ。
 殺生丸様、りんに必要なのは解毒・鎮痛の万能薬草の他に、『虫除け』も必要なのではありませぬか?
 
「おや、りん。殺生丸様はどちらに?」
「うん、すぐお戻りになるって」
 
 いつものように夜のお使いを済ませ戻ってみると、りんは殺生丸様がお休みになる大木の根方に寄りかかり、ぼーっとしておる。
 慌てて着込んだかのような、寝乱れた着物。
 ざんばらで汗ばんだ肌に一条(ひとすじ)二条(ふたすじ)貼り付いた髪の毛。
 やはり熱っぽいのかほんのり頬が赤い。
 瞳も潤んでけだるそうじゃ。これが年頃の娘なら艶っぽくもあろうが、りんではな。
 
「どこか悪いのか? りん」
「ううん、きつかったのと眠られなかっただけだから、少し休めば大丈夫だよ」

 そう言って、寝の足りない笑顔で答える。
 首筋や二の腕がまた赤くなっている。

「また、『虫』に刺されたのか?」
「あっ、う、うん……」

 ぽっと、真っ赤になるりんの顔。
 
 んんん??? 何故じゃ?????
 
 ……うむ、無理はないのう。
 一晩中、ぶんぶんと自分の周りを飛び回られて、こんなにも『刺され』れば、眠りも出来ぬしきつくもなろう。

「よほどお前は『甘肌』なんじゃろうな」
「ん? 邪見様。『甘肌』って?」
「ああ、他にも人は沢山おるのに、何故か一人だけやたら虫に刺される性質の者の事じゃ。赤子や子供や、酒に酔った者なども虫寄りしやすいがな」
「……りん、それとはちょっと違うと思う」

 ワシはそんなりんの言葉は聞き流し、これこれと気を利かせて持って来た塗り薬を取り出した。

「ほれ、りん。腕を出せ。これを塗っておけば、もう大丈夫じゃ」
「これ、なあに?」
「うん、これか? これは効果絶大な『虫除け』じゃ。すこ〜しばかり臭いがきついが、これを塗っておけば悪い虫は近付けぬでな。今夜からはぐっすり休めるぞ」

 
 ――――― それは確かに、そうかもしれない。


 しかし、それがどう言う意味を持つ事なのか……

 
 ワシってなんて気が利く奴じゃろうと、一人自画自賛しながらりんに塗ってやろうとその手を取って…、そこでワシの意識は無くなった。
 
 どげいんっっ!!!  げしげしげしっっ!!!!!
 
 最初の一蹴りで意識が吹っ飛び、地面に激突した所をめり込むほど踏み付けられた。それも物も言わずに何度も何度も、げしげしげしっっ、と。
 
( せっ、殺生丸様〜っっ!! ワ、ワシ なにかやらかしましたか〜っっっ!!!! )
 
 ちゃんとりんの世話もしとるし、殺生丸様のご命令にも従っておるのに、何故???
 うるうると潤む目で、見上げてみればそこには ―――――
 
 いつもと同じ怜悧な表情。
 いつもと同じ凍てついた眸。
 
 ただその背後に渦巻く気配は ―――――
 
( うわっっ〜!!! 見なかった! 見なかったぞ!!! ワシはっっっっ!!! )
 
 認めてしまえば、恐ろしさで心臓が止まりそうなほどの『怒り』の気配。
 そしてもっと恐ろしい事に、その怜悧な面にうっすらと『笑み』が刷かれる。
 
( ぎゃあぁぁぁぁ〜、殺生丸様っっっ〜〜〜〜!!!! )
 
 まるで蹴鞠か、遥か未来の蹴球競技の名手のような殺生丸様にじゃすとみいとされたワシの体は、夜でもないのに空のお星様になってしまった。
 
 
 それを見送り ――――
 
( あー、恥ずかしかった。もう、邪見様ったら! )
 
 と、りん。
 
( ……気付かぬお前が悪い )
 
 と、殺生丸。
 
 
 そして ―――――
 
「ワシ、ワシ…、嫌われておりますのかっっっ〜〜〜〜!!! 殺生丸様っっ!!! り〜んっっっっ〜〜〜!!!!!」
 
 邪見の叫びは虚しく響き…。
 邪見が事の真相に気づくまで、この不条理で過酷な日々は続くのである。
 
 
 殺生丸様、ワシの事 嫌い?
 りん、ワシ なんかヘマやったかの?
 
 ――――― やっぱりワシ、嫌われてるの? そうなの?
 
 うっわわぁぁぁぁ〜〜〜〜〜んん!!!!
 泣いてやるっっ!!! グレてやるっっっ!!!!!
 
 殺生丸様あぁぁぁぁ〜〜〜〜っっっ!!!!
 
 
 
【ほっほっほっ、もう何も言いますまい】
 
2004.5.13
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