【 熱 視 線 】



 ―――― はぁ はぁ はぁ


 ああ、あつい。
 喉がからから。
 もう、頭がぐるぐるして目が回りそう。

 なんだか、手も足も言う事を効かないみたい。
 じっとしているので、精一杯。
 だから、お願い!

 そんなに揺らさないで!!


 ―――― 何かあれば、自分から言うだろう。

 言わぬなら、そのままで。
 隠そうとしている荒い息遣いも、熱の篭った身体から発する濃いりんの匂いも。
 気付かぬではないが、お前が言わぬならそのままで。


 ああ、もう ダメ!
 目の前が暗くなって、気が遠くなっちゃう。
 こんな事で倒れたら、殺生丸様にご迷惑をかけちゃう。
 しっかりしなきゃ、しっかり……

 ああ、でも も…う……


 りんが意識を手放す直前、ぐらりと傾いだ阿吽の背中から逆さまに真夏の濃い過ぎるぐらいの青が見えた。

「りん!!」

 邪見の叫び声よりも早く、殺生丸の腕が阿吽の背中から落ちかけたりんの身体を支える。

 熱い ―――

 それは、殺生丸が予想していたよりも症状が重篤化している事を殺生丸に伝えた。

「い、一体どうしたんじゃっっ!? りん!!」
「…気付かなかったのか、邪見」
「はっ? 一体、何をで御座いますか? せっし… !!」

 その問いには答えず、蹴りをくれてやる。

( 使えぬ奴 )

 暑さ、寒さで簡単に人間は死ぬ。
 だから、どうだとは思いもせぬが。
 思うのは己の身の事なのに、何故りんはそれを言わぬのかと、ただそれだけ。口煩い邪見が気付けば、りんもどうして欲しいか言わずにはおれぬだろうに。

「…瓜を採って来い」
「は、はい? 瓜、で御座いますね?」

 確認を取る邪見と阿吽をその場に残し、殺生丸は燃えるように熱いりんの身体を抱えなおすと、一番手近な滝を目指した。その様はまるで、疾風の如く。

 落差のある美しい滝の周辺は、この真夏の日照の中でも木々が瑞々しく枝葉を伸ばし、涼やかな緑陰を作っている。
 常に虹の掛かっている滝壺のあたりは、高みから落ちてくる瀑布の水しぶきで周りの空気が冷やされ肌寒いほど。しっとりとした冷涼で優しい気に満ちている。
 滝壺からあふれ出した水が作る渓流の澄んだ浅瀬に、殺生丸は手馴れた様子でりんの帯を解き、着物を剥すと何の躊躇いもなく放り込んだ。

 冷たい ――――

 でも、気持ちいい。
 吹く風も、涼しくて。

 あれ? りん どうしちゃったんだろう??
 えっと、確か……

 阿吽の背中で揺られているうちに気分が悪くなって、体中が熱くなって…
手や足が痺れたような感じで、力が入らなくなって、それから ――――
 あっと、気付いてあたしは顔をあげた。そこには…

 何時もと変わらないお顔の殺生丸様。

「…何故、言わぬ」
「…ごめんなさい、殺生丸様。ご迷惑になると思って…」
「倒れてしまえば、同じ事」
「殺生丸様…」

 小さく小さく消え入りそうなりんの声。

「言わねば、判らぬ。加減を知らぬ故」

 声や表情で殺生丸の感情を読み取る事は難しいが、りんにはその言葉が自分への責めのように聞こえ、小さな身体を浅瀬の中に首まで沈めた。

 そこへ、はぁふぅと邪見が戻ってくる。
 小柄な身体に抱えきれぬほどの瓜を抱えて。それは邪見なりの、りんへの思いやり。今にして思えば、今朝のりんはこの寝苦しい暑さの所為か、どことなく気だる気ではあったように思えるのだ。

「殺生丸様〜っっ!! 瓜を持って参りました!」

 ごろんごろんとそれを殺生丸の前に並べ、少し誇らしげに胸を張る。

「邪見」
「はい、殺生丸様」
「鰻を捕って来い」
「は? 鰻、で御座いますか? 鰻と言うとあのぬるぬるした細長い魚で」
「………………」
「あれは、早々簡単に捕まるものでは…」

 と言いつつ、その様を手振りで現し難しさを訴えてはみたものの…

「邪見…」

 返ってきたその声の冷たさよりも、射抜かれそうな視線。
 背筋に冷たいものが走り、再度蹴り飛ばされる前にと、慌てて阿吽を駆る。鰻は淡水と海水が交じり合う水域にいるものが、餌も豊富で良く肥太っている。多少遠くとも、確実に良い鰻を手に入れられる方が、近場で探すよりも率が良いだろうと邪見は阿吽の手綱を海岸に向けた。

 その姿が見えなくなる頃、殺生丸は邪見が持ってきた瓜の一つに自分の長い爪をかけた。どこをどうしたらそうなるのか、切り口も鮮やかに瓜が六等分されている。薄緑色の花弁のように開いた瓜の実にぱらぱらとなにやら光る粒をかける。

「りん」

 そう呼ばわって切った瓜の実を一つ、りんに手渡す。

「殺生丸様…」

 その様子に、りんはほっとする。
 怒ってはいないのだと、そう思えたので。
 一口、口にして少ししょっぱいなとりんは思った。
 でもその後で瓜の甘さが一際際立つ。
 もともと瓜はりんの大好物、たちまち手にした一切れを食べ上げると、殺生丸は残りの瓜も視線で食べろと促した。
 にこっ、とりんらしい笑顔がひろがる。
 瓜はからからだったりんの喉を潤し、身体の中の熱を醒ましてゆく。


 まだ、子供。
 夢中で瓜を食べている。
 また幾つかの瓜を同じように切ってやり、食らいつく様を遠い眸で見やる。
 【男】の前で、一糸纏わぬ裸体を晒し。
 いくら【慣れて】いるとは言え、色気の無い事おびただしく。

 卑小で非力な、人間の小娘。
 その娘を ――――

 微かに浮かぶ笑みは、己への蔑みか。或いは…

( …事の一因は、私の所為、か )

 殺生丸の目の前で、隠しもせずに晒されたりんの柔肌の上に。
 散らされた赤の花弁は、昨夜のもの。
 その下に、影のように残っている薄青い痕はいつの物か。
 僅かに膨らみを増してきた胸の果実は夜毎に色付き、陽の下で尚鮮やかに。


 ―――― 加減を知らぬ故。


 朝まで、抱いた。
 お前は、嫌とは言わなかった。
 止めて欲しいとも。

 お前が言わねば、止める術も知らぬ。
 言った所で、止めるかどうかも判らぬが。

 卑小で、非力な……

 お前の身に障るのは、それだけではないだろう。
 お前に注ぐ、情そのものに。

 数多に抱いた女妖(おんな)どもは、後腐れのないように最後に【毒】を注いで息の根を止めた事も在る。
 この手の加減は自由自在。しかし……
 どれほど加減しようとも、お前には僅かな【妖気】も【毒気】もその身を蝕む。
 判っていながら、止められぬこの狂態。


 ……だからこそ、お前が言わねば止められぬ。
 止まるかどうかは、判らぬが。


「ありがとう、殺生丸様。りん、もう大丈夫」

 いつもの笑顔で私を見上げるりん。

「…己の身の事。言いたい事があらば、ちゃんと言え」

 少し困ったように肩を竦め、りんが微笑む。

「はい、殺生丸様」

 その答えを聞きながら、それでもこの娘が私に逆らう事はないだろうと。

 狡いのは、私だろうか。
 愚かなのは、りん お前だろうか。

「…こちらへ」

 木陰で妖毛を広げ、りんを差し招く。
 りんの華奢な裸体がゆらりと立ち上がり、妖毛の中へ。
 りんが素肌に感じるこの感触を好ましく思っている事を承知で。

「殺生丸様のもこもこって、不思議。冬は暖かいのに、夏はひんやりしていい気持ち。柔らかってすべすべして…」

 愛し気に頬ずりする様に、熾きに小さな火が落ちる。
 人心地ついたのか、りんの目がもう蕩けそうになって、小さくすうすうと寝息を立て始めている。

 ―――― 邪見が戻るまで、眠るがいい。

 寝入ったりんを見詰める視線は、熱視線。
 降り注ぐ太陽の日差しにも負けぬ程の ――――




 夕刻近く、邪見が戻った時にはもうりんは起き出していて、ちゃんと身繕いも済ませていた。
 悪戦苦闘して捕らえてきた鰻を、これまた邪見が悪戦苦闘しつつどうにか捌き、塩焼きにした鰻にりんが舌鼓を打つ頃、今宵はゆっくりりんを休ませてやろうと殺生丸は、らしくもなく考えていた。

 そんな殊勝な思いが、いつまで続くか定かではないが。


【完】
2005.7.19




【 あとがき 】

突発の暑中お見舞い殺りんSSです。一応、艶笑小話系になるのかな?
何故唐突にこんな話を書き出したかと言うと、昨日家族で出掛けた際、私が暑さでちょっとやられまして、偏頭痛の発作に見舞われました。多分に気圧的なものだと思うのですが、こんな体調の時って気を付けないと今の季節、熱中症になりやすいんだよね、と。自宅に戻って、頭痛薬を飲んで痛みが治まるのを待っている間に浮かんだ小話です。

熱中症になった場合の応急処置。まず、身体を楽にする。身体を冷やす。急ぐ場合は氷風呂でもOKv それから水分の補給とミネラル分の摂取。今なら効果的なスポーツ飲料がありますからね。そして、涼しい場所で安静に。

熱中症にならないようにするには、炎天下での長時間の外出を避ける。こまめな水分補給。ちょっとおかしいな? と思ったらすぐ休む。睡眠不足や過度の疲労は要注意! 夏バテ防止に鰻を食べて、ですねv
今年の夏も、猛暑が予想されます。皆々様にはお体ご自愛下さって、楽しい夏をお過ごし下さい。

「花紋茶寮」管理人 杜 瑞生 拝。


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