【 くちづけ 】
――― ぱくぱくぱく
――― もぐもぐもぐ
ひっきりなしに動く口。
生きる為に。
その身を永らえる為に、己以外の命を喰らう。
人も、妖も同じ。
……『命』を喰らう。
「……まったく、良く食う奴じゃのう。腹も身のうち八分目、と言う言葉を知らんのか? りん」
「ん〜、でもね、邪見様。死んだ父ちゃんや母ちゃんが言ってたんだ。食べられる時に食べておけって。何時、食べられるか判らないからって」
夕暮れ間近まで、森の中で食い扶持を探していたりんと邪見。
人が立ち入らず、戦火からも免れたこの森はりんの夕餉に足りるほどの糧を与えてくれたらしい。
多くは望まぬ娘ゆえ、ひもじくともそれで我儘を口にする事はない。その分、廻りあった機会は逃さずものにする逞しさを身に着けていた。
戦乱止まぬ、この時代。
戦火に焦かれる実りも多く、焼き払われた田畑の残骸はそのまま人の骸を思わせる。僅かな蓄えさえ出来ぬほど、貧しい暮らし。
出逢った時は、枯れ木のような肌の色。
簡単にへし折れそうなか細い手足。
目だけが異様に目立つ娘だった。
そんな娘が、私が口にせぬものを何かと押し付け、落胆し。
それが仇か、醜く腫れた顔、折られた歯。
何の気まぐれか?
声を掛けたのは…
あの時、その醜い顔の笑みを思い出したのは…
あれから ―――
娘は、私と共に居る。
人の暮らしを捨て、野に伏せ、森に棲み。
荒んでいるのは、この人の世。
この地は、今も変わらぬ平安さ。
人の踏み入らぬ、深き森の静謐さ。
森も天地も人も動物も神も妖も、全てが混沌とした古代の刻(とき)をそのままに留め。
当たり前のように、森の奥で人でないものたちと火を囲み、その傍らで眠りに付く人間の小娘。
お前はここで、なんと伸びやかな事か ―――
「邪見様も一緒に食べよ。これ、美味しいよ?」
「ふん! 人間如きの食い物など、口に合わぬわ。それに、そうしょっちゅう物を食わねばならぬほど、卑しくもないでな」
「…物を食べるのって、卑しいの? りん、お行儀悪い?」
手にした食い物を膝に下ろし、心配げな色を瞳に湛え。
先ほどまでの温かな和んだ気が潜み、いつもは触れようとせぬりんの不安が大きく揺らめく。
――― 『人』と、『妖』。
……物は知らねど、りんは馬鹿ではない。
我等と己の違いなど、幼いなりに良く判っている。
判っていて、この私について来た娘。
「あっ、いや…、まぁ卑しくないとは言えぬし、行儀が良いとも言い切れぬし、のぅ…。うむ、何と言おうか…」
「邪見様ぁ…」
じわりと、りんの黒い瞳が潤みだす。つい、いつものつもりで憎まれ口を叩いたのに、予想に反したりんの反応。慌てふためく邪見は、背後の気配をひたすら読んでいた。
「ああっ、泣くな! 泣くな、りん。ワシも悪気があった訳では…、ぎゃふっっ!!!」
少し離れた木立の下でその様を見ていたが、漂う雰囲気が鬱陶しく、邪見を蹴り飛ばし一蹴する。
私の足元から、濡れたりんの視線が私を見上げる。
「殺生丸様…」
「…喰わねば、人は死ぬ。それだけの事」
それだけ言い置き、また元のように大木の根方に腰を下ろす。
* * * * * * * * * * * * * *
少し前から、りんの振る舞いから覇気が殺がれたような印象を受ける。
『人』の時の流れは、速い。
変わらぬように思っていた者の変化に気付いたのは、いつの事か。
いつの間にか、拾った雛はその羽の色を変えようとしていた。
拾った時に与えた単は、もう丈が短くなっている。
それが、『生きる』と言う事。
日々、変化を重ね ―――
その果てに待つ、終焉に向って。
……いつの頃からか、今の『この時』を留めたく思っている私がいる。
そんな、埒も明かぬ事を。
「りんね、この頃変なんだ。何でもない事が、すごく気になったり…」
少し離れた所まで近づいて、独り言のように言葉を零す。
「………………」
「さっき邪見様に言われた事だって、今までにだって何度も言われた事なのに、何故かさっきは胸にきちゃって……」
「…気にするな」
「殺生丸様とりんは違うから…、りんは何か食べないと生きてゆけないけど、殺生丸様はそうじゃないもんね。そんな事、判っているのに、なんだか…。なんだろう、自分でも良く判らないよ」
泣き笑いのような、歪んだりんの顔を見るのに苛付いて、聞きたくもない言葉を紡ぐその舌が癇に障って…。
りんの腕を掴み締め、引き寄せるなり、口を塞ぐ。
「あっ、うっぐっっ…」
驚きのあまり小さく開かれたりんの唇の隙間に己の舌を押し込み、小さく柔らかなりんの舌を絡めとる。
「うっ、うっ、ぐぅぅぅ…」
何も知らぬのだろう。
何が起こっているのか。
何をされているのか。
( …柔らかそうな舌だ。このまま喰ってしまえばさぞ美味いやもしれぬ。そうすれば、癇に障る戯言も聞かずに済むな )
己の口腔奥に引き込み、舌の付け根に軽く歯を立てる。薄っすらと滲む血の、何と甘やかな事か。
( ん…? )
抱き寄せたりんの変化に気付く。
突然の事に動転していた気が鎮まり、そして ―――、私を受け入れた。
逃げ出さぬようにきつく拘束していた腕を緩めても、逃げる素振りも見せぬ。
たどたどしくはあるが絡めた私の舌の動きに応え様とすらしている。
しかし、その動きも流石に息が詰まってきたのか次第に弱くなり、力が抜け、腰が砕けかけている。
仕置きならもう十分だろうと、りんの体を開放してやる。
「…もう、下らぬ事は言うな」
――― 何を差して、『下らぬ』と言うのであろうか。
「はぁはぁはぁはぁ。そっか、殺生丸様はお狗様だから、りんなら食べるんだね」
「なっ…!?」
「だから、お味見したんでしょ?」
意外な言葉がりんの口から飛び出してくる。
その声には、どこか嬉しそうな響きを含んで。
「…喰われたいのか?」
「殺生丸様になら。ずっと一緒に居たいから」
「お前は…」
「殺生丸様と一緒なら、何でもいいんだ、りん。お話するのも、ごはんを食べるのも、一緒に眠るのも。それだけで、りんは嬉しいんだ…」
「…それだけか?」
まだ、何か言い澱んでいる事を察して言葉短かに追求する。
私の眼光に晒され、言葉に背なを押され ―――
「…りんが美味しいなって思った物を、殺生丸様も食べてくれてそう思ってくれたらもっと嬉しいな、って。ううん、それが無理だって言うのは判ってるの。殺生丸様が何も召し上がらない事も知ってるし、人間の食べ物なんてね、お口に合う訳はないし―――」
…だんだん話がまた、元に戻りそうな気配だ。
「りんは何か食べなきゃ生きてゆけないのに、殺生丸様はそうじゃないんだよねって…」
繰言になりそうだったので、りんの唇に指を押し付け黙らせる。
「…人間のように糧を摂らぬのは、この身に蔵する妖力の大きさ強さ故。また必要であれば、『氣』そのものを糧として摂る」
「き…?」
「お前にも判るように言えば、『命』そのもの」
「えっと…、それは食べてないように見えても、本当は食べているって事?」
「ああ…、時には、な」
ようやく、りんの顔に笑みが戻る。
その笑みを見ているうちに、結局りんに振り回された事に気付き、内心密かに眉を顰める。
そして ―――
「えっ! あ、あのっっ、殺生っっ…!!!」
和んで油断したりんの顎を捉え、再びくちづける。
やはり、先ほどとは味わいが違う。
まだ驚愕の波が去らぬうちに、りんを放す。
「な、なんでっっ!?」
「お前が言ったのだ。『喰ってもよい』と」
言質を取るように、言葉を繰り返す。
まだ、その意味は判らぬだろう。
今のお前には。
やがて、その時まで ―――
直接ものを口にするは下賎極まりないが、これはまことに妙味なり。
りんと言う名の、雛の味。
【終】
2006.3.16
【 あとがき 】
…何をやってんだか、我が家の殺兄^^; まぁ、この程度なら表で大丈夫ですよね?
相変わらずな〜んにも判ってないりんちゃんです。「あのね」の前後の話になるのかな…?
同じ時空設定でも、パラレル展開しているもので書いている本人も判らなくなってきてます(爆っっ!!)
キスと『食べる事』、糧を得る事の関係性みたいなもの、を書いて見たかったんです。
オフで忙殺されている時に思いついたネタ。時間が経っていたせいか、若干腐りかけていたので、慌てて仕上げました。
何だか、最初に思いついた時とテイストが違うような気がして…。
やはり、こーゆー物は勢いが肝心ですね。
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