【 豊穣の月 】



 ……ようやくそよぐ風が爽やかになり、ねっとりとした空の色が透き通ってきた。
 
 この夏は、酷い猛暑で。
 この元気の塊のようなりんが、食欲を無くすほどじゃった。
 あれから、数年。
 未だにりんは、ワシらから離れようとはせぬ。

 ……いや、正確には【殺生丸様】からじゃな。
 
 殺生丸様も、あの忌々しい【奈落】とやらをどうにか叩き伏せたから、 もうりんを攫って殺生丸様の邪魔をする者はおらぬのに、人里に帰そうとはなさらぬ。

 これからりんを、一体どうなさるおつもりじゃろう?

 物好きな事じゃのう。
 殺生丸様も、このりんも。
 
 ん? いや…、そう言えば、犬夜叉。

 あれの側に付いてるあの奇天烈な成りをした巫女も物好きじゃな、確か。
 奈落を滅した後も、まだこの辺りをうろちょろしておる。 一体何をしておるんだか。

   
 モグモグモグ。
 パクパクパク。


 派手な咀嚼音に、ワシは視線をその音のもとへ向けた。
 年の頃は十二・三。
 同じ年頃の娘に比べれば、やはり幼い。
 ワシら【妖】と共に旅をしておるせいか、世知がないと言うか人界の垢に塗れてないと言うか、物を知らぬと言うか。
 また、殺生丸様の強大な妖気に曝されておるからか、育ちも華奢なような気がする。

 要するに、拾われた頃とあまり変わらぬようなりんが三個目の瓜に食らい付いておった。

「…りん。まだ食うつもりか」
「うん! すっごく美味しいよ、この瓜!!」

 顔中、瓜の汁だらけにして、にぱっと笑うその様。
 溜息まじりに阿呆かと思いつつも、どこか安心もする。

 ――― それほどに、この夏のりんの【具合】の悪さは尋常ではなかった。

 雨もろくに降らず、昼も夜も変わらぬ酷暑が続く。
 吹く風も火事場を渡る熱風のようで、当たるだけで草木も皆、萎れてしまう。
 体に熱が篭るのか、食い気しかないようなりんから食欲と言うものが失せ、終いには水さえ喉を通らなくなった。
 見かねた殺生丸様が、昔避暑に使われていた山中の別邸の結界を解かれてりんを滞在させたが、それでも青息吐息の状態でろくに枕から頭も上げられぬ。

 ワシはもう、心配で心配で。
 ただの暑気あたりとは違うような気がして、本当はもっと性質の悪い病気ではないか、…いや、今までがそうならないのが不思議だったくらいで、暑気あたりどころか殺生丸様の【妖気】あたりではないかと。もし、そうなら……。
 
 りんは、人里に帰さねばなるまい。
 
 あの風来坊な殺生丸様が一夏をこの場で留まれた事も珍しく、恐る恐るりんの容体について進言すれば、「心配は要らぬ」と素っ気無い一言。
 
 しかし、まぁ…
 
 確かに、殺生丸様の御診立て通り。
 季節が変われば、これこの通り。
 今まで食べられなかった分、まるで親の仇のように食らいよる。
 一体、ワシの心配は何じゃったんじゃ?
 
「…りん、食い過ぎも体に毒じゃぞ。腹、八分目じゃ」
「うん。でもねぇ、何でもすっごく美味しいんだよ。りん、幸せv」
 
 はあぁぁぁ〜、【娘】にはまだほど遠いようじゃな。
 だが、それも良いか。
【人間】の時間は、【妖】のそれに比べれば短過ぎる。
 何時までも、幼くても良いとすら思ってしまうワシって…。
 
「…でも、やっぱりちょっと食べ過ぎかなぁ? りん、太ったような気がする」
「はは、まぁ、【馬 肥ゆる秋】とも言うからの。実りの秋じゃ。腹さえ壊せねば、食べられる時に食べておくのも良かろう」

 ワシの言葉ににっこりと笑みを返し、今度は早成りの柿を取り出した。

「なんじゃ、まだ食う気か?」
「ううん、これは邪見様に。はい、どうぞ」

 人間の食い物など口にせずとも良いのじゃが、別段食ったからと体に障る訳でもない。りんの笑顔に押し切られる様に、ついついワシはその柿を口にした。
 
( 甘い ――― )
 
 なんじゃろう、この訳の判らぬくすぐったいような感じは。
 嫌ではないが、妙に落ち着かない。

 
 ―――― でも、良いもんじゃわい。


 
   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


「あーっっ!! やっぱり! なぁ〜んかあると思ったのよね」
 
 素っ頓狂な声は、あの奇天烈な巫女・かごめの声。
 その声のした方を見れば、げんなりしそうないつもの面々。

「あっ、かごめ様! それに、皆様も!! お久しぶりです」

 りんは食いかけの瓜をそっと下に置き、ぴょこっと立ち上がると深々と頭を下げて挨拶をした。
 かごめと退治屋の娘・珊瑚はりんの姉替わりのようなもの。人里から離れて暮らしているだけに、このような出会いはりんにはとっても嬉しいもの。

「りんちゃんも久しぶり。この夏はどうしてたの? あまり見かけなかったけど」
「えへっ、夏の初めから暑気あたりで寝込んじゃって。殺生丸様が涼しい山奥の別邸で養生させて下さったんだけどなかなか良くならなくて、最近ようやく下りて来たんだよ」
「まぁ…、もう 大丈夫なの?」
「はい!、もう すっかり!! 近頃は、食べる物が美味しくて美味しくて! かごめ様は、お仕事の帰りですか?」
「そう。最近は妖怪退治の依頼も減ってるんだけどね」

 打ち解けて楽しく話すりんとかごめを横に見て、邪見は微かに眉を顰めた珊瑚に問い掛ける。

「…なんじゃ、【やっぱり】と言うのは?」
「ああ。この近くまで来たら犬夜叉が、なんだかこっちの方には来たがらなかったもんだからね。かえって、何かあると思ったって次第さ」

 そう退治屋の娘に言われた犬夜叉は、不貞腐れたような態度でそっぽを向いている。その様を、訳知り顔で面白そうに見ている不良法師。

「良い取り合わせじゃな、りんと邪見は。そうやって見ると、まるで孫娘とその爺のようじゃぞ」

 ませた口を利くのは、一行の中では一番小さな七宝。

「ふん! お前のようなガキが判ったような口を利きおって!! ワシがなんで人間如きの爺にならねばならんのかっっ!」

 一応敵対関係ではあるのだが、叢雲牙の一件からこちら、なによりも【りん】の存在が犬夜叉達一行との間を繋いでいるような感があり、以前のような殺伐とした雰囲気はかなり薄らいでいた。

 
 しかし、それとはまた別な【要因】が出来てしまい、犬夜叉としてはあまり殺生丸と顔を合わせたくない心境なのである。今一度、犬夜叉の様子を伺い見ると、何やら落ち着かぬ気で心なしか焦りと言うか、隠し事をしている様にも見て取れる。
 腹芸の出来る程器用な性格ではないので、何か【おかしい】時には間違いなく【何か】あるのだ。
 
 それに気付いたのは弥勒で、犬夜叉の様子を見、それからかごめと話しているりんの様子を改めて観察する。一夏中寝込んでいたとは言うが、良く診てもらっていたのだろう。病み上がりにありがちな【やつれ】は見えない。
 むしろ肌の色艶も良く、幾分ふくよかになったようにさえ見受けられる。幼さの中に、微かに【娘らしさ】が滲んできたような…。

 
( ん? 待てよ。 夏の初めから、暑気あたり…? )

 
 何気ない会話の中の、疑問点。
 思い当たる、心当たり。
 
( …でもまさか私が直接、りん本人に聞く訳にもいきますまい。と、それにしても、兄上は? )

 
 犬夜叉の異母兄にして、戦国一の大妖・殺生丸。
 言わずと知れた、邪見・りんの主である。
 かつては冷酷無慈悲な妖怪であった。人間の【命】など、塵芥(ちりあくた)のように気に留める程のものでもなく、血の繋がった弟である犬夜叉の命さえ、己が誇りを傷つけるものであれば抹殺するに一片の逡巡もない。
 
 今でもそうであるのかもしれないが、【りん】と出遭った事がこの大妖の【何か】を変えた事に間違いはないだろう。
 でなければ、今 この場に【りん】が居る訳もなく ――――

 
 そう、訳などもなく。
 
 ただ、共に在りたいと。

 
「ところで、邪見。殺生丸殿はどちらかお出掛けか?」
「うん? 殺生丸様か? 殺生丸様なら数日前よりお出掛けじゃが、ワシら如きが行く先を詮索するなど、不敬に価するでな」
「…つまり、どこに行ったか知らないって訳だね」

 小柄な邪見を上から見下ろす様に、珊瑚も弥勒の傍らに。
 この二人、すでに夫婦として暮らしており、一子まで設けている。仕事中は楓の元に預け、最近ではそれがまた、楓の【生きがい】にもなりつつある。妖怪の情は良くは判らないが、それでも今までの経緯を見てみれば殺生丸がりんの事を大事に思っているだろうことは察せられる。
 
 だからこそ…。
 
 暫らく前まで【具合】の悪かったりんを置いていっても、出掛けねばならぬ用件。数日前より不在にも関わらず、足を向けたがらなかった犬夜叉。その辺りに何かありそうで…。

「…珊瑚。お前、【暑気あたり】がそんなに長く続くと思いますか? それも、さして暑くもない夏の初めから」
「ああ、あたしもそれが気になってね。涼しい山奥で養生させてもらってもだろ?」

 この辺りは、阿吽の呼吸か。

「……確かめた方が良いかも知れませんね。それこそ、【何か】あってからでは間に合いませんから」

 弥勒と珊瑚のやり取りを、邪見は不安げな表情で見ている。

「な、何じゃ、おぬし等! りんの身に何かあると申すかっっ!! 殺生丸様も大事ないと仰られたし、ほれあのようにりんも元気ではないか。何を根拠に…」
「うむ、まぁ 確かに【病−やまい】ではないでしょうな。また、大事かと言えば大事とも言えるし、当たり前と言えば当たり前の事かもしれません。それも、確かめて見ない事には判りませんが」
「確かめる? 何を確かめるんじゃっっ!!」

 折角食欲も出てきて元気になったと思っていたのに、水を差すような事を言われ、不安になる邪見。自分自身が【妖】であるだけに、【人間】の事は不案内なところもあり、どちらかと言えば物知りであろう弥勒にそう言われ、不安を煽られてしまう。

「ふ〜ん。妖怪でも長らく一緒に暮らせば、【情】が移るもんなんだね。邪見、あんた心底りんの事が心配なんだろ?」

 今更当たり前で、でも【妖怪】としては素直に認めるのも癪に障る話で、でもでもやはり…。
 慌てふためく邪見の姿を小さく笑みを浮かべた瞳で二人は見やり、どんなに尋常ならざる【繋がり】でも、りんに取っては【ここ】が一番の居場所なのだろうと頷き合う。

「ワ、ワシは何もりんの事を心配しとる訳ではないわっっ!! りんの身に何かあれば、ワシが殺生丸様からきつく責めを受けるから、気にしとるだけの話じゃっっ!!! …何も、ワシの所為ではないにも関わらずの」

 本音も言い訳もごちゃ混ぜな、邪見の言葉。
 
 ……そう、確かにりんに【何か】あったとしたらそれは、【邪見】の所為ではない。
 
「それじゃ、珊瑚。そちらはお前に頼みます。私は少し、あっちが気になるもので」

 と親指をくいと傾け、皆から少し離れた所に所在無く立っている犬夜叉を指差した。

「ああ、判った。事と次第によっちゃ、それなりの手を打たなくちゃならなくなるかも知れないね」
「まぁ、そうですね。出物腫れ物ところ嫌わず、ですか」

 自分達だけ解り合うと、珊瑚はかごめとりんの元へ。弥勒は相変わらず仏頂面なままの犬夜叉の側へと歩み寄る。残されたのは、【この手】の話を理解するにはまだちょっと早かろうと思もわれる七宝と、渦中にありながらイマイチ状況が飲み込めていない邪見の二人。

「のう、邪見。今の話、お前は解ったのか?」
「ふん、知るか!! 勝手にりんを病人扱いにしよってっっ!!!」

 邪見の胸の中に湧きあがる不安と言う黒雲は、程なく驚愕と言う嵐に吹き消されてしまうのだが。


 
   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 
「かごめちゃん」

 暫らく会えなかった間のお互いの近況を、談笑交じりに報告しあい、すっかり打ち興じているかごめとりんの間に珊瑚が入る。

「何? 珊瑚ちゃん」

 りんとの会話を少し区切り、珊瑚の方へ注意を向ける。

「うん、あのね…」

 珊瑚は少し声を潜め、弥勒も感じた【ある疑念】についてかごめに耳打ちする。

「ああ、やっぱり。弥勒様も珊瑚ちゃんもそう思ったんだ」
「と言うと、かごめちゃんも?」
「うん、色々話を聞いてみると、なんとなくそうじゃないかなぁ〜、って。まだ、確かめてはないけどね」
「法師様が言うには、犬夜叉が何か知ってそうだって。今、聞き出しに言ってる」
「…そう。そうね、あの二人の関係も前から知っていて、長い事隠してたものね」

 そう言いながら二人は、きょとんとした感じのりんを見やった。

「 ―――― ?」

 …夏の初め、【暑さ】もそこまでなくとも暑気あたり?
 山奥の涼しい別邸で養生しても、治らない?
 かと言って、一行の主である殺生丸はこれと言った治療を施そうとはしなかった。

 何よりも、【りん】の身の上に起きた事にも関わらず!
 
「…どう思う? そーゆー事ってあるかしら?」
「…うん、見かけが【子供】っぽいからって、中身もそうだとは限らないし、何より、ね……」
「まぁ、それは、ね。もう随分になるでしょ、この二人。ほんと、とんでもない話なんだけど!」
「??????」

 かごめとりんの小声の会話を解らぬ顔して、小首を傾げ聞いているりんの様子は無垢も無垢、生まれたての雛のようで、それだけに!!

「…一応、聞いてみましょ。まずは、それからね」

 ようやく結論めいたものを出し、かごめと珊瑚はりんに向き直った。
 
「…あのね、りんちゃん。ちょっと聞きたい事があるんだけれど…」
「はい? かごめ様」

 純真そのもの、こう言う問いかけをする自分達の方が【いけない事】をしているようで、口が重い。

「えっとね、りんちゃんはお腹が痛くなったり、…が出たりした事がある?」
「うん? あっ、はい。はい、いつもです」
「いつも?」
「りん、だいぶ慣れたんだけど、やっぱりまだきつくって」
「きつい? 生理痛が酷いのかしら?」
「生理…痛? いえ、そうじゃなくて…、殺生丸様の ―――― 」
「うわわわわわ〜っっ!!!!!」

 思わず出した叫び声に、周りの視線が一斉に集中する。
 それを慌てて、何でも無いと手を振りさささっとりんを木陰に珊瑚と二人で連れて行く。

 
 あうぐぅあぅぅぅ〜!!!!
 
 聞くんじゃなかった!!
 聞いてるこっちが赤面するような事を、無知だからこそけろりと口にするりん。だけどこの様子だとやる事やっても、あの朴念仁は教えなきゃいけない事を教えてないような気がする。
 
( …どうする、かごめちゃん。この調子じゃ、いつ【月のもの】が来たかなんて判ってないんじゃない? )
( そうね、それに【初めて】でヒットかも知れないわ。随分と撃ちまくっているようだから )
 
 何かの時にと、携帯している検査薬はこの前自分で使ってしまったし。
 ほぼ十中八九は間違いないと思うのだけど決め手が欲しい所。
 【人間】の赤ちゃんと【半妖】の赤ちゃんでは、月数の数え方が違うかも知れないけど、目安は欲しい。いざとなれば、冥加に犬夜叉の時の事を聞けば参考にはなるだろう。
 
「…ねぇ、珊瑚ちゃん。まさか、あいつ【この事】に気が付いてない、って事はないよね?」
「あっ、うん、多分…。あたしの時は、法師様すぐ気が付いてくれたから」
「弥勒様とあいつとじゃ、比べ物にならないでしょ。弥勒様はマメだし、 気配りの人だけど、あいつは殺生丸は唯我独尊ってタイプだもん」

 当事者であるりんの頭上で、飛び交う会話。
 その内容に未だ気付いてないのは、りんも邪見同様であった。

 
 近付いてくる足音にいっその事、この場から逃げ出そうかとも考えた犬夜叉。それを実行しようかと身構えた時、のどかにも物腰柔らかに弥勒の声が聞こえた。

「犬夜叉。お前、風穴と破邪の札とどちらが好みですか?」

 声音に似合わぬ物騒な内容に恐る恐る振りかえると、にっこり微笑みながら右手に札を構え、左手は風穴の封印である数珠をいつでも外せるように用意している。

「な、なんだよ! その薄っ気味悪い笑い顔と物騒な構えはよっっ!!」
「あ〜、これですか? これは、お前が俺の言う事を聞かねぇって言う腹なら、って事ですよ」

 と、偽りのにこやかさの影に不良法師の名に恥じぬドスを効かせる。

「…お、俺は何も知らねぇぞっっ!!」
「ほう? 何も知らない」

 ひくり、と弥勒の片頬が微妙に上がる。

「…数日前から、兄上はお留守のようですがそれも知らなかった、と?」
「いちいちあいつの動向を探ってる訳じゃねぇ! 居ないんなら、そうなんだろうよ!!」
「ふむ、犬夜叉。お前は、今 ここには兄上は不在だと言う事は知ってましたね」
「だから、俺は知らねぇ、って!」
「ふふ、犬夜叉。私を舐めてもらっちゃ困りますねぇ。お前が知らないって言い張るほど、【知ってた】って事だろうがっっ!!」

 
 豹変。

 
 犬夜叉も【変化】するが、人間だって【変わる】のである。

「み、弥勒…」

 襟首を引っ掴まれて、捻り上げられる。
 体力オバケな犬夜叉だから、それで絶息するような事はないが苦しい事は苦しいのだ。充分、弥勒も【人間離れ】しているのだから。

「…兄上が不在であっても、足を向けたがらなかった理由はりんの【異変】が何か、知っているからではないのですか!」
「く、苦し…い。俺は…、何も… 知…らねぇ……」

 さくっ、さくっと軽い足音。

「弥勒様、まだ手緩いわ。後は私が」

 可愛らしい声で、地獄の底に犬夜叉を突き落とす。

「おお、かごめ様。では」

 それこそ満面の笑みを浮かべて、弥勒が犬夜叉を開放した。かごめが大きく息を吸い込み ――――

「お・す・わ・り・っっ ――― !!おすわりっ、おすわりっ、おすわり〜っっ!!!!」
「ぐええぇぇぇぇっっっ!!!!!!」
 
 ……物凄い音を立てて、犬夜叉の体が地面に減り込んでいる。
 犬夜叉の知った事ではないが、例えるなら金星並みの重力をかけられ、完全にぺちゃんこ。
 
「う、ぐぅぅぅぅ〜」
 
 ようやく潰された肺に息を吸い込み、潰れた声を絞り出す。その犬夜叉の上にゆらりと影が落ちて、聞き慣れたかごめの声が耳に響く。場合によってはこれ以上【甘い】響きはないと思われる声が、今は地獄の獄卒の声のよう。

「ね、教えてv 犬夜叉」
「あ…、うぅぅぅ〜 その…」

 あまりにもな派手な物音に、わらわらと邪見に七宝、勿論珊瑚にりんも集まってくる。

「あ、そう! じゃ、もう一回。おす…」
「ま、待て! 判った!! 判ったからっっ!! 言やぁいいんだろ! 言やぁっっ!!」

 周りを見回し、その中にりんの姿もある事を認め顔を赤らめ、ぽつりと。

 
「…在(い)る。りんの腹ん中。殺生丸の赤ん坊」

 
 どよどよどよっ!! と起こるざわめき。
 当の本人はやはり状況が良く飲み込めなくて、大きな瞳をしばたたかせ。


「「「 やっぱりっっ ――― !!! 」」」


 かごめ・珊瑚・弥勒の三重奏。

「なんじゃとっっ ――― !!! 一体、いつそんな事になったんじゃっっっ!!!!!」

 もともと転げ落ちそうな金壷眼をさらにひん剥き、口から泡を噴きかねない程、恐慌を来している邪見。
 その様を見て ――――
 
( …もしかして、邪見ってば、今の今まで気が付いてなかったのっっ〜!! 信じられない! )
 
 かごめ、心の叫び。
 鈍さもここまでくると、救いようがない。

「おいっ、犬夜叉! いい加減な事を言うでない。何をどう間違えれば、あの誇り高い殺生丸様が、こんなちんくしゃな人間の小娘にお手を付けると言うんじゃ! こんなまだ子供々々した、胸も尻もないようなガキにっっっ!!!」

 あまりの言われように、もともと少し釣り目がちなりんの大きな瞳がさらに釣り上がる。ここには居ない筈の殺生丸の突き刺さるような冷たい視線を感じたと思うのは、気のせいか?

( ―――― いや、だからこそ! 知った時にはこっちもびっくりしたんじゃない!! なんで、いつも側にいるあんたが知らないのよ? そっちの方が不思議だわ )
 
 再びかごめ、心の叫び。
 
「…邪見。今の台詞、殺生丸の前で言おうものなら、即 瞬殺だよ?」
「へっ…? あ、あの〜、お前ら、もしかして……」
「うむ、邪見。では、ここは冷静に考えて見よう。経験者である珊瑚の診たてでも、その可能性がありと見ている。ではりんの【腹の子の相手】に成り得る人物に、殺生丸以外にお前は心当たりがあるのか?」

 坊主だけに、こーゆー相手を理詰めで説得させるのはお手のもの。

「りんの…、相手? いや、いつもワシ等殺生丸様と一緒じゃし、たまに一人で留守居をさせる事もあるが、そんな場合は阿吽を側に置いておる。もしその時、何かあったとしたら……」

 ……あったとしたら。

 りんがワシや殺生丸様の目を欺くような真似はすまい。
 そうなれば無理矢理、と言う事になる。あの、すっかりりんに懐いてしまった阿吽が側に居て、おめおめと暴漢にそんな真似をさせる筈もなかろう。阿吽も歯が立たぬ程の相手だとしたら、りんが無事な訳がない。

 いやいや何より、もしりんがそんな目に合おうものなら殺生丸様が気付かぬはずもあるまいし、そのお怒りは考えるにも恐ろしい。

 では、やはり?

 ……そう言えば、いつからか【夜のお使い】が増えた。
 決まって珍しい薬草だったり果物だったり。
 朝帰ってくると、りんがだるそうなのが常じゃった。
 
 つまりは… そう言う事か?
 
「…犬夜叉。嘘…、じゃろ? 性質の悪い戯言じゃろ? な、な、そうであろう!?」

 邪見にしてみればいつの間にか孫も同然の、それもまだまだ【子供】であって欲しいと願っていたりんが、とっとと主人に【食われて】たという衝撃の事実。虚しさを知りつつも、最期の悪あがき。

「ふん! これだけの目に逢わされて、嘘ついたって俺に何の益がある。ああ、はっきり言ってやらぁ! 間違いなくりんは孕んでる!!」

 開き直ったのか、上半身を起こし衣に付いた土を払いながら、力を込めて断言する。
 今まであまりの事にボンヤリしていたりんの瞳がきらきらと輝き出し、 犬夜叉の顔を覗き込む。

「ほんと! 本当にりんのお腹に殺生丸様のややがいるの!?」
「…ああ、本当だ。間違いない。女は孕むと匂いが変わる。それにお前の腹から小さいけど、しっかりした心の臓の音が聞こえる」
 
 それは…、まるで蛹から蝶が羽化したような、そんな錯覚を覚えさせた。
 
 幼く華奢なりんが、まだ膨らみも無い自分の腹をその小さな手で愛しいそうに撫でる。浮かべた笑みには、誰にも侵す事は出来ない神聖なる母性の光。

 
「…りん、嬉しい。本当に、本当に嬉しい!!」

 そのりんの姿に気圧されて誰もその事実に【非】、と言う者はなく。

「…えっと、それじゃ、もうあんまりりんちゃんには無理をさせちゃダメよね?」
「うん、そうだね。今までみたいな旅暮らしはね」
「楓様の村に、暫らくりんだけでも逗留させれば良い。こういう事にはどうしても女手の要るものですし」

 ぼーぜんとしている邪見をよそに、りんの為の段取りが勝手に進んで行く。石化している邪見の横には七宝。

「ふ〜ん。お父が言うとったとおりじゃな。男と女が一つ布団で寝れば、子が出来ると。りんに取っては、殺生丸のもこもこは布団替わりじゃもんな」
「あ…?」
「しかし、一緒に寝るだけで妖怪だろうと人間だろうと、大人でも子供でも構わず子が出来るなら、オラも気を付けねばな。オラしょっちゅうかごめと寝とる。オラの子がかごめに出来たら大変じゃ」

 七宝なりに真剣に考えて口にした言葉だったのだが、言い終わった瞬間、犬夜叉に踏み潰された。

「出来るか、ばーろっっ!! 俺ぁ、一足先に村に帰る! お前らは勝手に騒いでろ!!」

 言うが早いか、手近な木立ちの梢に飛びあがり、あっと言う間に姿をかき消す。

 
 その、犬夜叉の胸の内は ――――



  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 
 【人間】の身で、【妖怪】の子を産む。

 かつての自分の母のように。
 産まれた子は、【半妖】
 
 あれほど、自分を忌み嫌った殺生丸。
 【人間】を【半妖】を蔑み切っていた。
 今でもそうだろう。

 
 【りん】が特別なのだ。

 
 だが、りんの腹の子は?
 己の血を引く忌まわしい【半妖】
 今までの経緯を考えれば、殺生丸にとってこれほど憎悪するものはないだろう。
 

 いや、それだけではない。
 りんの身すら、危うい。

 
 母が、そうだった。


 【妖】と交わると言う事は ――――

 
 【命】を削ると、同じ事。
 その妖気に、異質なる存在に。
 蝕まれ、果敢無くなる。

 
 それでも俺は


 
 父に望まれ


 
 母に望まれ


 
 この世に生れ落ちた。

 


 
 殺生丸は望まない。きっと!!!

 

 

 ふと犬夜叉の鼻先を、今一番逢いたくない者の匂いがかすめる。そのまま捨て置こうとしたが、相手も自分に気付いている事に舌打ちし、苦虫を噛み潰したような気分でそちらへ向かう。

 
 そこには ――――

 
 近寄り難い程の玲瓏さを湛えた、異母兄・殺生丸。

 
「…どうするつもりだ、殺生丸」
 
 自分より鼻の利く異母兄だ。
 今までりん達の側にいた事も、りんの懐妊に気づいた事も言うまでもない。
 
「…お前の知った事ではない」
「ああ! 確かにな!! お前がりんの腹の子をどうしようと俺の知ったこっちゃない。お前、りんにも知らせてなかったってのは、そう言うつもりだった、って事だろ!?」
「そう言うつもり…」
「…りん毎腹の子を始末するつもりなのか、それとも薬でも飲ませて堕胎すつもりか、知らねぇけどな」
「…………………」
「りんの腹の子は、手前ぇの大っ嫌いな【半妖】だからな!」

 
 ――― 意外な気がした。

 
 犬夜叉が投げつけた言葉を、聞いたのか聞かなかったのか。
 その表情は、いつもと変わらず。
 ふい、と顔を空に向け ――――

 
「成るように…」

 
 その言葉を残し、風のように。


「殺生丸…」


 凍てついたような顔だった。
 そう、思った。
 だけど…、その面の上に。


 
 一瞬、浮かんだあれは、なんだ?


 そこにはもう居ない殺生丸の面影を追い、今までの二人を思う。


 
 なぜ、殺生丸とりんは出遭ったのだろう?
 なぜ、りんは殺生丸の後を追う?
 なぜ、殺生丸はりんを守る?


 
 なぜ、殺生丸はりんを……


 
「あ〜っっ!! もう! 俺が考えたって判る訳ゃねーだろ!!」
 
 そう叫んで、気が付いた。
 ……殺生丸にも、判ってないのかも知れないと。
 だから……
 
( 成るように… )
 
「ふん! よーするに、とんでもない行き当たりばったりって事かよ!! あんなガキに手ぇ出すような鬼畜野郎だもんな、あいつは!」

 空を見上げた殺生丸の表情と、瞳をきらきらさせたりんの表情が重なり、いつの間にか先ほどまで自分の胸の内を占めていた、重く暗い思いはどこかに行ってしまっていた。

 
   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 

  ――― お前の知った事ではない。


  そう、お前の思惑など。
 
 ……父上より、分が悪い。
 この身を満たす、妖気に【毒気】
 この【毒】は母上より譲り受けしものなれば、お前の母を蝕みはせぬもの。だが、りんは……

 
 あれは…、屍だった娘。
 私に、初めて笑いかけた娘。

 
 天生牙にてこの世に繋ぎ、私に繋ぐ。
 待てば、あれの【時】は永らえるのか?
 五年十年、二十年?
 たかが、それだけの【時】

 
 もとより、待つのは性(しょう)に合わぬ。

 
 手に入れて、情を注ぎ、毒を注ぎ。
 いつかその身を満たし、腐らせる。

 
 全て判っている事ならば、後は【成るように】――――


 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


「殺生丸様!! りんねっっ!」
 
 犬夜叉が立ち去ってから間もなく、空の高みからこの騒動の元凶である殺生丸が現れる。
 その姿を認めるや否や、りんはそれこそ子犬のように駈け寄り、周りの者をひやりとさせる。
 
「りん…」
「ややがいるんだって! りんのお腹にっっ!! 殺生丸様のややだって!」

 今まで見た来た笑顔の中で、一番ではないかと思われるその笑み。
 
( …判っているのか? りん。 それが、どんな意味を持つのか )
 
 どれほど自分の身が危うい事か。
 未熟な体で子を孕む、という事の危険性。
 医学が未発達なこの時代、出産は母子ともに命がけの行為であった。
 ましてやそれが【妖】の子であれば、母体にかかる負担の程は計り知れない。

「…喜んでいるのか、りん。この夏、臥せったのはその所為であっても」
「うん、勿論! だって、殺生丸様のややだよ? りんね、目の前でいっぺんにお父やお母を亡くしたけど、こんな風に自分がお母になれるなんて思わなかったんだもん!!」
「りん…」
「それに、今はもう元気だよ? りん、ぜったい元気なややを産んで見せるよ、殺生丸様!」

 幼過ぎる程に幼いのに、それでも【雄−おとこ−】と違い、その胎内で【命】を育む者だけが持てる強さ。それが眩しいほどの喜びとなって、りんの華奢な体全体から溢れてる。

「…せっ、殺生丸様〜〜、ほんっとに本当なので御座いますか? りんの腹にいるのが、殺生丸様のお子と言うのは」
「邪見様ったらねー、さっきからずっとあんな事ばっかり言ってるんだよ。殺生丸様のお子じゃなきゃ、一体誰の子だって言うんだろうね?」
「……………………」

 ゆうらりと、立ち昇る怒りのオーラ。
 何気ないりんの言葉に含まれた、もしそうだったら絶対許されざる事柄に、無言の圧力をかける殺生丸。

「邪見…」

 突き刺さるどころか、魂まで凍てついて砕け散ってしまいそうな、その声音。

「は、はいぃぃぃ〜!!」

 ひたすら頭を地べたに擦り付ける様に伏せ、次の言葉を待つ。

「気付かぬお前が悪い」
「せっ、せっしょ… ふぎゃあぁぁぁぁ〜!!!」

 思いっ切り蹴り飛ばされて、哀れ邪見は空の星。


 
 ……【悪い】のはさて、どちらの方か。

 
「りん」
「はい、殺生丸様」
「…では、良いのだな?」
「はい!!」


 その場に居た者は皆、我が目を疑った。
 それがほんの一瞬だったとしても!!
 殺生丸の冷徹な顔に浮かんだ ――――

 
 微笑み。

 
「 ――― 少し遠いが、父上の古い知り合いがいる。そこにお前を預けよう。もう、動いても大丈夫だろう」

 ふうわりと、優しくりんの小柄な体を自分の妖毛に包み込み、抱きかかえると空へと舞い上がる。上空で待たせていた阿吽に跨り、風になる。

 

 ―――― 見事としか言いようの無い程、かごめ達は無視され切っていた。


「あ〜、まぁ 考えていなかった訳じゃなかったのね」
「そうだね、犬夜叉が気付くくらいだから、最初から知ってたんだ」
「…これでまた、兄上ももう少し丸くなられるのではないですかな?」
「…なんか、想像がつかんのう。あの殺生丸が、赤子をあやしたりするんじゃろうか?」

 七宝の言葉に皆その様を想像し、一斉に吹き出した。

「んー、犬夜叉や殺生丸のお父さんって子煩悩そうだったから、赤ちゃんが産まれたら、殺生丸もそうなるかもね」

 複雑な気持ちはまだ胸の中に残っているけど、ほっこりと温かいものも感じている。

 
 ―――― 【新しい】なにか。


「うん、良いかも」
「成るように、成るものですな」
「さて、あたし達も村へ帰ろう。犬夜叉にも教えてやらないと。【りん】は大丈夫だって!」

 

 


「はあぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜」

 これ以上、大きな溜息はつきようがない! と思えるほどの溜息。
 
 今 思えば…、この無口な殺生丸様と二人きりで旅をしていた頃の方がずっとずっと平穏で心安らかだったんじゃな。その無口さ故、何を考えているか判らず足蹴にされる事が度々あっても。
 そりゃ、足蹴にされれば、痛かった。

 痛かったが、それでも、今よりはマシじゃわい!!
 小さな手がワシの皺びた頬をびよぉ〜んと引っ張り、殺生丸様譲りのケリの技を先天的に身に付けた小さな足で、しきりとケリを入れてくる。
 いや、殺生丸様譲りは足技だけではなく、その鋭い視線もまた然り。
 なんでワシ、固まってしまうんじゃろう。半分はりんじゃのに!

 また、【血】は争えぬもの。
 やたら乱暴なのは、【あやつ】似か。

 う〜、ブルブル。

 下手な事は口にせぬが、長生きの秘訣。
 でも、ワシ… 今にも死にそうですが、殺生丸様〜っっ!!

「邪見!」
「邪見っっ!!!」

 舌足らずな声の二重奏。

 
 ……あの時、犬夜叉が言わなかった事が一つ。

 
 りんの胎内から聞こえた心音は二つ。
 それは、亡き闘牙の望んだ【対の狛】
 
 月満ちて、生れ落ちた二つの【命】

 

 実り豊かな、豊穣の月 ―――――


                      
【完】
2005.4.7



【 あとがき 】

ふぅ〜、終りましたっっ!!
久しぶりに少し長めの話になりました。それでも二万字足らずですが。
この話は、お友達のサイトに勝手に送りつけさせて頂いている、殺りん
艶笑小話系の話の未来編のような内容になってます。

記念作品を書くに当たってアンケートを行った結果、殺りんメイン+犬
一行、数年後設定・恋愛物でコミカルに、だったんですね。
殺りんメインでコミカルに、と言ったら私の書く物で言えばこれだろう
と。で、コミカル色を強めて書いていたのですが、途中、シリアスモー
ドに入りそうだったので修正しました。これは書き手の性格ですかね^_^;

ただ、やっぱり恋愛物… 私にはハードルが高いです、はい。
基本設定が多分に間違ってるんですよね、私。現行設定で行ってますか
ら、ローティーンの女の子に『愛』を囁く構図には持って行きにくい、
と。おまけに兄、喋りませんから。

読んで下さったお客様が少しでも笑って下さったり、楽しんで下されれ
ば本望です。これからも、よろしくお願いします。


『花紋茶寮』管理人 杜 瑞生 拝。


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