【 花 いちもんめ 】
――― かってうれしい 花 いちもんめ
月に一度、従兄弟達が遊びに来るこの日を颯(はやて)は事の外楽しみにしている。勿論、村には七宝や弥勒の子や蓬莱島から来た半妖の子どもたちなど幼馴染は沢山いるのだが、普段一緒に遊べない分、特別なようだ。
そう、今日はいつの頃からか始まったそんな月に1回の会合の日。小屋の外からは、楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえる。その輪から、一人外れて……。
「……そっか。今日はりんちゃん、一緒じゃないんだ」
「りんはこの夏辺りから、少し具合を悪くしている。父上も邪見も心配はないと言うので、大丈夫なのだろう」
子どもらしからぬ口調で、かごめが手渡した『ここあ』を湯飲みで静かに飲む天生丸。その様は、そのままこの子等の父親に生き写し。
かごめは俺とこの『時代』で生きて行くと決めた時に、これから必要になるだろうものを何度もこちらの世界に持ち込んできた。その為のあちらとこちらの往復作業が、かごめにとっての自分が生まれ育った世界への決別の儀式だった。
最後に向こうを旅立つ時、かごめはじいちゃんにこの井戸を封印してくれと頼んだ。自分も向こうの井戸を封印するからお札を分けて欲しいとまで言って。
かごめらしい、潔さで。
持ち込んだものの殆どは、使えば無くなってしまうようなものばかり。こちらの時代に馴染んでしまう為の時間を、帰るべき家をなくした自分の為に。向こうから持ち込んだ物が全て自分の周りからなくなった時、本当に自分は『この時代』の人間になれるからと、瞳の端に涙を滲ませ笑っていた。
「……ちょっと、未練がましいけどね」
と言っていたが、俺はそうは思わない。俺はかごめがどれほどあの時代を愛していたか、良く知っていたから。
それを、俺の為に……。
そんな訳で今言った『ここあ』のような、長期保存できる食べ物が少し残っているくらい。
「おい! 天生丸!! そんな所で年寄りみたいに落ち着いてるんじゃねぇっ!! 早く来いよ!」
そう大声で外から声をかけてきたのは、天生丸の双子の弟・夜叉丸。その夜叉丸の後ろには、これまた良く似た、俺とかごめの間に生まれた颯がぴょこと頭を覗かせる。
騒々しい弟に、軽くため息をつきつつ腰を上げる天生丸。この子がいくらその父親に似ていようと、その身に流れる血の半分はあの無邪気なりんのもの。似た目・振る舞いよりも子どもっぽい所が多い事に、最近気付いた俺とかごめである。
「行ってらっしゃい、天生丸。他の子どもたちも待ってるわよ」
そんな天生丸を送り出すかごめの声。一陣の嵐のような子どもたちの歓声が通り過ぎ、その分大人たちだけになると静かさに圧迫感を感じる。その静けさを、くすくすくすという小さな忍び笑いが優しく打ち消す。
「なんだ? かごめ。その笑いは?」
「ん〜、大きくなるほどにますます似てくるなぁって思って。あの三人、本当の兄弟だって言ったら、そのまま通るわよね」
「けっ! 夜叉丸はまぁ判るとして、天生丸と颯のどこが似てるって!?」
「あら、やだ! 犬夜叉、あんた自分と殺生丸が似てるって自覚がないんだ」
「気色悪ぃ事言うな! かごめ!! あんな奴と似てたまるかっっ!!」
「……似てるわよ。不器用で素直じゃなくて、鈍感なとこなんか。でも、大事なもの守るべきものには命さえかけちゃうようなところなんて、本当そっくりよ」
そう言い切られると、妙なくすぐったさと居心地の悪さで言葉さえ出てこない。
「天生丸も、そんなタイプね。本当はりんちゃんの事、心配でたまらないのにあんな風にしか言えないのよね。夜叉丸はりんちゃんの素直な性格がそのまま出てるのかな? あんたよりも直情タイプ。ウチの颯はその中間かな? まだあの二人に比べたら小さいけどね」
すっかり母親の顔で、子どもたちの特徴や長所を見抜き見守っているかごめ。子を持つと、女は途端に色んな意味で強くなる。
「……具合が悪い、か。まぁ、西国は暑い所だし回りは妖怪ばかりだからな。暑気あたり、妖気あたりは仕方がねぇかもな」
「妖気あたりと言っても殺生丸や邪見がいるから、そこのところは大丈夫でしょ。いざとなったら、殺生丸の結界の中に入っちゃえばいいんだし。やっぱり、この夏の暑さかな?」
そんな会話を続ける二人は、身内の世間話に興じるすっかり夫婦もの。
だが、その真相は……
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「ねぇ、今日はどうしてりんは来ないの?」
颯にとって兄貴分の双子の従兄弟が自分の『母』を『りん』としか呼ばないものだから、自然颯もそう呼ぶようになっていた。もしこれが自分の母を『かごめ』などと呼ぼうものなら、速攻で父・犬夜叉の愛の鉄拳が飛んでくるだろう。
またりんも、幼くして母になったため、颯の目から見れば姉ぐらいの感覚でしか見えないのも一因である。
「うん? ああ、すこし具合が悪くてな。なぁ、天生丸」
「うむ……」
「え〜っっ!! それって、心配じゃないの!?」
一頻り遊び飽いて、少し落ち着いたそんな一時。
「そーゆーもんだから、そこまで心配しなくてもいいらしい」
「そーゆーもん?」
従兄弟三人、良く似た金色の瞳をくりっとさせて、お互いの顔を見詰め合う。
「ああ、ちゃんと安静にしていれば、時期に治まるものらしい」
「だけど、これって絶対りんに対する親父の虐めのせいだよな!!」
「虐め、って……?」
颯の胸がドキドキし始める。自分の両親も喧嘩をする事はあるけれど、本当の所はとても仲良しで、どちらかがどちらかを虐めるなんて事はない。
ただ……
以前聞いた話では、この従兄弟の父親である殺生丸はそれはもう冷酷非情な性格で、颯の両親は共に殺されかけた事もあったという。特に『人間』に対しての冷酷ぶりは、まるで虫けらを踏み躙るようなものだったと。
そんな性格の悪い殺生丸に、どこが良かったのか『りん』が付いて離れず、気がつけばいつの間にか今のようになっていたらしい。
まわりをきょろきょろと見回し、他に誰も居ないのを確認するとそっと夜叉丸が颯の耳に囁いた。
「で、お前んちはどうだ? お前の所も半妖と人間の組み合わせだろ? 犬夜叉にかごめも虐められてないか?」
「……そんな事ないと思うけど。うちは父さんも母さんも仲良しだし ――― 」
「……お前の前では、そう振舞っているだけかも知れぬぞ。お前が寝入った後の事は ――― 」
「僕が寝たあと?」
そう言えば……
不意に不安になるのは、時々朝起きた時にいつもと違う風な感じを両親の姿を感じる時があるからだ。
なんだかぎこちないというか、取ってつけたような笑顔だとか……。
「……ねぇ、殺生丸はどんな風にりんを虐めるの?」
返ってきた答えは ―――
「大抵は夜。時々、昼間でも」
「夜?」
「ああ、押しつぶすように自分の体をりんの上に乗せて」
どきっ! その光景は颯も目撃した事がある。それじゃ、自分の両親も……?
「そ、それから……?」
「息が出来ぬように、口を塞ぐ」
「それって、『ちゅう』って事?」
「何度もそれをやられると、ずっと走って息が苦しくなった時のようになる」
「う、うん……」
そうだ。
確かに、眠りに落ちる少し前に聞こえる母の息遣いは、いつより激しく苦しそうにも聞こえた。
「りんは止めて欲しくて何度も親父の名前を呼ぶんだが、止めやしない」
「そう、父上は時折りんの名を呼んで黙らせるが」
そうか!
知らなかった!!
あれは、仲良くしているのだとばかり思っていたけど、本当は ―――
( 父さんも母さんを虐めているの? でも、そんな…… )
「どうした? 颯。黙り込んで?」
「ウチもそうかもしれない。僕、『ちゅう』の後は知らないけど……」
自分たちより小さな颯が真剣な顔をして、不安を隠すように拳をぎゅっと握り締めている。
「……颯は知らない方が良いかも知れぬな」
「ああ、そうだな」
訳知り顔で互いを見やる従兄弟達。
「……そんなに酷い事をするの?」
「この話は、ここまでにしよう。颯、お前はまだ小さいから」
その一言が、颯の心の敵愾心を煽った。
この従兄弟達が、自分の母であるりんを物凄く大事にしている事は知っている。あの誰もが恐れる大妖怪・殺生丸を相手にしても引かないほどに。その訳が、今 判った様な気がする。大好きな母を虐めるような奴なら、それは当然だ! それなら、颯とて母は大好き。もし、その母を父・犬夜叉が虐めているのなら……。
「大丈夫だよ。ちゃんと話して! それを聞いてから、僕の父さんと母さんもそうなのか考えるから」
「そうか…、じゃぁ、よく聞けよ」
「うん!」
従兄弟達の話では、そうやって息も絶え絶えになった所にさらに追い討ちをかける様に、激しくりんの体を揺さぶるらしい。ただでさえ小さなりんの体。足や手が折れそうに跳ねて、声も出せなくなって……。その時の殺生丸の放つ妖気は、半妖とは言え並みの妖怪の妖力を遥かに超えるこの従兄弟達が身動き出来なくなるほどで、それはもう恐ろしく。
そうやって虐め抜かれるりんの姿を幾夜目にした事か。
いつも自分たちに掛けてくれる幼く優しい声が、断末の響きに変わりピクリとも動かなくなった手足を見る度に、父親に『りん』を殺されたと心底震え上がる。
「…それ、本当…なの? そんな酷い事を……」
颯のあどけない丸い瞳が驚きで見開かれる。
「ああ、本当だ」
「颯が我等の従兄弟だから、話す事。他の者には聞かせる訳にはゆかぬ」
「でも!! それならどうしてりんは殺生丸の所から逃げないのっっ!! りんがそのつもりならきっとウチの父さんや母さん、弥勒様や珊瑚母さんも力を貸してくれるよ!」
そう、それはもっともな話。
だが……
「……そんな目に遭わされても、りんは父上が好きなのだ」
「えっ、そんな……」
「それに…、親父もそうみたいで……」
困惑気な顔付きの、天生丸と夜叉丸。もっと判らなさそうな顔は、颯。
( どうして? どうしてなの?? 好きな相手をどうしてそんな風に虐められるの? それに、自分を虐める相手をどうして好きでいられるの??? )
―――― 『子ども』には、まだまだ判らぬ男と女の情の機微。
「……大人って、わからないもんだね」
「ああ、だけどその所為でりんが具合を悪くしたのは確かだし……」
「もっと判らないのは、具合が悪いのにりんが嬉しそうな事なんだ」
「嬉しそう?」
「じき、私たちが『兄』になるとか……」
颯の頭の中は、もうぐるぐるしている。
虐められても、仲良しで。
虐められて具合を悪くしても嬉しそう。
具合が悪いのと、『兄』になるのとどういう関係があるんだろう?
「なんだか僕、頭から熱出そう」
「だから言ったのだ。お前はまだ小さいからと」
「で、どうだ? お前んちの様子とは?」
こちらの事を心配してか、それともそーゆーものだと確認して安心したいのか。
それが『大人』の常識だとしても、りんを虐める事は許さぬが! と言う無言の圧力。
「……似ている所もあるけど、よく判んない」
「そうか。お前の親父は俺達と同じ半妖だからな。人間に対する当り方が、ウチの親父とは違うのかもな」
「父上は生粋の大妖怪だからな」
それ以上は、もう語るべき事もない子ども達。
この子達が『大人』になるまで消える事のない、大きな謎と大人への猜疑心をその胸に芽生えさせて。
やがて日が暮れ、従兄弟達を古参の従僕である邪見が迎えに来る。
阿吽の背に乗り、小さな影が暮れてゆく太陽を追って西の空に消えてゆく。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「あら、どうしたの? 颯。あんまり食べてないのね」
家族三人で囲む夕餉の卓。迎えに来た邪見が土産代わりに置いて行った、この時代では珍しいさつま芋をゴマ油で天ぷらにしてみたのだが、あまり颯の箸は進まない。
「腹でも痛いのか、颯?」
かごめの作る物なら、それが失敗して酸っぱくなった沢庵でも美味い美味いと食ってしまう犬夜叉だから、上出来でホクホクと甘く美味しいイモの天ぷらを食べようとしない颯は、どこか具合が悪いのではと、なんの疑いもなく思ってしまう。
「……うん、僕 ちょっと疲れたみたい。もう、休んでもいい?」
「まぁ、そう? そうね、熱はないみたいね」
やさしいかごめの手が颯の額に触れ、熱を測る。
あれから色々考えすぎて頭が痛くなっていた颯だが、まだ『知恵熱』までには至っていない。
「昼間、夜叉丸達と遊びすぎたんだろう。病気じゃないならそのまま休ませておけ」
子どものように口いっぱいにイモの天ぷらをほうばりながら、そう犬夜叉が言った。
颯は衝立の向こうに敷かれたこの時代では珍しい、かごめの嫁入り道具の一つの布団の上にぱたん、と横になる。考え過ぎた颯の小さな頭はそんなつもりはなかったのにあっという間に、本当に眠ってしまっていた。
( ……良く、寝てるみたいだな )
( そうね。昼間、沢山遊んでいたから )
( それじゃ…… )
( ええ、そうね )
不穏な気配のせいか、それとも夕食抜きで寝たので腹の虫が夜中に騒ぎ出したのか。
半分寝ぼけ眼で颯が見た光景は、まさしく昼間あの従兄弟達が語っていたそのままで。
「父さんのばかっっ〜〜〜!!! 母さんを虐めるなっっ!!」
ぐっすり寝ているものだとばかり思って、久々に心行くまで『夫婦事』に勤しもうとしていた二人は、まさにこれからが本番。
そこに、いきなりの颯の叫び!
慌てて、犬夜叉は側にあった衣で前を隠しながらかごめの上から飛び下り、かごめは全裸の姿を颯に気付かれまいと敷布を体に巻き付ける。
「ど、どうしたの颯!? 寝ぼけたの?」
「だ、誰がかごめを虐めるって…、そんな事、ある訳……」
と言い掛けた犬夜叉は、じろりと自分を睨みつける颯の眸の鋭さに思わずたじたじとなってしまう。
それから。
昼間は七宝に二人の監視を頼んで昼寝をし、夜は一睡もせずに不寝番をする疾風の姿があった。
颯が『お兄ちゃん』になるのは、まだまだ先の事であろう。
―――― まけてくやしい 花 いちもんめ
どの子が欲しい あの子が欲しい
相談しましょ そうしましょう ――――
【おわり】
2006.9.18
TOPへ 作品目次へ
【 あとがき 】
「朔の夜・黎明の朝」様サイト開設2周年のお祝いにと起こした小話です。
「朔・黎明」様管理人のIkuさんとはこの「犬夜叉」と言う作品が縁で長いお付き合いをさせてもらっています。
今回のお祝い文は、それぞれのサイトの未来設定で登場する『子ども達』視線でのお話にしてみました。
まぁ、ちょっとばかり艶笑系ではありますが^^;
短い作品中に込めたあれこれをここで書いても、興冷めするばかりですのでもうそのまま、あははと笑ってもらうが最上でしょう。