【 花ごよみ−ときしらず 】
着慣れない着物をきたりんは、阿吽の背の上で揺られている。こんな綺麗で立派な着物、りんには本当に勿体無い。それにりんだけ歩かずにいるのも、邪見様や琥珀に申し訳ないような気がして仕方がなくて……。
いつものように殺生丸様は先に行かれた。こんな風に先行されるようになったのは、あの奈落との闘いが終ってから。今までなら殺生丸様のなさる事はそのまま受け入れてきたあたしだけど、なぜか今日はその後姿がいつもより切なくて、つい ――――
「……殺生丸様は、いつもどちらに行かれているのかな?」
その呟きを耳にして、邪見様がにやりと笑う。
「おぅおぅ、早くも焼き餅か? りん。同じ言葉でも今のお前が口にすると、なにやら艶っぽいのぅ」
いやらしげな目付きで、そんな事を言う邪見様。あたしは阿吽の上で真っ赤になってしまった。
「……りんをからかいすぎると、後で殺生丸様の蹴りを食らいますよ。邪見様」
阿吽の手綱を引きながら、やれやれと言った風を感じさせつつ琥珀が間に入る。
「攻撃は最大の防御。殺生丸様は押しも押されもせぬ戦国一の大妖怪、それだけに敵も多い」
「琥珀?」
「殺生丸様の敵は、奈落だけじゃないんだ。他にも有象無象な妖怪が、殺生丸様を倒してその力を我が物にしようとしている。非力な妖怪や逆らう気のない妖怪は、殺生丸様の妖気を察知しただけで逃げ出すが、そうじゃない奴がいた場合、こちらに乗り込ませる前に討ちに行かれるんだ」
普通の妖怪ならば、あくまで力で押してくる。
奈落のような姑息で陰険な策術を弄するのは、そうそういない。あれは極悪人だった鬼蜘蛛と言う人間の魂を、繋ぎにして生まれた半妖だからかもしれない。
「……お前の為じゃ、りん。お前に恐ろしいものを見せたくないとのお心じゃ」
じわりと心が温かくなる。今、この場にいないのに大きなモノに包まれている安心感をあたしは感じた。
「邪見様、少し先に木立が見えます。今日はあの辺りを塒にしてはどうでしょう?」
「おお、そうじゃな。陽も翳りだしたし、夕餉の支度をするなら水も探さねば為らん。頃合じゃろうな」
あたしたちはその場所を目指して、ぽくぽくと歩みを進めた。
そこは林と言うほど木が生い茂った場所ではなく、木立の隙間越しに少し開けた場所が見えた。開けた場所に出てみると、その開けた場所の真ん中あたりに、朽ちて落ちてしまった古い社の址と台座の残骸が残っていた。
「ここは……」
「昔は神社があったんだろうな。あの木立は境内の境界だったんだ。あ、それじゃ水は ―― 」
さっとあたりの状況を見て取り、琥珀が崩れた台座の近くの石や枯葉を取り除きながら何か探している。すると ――――
「ああ、やっぱりあった! これで、水は大丈夫!!」
にっこりと笑って琥珀がこちらを見た。
「なに? 琥珀」
「うん、ほらこれ。元が神社の境内みたいだったから、手を清める手水場があるかもって思ったんだ」
琥珀が指し示した場所には、砕けてしまった手水鉢と朽ちてしまった竹筒の根元からこんこんと湧き出る清水が小さな水溜りを作っていた。
あたしは阿吽の背から降りると、その湧き水に手を浸す。ひんやりと冷たくて綺麗な水だった。
「水もあるし、あとは薪だけだね。俺、その辺りから集めてくるよ」
働き者な琥珀はそう言うと、境内の境界の木立の中に入って行った。邪見様が阿吽の脇腹に下げた柳行李をよいしょよいしょと下ろそうとしているのを見て、あたしは手伝おうとそちらへ。
「邪見様、りんも手伝うよ」
「おお。そうか? それならば、少し手を貸せ」
縄を緩めすぎて、どさっと行李が落ちないように綱引きみたいな感じで、少しずつ縄を緩めてゆく。とさっと静かな音を立てて阿吽の脇腹から柳行李が外された。
「まずは、毛氈を敷いてお前の着物が汚れんようにせねばな。それから水があるから、白湯を沸かそう。干し飯と味噌玉を湯で溶けば、それだけで夕餉になる。便利なもんじゃ」
あたしは邪見様の言葉を聞いて、鍋や食糧が入っている方の行李を開けた。邪見様はあたしの身の回りのものや着替えが入っている行李を開けている。
「あれ? これ、なんだろう……?」
あたしは、行李の中に不思議な玉を見つけた。大きさは鞠くらいの大きさで、水晶の様に透き通っている。どこにも切れ目なんかないから器ではないようだし、鞠のようだといっても弾みようも無い。
「邪見様、これなに?」
あたしはそれを手に掲げ、邪見様に見せた。
「いや、ワシはそんなモノを買った覚えは無いぞ」
邪見様が目を見開き不可解そうに首を傾げたその時、突然の突風が境内の中を吹き抜けた。
「それは妾からの、祝いの品じゃ」
吹き抜けた突風が収まると同時に聞こえた、その典雅な響き。辺りに艶やかな光がさすような麗しき御姿。
「ご母堂様!!」
「殺生丸様の母上様!」
薪を集めに木立の中に入っていた琥珀も急ぎ駈け戻り、そう声をあげた。
「殺生丸様の……」
あたしはあまりにも偉大で美しすぎるご母堂様の前で小さくなる。
そして、はっとして自分の立場を弁える。あたしは殺生丸様の……、でも、きっとそんな事、ご母堂様は ――――
「あ、あの…、ご母堂様。先日ご下賜賜った器でございますが……」
びくびくとした感じで、邪見様がご母堂様に申し立てる。
「器? ああ、桃の節句の折のか。荷になるのであろう、捨て置け捨て置け」
言われる事は、殺生丸様と同じ。
あたしはどうご挨拶したらよいかわからず、目を伏せていた。
「それともあの器は、りんの着物にでも化けたか。妾の城で見かけた時よりは、マシななりをしておるな。いかな朴念仁なあ奴でも、自分の女はそれなりに扱うと見える」
「ご母堂様っっ……」
その言葉に、あたしは驚いたように顔を上げた。
このご母堂様を前にして、隠し事などで出来よう筈もない。
「どうした、りん? 浮かぬ顔をして、あれの妻になった事を後悔しておるのか?」
「後悔なんてっっ!! だけど、りんは人間だから……」
ご母堂様の眸がきらりと光る。
「人間だから、なんだ? あれの物好きは父親譲り、唯我独尊ぶりはこの母譲り。あれがそうと決めたらなら、狸だろうと狐だろうと妻にするだろう。お前はまだ、人間なだけマシじゃ」
くっくっくと楽しそうに笑いながら、そう仰る。
「た、狸! 狐ですとっっ!! いくら殺生丸様が何を考えておられるか判らぬお方とはいえ、ご母堂様それはあまりなお言葉では……」
「有り得ぬことではあるまい? 人と狐が契った話もあるではないか。いや、むしろあれとなら狐狸の方が相応かも知れぬな」
ひゅぅと季節はずれの冷たい風が、りん達の前を吹き抜ける。それと同時に怒気を含んだ巨大な妖気が辺りを覆った。風の鋭さに皆が目を伏せ、それからそっと視線を上げた時、りんの前には殺生丸様の背中があった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「……何用か、母上」
険どころか毒気さえ含んだその声音。
「何用かと、そう問うのか? 殺生丸」
「…………………」
「大有りであろう? 一人息子が妻を娶ったとあれば、そは我が娘とも等しきもの。祝いくらい述べても罰は当たりはすまい」
そう殺生丸を牽制しつつ、ご母堂はりんに優しげな視線を投げかけた。
「ご母堂様……」
「不肖な息子であるが、よしなにな。りん」
その一言は、りんが晴れて殺生丸の妻として認められた事の証に他ならない。たちまちのうちに、りんの心が軽くなる。
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!! ご母堂様!」
ぽろぽろ、ぽろぽろとりんの大きな瞳から嬉し涙が零れ落ちる。自分と殺生丸と、そして邪見と琥珀。この四人だけでしか、そう思ってもらえないだろうと思っていたりんには、どんな祝いの品より嬉しい事だった。
「泣くな、りん。お前を泣かすと、あれの機嫌が悪くなる」
微笑みながらりんに近寄り、優しく声をかけりんが手にしていた水晶のような玉を殺生丸に投げ寄越した。その玉を左手で難なく受け取り、母を睨む殺生丸。手にした玉からはひんやりとした感触しか伝わらない。邪気や悪しき気配は感じられないが、あの母の事。ただの玉ではないだろう。
「殺生丸! りんを想うのであれば、お前の甲斐性を見せてやれ!!」
ご母堂の言葉と同時に、殺生丸の左手の中の玉が眩しく光りだした。
( うっ!? なんだ、急に重さが増えたような、この感じは? )
冷静な怒りを浮かべた表情のまま、殺生丸は自分の身の上に起こりつつある異変を察知する。この感じは初めて爆砕牙を手にした時の感触と似ている。己の中の妖力全てが、その一点に集まるような、あの感触。光が辺りを圧し、視界が真っ白になった。
やがて光が弱まり、視界が戻ってみると朽ちた社の代りにそこには小じんまりとした瀟洒な屋敷が現れていた。
「あの、これは…? ご母堂様」
「これが妾からの祝いじゃ。旅暮らしであれば、体を休めるのも難しかろう。ましてやりん、これからお前は夜でもろくろく休めぬであろうからな」
それが何を指して言っているのか、さすがに幼いりんにも判る。判ると同時に、またも真っ赤になる。その素直さが、妖として珍しくまた楽しくもあった。
「ならばせめて草の上や地べた、雨や夜露にぬれる青天蓋などではない、床があり壁がある、天井と屋根のある所で夜を過ごせるようにと」
「ご母堂様……」
「この屋敷は宵の明星と空けの明星が輝く間、出現するよう妾が呪をかけている。しかし不要と強く殺生丸が思えば、この屋敷はたちまちあの元の玉に戻る。そう、この屋敷の在り様は、殺生丸の心持ち一つ」
ちらりと殺生丸の方に視線を流し、玉の説明を続ける。
「旅暮らしのお前達の閨には、打って付けであろう? 中では願うものが全て叶う、そんな不思議な屋敷じゃ。上等の絹の布団でも、上手い食事も酒も、色取り取りに咲き乱れる花の庭も、体を清め休ませる泉も湯も湧いている。これ以上の祝いはあるまい」
満面の笑みでご母堂は語り終えた。その言葉に偽りはないようで、屋敷の中から空腹を刺激する良い匂いが漂ってきた。耳を澄ませば、花の庭で遊んでいるのか綺麗な声の鳥の囀りも聞こえる。美味しそうな食べ物の匂いとは別に、花々の甘い匂いも混じっている。鳥の声の中には、美しい楽の音も。
「ご母堂様! ありがとうございます!! ありがとうございます!!!」
がばりとご母堂の前に土下座して、邪見が平身低頭して礼を述べている。長年の旅暮らし、屋敷住まいとは縁のない生活。そんな生活にすっかり慣れているとはいえ、それでも思わない事はなかったのだ。夏の嵐の夜や大雪の極寒の冬などには。
「お前達も、こんな殺生丸によう仕えてくれている。この位の『良い目』くらいは、当然であろう」
にこにこと、妖怪でありながら慈悲深い観音様の如きそのお姿。ご母堂を尊敬の眼差しで見つめ、嬉しそうなりんを見れば今更この祝いの品を付き返す訳にも行かぬと、殺生丸は不承不承な表情を浮かべた。
それにしても、今はもうあの玉はこの手にないというのに、妖力の流失感が止まらない。それだけではなく、先ほどからずしりと肩に重たいものが圧し掛かり、常の己ではないと感じていた。母の笑顔の裏に、何かあるのを殺生丸は確信した。
「母上…… 」
「放蕩ばかりで屋敷を持とうせぬお前に相応しいモノであろう? これで安心して流離うがいい」
母の思惑を量りかねている殺生丸の眼に、屋敷の中へ招かれてゆくりんたちの姿が見えた。この屋敷には、屋敷仕えの式鬼までいるようだ。その式鬼の姿が、りんにつけた釆女に似ているような気がするのは、気のせいだろうか?
「では、妾はこれにて退散しよう。新婚の夜を邪魔するほど嫌味な母ではないのでな」
明らかに上機嫌で、ご母堂は天空の城に戻っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「殺生丸様! 早く、早く!! お屋敷の中、凄いですよ!!」
瞳をキラキラとさせ、興奮で頬を紅潮させたりんが嬉しそうに殺生丸を呼んでいる。ますます重さを増すこの圧迫感と妖力の流失感に伴う疲労の色を悟られぬよう、いつも以上に無表情で屋敷の門を潜った。
「凄いんですよ、このお屋敷! 最初入った時、ちょっと暗いなぁ、灯かりが欲しいなって思ったらぱぱぱっと可愛い花のような燭台に火が灯って、こんなに明るくなったんです。それで今度はお庭を見て、こちらは最初は霞んでいて何が植わっているのか判らなかったから、随分前に山の中で見たあの紫陽花が見たいなって思ったら、ほら!」
りんが指差す庭には、見事な紫陽花が幾株も見頃の花を咲かせていた。
「殺生丸様、りん。こちらに夕餉の支度が出来ておりますぞ」
少し先の部屋にいた邪見が、こちらも嬉しそうな顔で二人を呼ぶ。むすっとした顔のまま、殺生丸はりんのあとについてその部屋に入った。
そこは花雪洞の柔らかな光にあふれ、器には山海の珍味、果物や焼き物が美しく盛られ、飲み物も人界妖界神界から取り寄せられたようないろんな種類のもので溢れかえっていた。二人の席を設えていた琥珀が脇に下がり、殺生丸とりんを上座につける。
「凄いね、りん。まるで披露宴のようだよ」
「ありがとう琥珀。本当にりん、夢を見ているみたいだ」
一人で先に酒を飲み始めていた邪見は、早々に酔いが回ったのか怪しい呂律でりんの言葉につっかかる。
「なんじゃぁ〜、りん。これが夢と言うのか、夢と! ならば醒める前に、ここにある酒を飲み干さねば!! おい、誰か! 替わりの酒を持ってこい!!」
邪見がその言葉を口にした途端、殺生丸の背の重みが増し妖力が流れ出てゆく。程なく一匹の式鬼が、替わりの酒を持って現れた。
「折角の宴だから、何か楽の音もあると良いですね」
行儀良くご馳走を口に運んでいた琥珀がそう言った。
ずしっ、殺生丸の背中に重みが ――――
すっと、暗い廊下の奥から花の精のようないでたちの楽妖が現れ、琵琶や琴や笛を奏でる。
( ……まさか、これは ―――― )
おそらく、外れてはいまい。そんな己の予想に、あの母の笑顔の意味を知る。隣に座ったりんが、慣れない手つきで殺生丸の杯に酒を注ぐ。
「本当に、本当に夢みたい。殺生丸様のお嫁さんになれただけでも夢のようなのに、今、こうしていられるなんて嬉しすぎて、嬉しすぎて ―――― 」
りんの言葉を聞きながら、苦々しげに空けた杯。
「……嬉しいか、りん」
「はい、とっても!」
どんな光どんな花よりも明るく可憐に微笑んで、りんが答えた。ふぃっと視線を邪見や琥珀に向けて見れば、どちらもこの状況を甘受しているよう。不満気なのは、己だけ。
一旦受け取った以上、この『祝いの品』を突き返せばあの母のこと、やれ狭量な奴、甲斐性なしと罵ること間違いないだろう。
「母上、この私を嵌めたな……」
ぐるぐると喉声で、そう唸る他ない殺生丸だった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「お帰りなさいませ、主様」
天空の城に戻ったご母堂を、あの新入りの女官が迎えた。
「主様、御自ら下賎な地上に降りられるなどと…。そのような端(はした)仕事ならば、どうぞこの私めをお使いくださいませ」
「端(はした)仕事なのではない。これは妾の楽しみじゃ。あれをからかうのは親の特権ぞ」
機嫌よく帰城したご母堂は、人間を良く思っていないこの女官の出鼻をくじく。
「お前は下がっておいで。お帰りなさいませ、ご母堂様」
そう声をかけ挨拶をしたのは、古くからこのご母堂に仕えている女官長。
「また若様をおからかいに行かれたのですか? 聞けば、『閨の玉』をおつかわしになられたとか」
「ああ、根無し草の放蕩息子には、相応しい品じゃろう」
「ですがあの品は、女妖が男を喰らうのに使うもの。そのようなものを、若君に……」
にいまりとその金色の眸を悪戯気に細め、母のようなその女官長に話を続ける。
「そうじゃ、あの玉は女の為のもの。人里は離れた山奥で道に迷った旅人を誘い込み、酒池肉林のもてなしで、旅の男の精も根も吸い尽くし喰らうことで強く美しくなる女妖のな」
「そんなもの、人間の小娘に使いこなせる訳もありますまい。まぁ、小娘とはいえ女である事には違いはありませぬから、害はありません。しかし、男はそこに居るだけ精力体力気力を奪われます」
「あい存じておる」
「そのようなもの、若君の毒になるだけです。連れの者などは構いませぬが」
実の母親より母らしい、その女官長にご母堂は言葉を続けた。
「……毒になるのは計算済み。あれも馬鹿ではない、あの玉の働きなどもうとうに気付いておるだろう。食い殺されるのは非力だからだ。酒池肉林のもてなしと思っても、それはまやかし、本物ではない。人間の男ではまやかしを本物にするだけの甲斐性がないからな」
「ご母堂様……」
「だが殺生丸ほどの強い妖力の持ち主ならば、まやかしを本物にする事も出来よう。あの者らの望みを叶えることが。そう思って、あの玉は殺生丸にだけ反応するようにしてある」
ふぅぅと頭をふりふり女官長は、このどこか捩れた母性愛の持ち主であるご母堂を見つめた。
「それでは若君が疲れ果ててしまうでしょうに」
「丁度良いであろう? あれの妻はただの人の子、それに引き換え殺生丸は手加減知らず。己の甲斐性で妻や家人が安穏に過ごすことが出来るなら、それが上々。閨事など、そのついでで良いのじゃ」
新婚の邪魔はしないといっておいて、その裏でこんな事を企んでいたご母堂であった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
表情は常のまま、殺生丸は宴の席から一度も動かなかった。
その席では、どんな小さな事も一度『願い』として殺生丸の耳に入ると、それはそのまま現実のものとなる。殺生丸の妖力や体力を大きく殺ぎながら。
楽の音や曲芸などで楽しみ、美味しいものをたらふく飲み食いしたりん達は、今気持ち良さそうに夢の国。
自分の傍らで、小さな寝息を立てているりんの視線を落とし、ゆうらりと殺生丸が立ち上がる。立ち上がるのも大儀な、普段かかぬようなじっとりとした汗をかいた殺生丸はその場に邪見と琥珀を残し、腕にりんを抱かかえ自分が頭で思い描いた間取りで湯殿へと向かう。
その湯殿への道しるべのように、蛍火が足元を照らす。湯殿は殺生丸好みに出現していた。木の香りの良い湯殿には屋根が無く、空の月や星を眺めることが出来る。
そう、己の膨大な妖力や体力と引き換えに実現するものならば、己の願いを叶えても悪くはあるまい。
「ふぁぁ、あれ? 殺生丸様?」
殺生丸の腕の中で、りんが目を覚ます。
「湯浴みだ、りん。それが済んだら、絹の布団で共に休むぞ」
腕の中のりんの体温が上がる。
りんの匂いが香り立つが、今宵は ――――
ただ、共に眠ろう。
傍らに、その熱を感じ息遣いを子守唄代わりに。
「はい、殺生丸様」
嬉しそうに微笑み、そっと寄り添ってくるりんの重みを腕に感じる。その重みは、りんの殺生丸への信頼という重み。激しい疲労感とともに、初めて得た穏やかな満足感。
妖と人。
その違いに、すれ違い傷つける事はあっても、りんは決して疑わない。怖れない。
そうして、全てを受け入れてゆく強さを持つ。
それを今、殺生丸は実感していた。
【終】
2009.6.23
= あとがき =
突発のおまけです。先日の「早緑−さみどり−」の中で出した『閨の玉』絡みで、ちょっとご母堂様を出したくなって書いてみました。
この玉、まるっきりのオリジナルアイテムですが、モデルは「遠野物語」で紹介されている「マヨイガ」を犬夜叉っぽくアレンジしています。
今風に言えば、豪華なキャンピングカー仕様というところでしょうか(笑)
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