【 微  熱 】



 ―――― はぁぁ〜、まったく寒くなったもんじゃわい。


 少し前までなら足元でかさこそ言っていた枯葉もすっかり砕け散り、今は素足では、しんしんと土の冷えが凍み込んでくる。

 ましてや、人も通わぬこのような深山では。

 妖であるワシでさえ、『寒い』と身を震わすほどである。流石に、獣道すらないこのような場所であるからに、足手纏いである人間の小娘は忌々しい事に阿吽の背中に乗っている。

 それでも ――――

( ふむ、いっくら阿吽の背に乗ってるとは言え、あれでは寒いはずじゃが…、う〜む )

 ちらりと、己が手綱を引くその上方へと視線を走らせる。

 そこには、【りん】

 己の主である殺生丸が気まぐれで拾って来た、人間の娘。
 年の頃は、七つ・八つ。
 礼儀もへったくれもない、小うるさい人間の小娘。
 事もあろうに、当代一の大妖怪である殺生丸様に懐いてしまった、物好きな娘。

( …しかし、のぉ……、拾ってきても、結局世話をするのはこのワシじゃ! そのくせ、このりんに何かあると責めを受けるのも、このワシじゃ!! まったく、割りが合わんわいっっ! )

 そう、ぶつぶつ呟きながらもちらちらと、りんの様子を伺い見る。

( ん〜、やっぱりあれでは寒かろうな )

 阿吽の背から投げ出されたりんの素足。
 その身を包むのは、赤い市松模様の単(ひとえ)。
 夏からの、着た切り雀。

( ワシ等はいいわい。元々この姿は【仮の姿】。本性であれば、装束など要らぬもの。この装束にしても、本性である姿の変化の一部であれば。しかし、のぉ… )

 そこで、またちらり。
 そして、己の前を振り返りもせずに歩む、己の主をちらり。

( …まったく、頓着ないお方であられるからのぉ。しかし、このままでは間違いなくりんは凍え死ぬぞ )

 せめてりんも、『寒い!』と一言言えば良いものを、なぜかこーゆー時は口を噤みよる。【妖】と【人間】の違いを感じて、遠慮してしまうのあろうか、このバカ娘は!!

 ……仕方が無いのぅ、ワシが進言申し上げるしかないか。
 また、蹴り飛ばされるかもしれんな、ワシ。

「あ、あの〜、殺生丸様。あの、その〜、りんめが凍えておるようなのですが…」

 ピクリ、と殺生丸の歩みが止まる。
 何も言わずに振り返る、その刺すような鋭い視線。

「…なに?」

 相変わらず、感情の掴めぬその声音。
 今、気が付いたんだか、それとも差し出がましいと機嫌を損ねたのか、
 長年仕えてきたワシにも良くは判らぬ。

「……もう冬で御座いますれば。人間は殺生丸様もご存知の様に、虫けらの如き弱き身を持ちまする。ましてやりんのような小娘では、それこそ夏の蝉のようなもの。五月蝿いばかりで、気が付けばころりと…」

「………………」

 無言ではあったが、その視線がさらにきつくなったように感じる。

「あっ、えっと、ですから…、そうならぬよう、寒さを凌ぐものでも調達してこよかなぁ〜、なんて…」

 今にもその視線で突き殺されそうな恐怖感を感じつつ、脂汗をたら〜りたら〜りと流しながら言葉を続ける。

( あ〜、やっぱり、蹴り飛ばされるかな、ワシ… )

 殺生丸が一歩、邪見の側に歩み寄る。
 が、すいと横を通り過ぎ、通り過ぎさま言い捨てる。

「…阿吽を使え」

 そう言いながら、阿吽の背にいるりんを抱き下ろす。

「へっ? あ、は、はいっっ!!」

 りんは既に、【もこもこ】に包まれてて……

( あ〜!! そーゆー事が出来るんなら、とっとと温めてやれば宜しいものをっっ!!! )

「あっ、あの… 殺生丸様…」

 凍えて、呂律の良く回らぬ口で、掠すれた声を出すりん。

「…何故、言わぬ」


 ……気付いていない訳ではなかった。

 微かに鳴る歯の根の音も、身を震わせる気配も。
 だが本人がそう言わぬものを、どうするつもりもない殺生丸であった。

「…ご迷惑だから、だから、りん……」

 ……やはり、判らぬ。

 これが、【ヒト】と言うものか。
【愚かな】、と一言で切って捨てる事も出来ようが、なぜかその言葉は形になる事はなかった。
 足手纏いではある。
 これまでの生き様を鑑みれば、これほど煩わしい事はなかったように思う。思うように動く事もままならぬ。
 たかが、人間の小娘一人。
 たまたま拾ったまでで、それをどうしようと思い煩う事もなかろうものを……。
 そう、例え生きようが死のうが己の知った事ではない筈。
 それでも【敵】に背中を見せたのは、あの時が初めて。


 ……判らぬのは、己もか。


「邪見」
「はい、殺生丸様」
「…寒さを凌ぐものだけでなく、塒(ねぐら)も探して来い」
「はい! 承知致しました!!」

 邪見はようやく殺生丸が、りんの方を見てくれたようでどこかほっとしていた。一番ほっとしたのは、やはり【蹴り】が入らずに済んだ事にではあるが。
 阿吽を駆って、雪の降りそうな鉛色の空に消えて行く邪見を見送る。
 邪見が戻ってくるまでは、ここを動けまい。
 殺生丸はりんを抱えたまま、下草の少ない根の張った古木の根方に腰を下ろした。
 りんは包み込まれたもこもこの中で、居心地悪そうにもぞもぞしている。
 いや居心地が悪いのはその柔らかな毛並みの感触ではなく、殺生丸の腕の中にいる自分自身。

 身の置き所がなくて。
 恥ずかしくて。
 有り得ない事で。

 でも、やっぱり嬉しい。

「あ、あの、殺生丸様。りん、もう大丈夫です」

 邪見はりんの事を礼儀もへったくれもないと言ったが、りんはりんなりにきちんと礼儀を弁(わきま)えた娘であった。誰に教えられたではなく、りんが生まれながらに持っている資質の高さの顕れでもあった。
 野に育っても、【卑】にはならない徳のようなもの。
 高貴な家柄に生まれても、【卑】な性分に育つ姫もいる。
 それもまた、判らないものである。
 りんの中の何かが、自分のようなものが妖とはいえ高貴な身分である殺生丸の腕の中にいる事は、はしたなく場違いであると言う事を教えていた。

「……………」

 何も言わず、じっとその透き通った金の眸で見詰められ、ますます居場所をなくしたりんがもこもこの中でじたばたする。
 隻腕の腕に抱えても、まだ充分に余りあるほど小さなりん。
 大丈夫、と言った言葉が大丈夫ではない事くらい明白で。
 血の気の引いた、雪のように白い顔色。
 どうしたらそんなに赤くなれるのかと思う程の、その頬にも色はなく。
 山茱(ぐみ)の様に紅くて艶やかな唇は、紫色に変色して無惨。


 さらりと、りんの頬にかかる白銀の髪。
 金の眸に映る、りんの顔が大きくなって……


「…まだ、冷たい」
「あっ…?」


 何が起きたのか、何をされたのか、幼いりんには知る由もなく。
 この時、触れた場所から二人の中に落ちたモノ。



【微熱】 ――――



 やがて、二人を蕩かすほどの……




  * * * * * * * * * * * * * *


 「ねぇ、殺生丸様! りんね、いつもこうやって雪が降る頃になると、あの時の事を思い出すんだよ」

 あれから、幾度目かの冬。
 この娘は、未だにこの妖の主従と旅を共にし、健やかに伸びやかに成長していた。
 人の世と人でないものとの間に、確かに存在して。
 この娘が、【花】として咲く春はもう間近。

 いや……

「あの時もこうやってりん、殺生丸様のもこもこの中に居たんだよね? あの時はね、なんだか凄く恥ずかしくって、もぞもぞしちゃった」
「……………」
「今でもやっぱり恥ずかしいけど、でも嬉しいし気持ち良い!! だってね、殺生…っ!!」

 ……まだまだ己の腕の中で囀りそうな雛を、黙らせる。

 あれから二度とそんな色にさせた事はない、山茱を啄ばんで。
 深山の誰も踏み入らぬ雪原に、音もなく落ちる寒椿。
 同じ情景を、りんの上に描いて。

 今も、そしてこれからも、幾度冬が巡り来ようとも、二度と凍えさせる事はない。



【完】
2004.12.20



【 あとがき 】

2006年3月29日付けを持って閉鎖された、「睡蓮花」様のサイト開設1周年のお祝いでお送りした小品 です。
今回の閉鎖に伴いましてこちらで公開する事と致しました。
つい、先ごろにも殺りんの「キスネタ」でSSを1本書き落としたのですが、同じようなシチュエーションでも 微妙にテイストが変わってきますね^


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