【 ラ・マン −愛人− 】




地中海性の乾いた気候。
海の青さと、建物の白さ。
ところどころに緑を添えるオリーブの木。

そんな土地の、さらに景色の良い一等地に建つ別荘。
その別荘の海に面したバルコニーに一人の女がグラスを片手に、昼下がりの煌く海面を見ていた。

アップにした髪を、海風が嬲り少し崩れた感じがいかにも婀娜っぽい。
その雰囲気を裏切らない、ゴージャスなボディ。
潮風にはためくほど薄手の赤いドレスを纏っているが、この女には裸が一番似合うだろう。

その女の背後で聞こえた小さな足音。
それと同時に、その女に呼びかける少女の声。

「ごめんなさい、寝坊しちゃって。お昼を一緒に食べる予定だったのに……」
「ああ、別に構わないよ。あたしが起きて来るまで寝かせてやりな、って言ったんだよ。どうせ夕べも朝までなんだろ?」

年上のあけっぴろげな女の発言に顔を赤くし、小さく頷いた。
こうして二人を並べてみると、本当に対照的な二人である。

『女』とはかくあるべきと言わんばかりなこの年上の女は、その世界でもトップクラスの高級娼婦であった。男であれば誰でも一度は抱いてみたいと思わせるような、そんな『女』。

かたや、その傍らの少女は同じ年頃の少女と比べても幼い部類に入るだろう、華奢であどけない笑顔の持ち主であった。そう、そのままの時を留めて置きたくなる様な、そんな『少女』。

……そして、同じ男に囲われる二人でもあった。

先にこの別荘に来たのは、この少女の方だった。
非道とも思えるような幼い時期に、この別荘の主で暗黒街の若き首領でもある男に手折られて。

この二人の間に何があったかは、誰も知らない。

その男がこの少女を夜毎抱き、少女もそれに応えたという事実のみ。
少女が、そんな男であっても恋慕っている、とただそれだけ。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「まだ、何も食べてないんだろう? ほら、そこのじーさん!!」

バルコニーの向こうの廊下を通りかかったこの別荘の管理人でもあり、先代から使えている老僕といっても良い老人に女が声をかける。

「誰がじーさんじゃ! 言われるまでもない、ちゃんと用意はしておるわい。この娘に何かあったらワシが仕置かれるでな」

主人の性格を良く知っているこの老人は、見た目より気が利く性格で女が言うよりも早く、この少女の為の食事を用意していた。
新鮮な野菜のサラダと冷製の青豆のクリームスープ。メインデッシュは風味の良いカルボナーラ・ソースを和えたパスタ。勿論、デザートのジェラートも忘れてはいない。

「あれ? あたしの酒は?」
「ふん!! 昼間っから酒ばかり飲みおって! まったく、どしようもないアバズレじゃ」
「あはははぁ、お声がかからないんでね。夜も昼もヒマをもてあましてんだ。酒くらい飲ませなよ、じーさん!」
「だから、誰がじーさんなんじゃっっ!!」

スープを飲もうとしていた少女の手が止まり、申し訳なさそうに女の顔を見る。

「……ごめんなさい。あの、あたし……」
「うん? ああ、あんたが気にする事はないよ。ヒマだったんでじーさんをからかっただけさ。そう、あんたはちっとも悪くないからね」

蓮っ葉な口調に含まれるどこか優しげな響き。
この少女は女の過去を知っている。
高級娼婦で色んな男と、どんな男とも寝てきた事を。
『娼婦』など、そしられ後ろ指を指され、陰口を叩かれるのが常。

だけど、この少女の瞳にはそんな色はなかった。
いつもありのままの女を受け入れ、笑いかける。

―――― だから、好きだった。

高級娼婦と呼ばれても、所詮その体を切り売りしている女など、誰も本当に『高級』などとは思わない。容色が衰えてうらぶれてしまえば、それ見た事かと足蹴にされるのがオチだろう。

そうなる前に賢い女なら、それなりのパトロンを見つけて商売の元手を出させるなり、妻の座を奪うなりする。
この女も、それを考えなかった訳ではなかった。
訳ではなかったが、心底惚れた相手が悪かった。

パトロンにするなら申し分のない男。
その若さでありながらこの暗黒街を牛耳る男。
『妻』もいないと聞いていたから、ふらっとその気にもなりかけたがいない理由を聞いて、気が変わった。
この男の『妻』に相応しいのは、この男を超える者だけだと。

普通の男女のような平和な家庭を作る相手など要らぬ。
常日頃、修羅に身を置く。いつその目の前にその死体を放り出されても、顔色一つ変えない女でないと ――――


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


――― はっ、そいつぁ あたしには無理だ。惚れた男の死体を平気な顔で見ていられるほど、強くかぁないからさ。でも……

でも、命をかけても良いほどにあんたに惚れている。
あんたに殺されるなら、本望だ。

ふっと我に返り、まだ心配げな表情で見ているその娘に優しく微笑みかける。

「……ちゃんと食べな。今夜もお召しがあるだろうからさ。腹が減ってちゃやる事も出来ないだろ?」
「///////やっ…v」

顔を真っ赤にし、それを隠すように食事を取り始める。
ぶつぶつ言いながらあたしが言った酒のおかわりを持って来たじーさん。持ってきたのはこの地方特産の赤ワイン。

白い大理石の床の上に、グラスの赤ワインの陰がゆらゆらと落ちる。
あいつとあたしとこの娘の間を行き交う想いのように、赤く掴み処のないもののように。

この娘が起きて来たのが遅かったせいか、食事を終えてしばらくするとだんだん日が翳りだす。夕日に染まる海の色が見事で、あたしたちはその美妙な色の光の競演を何も言わず見つめていた。

暮れてゆく光の中に浮かぶこの娘の姿は余りにも華奢で儚く、今にも壊れそうに見える。
本来ならまだ親鳥の羽のもと、庇護されているべき存在だろうに夜毎あの男に組み敷かれ、啼かされ続けているのだ。

「ねぇ、あんた。怖くはないのかい? 辛いとかきついとかは……」
「ううん、そんな事ないよ。だって、優しいから……」

それ以上は語らない。
これ以上は、あいつとこの娘だけの領域。
あたしなんかの立ち入る段ではない。

それでも……

( あいつが優しいって? あんたは他に男を知らないからね。あいつは、そりゃ酷い男さ!! だけど…… )

沈む想いと同じく、夕日が沈んだ海はかすかにワインの色を水平線に滲ませて、夜の色に顔を変える。

「おい、ご主人様がお呼びだぞ」

あのじーさんがバルコニーに居るあたしたちに声をかける。

「あ、はい!」

返事を返したのは、その娘の方。

「あ、お前は今夜は良そうだ。だから……」

と、バルコニーの手すりに寄りかかってまだ海を見ていたあたしに視線を投げる。

「えっ? あぁ、あたし? へぇ、珍しい…って、まぁ、そりゃそうか。いくら一番の愛娼(あいかた)でも、連日連夜じゃ体を壊すってね」
「あの、あたし……」

心配げな顔でじーさんを見る娘。

「あ〜、うむ。まぁ、そう言う事じゃ。今夜はゆっくり休んで、次のお召しに備える事じゃな」
「はい……」
「あんたもあいつも、加減を知らないから厄介なんだよ。あいつはやるだけやるし、あんたはやられるだけやられっちまう。本当はかなり疲れているはずだよ、あんた」
「……………」

そうかもしれないと、娘は思う。
何も持たない自分だから、求められたら全てを捧げてしまう。

そう、その命さえも。

「……あんたさぁ、さっさとあいつの子を孕んじまいなよ。そうしたら、こんな無茶な事はしなくなると思うけどね」
「でも、そうしたら…、夜のお勤めが……」

その為だけに、あんたはここにいると思い込んでいるんだね?
あいつは、そんな事もこの娘には伝えてないのかい!?

……だから、あいつは残酷だって言うのさ。

「大丈夫だよ。何の為にあたしがいると思ってるんだい? あたしはね、あんたの『身代わり』なんだよ?」
「あたしの、身代わり?」

小首を傾げて、あたしの言葉の意味を考えている。
本当の意味では、まだ「ネンネ」なあんたじゃ判らない事さ。

あんたに出来ない事を、あたしにするあいつ。
あんたにさせたい事を、代わりにあたしにさせるあいつ。

あんたを『守る』為に―――

「ふん、身代わりじゃと!? 上手い事言いおって、これをご主人様から遠ざけている間に、お前が取って代わろうと言う腹じゃないのか? ついでにお前も、ご主人様のお子を…」

足元でうるさくわめくじーさんを、軽く足蹴にし壁にぶつかって止まった所であたしはドレスの胸元から、掌に乗るくらいの純銀の満月のようなケースを取り出した。円の真ん中の蝶番で丁度半月型の蓋が蝶の翅のように開く。中にはそれぞれ14本の刻みがあり小さなカプセルが入っている。

それで、じーさんの頭を叩きながら……

「……こいつがあたしがここに来た時の条件さ。ほら、ちゃんと今日の分は飲んでるだろう?」
「ふん、それならそれで良いわい!」
「あの……」

……そう、あんたはあたしと違うんだよ。

ますます申し訳なさそうな顔であたしを見る。
ああ、あんたが悪いんじゃないよ。
悪いのは全部、あの男のせい ――――

だけど、あたしもあんたもあいつからは離れられない。
厄介な男に惚れちまったもんだよねぇ。


バカだよねぇ……。でも あんたなら判るよね?


こんなあたしたちでも、幸せだって事がさ。
あんな男、一人で抱え込むには荷が重過ぎる。

だから、あたしたちは今 こうしていられるってね。

世間の奴らがなんて言おうが構うもんか!!
何が『幸せ』かなんて、あたしたちが自分で決めるもんなんだからさ。

ねぇ…、そう思うだろう? 
あんたもさ ―――


【終】
2006.9.28




【 あ と が き 】

はは…、『誰が』モデルかなんて言うまでもないかな? と。
まぁ、あまりにもパラレルな上、雰囲気だけ伝わればいいなと細かい状況説明なども割愛してますので、判りにくいと言えば判りにくいSSですね。
実はこのSSは、殺母登場の際に突発で書き落とした「母 二人」のモトネタだったりします。いえ、あの時はまだ書いてなかったので、それをモトネタと言うのもおかしな話ですが^^;

少し前から、妖犬族の二股性と言うか複数の女性の存在の意味は何だろうと考えていたんですね。
現在は一夫一婦制が行き渡り、複数の異性との交わりは不道徳な事とされます。ですが、その相手が自分の力量以上の相手であった場合、それを一人で支えるのって分不相応な時もあるのでは? と。
三角関係とかドロドロの愛憎模様とは別次元で、こういう人間関係(?)もあるかなぁと思ったんですね。

ただ実際には痛い設定ですし、不純ですしね(大汗)
書いてみたい設定だったので、犬夜叉二次創作と言う位置づけよりも『モデル』としての起用と言うくらいに取って頂ければと思っています。


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