【 夏への扉 】
【夏への扉】
―――― 某公共放送局の小さなスタジオ。
感慨深げに、この某教育番組のスタジオの扉を見詰める。
小さいなりにも、自分のせねばならぬ事の意味を良く理解していた。そう言う意味では『大人』じゃったな、りん。
ワシらが頑張らねばな、と誓い合ったあの日がもう随分と昔の事の様。
―――― ああ、早いものじゃ。
ワシらがこの現代で再会を果たしてから、もう二度目の夏。
ワシのアシスタントとして番組を盛り上げていたりんも、この番組を卒業した。
本来なら春の番組編成期に行われる人事異動だが、今回若干の無理押しもあって、この夏からはお兄さん・お姉さん格に当たる夕方六時台の番組のレギュラーに昇格。
この番組を足がかりに、芸域を広げていった子等もいる。人気のある子は二年でも三年でもレギュラーを勤められる。歌あり踊りありで結構ハードなのじゃが、りんは頑張り屋だし大丈夫じゃろう。
今までの番組のプロデューサーはりんの事を高く評価していたので、もう少し自分の番組を続けさせたかったようだが、どちらかと言えばゴールデンタイムに抜擢された訳だから、むしろ良い事じゃ。プロデューサーの力関係もこちらの方が上のようで、ゴネる訳にもいかんかったようで。
……しかし、どーゆー人選じゃったんじゃろう?
りんの後釜に来たこの娘は。付き添いの若い派手な女は何かいけ好かないし、顔は可愛いがリアクションのないこんな無表情な娘がアシスタントでは、盛り上るものも盛り下がるわい!
ここだけの話じゃが、ワシはてっきりこの無表情な娘はこの若い女の子供だと信じて疑わなかったんじゃが。どこか婀娜っぽい色気ムンムンな女で、ちいっと前に流行った「ヤンママ」かと。
まっ、本当の所は歳の離れた姉妹、と言う事。この姉妹の父親がどうやら裏で手を回したらしい。昨今の不祥事も、『根』はここにあるらしいとは、関係者の噂じゃ。
「……スタジオ、始まる」
「うわぉ! いつもそんなに不気味に現れるではないわい!! もっと、元気ににっこりせんかっっ!」
そう言いたくもなるのは、今度のアシスタントは気配が無いというか、覇気が無いというか、霊気さえ感じさせる子だからなんじゃ。確かに夏向きかも知れん。じゃが、ワシらの番組は対象年齢が一歳半〜三歳くらいまでがターゲットなんじゃがのぅ。
「あはは、そりゃ無理ってもんさ! 嘘だと思うなら、この子笑わせてみな。もっと不気味だから」
赤い色が似合う、それなりに美人の姉の酷いこの言葉。一体、どーゆー姉妹なんじゃ!!
「……ああ、もう良い。さっさとスタジオに入ろう」
「あのさぁ、あんたん所のマネージャー。今日は姿が見えないけどどうしたのさ? 休み?」
「うん……、りんの付き添いで新しいスタジオの方へ行かれておる」
「えっ? 新しいスタジオ? なんだ、あのチビ。クビになった訳じゃないんだ、へぇぇ……」
あからさまに嫌そうな顔をして見せる。
なんじゃ? りんに何か思う所があるのか? お前の妹のライバルって事か?
ふん、話にもならんわ!!
「……スタジオ」
「ああ、判ったわい! さ、仕事じゃ仕事!!」
そうワシは自分に活を入れたが、この娘のオーラのせいかはたまた少子化の影響か判らぬが、めっきりスタジオに集まる子供たちの姿が減って、ワシ 寂しい。
りん、ワシもそっちのスタジオで仕事がしたいぞっっ!!
心の中で叫びつつ、ワシはりん達の居るスタジオの方を見詰めるのであった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「えっとね、今日から皆の仲間になるりんちゃん。途中からの編入だけど、新人じゃないから大丈夫ね」
感じの良い女性ADがりんを番組のメンバーに紹介する。
どちらかと言えば、りんはこのメンバーの中では年少組だろう。それでも、持ち前の明るさとそれなりのキャリアからくる落ち付きとで、すぐ馴染めそうな雰囲気だった。
「あっ、私知ってる! 朝の番組やってたでしょ? 私ね、あれ見て羨ましかったから、この番組のオーデション受けたのよ」
「羨ましい……?」
りんが首を傾げる。
「うん! すっごく楽しそうで、それでもお仕事してるって感じがちゃんと判って……。私と余り変わらない歳なのに凄いなぁ、って思ったの」
「そんな……、凄くないよ、りん」
「ううん! そんな事ないよっ!! こんな子と友達になれたらいいだろうなぁって思ったもん」
……これが、りんの持つ天性の輝き。
決して人目を惹くような美少女と言う訳ではなく、天才という感じでもなく。
それでも、いつまでも側に居たいと思わせるものを持っているのだ。
素直になれる。
安らげる。
この業界の子役にありがちな『驕り』もなく、仕事のキャリアとしてはりんの方が先輩であるにも関わらず、その少女の言葉に照れて頬を少し紅くして。
「……ありがとう。りん、このお仕事は初めてだから判らない事もあるけど、一生懸命がんばるね」
大丈夫だ。
ここでもりんは上手くやってゆくだろう。
スタッフの雰囲気も悪くない。
私はサングラス越しの視線を緩め、全体を改めて見回した。
……昔であれば奇異に見られたこの姿格好もこの現代、ましてや芸能界と言うこの世界では、さほど特殊な事でもなく。
髪の色とて、虹の色すら敵わぬ程に多種多様。眸の色にしてもまた然り。金・銀・紫・赤に緑。カラーコンタクトとやら越しに見る世界はどんな彩りなのか。
( 生きやすいかも知れぬな、この世界は )
私の白銀の髪の色も、金の眸も生粋のもの。
それをそのままに、生きて行ける。
そう、りん。
お前の側で。
「浅葱ばっかり、ずるいぞ。俺達も自己紹介だ」
そう言って割り込んできたのは、双子だろう。良く似た顔をしている。見分けをつけやすいようにか髪の色をそれぞれに塗り分けて、メッシュを入れていた。
「俺は、緑。こっちは橙。で、さっき自分の名前も言わずに喋っていたのが浅葱。一応、俺達の姉さん格かな」
その側に居た大人しげな少女がはにかみながらりんに微笑み、声をかける。
「りん、って良い名前ね。私は萌黄、よろしくね」
「あっ、うん。りんね、本当はみすずって言うの。でも【りん】って呼ばれる方が好きだから……」
そう言って、ちらりと視線を私に寄越した。
「……どちらでも良い名だよ。うちは紫織。仲良くやろうね」
異国的な雰囲気を持った少女だ。浅黒い肌に、私と同じ銀髪、紫の瞳。紫織と名乗った少女を初め、他の子供たちも混血、いや今はハーフとかダブルとか言うらしい。二つか、あるいはもっと多くの異なる血を引くのだろう。次代の架け橋となる、可能性を秘めた子供たち。
りん、お前もその一人。
……ただ、その中で一人だけ気になる視線。
控えめで、印象の薄い少年だが栗鼠を思わせる茶色の瞳が嬉しそうに見詰めている先には、りん、お前。
「ほら、琥珀! あんたも自己紹介!!」
仕切り屋らしい浅葱にそう言われて、そばかすの浮いた頬をさらに赤らめる。
( ……気に入らんな )
りんにとって、この上も無い良い条件だと思えた新しい職場での、唯一の不快点。気をつけねばなるまい。私は手にしたシステム手帳に書き込んだその名の上を赤ペンで要マークにした。
「じゃぁ、りん。来週からはよろしくね。これ、スケジュール表。スタジオ入りだけじゃなく、歌やダンスのレッスンも入って来るから頑張ってね。何かあった時の連絡は私、ADの奏まで頂戴ね」
ADの差し出したスケジュール表を横から攫い、自分のシステム手帳に差し込む。
「……何かあれば、私から連絡する」
有無を言わせぬ口調でそう言い置き、りんの背中を押しながらスタジオを後にした。
今日の仕事は、これでお終い。
来週からはまた忙しくなるけど。
折角の夏休みだけど、パパやママやお兄ちゃん達には悪いけど、りんはお仕事をしている時の方が好き。
だって、何時も殺生丸様が側に居て下さるから。
今生で巡り会ったばかりの時の殺生丸様はご自分の記憶も定かではなくて、本当に何もかも失くされておしまいで……。
でも! りんと出会って、邪見様ともまた会えて、邪見様の頑張りでこの現代でも殺生丸様の居場所が出来て。
でも本当に凄いのはやっぱり殺生丸様!!
だってほんの少しの間にすっかり今の生活に馴染まれてしまって、記憶も戻られたし。
今はね、りんや邪見様のマネージャーって肩書き。
敏腕マネージャーだって評判も高いんだよ。りんも嬉しくって!
……ちょっと不思議な気もしたけどね。
あの殺生丸様が片手でパソコンのキーボードを盤上を見ずに叩いてスケジュール管理する様や、聞いてすぐ話せるようになる語学能力とかは。
邪見様に言わせれば、もともとが凄く聡明な方。また耳は大変聴力に優れているので、聞いた音をそのまま発声するのはとても簡単らしい。それに意味が判れば、もう英語だろうがフランス語だろうが中国語でもなんでもOKなんだって。
暫くは、辞書や辞典・世界情勢や経済システムなどのデーター類を貪る様に読んでらっしゃった。
本当はもう、りんなんかが頑張らなくても殺生丸様はお一人でも立派にこの現代を渡って行けるだけの力をお持ちで。
「……どうした、静かだな」
殺生丸様用にカスタムされた車の中。
今日はもう、仕事も終わりだから後は家に帰るだけ。
殺生丸様や邪見様のあたしに対する節度のある誠実な態度が、パパやママからの絶対の信頼を勝ち得ていた。
「殺生丸様、殺生丸様は今はりんや邪見様のマネージャーのお仕事だけじゃなく、他のお仕事もしてらっしゃるんでしょ?」
「……ああ」
「りんの頑張りが足りないから?」
りんの言葉に殺生丸様は何も答えず、車を家の方角から山手の方へと進路を変えた。車の中に落ちてきた、沈黙。
やがて車は穴場とも言えるような、あまり人の来ない見晴らしのいい場所へと出た。昔からそこにあるようなその景色。風に渡る音、木々のざわめき、吹く風もどこか懐かしく。
「……殺生丸様、ここ…?」
「……覚えているか」
あたし達は【昔】、森の中で暮らしていた。
あたしと殺生丸様と邪見様と阿吽も。
殺生丸様の側に居られるだけで、りんは幸せだった。
森と殺生丸様の腕の中だけがりんの世界。
「もうずっと昔の夏の初め、ここから皆でこの景色を見下ろした事があるよね」
あたしは思い出してしまった。
そして、殺生丸様も。
殺生丸様とりんは ――――
「…いつまでも、お前を見世物にする気はない、と言う事だ」
「殺生丸様……」
「仕事とやらをせねば、お前を手元に置く事も出来ぬからな」
「りんの為に?」
ふっ、と浮かんだ微笑はどんな意味か?
「……この世は妖力で動かすより情報の方が、もっと大きな力を持っているようだ。分刻み、秒刻みで大きく変化する情報を読み、見切るのは面白い。退屈はせぬからな」
そうして、刺すような眸でりんを見る。
「りんは今十歳、か。後、六年。邪見が口煩い。……今度は、『待って』みても良いかと」
「殺生丸様……」
……それは、りんが十六歳になったらって事?
そうしたらりん、殺生丸様と一緒に……
「りん」
そう呼ばれて。
あたしが顔を上げた時には、もう目の前まで殺生丸様の綺麗なお顔が迫っていて。
ああ懐かしい、頬に流れるこの白銀の髪の感触。
―――― 唇が重なる。
あの頃を思い出させるような、甘く熱い口付け。
その時が長かったのか、あっと言う間だったのか。
ぼぅっとしたあたしを優しく開放して。
「……この位なら、許されよう」
顔は真っ赤で、でも嬉しくて。
この肌がちりちりする感じは、夏の初めの光を浴びた時の感じにも良く似ていて、あたしはあたしの内裡に点った熱を感じる。
―――― あたしは新しい季節の扉の開く音を聞いていた。
【終】
2005.7.25
= あ と が き =
突発で書き始めた殺りん現代パラレル物。連作シリーズになっています。
これを書き始めた時には、まさか殺生丸の左腕が再生するとは思っていなかったので、
このシリーズの中では原作初期の隻腕設定で通そうと思っています。
原作沿いで書いている殺りん物は種族差や寿命差などから「刹那さ」に重点を置いたもの
が多いのですが、これは現代パラレルと言う事でライトに仕上ています♪
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