原作完結後のパラレルSSです。
死にネタ+身体改造系のグロ的描写があります。
苦手な方は回避して下さい。


【 雛の囀り −ハミング・バード 】


 どこまでも続く秋色の田園風景と、すっく伸びた境界線の木立。大きな建物や高層建築に遮られる事のない大空が、地平線の上いっぱいに広がっている。その風景はどこか、二年前まで自由に行き来できたあの時代の空を思わせる。

「かごめ!」

 真っ直ぐに伸びる一本道を軽快なスピードで疾走する観光バス。昨今の高校での修学旅行は海外へ出る事も多くなってきたが、ここ暫くの航空運賃の値上げや世界的流行を見せている新型ウィルスの影響もあり、今年は国内旅行に変更されていた。

「あ、なに?」
「どうしたのよ? ぼっーとしちゃって」

 国内であっても修学旅行は生徒にとっての一大イベント。バスの車内はまるで小学生か!? と言いたくなるほどはしゃぐ男子生徒の姿もある。

「気分でも悪いの?」

 心配そうに声をかけてくれた友人。

「ううん、大丈夫。ちょっと思い出しただけだから」
「思い出したって…?」
「懐かしい空だなって…。私が今見ている空は、建物や電線なんかに切り取られた四角くて小さな空が多くて、こんなに大きな空は久しぶりだったから」

 そう、五百年前のあの空。
 犬夜叉の背に乗り、山や森を駈けていた頃の、自然のままの大空。

「かごめって、小さい頃に田舎ででも暮らした事があるの? 確かお家の方は、街中の古くからある神社だったわよね?」

 私が現代と戦国時代とを行き来していたのは、秘密。
 こちらでは私の家族以外は知らない事。

「ないけど、まぁちょっとね……」

 曖昧な笑みで、答えを濁す。
 どんなにあの頃の空に似ていても、あれから過ぎた五百年の重さは変わらない。今でも私の中では犬夜叉や珊瑚ちゃんや弥勒様や七宝ちゃん、楓ばあちゃんだって生き生きと生きているのに。

 だから、ずっと胸に感じているこの『重み』に、押し潰されそうな気がする。
 安定した終ってしまった過去と、不安定な先が見えない未来。
 切なさと不安で、胸が苦しくなる。

 観光バスはいつしか川沿いの道を走っていた。川原にはススキの群生。それが昼下がりの薄い陽光の中で、白銀色に揺らいでいる。私の瞳の片隅に飛び込む真紅の色。

( 犬夜叉っ!? )

 一瞬、そのススキの原に犬夜叉の姿を見たような気がした。なびくススキの穂が犬夜叉の髪のように見え、一群れの名も知らぬ赤い花が、火鼠の衣のように見えた。

( ……バカみたい。こんな所に犬夜叉がいる訳もないのに。地理的な距離の遠さ位は、あいつなら駆け抜けてくるかもしれないけど……。でも、『五百年』の時を駆け抜けるなんて、いくら犬夜叉が長命な半妖でも無理よね )

 車窓の景色から瞳をそらし、私はまた物思いに耽る。

( 犬夜叉が殺生丸みたいな完全な妖怪なら、あるいは……。でも、そんな遠くまで一人で生きていかなきゃならないなら、辛すぎる )

 『時−とき』の流れは、残す者にも残された者にも、なんて残酷なものなのだろう ――――

 流れてゆく車窓の風景は変化し、川沿いの田園風景からだんだんと建物が増えてきて、街路に差し掛かった事を教えていた。古いレンガ造りの倉庫が立ち並び、その前を運河が流れる観光名所に修学旅行のバスは到着する。

 バスを降りる前のガイドさんの説明を聞きながら、何気なく見た駐車場の向こうの人ごみ。私はその中に、長身できらりと光を反射させる白銀の髪と、その傍らに隠れるように一緒にいる少女の姿を見たような気がした。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 瘴気漂う森の奥。
 しんと静まり返り、生きているものの気配もない。この森の主は、名高い細工師であった。もちろん、こんな所に棲んでいるのだから人ではない。齢も分からぬほど昔からここに住まう妖怪であった。

 妖怪の住処には、無数のモノが棲みついていた。それは皆、時の流れにさえ不変の姿を保っていた。それは、細工師である妖怪の成せる業。その住処でただ一つ、『時』の腐食を受け朽ちつつある骸を除けば、ここは『時』が止まった場所でもあった。
 朽ちてゆく自分達の創造主を、かつての毛並みの色艶を保ったままの獣達や妖怪、その他のモノが琥珀の、あるいは水晶の、紅玉の眸で静かに見つめていた。


 神気さえ漂う太古の森の主たる古木のその下に、石像の様に座して動かぬ影二つ。

 あれほど熱かった体の熱はすっかり冷め、今はひんやりとした感触が抱えた掌に伝わってくる。息は微かで、もう声すら出ない。

『その時』は、思いのほか早く訪れた。

 共に在れた時の短さを、今更悔いはしない。
 それを『選んだ』のは、りんだ。
 そして、私もまた ――――

 でも、もし…… とも思う。
 あの時が、今も続いていたならば、こんな終焉(おわり)を迎えることはなかったかも知れない。

 否 ――

 この私に、あのままりんを人里に預けたまま、『人らしい』生涯をおくらせた事が出来たのか?
 いつしか人里に通うことも止め、りんも私を待つことを諦め、誰か他所の人間の男の妻となり子を成し、やがて老い ―――― 、そして死ぬる。

 そんな生き方を。

 りんの小さな体を抱えた腕の中、死臭をはっきりと感じている今でさえ、そんなりんの生き様を思うだけで、この身は熱く焼けるように昂ぶる。

 だから、悔いはしない。

 りんが人らしい生き方を選んでいたら、私はその場でりんを殺していただろう。
 だけどりんは、そんな私の懊悩など無用の長物と言わぬ気に、あの時迷うこと無く私の手を取った。馴染んだ人里の暮らしを、見知った優しい者達の輪を惜しげもなく捨て去り、その身ひとつで私の許に。
 そして、側に在れるだけで良いと思えるほど私たちはもう幼くも、また老成してもいなかった。側に在れば在るほど、もっと互いが欲しい。その全てが。そこに在ることを、もっともっと感じていたいと。

 そんな衝動に突き動かされ、獣のように心の赴くまま睦みあった。
 涼やかな木陰で、静謐な泉の中で、冴え渡る月の光の下で ――――

 私の妖気が、身の内裡に飼っている毒が、りんの身体を蝕む事も承知の上で。

「せっ… しょ う…… ま…さま……」

 りんが最後の力を振り絞り、私の名を呼ぶ。

「りん……」
「ありが… とう……。あり… が……」

 微かな、微かなその声。
 頬に浮かぶのは、儚く穏やかな笑み。


 ―――― そうして私を残し、りんは逝ってしまった。


 腕の中のりんの身体から熱が去り、物体と化してゆく。
 出口を無くした感情が、自分の身体の中で嵐のように吹き荒んでいる。それは私の妖気に映り荒れ狂い、森の木々の枝を鳴らし無数の葉を引きちぎってゆく。逃げ出してゆく、森に棲む獣達。怒りの余りやがて妖気に毒気すら滲みだし、りんの遺骸を抱いて座る古木を中心に、樹木が一斉に葉を落とし見る間に枯れ始めた。
 腕の中の死臭がますます強くなり、微笑を残しまたままのりんの顔の上に死が青い色を乗せてゆく。

「りん ―― 」

 腕の中のりんをどうしようかと考える。
 荒ぶる感情とは別の場所で、腕の中のこれがもうただの屍だと冷静に見ている己がいる。

 りんを、どうするか ――――

 魂消えた、ただの肉体。
 かつては睦み合い、すっかり馴染んだりんの肉体。
 今一度、抱いてみるか?

 そんな事をすれば尚一層、『りんの死』を思い知るだけだろう。

 では、捨て置くか?
 私がここを立ち去れば、やがて森に棲む獣どもが戻るだろう。
 その獣達の糧に……。

 いや、りんはかつて妖狼に食い殺され死した身。
 屍とはいえ、同じ目に逢わせるのは憐れか。

 頭の中を、色んな思いが巡る。
 土に埋め、虫に食わせ骨にするか……。
 
 その様を思い起こし、訳の判らない怒りに体が熱くなる。

( ……ならばいっそ、喰らってやろうか )

 ぶるりと身体中の毛が逆立つような気がした。不気味な軋みをあげて、自分の身が妖犬へと変化しかけているのを感じる。そうすれば、たとえりんの身体は失われても、この我が身のなかで共に在り続けるだろう。さして糧など必要としないほど妖力にあふれている身ゆえに、人間動物妖怪など引き裂き殺してきても喰ろうた事はない。それをりん、お前はこの私に死肉喰いをさせるのか。

( 恐ろしい娘だな、りん )

 狂気と残忍さを眸に溜め、りんの遺体に牙を向ける。
 今まさに、己が顎に掛けようとした瞬間、ある妖怪の事を思い出した。

 死したものを、まるで生きているかのように保つ業を持つ妖怪。


 変化を解くとすぐさま私はりんの遺体を抱え、空へと舞い上がった。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「おや、これは殺生丸様。このような卑しいモノの所へ、どのようなご用で?」

 森の奥に棲まうその妖怪は、卑小で醜悪な容貌をしていた。身の丈は三尺ばかり、丸く膨らんだ胴と六本の手足、その胴の上に直ぐ乗っている半円形の頭と赤い光の複眼。

「……お前は死んだものを、生きているように留める事が出来ると聞いた」

 その問いに、妖怪は殺生丸の腕に抱えられた遺体を認め、にやりと下卑た笑いを浮かべた。

「それがワシの生業じゃからのぅ。殺生丸様は、腕の中のモノを剥製にでもとお考えか?」
「剥製?」

 殺生丸の眸が眇められる。

「左様、剥製。なに、ワシの手にかかれば生前と寸分変わらぬ姿に仕上ててご覧に入れましょう。好みの人間や妖怪、動物などを剥製にして集める好事なモノもおりますれば」
「どう作る」

 殺生丸が短く尋ねる。

「そう難しくはない。腐り止めの妖液の中に七日七晩漬け込む。その間に身体の中の臓腑や血などは腐るから、後でそれを穴と言う穴から吸出し替わりに同じ腐り止めの妖液を流し込み、穴を妖蛾の繭糸で縫いつけ塞ぐ。目玉だけはどうしても腐り落ちるゆえ、最後の仕上げで義眼を入れ、姿勢を整えて乾かす。簡単なもんじゃ。腐った臓腑がこれまた美味でな、それが楽しみでこんな事をしておる」

 明らかに嫌悪の表情を浮かべた殺生丸の足元を見るように、その妖怪は言葉を続けた。

「妖怪どもの間で評判ですぞ、殺生丸様。酔狂にも人間の娘を囲っておる。どうせ人間如きひ弱な身では、そう長く持ちはせん。飽きる前にその娘、死ぬじゃろうと」

 ぴくり、と殺生丸の妖気が揺れた。

「ワシの所に来たという事は、その死んだ娘にまだ未練があるという事で。せめてその姿を生前のままに、留めておきたいとのお心と存知まする」

 妖怪は、もう隠しようはないほどにやにや笑いを浮かべて、話しを続けていた。

「……答えは」
「出来る。が、モノの状態を確かめねば何とも言えん」
「ならば……」

 多くは語らぬ殺生丸である。りんの遺体をその妖怪の前に置く。妖怪はそのいやらしげな六本の手足でりんの遺体のあちらこちらに触れ、口の中に細いツメ先を入れて具合を探る。やがて、わずかに首を傾げるのような仕草を見せると、下から見上げるような小狡い表情で殺生丸を見た。

「……酷いものですなぁ、この娘。身体中の血がすでに生き腐れておる。卑しき人間の分際で、殺生丸様のような高貴なる大妖の情を、溢れるほど受けた報いじゃ」

 ざわりとした殺気めいたものが揺らめき、突き刺すような視線で赤い複眼の妖怪を見る。

「ま、今からでも剥製になら十分間に合いましょう。物好きな飾りとして置いておく分になら。さして美しくもなく蠱惑的とも言えぬ身体の娘、あまり価値はないがのぅ」

 明らかな怒気が殺生丸の全身から立ち上る。しかし、この矮小な妖怪は図々しくも開きなった態度で言葉を続けた。

「ほぅ、そのご様子では飾り物の剥製はお望みではない。生きているような、この娘の代用ともなる人形をお望みか」

 それこそがこの妖怪の強みでもあり、殺生丸の弱みでもあった。
 そう、ここにりんの遺体を運び込んだ時点で、弱みを握られたとも言えたのだ。

「出来るのか」

 出来ぬと言えば、その場で引き裂かれるのは必至。

「出来ぬことはない。が、今のワシでは妖力不足じゃ。ここまで生き腐れた身体を元以上に『生きている』ように作るとなれば」

 そうしてまた、舌なめずりをし卑しい表情で殺生丸の顔を見上げた。その表情が意味するものは ――――

 殺生丸はその妖怪の意図する意味を読み取り、左腕の袖をまくると鋭い右手の爪先で二の腕の内側の肉をこそぐように切り取り、妖怪の前に投げ出した。ポタポタと肉を抉った傷口から溢れる鮮血が袖を、袂を、足元を赤く濡らしてゆく。
 地面に投げ出されたその肉を、飢えた鼠のように急いで口に運びガツガツと喰らう妖怪。そう、殺生丸ほどの大妖ともなれば、髪の毛一本爪の先でさえ卑小な妖怪の妖力を上げるのに絶大な効果を発揮する。それが今のような生肉ともなれば、どれほどの効果をもたらすか。投げ与えた肉を食べ上げ、意地汚くも殺生丸の足元に落ちた鮮血さえも舐めとる。見る間に妖怪の身体は膨れ上がり、強化された妖力ゆえかその姿が少しは人型に近いモノとなる。

「おお! ありがとう御座います、殺生丸様。妖力が身体の底から湧いて参りますぞ。ご恩に報いるためにも、一世一代の傑作を創り上げましょうぞ!」

 作業にかかるためりんの遺体に触れるその妖怪を、切れるような冷たい眼差しで殺生丸は見つめていた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 バスガイドさんの説明を聞き、グループ毎に分かれて自由行動に移る。観光地としても有名な場所なので、私達の高校だけでなく他の地域から来た高校や中学の制服も沢山も見かける。もちろん、一般の観光客も歩いていた。

「土地柄なのかなぁ、結構外国の観光客も多いね」

 一緒に行動している友人の一人が周りを見回し、そう言った。今の時代、どんな所でも街中を歩けばそれなりに外国籍の人間を見かけるものだ。ただ南北に長い国柄か、南は南方系やアジア系の来訪者が多いように思えるのに対し、ここでは北方系の来訪者が多い。

「そうだね、色白の金髪系が多いかな?」

 何気なくそう答え、前もって見学予定とマークアップしていたガラス工房に足を向けた。ショーウィンドウの中に、きらきらと光を反射して収まっている花瓶や飾り皿。精巧なカット技術も加味されて、光の結晶のようなあるいは氷細工のようなひんやりとした美しさ。
 そんな冷ややかさは、真冬でも灼熱の室温となる工房の焔と職人の情熱の賜物。工房の見学コースになっている回廊から、下の作業現場を見下ろす。

「あとで何かお土産を買おうかな。どんなのが良いかな? ねぇ、かごめ」

 美しいものを見て、友人達はすっかり気分が高揚している。

「そうねぇ、ペンダントとかイヤリングぐらいなら旅行中邪魔にならなくて良いかも。グラスやお皿も良いけど、持って帰るまでが心配だし」

 問われてそう返事を返す間に、友人達は工房の片隅にあるショップで記念のペンダントを買っていた。私も薄く七色に光る丸いガラス玉のペンダントを手にしかけたが、ふっと湧いた笑みと共に元に戻した。ガラス工房を後にし、もう一つのこの地の名産品であるオルゴールの工房に足を運ぶ。こちらはシックな木の香り漂う木工工房のような佇まい。その隣には見学出来る小さな博物館が併設されていた。
 アンティークな作りの室内に、年代別に展示されているオルゴールは自分が知っている物とは随分と違っていた。観光客相手の係員がそれぞれのオルゴールについて解説してくれる。大掛かりなパイプオルガンのような重厚な音質のオルゴールや、奏でる曲目を変更できる昔のLPレコード盤よりもさらに大きな金属製のディスク式のオルゴール、からくりで動く人形が楽器を演奏するタイプのオートマタ式オルゴールなどと、最近の宝石箱タイプのオルゴールしか私は知らなかっただけに、とても珍しかった。

 そのオートマタ式オルゴールの側に、一つの鳥かごが吊り下げられていた。中には一羽のカナリアが止まり木に止まっている。もちろん、生きているカナリアでない事は一目瞭然。

「これ、何かしら?」

 友人の一人が場違いなカナリアを見て、小声でそう呟く。

「そうね、オルゴールとは関係ないのかも。からくりで動くオートマタ(自動人形)としての展示かしら?」

 私たちの会話に気付いたのか、係員が側にやってきて説明してくれた。

「こちらのカナリアもオルゴールの一種なんですよ。普通は作り物のカナリアなんですが、これは本物のカナリアを剥製にしてその内臓を抜いたあと、管を通し空気を送って鳥の鳴き声を出すようになっています」

 そう説明をしながら、鳥かごの台についているコインの投入口にコインを一枚投下する。それがスイッチになり、止まり木の中を通ってカナリアの体の中に通された管に空気が送られ、僅かに頭を震わせながらピーヨロロと鳴き始めた。
 私はそれを見て良く出来た工芸品、職人の技の程に凄さを感じながらも、何かぞくっとしたものを感じた。楽しみの為に死体すら玩具に変える、その傲慢さ残忍さに。
 何とも言えない気持ちを抱えた私たちは、博物館を出てほっとする。あの建物の中にある、昔のままに止まった『時の重さ』が、外に出た途端ふっと取れたような気がした。友人達はすぐさままたお土産用に量産品の、良く耳にするJ−POP系なメロディを奏でるオルゴールを手に取り、あれこれと物色し始めた。

 きらり。

 何かの光が私の視界に飛び込む。どこかで感じた事のある気配を、私は感じた。その気配を探し、ぐるりと視線を巡らす。きらりと光を放つものをその視界に捉えた瞬間、私の体は震えた。

( 殺生丸っっ!? どうして、ここに! )

 見間違えるはずはなかった。自分の思い人と同じ髪の色をした、血の繋がりさえあるあの妖怪の姿を。胸がどきどきした。もしかしたら、犬夜叉も現代まで生き延びてるのかも……。

 バスの中で思っていた、その考えの矛盾を頭の片隅で追いやりながら、私はその人影の方へと走り出していた。

「ちょっと、かごめっっ!! どうしたのよ!?」

 小さなオルゴールを手にした友人が、びっくりしたような声を上げた。

「ごめん! ちょっと急用!!」

 説明する間も惜しくて、その人影を見失わないよう焦る気持ちのままに走った。かつての大妖怪殺生丸は海外からの観光客の中に紛れ、どこかエキセントリックな雰囲気を漂わせながらも『人間』の中に溶け込んでいた。

「殺生丸! 殺生丸なんでしょうっっ、あなた!!」

 私の声が聞こえたのか、ゆっくりとその人影はこちらへ振り返った。その人影の金色の眸が私を認め、僅かに揺らぐ。

「お前は ―― 」
「ああ、やっぱり殺生丸。あんたがここにいるって事は、現代にも妖怪は生き残っているのね?」

 息せき切って、そう質問する。
 一番聞きたい言葉を、口に上らせる為に。

「犬夜叉も、犬夜叉も現代にいるの?」

 しかし、帰ってきた答えは ――――

「……知らぬ。あやつがどうなったかなど、遠の昔に縁は切れた」

 それは殺生丸らしい答え。

「それより何故、お前がここにいる? お前は ―――― 」
「……私は、この時代の人間なのよ。骨喰いの井戸を通って、五百年前の犬夜叉達の時代にタイムスリップしていたの」

 私の答えに、殺生丸は思索するような表情を浮かべた。

「どちらが良かったものか……。先の時代へ時を重ねて渡るか、過去に遡るか。お前達にはどちらをも選ぶ事が出来たのだな」
「えっ? それは、一体どういう意味…?」

 殺生丸の言葉の意味を取りかねて、私は問い直していた。殺生丸と人ごみの間から、小さな声が聞こえた。

「殺生丸様」

 聞き覚えのある、その声。少し大人びていたけれど、間違いなく五百年前に殺生丸が連れ歩いていた少女、りんの声。

「りんちゃんっっ!? どうして、りんちゃんが現代に……」

 殺生丸の身体の影から出てきたのは、紛れもなくあのりんだった。

「殺生丸様」

 同じ抑揚で、同じ声の大きさで、りんは殺生丸の名を呼んだ。黒目がちの少し釣りあがり気味な瞳が昼下がりの薄い太陽の光を反射している。私の姿が映っているはずなのに、りんの表情は変わらない。私の知っているりんは、お日様のような笑顔で元気いっぱい、踏まれても踏まれても立ち上がり花を咲かせる野の花のような、そんな逞しさを持った少女だった。

「殺生丸様」

 もう一度、同じ声で同じ調子でその名を呼ぶ。その様子に、私は先ほど見学した博物館のカナリアを思い出した。

「殺生丸っっ! あんた、りんちゃんに何をしたのっっ!?」

 そうだ。
 りんはただの普通の人間の女の子だった。殺生丸みたいに、五百年の長い時を生き続けるなんて出来るはずはない。


 では、このりんは ――――


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ―――― りんに何をした。

 その問い掛けは、ひどく遠くから聞こえたような気がした。

 そう、あの後。
 あの妖怪は私の見ている前で、りんの身体を解体した。
 丁寧に生皮を剥ぎ、指の関節一本一本まで細かく。

 無数の肉片になったりんの身体から妖怪は腐った血を抜き取り、腐りやすい臓腑を選り分け甕に入れた。腐った血を抜き取った肉片は腐り止めの赤い妖液に漬け込まれ洗浄された。その上で防腐剤の薬を染み込ませる。
 りんが私を受け入れていた器は、私の精と妖気と毒気ですでに『人でないモノ』に変わり果てていた。それを妖怪は細かく解し撚り合わせ、細い糸のような筋を作る。

「殺生丸様、今一度殺生丸様の肉と血を分けて頂きたく存じます」

 私の生肉を喰らい、いっぱしの妖怪になったそいつが厚かましくも追加を要求する。その図々しさに、殺気が刃のようにその妖怪を打ち付ける。

「ワ、ワシが喰らうのではない! この娘の為に入用なので!!」

 殺気で裂けた皮膚から緑色の粘液を滲ませながら、その妖怪が叫ぶ。

「りんの、為……」
「は、はい。殺生丸様の毒や妖気に焼かれる事のない器と、腐る事のない血を入れてやろうと思いまして」

 地べたにひれ伏し、そう説明する。
 私は更に左の腕から骨が見えるほど肉を削り血を搾り、妖怪に与えた。その血は、防腐処理されたりんの肉片に注がれ、りんの肉片を柔らかな薄桃色に染め上げた。永遠の柔らかさとほのかな温みとを保つ命無き肉片。
 剥がされた生皮とりんの黒髪付きの頭皮は、妖蜂の蜜と魔真珠貝の精と鬼椿の実から取った油、それから特別に調合した薬を入れた溶液に漬け込まれ、しっとりとした艶と張りを与えられた。
 りんの黒い瞳はそのまま残したかったが、ここが一番腐りやすいと言われ仕方なく義眼を入れることにした。半透明の青みがかった白い玉を白眼に、黒眼には三種の黒曜石とその中央に濃い緑の金剛石を入れさせた。

 丁寧に細かく念を入れて下処理をされ、細工を施され、やがてりんの肉片は滑らかに動く大粒の魔真珠の球体関節に取り替えられた骨体に、変化した器の肉から作られた細い筋で縫合されてゆく。
 腹から取り出された腐りかけた臓腑の代りに、妖蛾の繭糸で織り上げた丈夫で薄い袋を幾重にもその形に重ね、中に極上の防腐剤となる妖蜂の蜜蝋を詰めたものを同じ場所に入れてゆく。そうしてすっかり中身を入れ替え、身体の形を整え、生皮を貼り付けて縫い合わせながら、生皮と肉片の隙間に蜜蝋を薄く塗って滑らかさを上げる。

 縫い目を消す為に、仕上げの妖液の中に漬け込む。この妖液の中には魔真珠貝の精がたっぷりと注がれていて、薄く透き通る肌の下の桃色の肉の色に真珠の輝きが加わる。細い肉の筋は生皮や肉片に良く馴染み、すぐに縫い目が判らなくなるほど同化した。

「もうじき完成いたしますぞ、殺生丸様。ワシの一世一代の傑作が」

 真珠色の妖液の中に漂うりんの姿は、まるで生きているように見えた。この腕の中、毒に焼かれ枯れ果てていったあのりんの姿とは、こうも違うものなのかと内心目を見張る。
 旅をしていた頃のままの、桜色の頬。艶のある髪に肌の滑らかさ、そしてまろやかさを増した幼いながらも娘らしい肢体。
 私に取ってりんは幼かろうが長じていようが、美醜や身体つきなど、正直どうでも良かった。

 そう、りんがりんであれば。

 だが、今目の前にあるりんは、美しかった。

「殺生丸様、御手をその人形の上に」

 妖怪の言葉に、真珠の妖液の中に漂う水妖のようなりんの上に手を翳した。私の手がりんの顔の上に翳された時、ゆっくりとりんの瞳が開かれた。

「 ―――― !! ―――― 」
「驚かれましたか、殺生丸様。どうです、見事なものじゃろ?」
「……生きて、いるのか」

 そう問う程に、瞳を開き微かに口元をほころばせたりんは、生き生きとしていた。

「いいえ、これはあの娘の死体から作った『人形』。この人形の中に入っている殺生丸様の血や肉、それから肉片や生皮を縫い合わせた筋などが、殺生丸様の妖気に反応しているだけの事」

 妖怪の言葉が続く中、妖液の中のりんが腕を伸ばし私の手を取り立ち上がる。その柔らかさ、温かさにしなやかな身のこなし。傷一つない、一糸纏わぬりんがそこにいた。

 これが、人形!? これが……

「りん……」
「殺生丸様」

 りんの口元から、あの声で我が名を呼ばれる。

「これは、口も利けるのか」
「いえいえ、それはあの娘の喉の肉についた癖のようなもの。よほど何度も殺生丸様の御名を呼ばれたのじゃろ。作り物の肺腑に息が入るたび、笛のように繰り返すだけ」

 ああ、確かに。
 いつも、いつもりんは、この私の名を呼んでいた。

「その人形は、あの娘のように毒に焼かれて朽ちる事もなければ血が腐る事もない。殺生丸様がご寵愛されればされる程、その身は磨かれ尚一層具合は良くなる」

 そう言い置いた時の妖怪の、卑しげな表情。
 ざわりとしたものが、胸の中にわく。

「これは、壊れる事はあるのか」
「そのご心配は、殺生丸様を打ち倒す妖怪が現れるかどうかという事と同じ事。殺生丸様とあの娘の二つの肉が混じりあってあってこそ、作る事が出来た人形。普通では傷付く事も壊れる事もなく、たとえ多少壊れようとも殺生丸様が可愛がり情を注げば、たちまちの内に元に戻る」

 妖怪は、自分の最高傑作のりんをジロジロと無遠慮な視線で見ている。

「いやぁ、これはこれで良いものじゃ。殺生丸様にお納めするモノでなければ、ワシが手元に置きたいくらいの出来じゃ。さて、この日の楽しみと取っていた、あの娘の腐った臓腑を喰らうとしよう」
「お前……」
「ああ、楽しみじゃ。殺生丸様の妖気と毒気が染みた若い娘の臓腑が喰えるとは。どれほど美味な事じゃろう」

 意地汚く緩んだ表情を浮かべ、りんの臓腑を分け入れた甕を覗き込む。私はその頭を、横一線に薙ぎ払った。返す手で胸から下も剥ぎ払う。緑色の粘液を鋭い爪から振り払う間に、何が起きたか判らぬままその妖怪は絶命していた。

「……りんを汚らしい目で見た、いや、りんをその手で蹂躙した報いだ」

 不埒な妖怪を粛清したその手で、りんの身を抱き寄せる。今の惨劇を見ても、りんの表情は変わらない。柔らかな笑みを浮かべたまま、私の顔を見つめるのみ。私は甕の中の、最後に残った生身だったりんの肉体に小さな爆砕を投げ入れ焼き尽くすと、りんを伴い果ての無い旅路を歩み出した。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「お前に答える義理はない」
「殺生丸っっ!!」

 殺生丸の側にいるりんの表情は変わらない。何か、ぞっとするものが私の身の裡に湧きあがる。

( ……このりんちゃん、私の知っているりんちゃんじゃない! )

 そう、このりんからは空虚さしか感じない。

( かごめ様…… )

 小さな声、それは私の六感に訴えかけてくる。私はその声のした方に、瞳を凝らした。現代風な身なりをした二人の影に、あの頃の着物姿のりんの姿が幻のように浮かび上がる。

( かごめ様、あたしの声が聞こえますか }

 直接私の心に響く声。私は、心の中で返事を返していた。

( りんちゃんっ! 一体、何があったの!? あのりんちゃんは…… )

 幻のりんは、自分の前の二人を見つめ小さく答える。

( あれは、あたしと殺生丸様の『想い』の成れの果てです。あたしを無くしたくないと、そう想ってくださった、その答えなんです )
( りんちゃんは、もうずっと昔に死んでしまったのね。だけど、それを殺生丸は…… )

 この二人を見て感じた寒気は、あのカナリアと同じ理由。
 空虚さを感じたのも ――――

( りんちゃん、りんちゃんはそれでいいの? 今も、その姿で在るって事は、行くべきところに逝けないまま、現界を彷徨っているんじゃ…… )
( ……彷徨ってなどはいません。あたしはいつも、殺生丸様のお側にいます。殺生丸様の想いが強くて、あたしの未練も強くて、どこにも行けないから )
( でも、りんちゃん…… )

 私はそんな言葉を心で交わしながら、りんの寂しさを感じる。

( でも、殺生丸は気付いていないのでしょう? りんちゃんが側にいる事に、あの『もう一人のりんちゃん』がいるせいで )
( あれも、りん。だから、いいんです。殺生丸様とあたしの旅はまだ、終ってないから …… )

 哀しげに微笑んで、りんの霊魂は私の前から消えた。
 はっと気づいた時には、あの二人もいつしか人ごみに紛れその場を立ち去っていた。

「かごめ!」
「どうしちゃったのよ? こんなところでボンヤリしちゃって」

 置いてきぼりにしていた友人たちが私を見つけ、そう口々に声をかけてきた。

「あ、ううん。人違いだったみたい。昔の知り合いに似ていたんだけどね」

 私はそう言い繕う。
 予定の時間を過ぎ、私たちを乗せた修学旅行のバスはその場を離れた。

 バスの振動に揺られながら、私は考えていた。
 あの時感じた、矛盾の意味を。

 そう、もし犬夜叉がさっきの殺生丸のように現代まで生き延びていたとしたら、どうして私に会いに来てくれないのだろうと。
 私の事を忘れてしまったのか、会いに来れない理由があるのか。

 それとも、会いに来なくても良くなったのか ――――

( ―― !! 私、もしかして…… )

 それは一縷の希望と、さらなる深い苦悶を私に与えた。

 もしかして私はもう一度、あの時代に行けるのかもしれない。
 ゆけば、二度と戻ることは出来ないような気がする。
 あの時代で、私は犬夜叉と暮らし、そして ――――

 ああ、それならもし犬夜叉が現代まで生き残っていたとしても、私に会いに来る事はないだろう。
 私の生は、あの時代で全うされたのだろうから。
 犬夜叉にとっての未来である現代、そして私にとってはほんの少しの昔だったあの頃。私が初めて骨喰いの井戸に呼ばれた十五の季節。あの時を通り抜けなくては、今の私はいない。
 もしかしたら、犬夜叉はずっと影で見守っていたのかもしれない。私がどちらを選ぶかを。

 そこまで考えて、私はあの殺生丸の言葉の意味を理解した。


 ―――― 先の時代へ時を重ねて渡るか、過去に遡るか。お前達にはどちらをも選ぶ事が出来たのだな


 きっと、そういう事なのだろう。
 そうして、私も犬夜叉に殺生丸と同じ苦しみを与えるのかもしれない。


 失くしてしまう、哀しみを ――――


 『時』を、留める事は出来ないから。
 選ぶ事の出来なかった殺生丸は、だから『想い』をあんな形に ――――
 この胸のざわめきは、あの二人を羨ましく想っているからだろうか?
 それとも、おぞましさ故だろうか?

 いつ果てるとない旅の終焉に、もう一度あの二人が一つになれる事を私は望む。

 それまであの抜け殻のりんは、何度も殺生丸の耳にその名を囁きかけるのだろう。
 まるで、雛の囀りのように ――――


【終】
2009.9.19



= あとがき =

昨年の夏、旅行先で見学したオルゴール館で見た、「ハミング・バード」
その説明を聞いた時に、頭に浮かんだプロットです。
何ともいえない、ぞくっとしたおぞましさがある意味殺りんの関係にもあるような気がし
書いてみたくなったのが、この話です。

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