【 白銀の犬 8 】




 まだ『街』として機能し始めていないその住宅街は、どこか映画のセットのようでもあり、ジオラマのようでもある。未だ手付かずの雑木林とその奥の岩山だけが本物で、新しく拡がったその風景は美しくはあっても造り物めいて桔梗の瞳には映った。

「……どうしやすか? 弥蔵のダンナに連絡入れやしょうか?」

 造成中の住宅街に入ったところで、パトカーを運転していた阿波野刑事は、そう弥勒に声をかけた。時代劇好き、落語好きな阿波野刑事の口調はどこかアナクロい。

「……そうだな。応援はまだだとしても、俺たちの居場所は連絡しておいた方がいいかもしれないな」

 追いかけている組織が組織。
 たとえパトカーに乗っていようと、警察関係者だろうと、組織がその気になればこのくらいの人数なら跡形もなく消し去る事ぐらい容易い事だろう。

 弥勒の答えに、阿波野刑事が無線を使う。
 丁度、その無線を取ったのは瀧寺警部だった。

「心当たりを当たると言ってパトカーを動員させたが、何か手がかりでも掴んだのか!?」
「あ、いえ…、それはまだで……。ただ、現時点の位置報告をと思いやして」
「ふむ…。で、今はどこに居るんだ?」
「え〜っと、市内北東部・○○○ニュータウン造成地入り口でさ」

 阿波野刑事の報告した場所に、滝寺警部の六感を刺激するものがある。
 確か ―――

 無線のレシーバーを押さえながら、警部は部屋にいた手隙の若手刑事に声をかける。

「おい! 俺のデスクの上に未処理の報告書があるだろう。一ヶ月くらい前の日付の、雑木林で弾痕が発見された奴を持って来い」

 ばたばたと警部のデスクに走りより、山のように積まれた書類を大急ぎで繰る若手刑事。デスクの片端から書類が雪崩を起こし、その下からようやく目的の書類を引っ張り出す。

「警部! これですか!?」
「おう!!」

 部下が持ってきた書類にざっと目を通し、待たせてあった阿波野刑事に言葉をかける。

「ビンゴかもしれんぞ、阿波野! 一ヶ月程前の事だがそのニュータウン奥の雑木林で数発の弾痕と血痕が見つかった。その血痕の側には数人の男の物と思われる足跡と何か動物の足跡らしいものも見つかったらしい」
「らしい…、でやすか?」
「ああ、草と土の混じった場所だったので正確な足跡の採取は出来なかったんだ。追跡できるだけその足跡を追ってみると、雑木林の中に消えていた」

 阿波野刑事と瀧寺警部のやりとりを隣で聞いていた弥勒が、阿波野刑事の持っていたレシーバーを取り上げる。

「瀧寺警部!!」
「お、弥勒君か」
「つまり、この辺りで『何か』あった事には間違いないんですね? それも、非合法な荒っぽい事が」
「ああ、そういう事だ」
「怪しいのは、雑木林の奥…、と言う事ですね」
「うむ、今 応援を出すから君達はそのまま待機していてくれ。応援が来たら、君達は後を我々に任せて、家に戻りたまえ」

 警察関係者の家族でも、自分たちは『一般人』であると思い知らされる一言。
 確かに、車内には足の不自由な桔梗も乗っている。無理が出来ないのは承知だ。
 弥勒はレシーバーを阿波野刑事に戻しながら、目顔で桔梗に尋ねている。

「……無理はするな、か。水先案内くらいは出来ると思うがな」
「桔梗さん……」
「この広い雑木林のどこを探せばよいのか、その手がかりくらいは警察に教えてやっても怒られる事はないと……」
「判りました。当たりをつけてきます」

 そう言うと弥勒は、人影のない住宅街を音もなく走り抜けて行った。

「あの、弥勒兄は……?」
「勘の鋭い男だ。あの者らが目指した場所を探り当てに行ったのだろう」
「でも! それは危険なのでは!?」

 心配そうに、もう後姿も見えない弥勒の姿を追う珊瑚。

「要領の良い男のようだ。状況を無視して危ない橋は渡るまい。あれほどの『気』ならば、かなり離れていても感じられるからな」
「じゃ、今も?」
「ああ、この辺りにもその『気』の波長が届いている。応援の中に私や弥勒のような者がいれば、すぐ引き上げても良かったのだがな」

 そう口では言う桔梗に、実はそうではないだろうという何かを感じる珊瑚。
 桔梗が、今 この場に踏みとどまっていたいのだと、なぜかそう感じた。自分は弥勒や桔梗のような特別な感覚はないけど、それでも訳も判らないまま胸が酷くどきどきしている。そして、そのどきどきの中身は、けっして快いものではないのだ。

 不安や恐れ、何か悪いもの ―――

 その闇の中に飛び込んでいった弥勒を思うと、もっと胸が苦しくなる。

「……好きなのか?」
「えっ!? あ、あの、なに……?」

 唐突にかけられた言葉に、はっとして取り繕う事も出来ずぱっと顔に想いが出てしまう珊瑚。

「だから、心配なのであろう?」
「…好きって、小さい頃からの幼馴染だし、兄妹みたいなものだから……」

 最後の方は、口の中での呟きになっている。

「妹で、良いのか?」
「 ――― !! ――― 」

 もう、珊瑚の顔は真っ赤である。
 いつからとは判らない。両親を亡くし弟とはぐれ、一人ぼっちになってしまった自分の傍らに、気がつくといてくれた。大切なものを無くした者同士、言葉にしなくても分かり合える優しさで。
 それがいつから、こんな気持ちになったのか ―――


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


( ……初心な事だな。ふふ、私にもこんな時期があったな )


 それはもう、遥か昔 ―――

 女学校を卒業したら、先代の後を継ぎ司巫女(つかさみこ)となる事が決まっていた桔梗。それでもまだ、学校で学びたい事があった。無理を承知で頼んでみたが、その社の宮司にも匹敵するほどの責務を負う司巫女ともなれば、そんなわがままなど通ろうはずもない。

 それでも、巫女の務めの合間合間に行けなかった上の学校の教科書を開き、独学で学んでいた姿を見かねて、声をかけてくれた者がいた。

それが……

( 鬼木…、あの頃のお前は優しかった…… )

 桔梗より少し年上の大学生。
 桔梗の社の裏手にある学生相手の下宿に住んでいた。人付き合いの苦手な性格らしく、下宿では落ち着いて勉強が出来ないので、この神社の境内の片隅を借用させてもらっていると。

 お互いにすれ違うわずかな時間での、勉強を通してだけの交流。
 だがそんな時間も職務に忙殺されるようになった桔梗からは失われ、やがて鬼木の姿を境内で見かける事もなくなった。

 そんな桔梗が再び鬼木の姿を見たのは、それまでの桔梗の頑張りを周りが認め、祭事ごとのない僅かな閑散期だけと言う条件で大学の聴講生となれた春だった。

 もともとそう悪い容姿ではないにも関わらず、持っている『気』が陰なもので大学の構内で見かけた時も、やはり一人だった。むしろ、桔梗と僅かな時間、一緒に過ごしていた頃よりももっとその度合いを深めているように感じられた。

( もしかしたらあの頃の私は、鬼木を好きになりかけていたのかもしれんな。この珊瑚のように )

 しかし、巫女である桔梗には許されない話。
 桔梗自身、そうと意識した訳ではなかった。

だが、鬼木は……

( 待ってろ、桔梗。俺がお前を『自由』にしてやる! 誰にも負けない邪魔をされないほどの『力』を手に入れて、お前を迎えに行くからな )
( 鬼木…… )

 滾る様な、熱い眼差しだった。
 その目を見て、桔梗は鬼木とは根本的に受け入れ合えないだろうと悟った。
 その冥い眼が映しているものは、ただの己の欲でしかないのを見抜いたからだった。

 それから間も無くである。
 鬼木が元患者から油を浴びせられ、火をかけられたのは ―――


( 今、ここに居る者たちの禍の元凶が私だと言えば、それは傲慢な事だろうか? )


 鬼木を『ナラク』に変じせしめたのは自分かもしれないと、そう桔梗は思う。
 鬼木は社に祀ってあった『四魂の珠』の事を知っていた。

 あれを使わせたのは……


「…ょうさん、桔梗さん?」
「あ、なんだ。珊瑚」
「なんだかずっと黙り込んでたので、具合でも悪いんじゃないかと……」

 珊瑚の視線は桔梗が手にした杖に向かい、病弱そうなその様子にも注がれる。

「心配はいらぬ。これは仕方がない事、自然の摂理」

 自然の摂理と言いながら、それに逆らっている自分の存在を苦々しく思う桔梗であった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「ん〜? ニュータウン近くの造成地奥の雑木林は思ったより範囲が広大だな」
「どうしました。滝寺警部」

 もう一度、殺人現場でもあり誘拐現場でもある校医の医院内を調べてきた風守刑事が滝寺警部の呟きを耳にした。

「うん、今、弥勒君たちを送って行った阿波野から無線が入ってな。どこから手に入れた情報なのか、この市内北東部のニュータウン造成地辺りが怪しいと報告してきたんだ」
「市内北東部?」
「うむ、訓練した警察犬でもないのにどうやらあの子犬に後を追わせたようなんだな。だから、それがどれほど信頼おけるものかははなはだ不明だが、ただ、な……」
「ええ、あの辺りで被害者不明のままの発砲事件がありましたね」
「そうなんだ。それでその辺りの地図を見ていたんだが、ほら、これ!」

 そう言いながら瀧寺警部が指をさした住宅地図には、見ようによっては奇妙にも見えるものが記載されていた。

「市内地図で郊外の様子などそうそう見る事はないのですが、この雑木林とその中央にある丘のようなものはなんだか人口的な感じがしますね」
「ああ、半世紀ばかり前まではこの辺り一帯は軍用地だったらしい。そのせいもあるかもしれん」
「……つまり、軍の隠し施設か、それに類したもの ――― 」
「十分考えられる線だ」

 そう言った後、二人は押し黙った。
 もしそうなら、かなり厄介な事になるかも知れない。今でこそ、世界で唯一『軍隊』を持たない(…建前は)法治国家であるが、かつて軍命によりその手の研究所でどのような研究が行われていたのか…。国内だけではなく、海外の研究所でも安全かつ速やかな後処理さえまだ出来てないのが事実。放置された生物兵器などがあったとしたら…、考えるに恐ろしい。

「あー、弥勒君には応援が到着するまで現場で待機しているように言ってある。ウチの珊瑚や桔梗さんも一緒だからな」
「応援はどのくらいで?」
「今はまだ様子見だから、パトカー三台分だ」
「じゃ、俺は応援の方に行きますから、校医殺しの方の現場は警部にお任せします」
「うむ。くれぐれも親子そろって無茶はするなよ」

 もう刑事部屋を出かけていた弥蔵は、肩越しに目の端だけを笑わせて、何も言わずにそこを後にした。

「……するなと言っても、するだろうな。あの親子は。待機してろといったが、どうせあの弥勒の事だ。今頃、斥候の真似くらいしておるじゃろう」


 ……その言葉通り。

 弥勒は、住宅街を抜け雑木林の縁に辿り着いていた。
 桔梗たちを乗せたパトカーをニュータウンの入り口に待機させたのは、こんな人気のない所にパトカーを乗り入れると、相手側を警戒させるからと言う読みがあった。また、万が一そのパトカーを襲われたら、今の自分では手も足も出せないと踏んだのもある。ニュータウンの入り口辺りは住宅街らしく街並みも整いだしていたし、少ないとはいえ住人もいる。

 だが、その奥になると未だ造成中のむき出しのままの地面が茫々と広がっており、まったくの無人地帯。

「この先に居るのは間違いないが、それにしても……」

 すっと、弥勒が手を伸ばすと何もない空間が微かに放電したように揺らめき、指先に形容しがたい刺激を伝える。

「これが結界と言うものか。まさか、この目で見るとはな」

 弥勒ほど鍛錬を積んだ者だから、それと知れる結界の存在。
 普通の人間なら、何か気が進まないとその場で回れ右をして引き返す事だろう。
 その結界は弥勒とは相性が良いのか、軽い圧迫感と感電したような軽い痺れを感じるが、入れないというほどの物ではない。

「あれが何だったのか、この目で確かめたくもあるしな」

 不敵な笑みを浮かべると、弥勒はその中へ入って行った。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 弥勒を見送って、どのくらい経ったのか。
 何もせずただ待つだけの時間の長い事。それが殊更に珊瑚の不安を煽り立てる。

 桔梗が寡黙なだけに、またある種敬虔な雰囲気を漂わせているだけに、この沈黙を破るのが悪い事のような気がして、珊瑚も阿波野刑事も押し黙っていた。その雰囲気を察したのか、ふっと桔梗の顔に小さな笑みが浮かんだ。

「済まぬな、私のせいで気を使わせるようだ」
「あっ、いいえ!」

 ほっと、緊張の糸が少し綻ぶ。

「珊瑚は不老不死など信じるか?」
「不老不死? まさか…、映画の中の吸血鬼じゃあるまいし。もしそんな事を本気で信じている人がいたら……」

 自分でそう言いながら、はっとした表情を浮かべた珊瑚。
 そう、それを信じた狂人が、この一連の事件の首謀者・ナラクその人。

「その…、ナラクはなぜそんな妄想なんかを信じたのかな……?」
「あれは『四魂の珠』の存在を知っていた。その効力を、身を持って体験したのだろう」
「えっと、大ヤケドしたけど元に戻ったって、あれ……」

 桔梗は手の中の緑瑪瑙のペンダントを見つめた。
 中に入っている四魂の欠片は、今 桔梗の手により浄化されている途中。

「四魂の珠は伝説であった。ナラクは伝説の中に『真実』が隠されている事に気づいたのだ」
「伝説の中の、真実……」

 珊瑚は伝説、と口の中で呟いた。
 伝説、ドラキュラを初めとするルーマニアやトランシルバニアで広く知られる吸血鬼伝説。同じく中央ヨーロッパに伝わる人狼伝説。その肉を食べれば不死になれるという人魚伝説…。

「それらの伝説の中で共通しているのは、その力をただの人間にも与える事が出来るという事だ」
「それは、どう言う意味……?」
「あの男は人工的にそれが出来ると研究し、四魂の珠の力で変成術は完成させたようだ。だが……」

 ナラクが欲しいのは、変成出来る能力だけではない。ましてや成功したといっても、今の段階では『元に戻れる』可能性の低い変成。


 欲しいのは ―――


 吸血鬼のように、永遠の若さ。
 狼男のような、頑強な生命力。
 人魚のような、不死の力。


 そして、その鍵を握るのは『りん』。


 四魂の珠と引き換えにしても良いほどの ―――


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ナラクの部屋に、二つの人影。

「どこまで進んでいる、睡骨」

 かけた言葉は感情を掴ませない、抑揚の乏しい声。

「初回のサンプル収集を終えたところです。もう少し、時間がかかるでしょう」
「……時間、か。そうだな、お前がその貴重な情報を隠匿していたせいで、無駄な時間を取った」
「その事に関しては、今は何も申し上げる事はありません。要は、『結果』ですから」

 言われた睡骨も、ひるむ事はない。
 この二人、いわば磁石の同極同士。研究に対する狂信的さも命に対する冷淡さも、またその『執着したもの』に対しての異常な愛情も。それ故に、反発しあうのも半端ではない。ただ、睡骨の方が半歩下がった物言いをするのは、ナラクよりも研究そのものに執着している自分を認識しており、組織の運営などと言う煩わしさを背負っているナラクに対しての優位性を感じていたからだった。

「そうそう、『りん』と一緒に使えるかと思って捕らえたあの娘。ご覧になりますか? いずれ、必要になるかと思いまして」
「……何の事だ?」

 怪訝な顔をして、ナラクが問う。

「……研究の為に、貴方が昔行った実験や手術などの記録を読んだんですよ。その中に研究の初期に、未完成な『不老手術』を行った記録がありました。被験者は貴方ともう一人……」
「睡骨、お前…っ!」
「未熟な理論で、貴方はアポトーシス(細胞自然死)作用とテロメア(細胞分裂指示)作用を人工的に停止させた」
「……何が、言いたい」
「細胞分裂を繰り返す事で、生物は成長します。しかし、何時までも成長を続ける生物はいません。ある一定の時期になると、その成長は止まります」

 そう、それが生物としての『成体』という事。

「問題は、そこからです。どんな成体でもテロメアが活性している間は細胞分裂を繰り返します。その細胞の中には癌細胞に代表される悪性の細胞の発生もありえます。それを病巣となる前に排除してくれる働きが細胞を死滅させるアポトーシスな訳です」

 更に睡骨は言葉を続ける。

「言い換えれば、新陳代謝という事ですね。死滅する細胞とバランスが取れるだけの新しい細胞が生まれてくれば、どの成体も現状を維持できます」
「ふん、生体学者の常識だな」

 ナラクの顔に苦々しげなものが浮かぶ。

「アポトーシスはその生体が生命反応を停止するまで働き続けますが、それに対しテロメアには限界がある。細胞分裂を繰り返す度にテロメア器官は短くなり、これが無くなると細胞は分裂を停止してしまう。つまり、『老い』の始まりです」
「貴方の間違いはこのテロメアの長さを維持、もしくは延ばそうとはせずに、現状での停止を選んだ事です」
「……………………」
「アポトーシス作用もテロメア作用も人工的に停止させる方法。確かに細胞が死ななければ、現状は維持出来ますからね。しかしそれでは、細胞の再生も無い訳です。同じ細胞がずっと働かされ続けている状態…、その能力は死に近いほど低下してしまうでしょう」

 ダン! と机を叩くナラク。

「貴方はもともと優秀な外科移植の腕を持っていましたからね。活力が低下して使い物にならなくなった体の部分を、新たに未熟な不老術を施した臓器と取り替えるなど簡単な事でした」
「睡骨…、お前……」
「ええ、存知あげてますよ。貴方の想い人の事は! 麗しいですな、共に同じ時を生きようと貴方の手でそんな、『人で無いもの』にされてしまった美しい人の事を!!」

 椅子を蹴立てて、ナラクが立ち上がる。その形相は、悪鬼悪魔でも逃げ出そうかと言うほどの禍々しさ。

「あなたと違い、あの時のまま今まで生きてきたあの人の体は、もう使い物にならない位疲弊しているでしょう。その為の、あの娘ですよ。素晴らしいほどの健康体です。パーツ取りには持ってこいです」
「お前…、お前っっ!!」
「私の研究が完成するまで、貴方もあの人も暫くはその未熟な不老術で生き長らえなくてはならないでしょうからね」
「…………………」
「いっその事、あの娘を切り刻むのではなく、あの人の脳とあの娘の脳を取り替える脳移植をした方が仕上がりが綺麗かもしれませんよ? プロフェッサー・ナラク」

 明らかな睡骨の嘲りの言葉。完全な優位性を見せ付けて、睡骨はナラクの部屋を後にする。ナラクは視線で人が殺せるのならと言うような、殺気立った視線でそんな睡骨の後姿を睨み付けていた。

 見た目の老いは隠せても、睡骨の目に映るナラクの『知力』の老いは隠せなかった。そう、あの不老術を施したナラクの脳は、もうそれ以上に知力を伸ばす事が出来なくなっていた。今でも十分『天才』の部類だろうが、既に睡骨にその能力は追い抜かれていたのだ。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「……私がこの情報を隠していた間の八年間を無駄と言うなら、ナラク! お前に与えられた見当違いな研究課題の方が余程無駄だったぞ!!」

 『伝説』を重要視したナラクは、伝説上のモンスター達の変身能力に目を付けた。人からモンスターへ、モンスターから人へと、その変成に関わる何かが不老不死の謎を解く鍵ではないのかと。
 現状を維持する方法を不完全ながらナラクは編み出した。しかしそれは、時間が経つにつれ性能が劣化してゆく機械のような体。何より怪我や病気に対して反応する事の出来ない体という事である。

「ふっ、あの時ナラクはこうも言ったな」


 ――― 何故、吸血鬼が人の生き血を吸うか判るか?

 そう、ワシと同じで自分の体で血を生産する事が出来ないからだ。あいつらは人の生き血を飲む事で、そのまま直接自分の活力とした。生命活動を極端に抑え、皮膚に過大な刺激を与える昼間の行動を避け、長い時をそのままの姿で生き続ける ―――

 食事を取る事もなくなったナラクの『食事』は、三日に一度の輸血だった。ナラクの食事の為の人間もここには沢山居る。快適に管理され、健康的な食事と生活。
 やがて、その生き血は一滴残らずナラクに搾り取られて……

( ……あいつらは、生まれながらにその能力を持っている。そして、そうここが肝心なのだ。吸血鬼に、いや狼男もでも良いが、それらのモンスターに襲われた人間の中には襲ったモンスターと同化してゆく者がある、という事だ )
( …………? )

 その時の私には、この狂人の世迷い言が理解出来なかった。理解出来ない私に、ナラクが向けた表情。ああ、あの時の自分を小馬鹿にした表情!!
 今、思い出しても胸がむかつく。

( 判らんか? この能力は普通の人間でも伝播する…、つまり人間を作り変える事が出来るという事だ )
( それで…? )
( 人工的にこの能力を作り出す。不老不死を完全なものにするために )

 そう言ってお前は尊大な、そして邪悪な笑みを浮かべたのだ。
 途中までは、ナラクもその方法を研究していたようだ。自分の得意な、外科移植の知識と技術で人を動物に変成させ、そこからその能力に繋がる何かを見つけ出そうと。

 存(い)るか存ないか判らぬ伝説上のモンスターを追い掛けるより余程建設的な考えではあったが、ナラクの能力ではナラクの本性にも似た醜悪な、色んな動物の部品を寄せ集めた合成獣(キメラ)しか生み出せなかった。それも、屍ばかりを……。

 自分の能力に限界を感じたナラクは、異端の学説を唱えた為に学会から追放された生体学者であった私をその研究の後釜に据えた。ナラクが私に与えた命題は、『人間を他の動物へ変成させ、その変成に伴う能力の発現を確立させろ』、だった。

 それこそが、今にして見れば大いなる時間の無駄であった。最初は体力的に実験に耐えうる成人を対象に、特殊な薬の開発と細胞の遺伝子操作を繰り返し、どの動物となら融合可能かを調べた。
 その実験の経過において、、世にもおぞましい半人半獣の死体が山のように築かれた。その結果、成長がほぼ止まった段階の人間では人工的にその肉体の性質を変換させると、異種移植のような激しい拒否反応を起こし、生存する事は100パーセント無理だとの回答を得た。

 この時点で、被験者自らを変成能力をもった不老不死の生物に作り変える事は出来ないと言う結果が出たのだ。私が研究に熱心なのはここからだ。

( ……ふむ。では、これからの成長が著しい乳幼児でならどうだろう? 体力的なものは成人男子に遥かに劣るが、肉体的な変化には耐えうるかもしれん )

 この考えはある意味、的を得ていた。
 成人男性を被験者にした場合よりも、良い結果を出す事が出来たのだ。人とも動物ともつかない、知能さえ失った短命なモンスターではあったが。


 ――― そして、私は『コハク』でようやく変成を成功させる事が出来たのだ。


 後は、その『コハク』を今までの実験動物達のように解剖して調べるだけ。それを、あの女が……

( でも、まぁ 多分『コハク』を解剖しても、不老不死の秘密は手に入らなかっただろう。元からそういう生き物でない限り、人工的に作り出した変成動物は所詮、ただの獣でしかない )

 無駄と知りつつ、実験を重ねたのは自分の学者としての業でもあり、ナラクへの目くらましでもあった。その研究の裏では、早期からナラクが未完成なままにしていた研究にも手をつけていた。

「……ナラクにはああ言ったが、私も若かったな」

 自嘲気味に呟く。ナラクの研究を引き継いだその昔、ナラクの研究の欠点を補い単独で『不老術』を改良した。アポトーシス作用はそのままに、テロメア細胞に手を加えた。細胞分割をする度にこのテロメア細胞の触手が短くなり、それが消滅した時に細胞分裂は終了する。そこからは、細胞は死滅し老化の一途を辿る。

「中々良い考えだと思ったのだがな…、他の細胞が分裂する時にテロメア細胞も分裂増殖するように自分の体を改造した。お陰で『不老』にはなれたが……」

 くっ、と差し込むような激痛を感じて自分の脇腹を押さえる。そこにはナラクに気付かれぬよう埋め込んだ体内内蔵式自動投薬装置がある。人口皮膚でモルヒネの注入口を隠し…。

「……もう少し、モルヒネの濃度を上げるか。ふふ、ナラクとその女が『生きている死体』なら、さしずめ私は『歩く癌の巣窟』と言うところだな」

「……変成と、不老不死はそれぞれで成立する。その良い例が『りん』だ。あの娘は人間のまま、その不死性をおそらく手に入れた娘だろう ―――」

 こつこつと地下通路に、睡骨の足音だけが響いてゆく。その足音は、りんやかごめ達がいる研究棟ではなく自室へと向かっていた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「くっ、睡骨の奴めっっ!! 全面的にラボの管理を任せているからと思って、思い上がりおって!」

 もう一度、悔しそうにナラクは自分の目の前の机を激しく叩いた。

( ええ、存知あげてますよ。貴方の想い人の事は! 麗しいですな、共に同じ時を生きようと貴方の手でそんな、『人で無いもの』にされてしまった美しい人の事を!! )

 ナラクの胸で、睡骨が投げつけた皮肉な言葉が木霊する。


 ――― 『人で無いもの』

 そう、初めてあの社の境内でその姿を見た時、ワシはそう思った。
 その美しさに、気高さに。

 そして、その孤高な魂に ―――

 自分と同じ、『孤独』な魂。望むものを手にすることの出来ない、束縛された存在。まるで、羽衣を奪われた、天女のように。あのような存在がただの人間と同じように在るのが、ワシには許せなかった。どうにかして、その束縛を解き放ってやりたかった。

 その為に求めた『力』 ―――

 何が悪い?
 より良くなる為の、その努力。

 悪い所を切り捨て、より良い『部品』と取り替えて性能を上げる。それが『進化』と言うものではないのか? それを『人間』に当て嵌めただけの事、どこが間違っていると言うのか。
 事故で損傷し従来の治療で不自由な体になるのなら、そこに使えるパーツがあるとして、使う事を躊躇う方が患者にとってはマイナスではないのか?

 「……ワシの体を焼いたあの元患者も、ワシのこの『神の手』の恩恵を受けた一人であったものを ―― 」

 身体の損傷の激しい事故だった。家族四人、小さな花火工場の爆発事故。運び込まれた患者は、それは酷い有様だった。両親と姉と弟。花火加工をしていた父親とその手伝いをしていた母親の損傷がもっと激しく、ついで爆風に飛ばされた弟も火傷よりも内臓を傷めていた。その当時十五歳だった姉が一番軽症と思われたが、それでも脳挫傷で意識不明全身骨折の上、脊髄を傷めていた。

( ふむ…、一番怪我の度合いが綺麗な患者だが、脊髄を傷めてしまったのではもう、元には戻れないな )

 そうしてワシはその患者の横に並べられた他の家族の容態を見たのだ。両親にはまず火傷の治療として皮膚移植が先決だった。それから砕けた骨や傷付いた眼球や手や足の取替え。弟の方は、外見上の怪我はそれなりに酷いが、取り替えなくとも機能は回復出来ると判断した。それよりも爆風で破裂した幾つかの内臓を取替えねばと。

( 三人分の部品、か。足りない所もあるが幸い使えそうな部品が一体分、丸々ある。どちらがより益かと言えば『一』より『三』なのは明らかだからな )

 そうして、半年ほどしてその患者達三人は退院していった。殆ど日常生活に支障がないまでに回復して。

( 部品が足りなくて完全な治療とは言えなかったが、血縁者の物だっただけに経過は驚くほど良かった。あの娘も家族三人助ける事が出来たのだから、さぞ本望だろう )

 そんな経験があったからこそ、臓器移植とクローン技術の研究には尚の事、力を入れた。その頃から漠然とだが、今 追い求めている『不老不死』の技術を、いや『力』を手に入れる事が出来れば、この世界をも動かす事が出来ると確信していた。

 そんな、時だった……

( ……お前のせいで、親父は首を縊って死んじまった。お袋も、姉ちゃんに済まない、済まないって言い続けて、狂い死んじまった。俺も…… )
( 折角、このワシが助けてやったものを…。それではお前の姉は無駄死にだったな )
( お前がっっ!! お前が、姉ちゃんの体をバラバラにして俺達に移植したからっ! まだ、その時姉ちゃんは生きていたって。だから…… )
( ……心臓は動いていたが、回復の望めん植物人間状態だった。ましてや脊髄損傷では身動きでは、万が一意識が戻ったとしてもな )

( ………………… )


 狂った人間の目を見たのは初めてだった。しかし、それほどの恐怖感も感じない。恐ろしいというよりも、むしろ滑稽。

( 残ったのは、お前一人か。なら、その体大事にするがいい。お前の体には、姉から貰った腎臓と肝臓、脾臓も入っているからな )

 そう言い残し、その少年に背を向けた ―――


「かえってあの一件でワシは、今までのワシである事を捨て去る事が出来たのだから。ふん、睡骨の言葉ではないが、要は『結果』だな」

 ようやくナラクは机の側を離れると、その自分と同じ『人で無いもの』となった桔梗の為に拉致された『部品』としてのかごめを検分しようと、部屋を後にした。





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