【 木蓮の涙 】
* ――― 逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探してる
あなたを呼んでいる ――― *
……私達は奈落を倒した後、完全な『四魂の珠』を手に入れた。
それをどうするか私達は悩み、もともとの『四魂の珠』の守護者である桔梗に託した。
出来る事なら犬夜叉の重荷を取る為にも、『桔梗』にそれを使って欲しかった。
『死人』ではなく『生者』として、五十年前に奪われた『時』を新たに生きて欲しいと。
しかし、桔梗は……。
満ち足りた笑みをその顔(かんばせ)に浮かべると、『四魂の珠』を犬夜叉に投げ寄越した。
( お前が使え ) と。
式神を従え桔梗が消えた鎮守の杜の中央から、無数の死魂が昇華して行く。
桔梗は今、心からの安らかな永眠(ねむり)についた事を、そこにいた誰もが感じ取っていた。
犬夜叉の手の中で、四魂の珠が桔梗の想いを伝えるように優しく光っている。
――― 幸せになって欲しい、犬夜叉。
かごめと共に。
――― 私の果たせなかった分までも。
「犬夜叉、どうするのです?」
静かに弥勒が問い掛ける。
誰もが、犬夜叉の答えを待っていた。
『四魂の珠』をこのまま存在させる訳にはいかない。
浅ましい思いや欲からではなく、純粋な『想い』を叶えるためなら珠はその力を使い、浄化してゆくだろう。
「…俺が、願っても良いのか? こんな俺が……」
「犬夜叉……」
犬夜叉の拳が願いを込めて、ぎゅっと握り締められる。
「…いつまでも、かごめの側に居てぇ。その為なら、俺……」
……そうして犬夜叉は『人間』になり、私と共に『五百年の刻 』を超えた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
幸せだった。
私は高校生活を送りながら犬夜叉は神社の手伝いをし、一つ屋根の下、家族同様に暮らしていた。私が学業を終えこの神社の跡を取る事で、犬夜叉にもこの世界での居場所が出来るはずだった。
そう、私の人生の伴侶として。
犬夜叉は、よく笑うようになった。
こちらの世界でも、友達が出来たようだ。
( …第一号が、北条君と言うのがなんともだけど )
季節がどんなに巡っても、犬夜叉の側ならいつでも春のような優しさにつつまれていた。
……そう、幸せだった。
* ――― いとしさの花篭 抱えては微笑んだ
あなたを見つめていた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織り上げた恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって ――― *
ここの景色は変わらない。
初めて犬夜叉と一緒に見た、この丘の景色。
そう、あれも春の頃。
初めてあんたの『心』に、触れる事が出来たあの時。
あの時から、私達の『本当の旅』は始まったんだね ―――
私は両手に抱えた花を、ぎゅっと握り締めた。
「かごめ~!」
「かごめちゃんっっ!!」
「かごめ様」
懐かしい、仲間達が私を呼ぶ声。
犬夜叉、あんたの声だけ聞こえない。
* ――― やがて時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠るように 空へと旅立った
いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね 私を置き去りに ――― *
「その花は、犬夜叉に?」
かつての親友は、すでに母親の顔。
今もその胎内で、新たな『命』を育んでいる。
「うん、花なんてらしくないけどね」
振り返って見た仲間達の変わり様に、目を細める。
弥勒の腕に抱かれている幼子は、不思議な事に儚かった珊瑚の弟に似ている気がした。
少し背が伸びた七宝は、もうあの頃のように独楽やどんぐりでは遊ばないのだろうか?
「……向こうに連れて行ったのは、間違いだったのかな?」
「かごめちゃん……」
……『四魂の珠』で、『人間』になる。
それがどういう事か、どんな結果を呼ぶか、誰にも判りはしなかったのだ。そう、未だかつて『四魂の珠』で『人間』になった者も、『妖』になった者もいなかったのだから。
……それとも、犬夜叉が『半妖』だったから?
完全な『妖怪』や『半妖』ならではの長寿も、『人』の身には及ばなかった。『人』になった時の姿から、人としての『時間』が刻まれるのではなく、すでに『生きて来た』時の流れまでもその身に置き換えられていた。
姿形は変わらぬまま、命の炎が消え様としているのを感じていた犬夜叉。
初めは、犬夜叉も気付いてはいなかった。
気付いたのは、一体いつだったのか?
最後の最後まで、かごめにも気付かせなかった。
かごめの時代で、当たり前のように笑ったり、びっくりしたり、喜んだり…、たまにはケンカもした。
一刹那、一刹那を愛しんで。
「ねぇ、どうしたの? 骨食いの井戸なんかに来て」
「なぁ、もう向こうには行けねぇのかな?」
「…さぁ、どうかしら? こっちには『四魂の珠』がなくても帰って来れたけど」
「一緒に、来てくれるか?」
「―――― ?」
今まで感じた事のない儚さを、初めて犬夜叉に感じた。
言いようのない不安が、胸に広がる。
よろめく足を踏みしめて、犬夜叉が立ちあがる。
私は、そんな犬夜叉を支えて『井戸』に飛び込んだ。
犬夜叉は、帰って来なければならなかったのだろう。
『井戸』は、2人を懐かしい時代へ運んでくれた。
懐かしい旧友との再会を喜ぶ間もなく、珊瑚より雲母を借り受けた犬夜叉は、かごめだけを伴ってある場所を目指した。
そこは地念児の住む村を望む、あの小高い丘の上。
あの時と同じ、麗(うら)らかな日差しと柔らかい色の空。
まだ寒さがそこここに残っているけど、薄く紫を帯びた白い木蓮の舞い落ちる様が、春の訪れを告げている。
「へへ、ちっとも変わってねぇな」
「当たり前じゃない。そんなに経ってないんだもの」
座り込んだまま、胸を喘がせて息を付く。
「……俺達、ここから始まったんだよな」
「うん」
弱々しく空にその手を翳す。
「……俺が『半妖』の頃は、ずっと思ってた。親父やあいつみたいに『空』を飛びたい、と」
「犬夜叉…?」
「……今なら、飛べそうな気がする」
「犬夜叉……」
……次の言葉を聞くのが、恐かった。
「…すまねぇ、かごめ。もっと、ずっとお前の側にいたかった……」
「…い、犬…夜叉……?」
最後の力を振り絞って、私に微笑みかける。
透き通るほど優しくて、暖かで儚い笑み。
すっ、と瞳が伏せられる。
空に翳した手が、力なくポトリと落ちた。
もう、ぴくりとも動かない。
「ウソ…、でしょう? ねぇ、犬夜叉! お願い!! 目を開けて!! 私を見てっっ!!!」
地に落ちた犬夜叉の手を取り、必死で揺さぶる。
握り締めた手が、だんだん冷たくなってゆく ―――
「…おね…が…い。誰…か、ウソ……、だと…言って。おね…がい………」
もう、その瞳が私を見る事はない。
もう、その唇が私の名を呼ぶ事はない ―――
「いやああぁぁぁぁ!!! 犬夜叉! 犬夜叉!! 犬夜叉ーっ!!!」
絶叫が響き渡る。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「……め様。かごめ様」
弥勒の呼びかけに、はっと我に返る。
「ああ、ごめんなさい。また、思い出しちゃった。泣き顔見せたら、犬夜叉に怒られちゃうよね」
頬を伝う涙をぬぐい、浮かべた微笑は美しすぎて儚くて―――
「……後悔してらっしゃるのですか? ご自分の時代を選ばれた事を」
私は静かに、頭を振った。
犬夜叉が逝ってから、色々考えた。
もし、私がこの時代を選んでいれば、犬夜叉は『人間』などにならなかったかも知れない。
もし、私が―――
何度もそれを考えて自分を追い詰めそうになった時、私を救ってくれたのも、犬夜叉だった。
犬夜叉が『人間』になって間もなく、私は尋ねた事があった。
( ねぇ、本当に良かったの? こっちの世界に来てしまって。私が向こうに行っても良かったんだよ? そうしたら、犬夜叉だって本物の妖怪になれたかも知れないのに )
そう言った私の頭をコツンと叩いて。
( バーカ。あの旅の最中でも、必死で学問に取り組んでたお前の苦労はどうなるんだよ!? それにこっちにはお前の大事なものがたくさんあるんだろ? 俺は俺の為に、お前がそれを無くすのは嫌なんだ )
( 犬夜叉…… )
( ……俺は、もう無くすものなんてないから。お前の側に居られるだけで、幸せだから )
犬夜叉の口から、『幸せ』なんて言葉を聞いたのもこの時が初めてで。
犬夜叉の優しさに、胸が一杯になって。
この想いをなくす訳にはいかないから。
( そうだよね。これで、良かったんだよね )
限られた時間だったかもしれないけど、私たちは本当に幸せだった。
そして、それは今も変わらない。
ただ、あんたが居ないだけ―――
まるであの日々が夢のように。
* ――― 木蓮のつぼみが 開くのを見るたびに
溢れ出す涙は 夢のあとさきに
あなたが来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も降り返る――― *
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
弥勒が抱いていた幼子がぐずりだした。
お腹も空いて来たのだろう。
日が翳り出して、風も冷たくなって来た。
身重の珊瑚の体にも障るだろう。
「そろそろ楓ばあちゃんの所へ戻りましょう」
「もう、いいのかい? かごめちゃん」
「うん、私は大丈夫だから。」
そう、私の胸の中にはまだあんたが生きている。
だから、大丈夫。
ゆっくりと、丘を下りて行く。
大丈夫、と言ったそばからもう後ろ髪を引かれてる。
でも、私は降り返らない。
こんな顔を見せたくないから。
だけど、いつの間にか足は止まってしまって……。
溢れてくる涙を零さないように、空を見上げる。
景色が滲んで…。
あんたの笑顔も滲んで……。
さわり、と風が吹く。
夕星が、空の高みでちかりと瞬く。
今にも叫び出しそうな、この想い。
* ――― 逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探してる あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね 私を置き去りに ――― *
「……犬夜叉の、嘘つき」
星の光を受けて、かごめの頬に光の条(すじ)が伝う。
かごめの髪を撫でながら、風が通り過ぎる。
幽かに、懐かしい『声』を含んで ―――
( かごめ ――― )
……犬夜叉が『ここ』へ還ってきたのは、もう一度巡り逢う為。
それをまだ、かごめは知らない。
【了】
2003.10.24
STARDUST REVUE 『SOLA』より -木蓮の涙-
【 あとがき 】
…ははは、やってしまいました。自分では絶対書かないだろうと思って
いた『死にネタ』。
いえ、先日家族と買い物に出た際、カーラジオから流れて来たこの曲を
聴いた瞬間、『これは犬かご!! しかも死にネタっっ!!!』、とイン
スピレーションが脳内を駆け巡り、出ていってくれなくなりまして…。
キリリクの準備も、と思っていた矢先だったのでさっさっと『形』にし
て追い出す事にしました。
まぁ、もう二度とこーゆーのは書かないだろうと思いますので、今回は
お許し下さい。
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