【 許 −ゆるし− 】




──── 霧骨の毒で、命を落としかけた仲間達。


初めて得た友としての弥勒の、俺と同じ愛しい者に殺されかけた傷を持
つ珊瑚の、そしてなによりもかごめ、お前の命を ─────


あの時、七宝があんなにも頑張ってくれなかったら ─────
あの後、冥加が側に居なかったら ──────


もしも、なんて考えたくもねぇ。


だけど、俺に何が出来る?


大事な者を、危険に晒すばかりで。
壊されたお前は、瘴気の渦に呑まれて。


救わなければならない存在(もの)を、喪(なく)してしまう。
殺生丸が投げつけた、あの言葉。



    ──── 助ケラレナカッタノハ
               犬夜叉  オ前ダ ────



二度と聞きたくもねぇ、そんな言葉!


────  誰か 誰か 誰か 俺に教えてくれ!!


このまま、お前を闘いに巻き込んじまっていいのか!?
また、お前を危ない目に逢わせっちまうかもしれないのに?



…俺は、心を決め切れない ─────



「 ─── ねえ、法師様。犬夜叉、かごめちゃんを自分から国に帰
しちゃったけど、何を考えているのかな?」
「…かごめ様に、桔梗様の二の舞をさせたくない、と言う事でしょう。
私たちはこの時代からどこへ行く訳にも参りませんが、かごめ様は元々、この時代の方ではありません。かごめ様の身を案ずれば ─── 」

そう言いながら、弥勒は二時刻(ふたとき)程前に楓の小屋を出て行っ
た時の犬夜叉の後ろ姿を思い起こす。


全ての重荷を一人、その背に負うて、望む心と果たさねばらぬ想いに翻
弄(ほんろう)される。


──── お前は何故にこうも、心引き裂かれる事ばかり巡り逢わねば
ならないのか。
お前にこそ、仏の慈悲がもたらされん事を。


ふと、自虐の笑みが口許に浮かぶ。


僧籍にありながら世俗の垢に塗(まみ)れきっているこの俺が、半妖の
身であるお前の為に、仏の慈悲を請い願うなど、お門違いも良い所だ。

囲炉裏の灰を柴の小枝でつついていた七宝が、ぽつりと零す。

「…犬夜叉はかごめ抜きでこの後、闘うつもりじゃろか?」
「そう…、だね。出来れば、そうしたいんじゃないかな」

手にしていた柴をぽきり、と折り熾き火の中に放り込む。
ぼっ、と小さな音がして赤い炎がチロチロと小枝を焙(あぶ)る。

「…出来れば、ですな。かごめ様を一番必要としているのは他ならぬ、
犬夜叉自身でしょう。よしんば、犬夜叉が己の思いを押し殺したとして、あのかごめ様がそれを聞き入れる訳もありません」
「そうじゃな、もう答えは出ておるんじゃな」
「…可哀相だね、犬夜叉。答えの出ている事にさえ、こんなにも苦しま
なけりゃならないなんてね。一番最初に出逢えたのが、かごめちゃんな
ら良かったのに」

いつもは男勝りな珊瑚のその一言。
そうして、弥勒はその言葉に己の身を重ねてみる。


( …ならば私は、まだ救われているのでしょうね。他の女に心を決め
る前に珊瑚、お前と出会えたのですから )


しばしの休息。

しかし、それさえも不安は隠せない。
あの二人が居ないと。
あの二人の存在が、どれ程自分たちにとって大きいかを思い知る。

( かごめ様の元気な顔も見たいのですが、犬夜叉、お前のいつもの仏
頂面も見たいのですよ )




現代、日暮神社境内 ──────

夕暮れにはまだ少し間のある時刻。
滅多にこんな時刻にこちらの世界を訪れる事はないのだが、何故か気が
つくと、来てしまっていた。
心の決まらぬまま、だけどあの人に伝えねばならぬとその想いだけで、
日暮家の玄関先に立っていた。


( ──── 敷居が高いな… )


いっそこのまま引き返そうかと思った時、玄関の硝子の引き戸が内側か
ら開いた。

「あっ、やっぱり犬の兄ちゃんだ。ガラス戸に赤い人影が見えたからさ、そーじゃないかと思って。姉ちゃんなら二階だよ」

草太はそう言いながら、いつものように手を取り二階へと案内しようと
する。

「あ、いや、その…。かごめん所に行く前に、お袋さんに会いたいんだ。居るか?」
「ママ? ああ、居るけど。多分、台所だと思うけど…」

草太が怪訝(けげん)そうな顔で俺を見る。

「お前、かごめから何か聞いてるか?」
「何かって、何?」

この様子からすると、やはりかごめは家族にまだ話してはないのだろう。


───── 自分の命が、本当に危なかった事を。


かごめが話さなかった事を、この俺が話してもいいものかどうか、悩ま
なかった訳じゃない。

だけど ────


( ──── あの人に、黙っているのは心苦しい。かごめを、あんな
目に逢わせた事を詫びたい )


勝手知ったかごめの家の中を、目的の人物を求めて上がり込む。

「犬の兄ちゃん…?」
「いいか。俺が来た事はまだ、かごめには言うな」
「う、うん」

さらに怪訝気な草太をその場に残し、俺は奥へと進む。

そして ─────

「あら、犬夜叉君。かごめを迎えに来たの? ちょっと、待っててね。
今、呼んで来るから」

食事の支度の途中にも関わらず、いそいそと台所を出て行こうとする、
かごめのお袋さん。
俺は、そのお袋さんの前に両手を突いて頭を下げた。

「ど、どうしたの? 犬夜叉君。そんな所で手を突いたりして…、ほら、頭を挙げて頂戴」

お袋さんが俺の側に屈み込み、その優しい手を俺の手に重ねる。

「…済まねぇ、お袋さん。かごめを、死にそうな程、危ない目に逢わせ
せてしまった。申し訳ねぇ」
「犬夜叉君…」
「多分、かごめの事だ。家の者には心配させたくなくて、言ってねぇん
だと思う。本当に済まねぇ」

自分の近くにその人の気配を感じて、俺は顔を上げられない。
この人が、どんな顔をして俺を見ているのか、それが怖くて。

「…黙ってりゃ、済む事かも知れねぇ。だけど、それじゃ、お袋さんを
騙すみたいで、俺には出来ない」

俺の手に重ねられたその人の手に、少し力が込められる。

「…本っ当にバカ正直ね、貴方は。言わなきゃ、分からないのに。でも、ありがとう、ね。こんなにも、真剣にあの子の事を想ってくれて」
「お袋さん…」
「…あの子の命が危なかった、と言う事を伝える為だけに、ここへ来た
訳じゃないでしょ。私に、あの子を引き留めて欲しいんでしょう?」


──── やはり、この人には敵(かな)わない。


俺が言って、聞くようなかごめじゃない。
俺も、この時代に残れ! と強く言い切るだけの自信はない。
誰よりも、この俺がかごめを必要としているから。


だから ─────


「…かごめが、この時代のもの全てをすごく大事にしている事は、俺も
知っている。家族や友人や学校とやらも。お袋さんがかごめの事を何よ
りも愛(いと)おしんでいる事も知っている。だから、 ─── 」

俺の手を包み込む、かごめのお袋さんの手の暖かさに顔を上げる。

「 ─── 親が子供にしてあげられる事って、ほんの僅かな事なの
なよ。ただ、信じてあげる事だけ。例え、親の望む道と違ったとしても、それがその子に取って進まなければならない道ならば、親は笑って送り出すだけなのよ」
「だけど、お袋さん!!」

俺を見つめる、お袋さんの深い眼差し。

「…あの子は、かごめは貴方に出会って変わったわ。強くなった。優し
く、賢くもなったわ。そして、ね ─── 」

そこで、一呼吸おく。

「綺麗になったわ。それがどう言う事か、犬夜叉君、判る?」

この人の、全てを見通すような優しく、海のように深い眼差しに晒され
て、俺の顔は赤面し、思わず顔を伏せる。

「私は犬夜叉君、貴方の事を信じているわ。あの子の事は、貴方に託し
ます」


何ものにも変えがたい、大きな信頼。


俺の手を取り、顔を上げさせ、俺に笑いかける。

「大丈夫! 貴方は貴方の信じる道をお行きなさい。迷う事もあるでし
ょうけど、きっとその時はあの子が力になるわ。さあ、かごめも待って
いる。いってらっしゃい!!」

立たせた俺の背中を、ぽんと軽く押し出す。
まるで俺の背中は憑きものが落ちたように軽くなっていた。


「犬夜叉…、迎えに来ない…、…よね」

窓を開け、御神木を眺め見る。
ふー、とため息一つ。
未練を断ち切るように窓を閉め、振り返ると ─────

( 犬夜叉!! )

「何してたんだ、かごめ。戻るぞ」

──── いつもの犬夜叉が居た。

「うん!!」

夕闇の中、犬夜叉の背に負(おぶ)われ、窓から飛び出す。
見送るのは、草太。

「ねえ、犬夜叉。あんた、何か良い事でもあったの?」
「あん? 何もねーよ。おら、弥勒達が待ってる。急ぐぞ」

二人の姿は、紅い小さな点になり草太の視界から消えた。



「かごめ、行ったの?」

二階から下りてきた草太に、そう声を掛ける。

「うん。そのまま窓から飛び出してったよ。晩御飯ぐらい食べて行けば
いいのに」
「そうね。でも、ごはんよりも大事な人達があちらでかごめを待ってる
のね。草太、かごめのエビフライ、食べちゃっていいわよ」
「ラッキー!! 姉ちゃんには悪いけどさ」


『母』は調理の後片付けをしながら、流れる水を見つつ心で呟く。


( かごめの身を心配しない訳ではないけど、犬夜叉、お前の身も案じ
ているのですよ。二人とも、無事戻って来てくださいね )




   ───── 巡る 巡る
          巡る 因果の糸車(いとぐるま) ─────




回り続ける糸車。


優しい想いに導かれながら、新たな因果の糸を紡ぐ。
その糸が、あの二人を結び付けてくれる事を願って。







【 あとがき 】

29巻の草太の「玄関から来たんだよ」の一言から書き起こした、拙文
です。犬夜叉とかごめの『家族』は浅からぬ因縁が有るのではないかと、
深読みしている杜なのです。




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