【 なつまつり 】





 ──── 阿波の八衛門狸の背に乗り、梅雨のまだ空けきらぬ曇り空を、一路西を目指す。

「…おい、ハチ」
「へい、なんでしょう? 弥勒の旦那」

 そう答えたハチは、この無理難題をふっかけてくる法師とは出来るだけ係わり合いになりたくないと思っている。 だが、こうして絶対断れない『上』からの命令で、この一行を目的地まで運ばねばならないわが身の不運を、もう『腐れ縁』と開き直りつつもあった。

「お前、一体私たちを何処にへ連れて行くつもりだ?」
「すみません、旦那。そいつぁ着いてからのお楽しみ、って事で」


 とにかく早い所、目的地に連れて行く為にさらに速度を上げる。ハチの背には、弥勒の他に4人の人影と小動物が一匹。その内の一人が、ハチの耳とおぼしき所をひねりつつ、憤懣(ふんまん)やるかたない様子でねじ込む。

「…てめぇ、俺達をとんでもねぇところに連れて行きやがったら、俺のこの爪で、おめぇのその皮をひっぺがしてやるからなっっ!」

 その脅し文句に、ハチが少なからず青ざめた事は、その背に乗っている者の座っている所がすうっと冷えた事で手に取るように判った。

 「犬夜叉、そんなに脅してどうするの? 可哀相じゃない」
「へっ、呑気なもんだな、かごめ。こちとら物見遊山で旅をしてる訳じゃねーんだっっ! どこに連れて行くかも言わね−ような胡散臭い話、信じろって方が無理だろ!!」

 ───― そ−とー犬夜叉はカリカリ来ていた。

 折角、奈落の結界を切れるようになったというのに、その肝心の奈落の気配・邪気がぷっつりと途絶えてしまったのだ。
 焦るな、と言う方が無理かも知れない。
 ましてや明らかに己の目的とする所ではない、『未知なる場所』に連れて行かれようとしている現状では。

 他の者にも、ハチの目指している方向が『西』とは、朧気ながら判るものの、それが『何処』とは言えないだけに、犬夜叉のイライラを止める術を失くしていた。

「…お前に、私たちを迎えに寄越したのは誰なんだ?」
「へい、あっしたち阿波の化け狸の頭領で」
「なんじゃ、そうしたらお前の国に行くのではないのか?」

 あまりの長旅に、すこし飽きてきていた七宝が口を挟む。かごめはそれを聞いて、もしそれが目的地ならもう少しでこの旅も終わる筈だと思っていた。
 戦国時代の人間と違い、かごめはこの国の『地形』と言うものを知っている。高度が低いので衛星写真のようにはっきりとした地形は掴めないが、おおよその方向と地形とで場所を割り出していた。

「…いえ、もう少し先でさぁ。もうこれ以上は言えませんが」

 そう言って、口をつぐむ。

「…ねえ、西の方って言ったら、犬夜叉の生国に近いんじゃないのかい?  あんたの父親は西国を根城にしていた大妖怪なんだろ?」

 ふと、気がついたように珊瑚が口にする。

 そう言えばかごめは、犬夜叉が何処で生まれたか知らない。かつて殺生丸に見せられた偽りの犬夜叉の『母』は、公家の姫君のように見受けられたのだが。

「犬夜叉、そうなのか?」

 なんの屈託もなく問いかける七宝に、そっぽを向く事で返事の代わりとする。

「のう、そうなのか? そうなのであろう?」

 七宝も余程退屈していたと見える。

 必要以上に犬夜叉にまとわりついて、お決まりの拳固をもらって泣く羽目になる。

「ったく、うっせ─なっっ!! 親父が西国を根城にしていたなんてのは、冥加に聞いただけだし、親父の顔なんて覚えちゃいねぇ。お袋にしたって、俺が物心付く頃には死んじまってたし、その後、親父の手の者が俺を迎えに来たけど、それが何処かなんて俺の知った事か!」
「えっ? それじゃ犬夜叉、お父さんのお屋敷に住んでた事があるんだ」

 ……意外な気がした。

 かごめは今まで、犬夜叉は早くに父を、その後間もなく母も亡くしその時点で、『人間』の屋敷であった母親の住まいから放逐されたと思っていた。それから寄る辺ない日々を過ごしていたのだと。

「……お父さんのお屋敷って事は、殺生丸も一緒、って事?」

 それが、一番不可解な事だった。
 顔を合わせれば角突き合わせる、命の取り合いだってしかねない程の兄弟仲の悪さなのだから。

「……その話は、もうしたかねぇ。思い出すのも嫌なんだ」

 そう言ったなり、目を閉じ腕を組んで黙り込んでしまった。

「ふう、それでは話を戻しましょうか。で、ハチ。お前たちの頭領は、またなぜ私たちに用があるのです?」

 弥勒がそう尋ねるのもまた道理。
 なにせ迎えに来たハチは、人目も憚らず路肩の土に額を擦り付け、同道を請い願ったのだ。それはもう、犬夜叉たちを連れてゆかないと、一族から縁を切られる、仲間外れだ、満月でも一緒に腹鼓(はらつづみ)も打ってもらえないと、泣きつかれたのだ。
 いつにない勢いに押され、前後を考えずハチの背に乗った犬夜叉たちであった。

「……いや、用があるのは頭領じゃないんで。頭領もものすごく世話になっているお方の、その『上』の方からの頼みだと、聞いておりやす」
「お前は、その『上』の方と言うのを見知っているのか?」
「とんでもありやせん! 頭領が世話になっているお方でさえ、あっしらには目通りも適わないようなお方で。後生です、旦那。この話はもう、ここまでって事で。祟られたかぁありやせんから」
「うむ…」

 弥勒もそう言ったきり、腕を組み考え込んでしまう。気まずい雰囲気のハチの背の上で、こそっと珊瑚がかごめに耳打ちした。

「ねえ、かごめちゃん。あたしたち、どこに向かっていると思う?『西』を目指してるらしいのは判るんだけど」
「そうねぇ、随分前に富士山は通りすぎたでしょ。その後、ずっと海岸線にそって飛んでるから、さっき大きな入江があったでしょ。あれ、多分伊勢湾だと思うのよね。それから今は山越えしてるから和歌山あたり、かしら?」

 かごめの頭の中は、学校の地理の時間に眺めた日本地図を一生懸命リプレイしていた。

「…かごめ様、先程の伊勢湾と言うのは、あのお伊勢参りの時の海岸の事ですか? そうすると、今眺め下ろしているのは、紀伊の国は高野山の辺りですか」
「弥勒様、詳しいのね。正確じゃないけど、大体当たっていると思うわ」
「そりゃ、そうでしょう。あっしと旦那が出会ったのが、丁度旦那が高野のお山で修行してる時だったんで」

 先程から黙り込んでいたハチが、懐かしそうに口を挟む。
 確かに紀伊の国(現在の和歌山)から目の前の海を渡れば、阿波の国(現在の徳島)だ。あり得ない事ではない。

 ───── だけど、一体どこへ行くつもりなのか?

 ハチは阿波の国ではない、と言った。
 もう少し北よりの方角を目指すなら、あるいは京かとも思ったが、どうやらこのまま瀬戸内に出るつもりらしい。

 では、その先は?

 そこまで考えて弥勒は、はっと気付いた。
 思わず、かごめの顔を見る。
 かごめも同時に、同じ考えに行き当たったらしい。
 二人は、この事に気付いたら大荒れするのは必至の当事者を、そっと盗み見た。

 当の本人、犬夜叉はまだ気付いてはいないようだ。

「ねえ、弥勒様。もしかして…」
「…ええ。多分、そうでしょう。あの『お方』が私たちを呼ぶのなら、何か訳あっての事でしょう」
「でも着くまで、犬夜叉には言わない方がいいわよね?」
「はい」

 かごめと弥勒の読み通り、ハチは山間の場所を抜けると、海の上を飛びはじめた。しばらく行くと、左手側に濃い緑の島影が見えてくる。

「のう、かごめ。あそこが目的地なのか?」

 いい加減この空の長旅に飽き飽きしてきた七宝が、座り続けて痛くなっていた尻をさすりながら、そう尋ねる。

「ううん、まだもう少しかかると思うわ」
「なんでぇ、まだかかるのかよっっ!! おい、ハチ! どこでもいいから、とっとと下ろしやがれっっ!!」

 そう言いながら、犬夜叉は鉄砕牙の鞘でハチの首の辺りをグリグリしている。

「…犬夜叉、止めなさい。ハチにも余程の事情があるのでしょう。私たちも何かと助けてもらっているのです。今回だけは、大人しくついてゆきましょう」
「けっ!!」

 一言、そう吐き捨てるとぶっすう〜、と明らかに不機嫌そうな顔をする。

「ねえねえ、かごめちゃん。あの島は何処か知ってる?」
「ああ、あの島はね、四国って言うのよ。その名の通り、国が四つあるの。そのうちの一つが、阿波の国よ」
「ふ〜ん、そうなんだ。随分と遠くまで来たもんだね。あたし、こんなに遠くまで来たのは初めてだよ。でも、海と緑のきれいなところだね」

 珊瑚のその言葉に気を良くしたのか、ハチがかごめと珊瑚の二人に話しかけた。

「へへっ、そうでしょう、そうでしょう。ここは魚も旨いし、うどんも美味い。隣の国になりやすが、金比羅さんも鎮座してますから結構賑やかなんですよ」
「そうそう、四国巡礼って聞いた事があるわ。お遍路さんとか各地から来るのよね」

 かごめの言葉に何か思い出したように、ハチが言葉を継いだ。

「そういや、あっしに国から伝令を持ってきた仲間が言ってやしたが、ほら、あの妖狼族の若頭…、えっとなんて言いやしたか…」
「鋼牙君の事? 鋼牙君がどうしたの?」
「へぇ、なんでも伊予の国の山ん中で会ったそうで」

 まだ何かハチから聞き出そうとしていたかごめは、背中に突き刺さるような視線を感じた。

 その主は、言わずと知れた ──────

「へっ、やせ狼がどこをほっきつ歩こうと、こっちの知った事か! かごめ、んな奴の名前、口にするなっっ!! 胸糞悪い!!」
「もう、犬夜叉ったら…」

 もう誰もが早く、この旅を終わらせて欲しいと思っていた。


 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


 さほど大きくはない河の側。

 河の中程に砂州があり、その向こうは大陸との商いをする商人たちの町。その河の側に、形(なり)はこじんまりとしているが赤い鳥居の、それなりに格式のある社殿があった。
 その境内に、二つの人(?)影。

「なあ、兄者。一体誰が来よらすとやろ? お前たちは顔を知っとるはずやから、迎えにゆけ、言われたんやけど」
「…そうやなぁ、一体誰やろ? 名前もどんな態(なり)をしてるかも教えてくれんかったけんね。まあ、来れば判るやろ」

 そう言った、「兄者」と呼ばれたモノは手持ち無沙汰気に、手にした茄子にかぶりついた。
 弟らしきそれも、同じようにかぶりつく。

「あ〜あ、早よ、胡瓜が食べたかぁ」
「仕方なかろうもん、祭りの間は『しきたり』じゃけんな。胡瓜の切り口は、お櫛田さんの神紋に似とるっちゅうて、食べちゃならんちゅう、決まりじゃもん」

 大好物の胡瓜が食べられないのは、彼ら『河童』にしてみれば、それはもう辛いものであった。

 
 しかし、そんな彼らにさらなる追い打ちが振りかかる。

 
 河童の耳に、何人かの話し声が聞こえる。
 四・五人程か。声の感じからするとまだ若い連中のようだ。

 
 確か、何処かで聞いたような ──────

 
「…ったくよ─、こんな手前で下ろしやがってよ、ハチの奴。後ろも見ずに、そそくさと帰っていっちまいやがった」
「結局、ここが何処かも言わずじまいじゃったな」
「本当だね。随分遠くの、西国のどこかって事しかわからないし…。 でも、お祭りでもあるのかな? なんだか賑やかだね」

 先を行く三人の言葉を聞きつつ、かごめと弥勒は顔を見合わせた。
 ハチは一行を海岸沿いの「津」で下ろし、河に沿って逆上れば、迎えの者に出会える、とだけ言って、あっと言う間に夕焼け空の向こうに消えてしまった。
 そう言って下ろされた場所は、かごめたちが朝までいた場所よりもかなり南西よりなのか梅雨真っ只中の、暑い地域だった。 今は夕方で、かうじて海風に吹かれているので過ごせるが、凪だったら蒸し暑さは相当なものだろう。
 そして、海風に背中を押されるようにして川岸を逆上っていたので、さしもの犬夜叉も気付かなかったのだ。


  ──── 自分達を迎えに来た『モノ』が、何者であるのかと。


「 ──── なあ、兄者。あの声、ありゃ、もしかしたら…」
「ああ、間違いなか。あいつ等ばい。管公様も、とんでもない連中ば呼びんしゃって…。わしゃ、知らんばい。どげんなっても!」

  河童たちが来客の正体に気付くのとほぼ同時に、犬夜叉もその嗅覚で迎えの者の正体に気付いていた。

  そうして、出くわすお宮の境内の前。

「…やっぱり、お前らか! やたら青臭い泥の匂いがすると思えばあの時の河童どもじゃねーかっっ!!」
「 ───── と、言う事はオラたちを呼んだのは、あのスケベ神様なんじゃな?」
「…道理でね─、ハチの口が重たかった訳だ。招待主が、あの神様だって理解ってりゃ、こんな所まで犬夜叉が来る訳ないからね」

 目的地が途中から薄々わかっていたかごめと弥勒は、なぜ自分たちがここに呼ばれたのか、そちらの方が気になっていた。

「ねえ、河童さん。私たち、どうして天神様に呼ばれたのかしら? 訳を知ってる?」

 すでに犬夜叉に睨み付けられ、固まりかけている河童たちに助け船を出すようにかごめが声をかける。

「訳なんて聞く必要ねーぞ、かごめ。こんな所、とっとと引き上げるんだからなっっ!!」
「…もう、犬夜叉ったら。まだあの時の事、怒ってるの? あの後飛び梅の精である、白妙さんや茜さんにたっぷり絞られてたじゃない。私たちを呼んだって事は、何か訳があるんじゃないかしら?」
「訳もへったくれもあるもんかっ! あの時、あいつにいやらしー事されそうになったのは、かごめ、おめぇだろうーがっっ!!」

 ……いやいや、あの時、件(くだん)の神様の毒牙にかかりそうになったのは珊瑚も一緒だったのだが、犬夜叉には『かごめ』がの方がよほど腹に据えかねたらしい。
 あ─だ、こ─だとかごめと犬夜叉がやりあっている間に、弥勒は河童たちの側に寄り、事の経緯を問いただす。

「…で、本当の所はどうなんです? 私たちへの用向きとは」
「…ワシらも、ようは知らんと。ただ、どうしてやと聞きんしゃったら、あの時の詫びばしたかけん、どうか寄ってくれんやろうかと頭を下げて連れて来るように、ちゅうことやったと」
「ふむ…」
「なんかね、渡したかものがあるっちゅうことやもんね。あんたは話が判るけん、まだよか。そやけど、『アレ』はもう危のうて、よう近寄れん。あんたが連れて来てくれんやろうか?」
「…『モノ』によりますね。その、『渡したい』ものとは、どんなものか御存知か?」
「なんでも、『神宝』の一つじゃと言うとった。それに、今この地は鎮守様のお祭りで、他の所からもようけ神様が来とらす。知り合っとって、損はないやろうとも言っとったけんね」

 弥勒の瞳が、計算高い光を帯びる。

 管公様は、性格はともかく根は陽気で『悪い』方ではない。ましてや他の神様方も居る手前、前回のような不埒な真似もするまい。
 ここは一つ、お言葉に甘えてその『神宝』とやらを頂いた方が、得策ではないのか?
 それにあの時だけの拝顔だったが、飛び梅の化身であるお二人のあの麗しい姿を、また拝みたいような気にもなっている。

「判りました。それではお供しましょう。かごめ様、珊瑚・七宝、行きますよ」

 弥勒の号令で、社殿の中に足を踏み入れる面々。

「おい、待て! 俺はまだ、行くなんて言っちゃねーぞっ!!」
「ならばお前はそこに残ってなさい」

 取りつく島のない弥勒の物言いに、思わず鼻白む。
 小さな社殿の奥には御神体と思われる鏡が据えられており、その鏡面から神秘ささえ感じられる、高貴な紫がかった金色の光が社殿入口の扉のところまで射していた。

「これは…?」
「ここは、仮宮(かりみや)やけん。この『光道』に乗って『本宮(ほんぐう)』のある宰府の社に行くと。他の神様も集まっとるけん、粗相したらいけんばい。お前たちの他にも危なか連中が来とるけん、喧嘩はご法度ぞ」
「えっ…、じゃ、私たちの他にも誰か呼ばれているの?」

 意地でも行くものか、と背を向けている犬夜叉の耳に、そう問いかけるかごめの声。他の連中は、河童の先導で既に『光道』に足をかけている。

「ああ、そうばい。あいつらもえろう気の荒い連中で、なんであんなんば『真口の大神(おおみかみ)』の名代にしたんやろうと、思うくらいやもん。え−っと、なんっちゅうたけな、そうそう、妖狼族の、こ、鋼牙、とか ───── 」

『鋼牙』 ─────

 その名を聞いた途端、犬夜叉は何も考えず河童たちの後を追った。


 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


「ほっほっほ、よう参られたな。遠路はるばる、お疲れであろう? ささ、ゆるりとされよ」

  そう言ってかごめたちを迎え入れてくれた管公様こと、天神様はこの社の主(祭神)に相応しい、威厳に満ちた様相をしていた。その両脇には、白妙・茜の二人の飛び梅の化身を従えて。
 この様だけを見れば、とても旅先でのあの『助平爺』ぶりは窺い知る術もない。

「……てめぇ、一体何を企んでやがる? 事と次第によっちゃ、只じゃおかねーからな!」
「犬夜叉! 失礼でしょ!!」
「かごめお前、この状態を見て何とも思わねーのかよ」

 ……確かに、犬夜叉が言う事も判らないではない。

 この状態、つまり宰府の本宮の中はかごめの感覚で表現すれば、まるで会社の慰安旅行の宴会のような状況なのである。飲めや歌えやと賑やかしい事この上ない。そうやって浮かれ騒いでいるのは多分各地の神様たちなのだろうと、後頭に冷や汗を浮かべながらかごめは考えていた。

「ねえ、弥勒様……」

 この後の事を相談しようと、振り向いたかごめの眼に飛び込んできたのは、ちゃっかり二人の梅の化身にお酌され、満足至極の表情を浮かべている弥勒の姿と、それを氷のような冷たい視線で射抜きそうに見ている珊瑚。

「よう、かごめ。お前も来てたのか?」

 その声が掛かる前から、『匂い』を察知した犬夜叉が毛を逆立てている。

「気安くかごめに声をかけるなっっ! このやせ狼!!」
「うっせー! キャンキャン吠えるな、犬っころ!!」

  ……毎度毎度、このパターン。

 TPOをわきまえてほしい、と言うのはこの二人には無理なのだろうか?

「ほら、犬夜叉も、鋼牙君も。神様たちの前よ、喧嘩しちゃ駄目でしょ」

これまた、いつものようにかごめが仲裁に入る。

「大体、なんでてめぇがこんな所にいやがる! 妖怪のてめぇにゃ敷居が高いだろーが!!」
「へんその言葉、そっくり犬夜叉、お前に返してやらぁ。俺たちはな、こう見えても『大神』の名代なんだぜ。そーゆーお前こそ、なんでこんな所にいやがる!?」
「んな事、俺が知るかよっっ! 俺たちは、あの助平爺に呼ばれただけだっっ!!」
「うん、もう、二人とも……」

 これだけ二人が騒いでいても、周りは露ほどにも気に止めていないのは、周りもそれだけ騒がしいせいもある。

 
 そんな三人を見つめる、幾つかの視線。

 
 それは社殿の奥、御簾(みす)越しに注がれる慈しみとも、親しみとも取れる『大いなるもの』の視線。
 
「……あれが、そうか?」
「ああ、そうじゃ。わしが後見を頼まれた、片割れじゃ」
「片割れ…、とな? それでは、もう一人おるのか?」
「まーなー。バカ兄弟の兄貴の方がな。弟の方は騙くらかしても連れて来れるが、兄貴の方は完璧すぎてな。そんな子供騙しな手は通じんのよ。これがまた、可愛げのねー奴でな」

 旧知の仲のように、御簾の中の会話は進む。

「もう一人は、『大神』の裔(すえ)の者か。お前も見知っておるのか?」
「ああ、奴は妖狼族の鋼牙ってんだ。ああやって面(つら)突き合わせる度に喧嘩ばっかりしとる。まあ、仕方ねーかな。まだ自分達が『何者』かちゅう事を知らんしのう」

 くい、と空けた杯に相手が御神酒を注ぎ、それを取って相手にも返杯する。

「……で、やっぱりそうなのか?」
「 ── 酷い事をすると思うが『あの者』ならば、我が意思果たしてくれようぞ」
「 ─── これも、『運命(さだめ)』か。仕方あるまいのう。わし等とて、全てを采配出来る訳ではないからに」

 そう言ったその者の声には、如何ともしがたい苦悩にも似た響きがあった。相手は、ふふふっと含むように笑い、強い光を湛えた瞳をその者に向けた。

「そう言うお前は、いつまでそのような態(なり)をしているつもりだ? そろそろ『本の名』に戻るつもりはないのかえ」
「わしゃ、今じゃこっちの方が気楽でなぁ。堅苦しいのはやなこった、てな。本当なら、この席に顔を出すつもりもなかったんだけどな─」
「見つかった相手が悪かった、か?」
「まあ、そう言うこった。わしゃ、そろそろふけるぞ。あいつらに見つかったら、面倒な事になるからの─」
「ん、まだ気が付いてないようだが? あの者たち、『鼻』が効くのであろう?」

  腰を上げた貧相な、柄の長い金槌を抱え目玉をぎょろりとさせたその男は、にやりと笑いながら言った。

「あんな若造どもに正体を見破られる程、まだ耄碌(もうろく)はしとらん。火の国の山で火種を仕入れたら、とっとと自分の山へ帰るとするわい」

 そう言いながらその男は飄々とした気を残し、社殿のさらに奥へと入っていった。御簾の中の『御方』が視線をもとに戻すと、犬夜叉と鋼牙の争いはまだまだ続いていた。

 この二人、すでに取っ組み合いの大喧嘩にっており、天神様配下の河童たちが喧嘩の巻き添えで調度品などが壊されぬよう、右往左往している。神様たちはと言うと、その様を楽しそうに酒の肴にして杯を重ねていた。

 その『御方』はふとした思いつきに、我ながら悦に入り、手を甲高く数度打ち鳴らすともてなし役の天神様を呼び出した。

「お呼びでございますか? 御方様」
「あの者たち、まだまだ元気を持て余しておるようじゃ。どうじゃな、『例』の件、あの二人にやらせてみては?」
「おお、それは妙案! さっそく手配いたしましょう。他の神々も楽しみにしております故」

 いそいそと、準備にかかる天神様。
 それを見届け、その『御方』は未だ決着の尽きそうにない二人に声をかけた。

 その声の凛としている事、麗しい事。
 どんな楽の音よりも美しい。

「どうじゃな、そこな二人。見ればそこの娘子(むすめご)を争っての諍いのようじゃがこの勝負、妾(わらわ)に預けぬか? 見事裁いて見せようぞ」

 決して強い口調ではなかったにも係わらず、なぜか従わざるを得ない威厳に満ちていた。

「……誰でぇ、お前? これは俺とこいつとの問題だ。関係ないあんたは引っ込んでろ!」
「もう、犬夜叉ったら……」

 かごめはもう何度、同じ言葉を口にしただろう?

 しかし、向こうっ気の強い言葉を吐きながらも、なぜか犬夜叉も鋼牙もピタリと動きが止まっている。

「妾(わらわ)は伊勢に住まいし者なれど、我が意を受くるなればその方らの願い、叶えてつかわすぞ」

 そういいながら、ニコニコして三人の顔を見回している。
 突然の成り行きに、弥勒を始めそれぞれの連れの者達はどうなる事かと見守っている。

「願いを叶える…? へん! そんな胡散臭ぇ話、乗れるかよ!!」

 犬夜叉は前例があるだけに用心深い。
 鋼牙は何事か考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。

「…どんな願いでも、いいんだな?」
「おお、それは勿論! ここには、福徳・武運・長寿・学業、それから縁結びに安産の神まで打ち揃っておるからの」

 鋼牙の青い瞳が、宝石のように光った。

「よしっ! その話、乗った!! 俺もいい加減、この犬っころとは白黒はっきりさせたかったんだ。で、何すりゃいいんだ?」
「おいっ! 勝手に話を進めるなっっ!! 俺はまだやるとは言っちゃねーぞっっ!!」
「へー、そーか。じゃ、お前は逃げるんだな? それなら俺の勝ちだ。ここにいる神様たちの前で、かごめが俺のもんだって認めてもらうからな」
「な″っっ! いつかごめがお前のもんになったんだよ!! いい加減なことぬかしやがって……」

 再び飛び掛かってゆきそうな犬夜叉を、背後から物凄く力の強い神が引き止める。

「そんな奴の一人や二人、振り払えないようじゃ、俺には勝てっこねーがな」

 ……そんな奴呼ばわれしたがこの神、実は手力男の命(たぢからおのみこと)なのだが。

 余裕をかましている鋼牙の面(つら)が癪に障り、売り言葉に買い言葉でつい犬夜叉も乗ってしまう。

「おーし、やってやろーじゃねーかっっ!! 後で吠え面かくなよっっ!!!」


「……私、『モノ』じゃないんだけど」


 そんなかごめの呟きなど、耳に入らない。
 犬夜叉の返事を聞き、その『御方』はにっこりと微笑んだ。

 その様はまるで幾万もの花がこぼれるように。


 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


「…のう、弥勒。これは一体なんじゃ?」

 七宝が、目を丸くしている。
 まあ、それも無理はなかろう。

『御方』様の設えた、犬夜叉・鋼牙の対決の場は『駆け比べ』であった。勿論、それだけでは圧倒的に鋼牙が有利だ。なにしろ、その両足に『四魂の珠』の欠片を仕込んでいる。犬夜叉も足は早いが、音速には適わない。

 その『差』を埋める為に、『ある物』が用意されていた。

 それが七宝の目を丸くさせた物、つまり車の付いてない山車(だし)、犬夜叉たちが『光道』でこの社に来る前にいた場所の鎮守様のお祭りに使われる『追い山』であった。高さは一丈(約3メートル)ばかり、重さは二百貫目(約750kg)、なかなかの威容である。それが二基、境内の真ん中辺りに据えられている。
 社殿を囲む渡り廊下には、かなり出来上がりつつある神々がやんややんやと喝采を送っている。

「……おい、まさかこれを担いで走れってんじゃねーだろうな」

 この時ばかりは、犬夜叉も鋼牙もなぜか声が揃っていた。

「なかなか察しがよいのう。その通りじゃ。そのままでは、余りに犬夜叉には不利。でよってに、このように計らったのじゃ。大幡主殿にお借りしてのう」

 まっこと楽しげに笑っておられる。

「……ねえ、これってつまり鋼牙の足が早いか、犬夜叉のバカ力が上かって勝負になる訳?」

 初めて見るものに、頭をくらくらさせながら珊瑚が弥勒に尋ねた。

「ええ、そーゆー事になるのでしょう。しっかし、なんと言うか…、こーゆーものは一人で担ぐものじゃないんですけどね」

 そう言いながら弥勒は、自分たちの後ろで交わされる神々の会話が気になっていた。


「……のうのう、あの赤いのは半妖であろう? やはりここは、あの狼に賭けた方が無難かのう」
「そうですなぁ。しかし大穴と言う事もありますぞ。10:0ではなく、7:3ではいかがかな?」
「いやいや、ここは一つ勝負といきましょうか。ワシはあの赤いのに御神酒十石じゃ」
「なんのなんの、それではワシは狼に米二十石でどうじゃ」

 弥勒は、思わず頭を押さえた。

 やはりあの天神様の知り合いの事だけはある。天神様が天神様なら、客人の神様も神様だ。まださざ波のように、あちらこちらで賭け率の話が続いている。ふと気付くといつの間にか、装束を更(あらた)められた二人がそこにいた。

 水法被に白の締め込み。頭に赤い手拭いを巻いた犬夜叉と、同じく水法被に紺の締め込み、白い手拭いを巻いた鋼牙。
 きりっ、と粋で凛々しいその立ち姿。

「良いか、半里程先に河童が旗を持って立っておる。そこを回って先にここに戻ってきた者の勝ちじゃ。両名ともがんばれよ」

 山に手をかけ、鋼牙が念を押す。

「ここまで俺にさせるんだ。俺が勝ったらこの場でかごめと祝言挙げるから、そのつもりで用意して待ってろ!」
「何をぬかすっっ! まだおめぇが勝った訳じゃねぇ、このクソ狼!!」

 やがて合図の太鼓が鳴り響く。

 ぬおおおぅぅ、と気合一発『山』を担ぎ上げると、鋼牙が僅差で飛び出していった。やはり起動力に勝っている。
 犬夜叉も多少出遅れた感はあるものの、まだレースは序盤。
 犬夜叉の持ち味である粘りが、どこまで鋼牙の起動力に対抗できるか。
 ギャラリーである神々はそれぞれの手駒に熱い声援を送っている。

 やはりそこは神なのだろう。
 弥勒たち人間にはもうどうなっているか見えなくなっているのに、神々がそれぞれにレースの中継をしてくれる。

「おっ、狼が先に回りそうだぞ。わしの勝ちだな」
「何を言う。あの赤いのだとて、そうそう引けは取ってはおらんぞ。あっっ!!」

 一瞬、大きくざわめいた。

「よし! そこだ、そこ!! サシじゃ、サシ! 突っ込まんか、赤いのっっ!!」
「ったく、何をしとる! 狼っっ!! そんなに膨らみおって! すぴーどの出し過ぎじゃ!!」

 おおっ、とまたも歓声が沸き起こる。

「やったぞ! 赤いの!! 頭を取ったわっっ!!」
「何を言う! 狼にはまだ直線での延びがあるわい! マクれっ、マクるんじゃ、狼っっ!!」

「……のう、かごめ。お前、どうするんじゃ? もし、鋼牙が勝ったら?  鋼牙の嫁になるのか?」
「バカだね、七宝。かごめちゃんがそんな事する訳ないだろ。それに犬夜叉が勝てば問題ないんだし」
「それはそうじゃが…。だけど、神様の言う事は聞かんといかんのじゃろ? 鋼牙もそうじゃが、犬夜叉もかごめと祝言挙げたいなんて言ったら、どうするんじゃ?」

 一瞬の沈黙。そして ──────

「私、知−らないっ、と」

 半ば投げやり、半ば腸(はらわた)グツグツのかごめの言葉。
 人を勝手に『賭け』の対象にして ─────、と。

 
 もうもうたる土埃と地響きと共に、二人の姿が見えてきた。

 それを迎える神々の絶叫!

 ほんの髪の毛、一筋の違いで犬夜叉が勝利した。
 なにがなんでもの『意地』での勝利。

 ゴールした瞬間、よく生きて戻れたなと思わず顔を見合わせた二人だった。

「見事な走りだったぞ、犬夜叉。さあ、願いを言うがいい」

 まだ肩ではぁはぁと大きく息を付き、ろくに声も出せそうにない。

「どうした? 遠慮はいらぬぞ。ささ、申してみよ」
「……いらねぇ」
「ん? 要らぬとな」
「ああ、俺はあのバカッ! 狼に負けたくなかっただけでぇ」

 はあぁ、と大きく息を吐き、そのままずるずると座り込む。

「…やっぱり、ね。多分、そーゆーとは思ったけど」

 相反する乙女心。
 怒りもしてたけど、その実犬夜叉がなんて言ってくれるか、ドキドキもしていたのだ。

 が、余りにも予想通りの答え。

「かごめ…、なんか怒っておるのか?」
「別に」

 そうは言いはしたものの、はっきりくっきりかごめの背中には怒りのオーラが揺らめいていた。

「…天神様」
「なんじゃな、法師殿」

 勝った負けたと騒々しい神々を横目で見て、弥勒はこう尋ねた。

「…『神』とは、一体なんでしょう?」

 天神様は深い慧眼の眼差しを、弥勒に投げかけながら告げた。

「法師殿は、このワシをどう見るな」
「天神様…?」
「人として在る時は、右大臣菅原道真としてあり、死して都に障りを成せば『御霊(ごりょう)』と呼ばれ、恐れ戦く。ワシの怒りを解かんが為に、今度は勝手に『神』などと奉りあげる。そう言う事じゃよ」
「…つまり、『人』の心の有り様だとおっしゃるのか?」
「そう言う事になるかのう。『神』も『妖(あやかし)』も、『人』次第。心せよ、法師殿」

 痩せた天神様の背中に、ぬっと手が掛かる。


「…貰うもん貰ったら、とっとと帰る。さっさと、出しやがれ」

 疲労困憊の態で凄んでも、あまり迫力はないのだけれど、とにかくもうこんな所には居られない! と言うのを全身で表して犬夜叉が背後に立っていた。

「おお、そうじゃった、そうじゃった。ほれ、これじゃ」

 その声に一行の皆が集まってくる。
 皆の前に差し出されたのは、古ぼけた小さな手鏡が一つ。
 どこかで、ピキッ、と血管の切れた音がした。

「こんなもんの為に、遙々遠方から俺たちを呼び寄せたってのかっっ!! いい加減にしやがれっっ!!!」

 今にも殴り掛かりそうな犬夜叉を、必死で止める弥勒。

「ええいっ! 放せっっ!! 一発、ぶん殴ってやる!!」
「こんなものとは、失敬な。これは由緒正しき御神体。己の真実の姿を写してくれる『水鏡』ぞ。この先、己に迷う事あらば、この鏡を見るがよい。導いてくれようぞ」

 そう言いながら手渡された鏡を犬夜叉は、無造作に放り投げた。
 慌ててキャッチする七宝。

「いらねぇよ。そんな鏡。俺にはもっといいもんがあるからよ。用も済んだし、さっさと帰るぞ」

 着替えるのももどかしく、腕に火鼠の衣をひっかけてそのまま境内を立ち去る。
 後に続く、犬一行。


「管公よ。良い眼をした者じゃ。今度こそ、成就させねばな」
「はい、御方様」


 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 


 途中、犬夜叉は着替える為に近くの祠に入った。
 一人になって、ふと呟く。

( そうさ、あんな鏡より、かごめ、お前の方が『本当の俺』をいつも映してくれる。だから、要らない )

 祭装束を脱ぎ捨て、いつもの姿に戻る。
 身支度を整えながら ──────


( …言えるかよ。あんな、鋼牙なんかも居るところで。このまま、お前や仲間たちとずっと一緒に居たいなんてよ )

 
「ねぇ、着替え終わった?」
「ああ、今いく」

 とんだ祭り騒動だったが、これもまた『思い出』になるのだろう。
 それならば、笑い飛ばしてお終いにしよう。

 お前や仲間たちがそこに居るなら、それでいいと。

 

 見上げた夜空にぽっかり浮かんだ満月も、笑っているように見えた。



【終】
2003.07.15 

 


【 あとがき 】

…はっきり言って、コワレテいます。
一体何が書きたかったんだか… (^^;
こんなに先がどうなるか判らないまま書いた話は初めてです。
取合えず、犬君に追い山を曳かせようと目論んだのは目論んだのです
が、こんなに長くなるとは思いませんでした。
なにはともあれ、7月15日にアップ出来ると言う事で良しとしま
しょう。

少しでも愉しんで頂けたら、嬉しいです。




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