【 春な忘れそ 】





  ―――― 妙な連中に行き会ったものだと、犬夜叉は胸の内で舌打ちした。

 
 睦月の半ば、どーしても国に帰らねばと言うかごめの為に、楓の待つ村へ戻る途中の事だった。
 空には鉛色の雲が低く垂れ込め、今にも氷雨か雪が降りだしそうな気配である。

 
「なあ、兄者。ここはどげんしてこうも寒いんやろか? わしはもう歩きとうなか」
「何んば言ようと。早よ菅公様ば探さんと、茜様・白妙様にきつう叱られるとは、わしらやけんな」
「そやけど、どこに行ったか判らんもん。こげな事ばっかするけん、誰もお供に付かんかったんやね。爺様もこげな面倒か事ば頼まれてから」
「仕方なかろうもん。爺様は筑紫太夫じゃもん、頼まれれば厭とはよう言わん。わしらも言う事ば聞かな一族には居られんようになるけんね」

 犬夜叉の耳がぴくぴくと動き、妙な二人連れの会話を聞いていた。
 妙な二人連れは、一行の二百メートル程先の大木の下でなにやら真剣に話し合っている。

 
「どうです、犬夜叉。やはり妖しい者達ですか?」

 犬夜叉が妖怪の臭いがする、と言ったので五人は立ち止まり、様子を伺っていたのだ。

「……まあ多分、大丈夫だろ。西の方か南の方から来た田舎者だな、あれは。供をしてきた主人に逃げられた間抜けな連中だ。とっとと、行くぞ」

 他の面々を引き連れながら進みはじめた犬夜叉だが、その耳はまだあの二人の会話を探っている。

 
「こげん西も東もよう判らんとこじゃ、どげんしようもなか。誰ぞに聞いた方が早くないやろうか?」
「誰に聞くとね? 普通の人間に聞いてもしょうがなかろう」
「兄者、あそこば見てん。わしらの同類が来よる。聞くだけ聞いたらどうやろ?」

 
 そう言ってそのうちの一人が指を差したは、紛れもなく聞き耳を立てていた犬夜叉にであった。

 

( ……面倒な事にならなきゃいーがな )

 

 その頃には犬夜叉以外の者にも、その奇妙な二人連れの様子が見て取れる位の距離に近づいていた。
 二人の姿形は小柄でがに股、腰を落とした年寄りめいた立ち姿。
 着ているものは束帯に烏帽子と神職めいているが、何せ着慣れていない。

 その上、その顔ときたら……。

 
「なあ、兄者。あの娘、この寒いのにあげに足ば晒しとうけど平気なんやろか? 奇天烈な着物着とるし」

 二人の歳が幾つかなんて判りはしないが、それでも歳若な弟を諭すように兄の方がしたり顔で言葉を続ける。

「ええか、かわいい顔に騙されたらいかんと。あれはな、ああやって足晒して男誑(たぶらか)す性悪狐が化けとうと。ほれ、その証拠に誑かされた情けない半化けの亭主も一緒やろ。ありゃ子供まで出来て、逃げられんかったんやろな」

 
 犬夜叉の髪がざわっ、と逆立つ。

 止める間もあらばこそ。
 そこまで聞いた犬夜叉はまるで矢のように飛び出し、雨霰(あられ)と拳固の山を哀れなその二人の上に見舞った。

「誰が誑かされた情けない亭主なんだっっ!! いい加減な事言うと、その首ひっこ抜くぞ!」

 なおも拳を振り上げる。

 
「犬夜叉、おすわりっっ!!」

 ずっしーん。

 ようやく追いついたかごめ達がまだ怒り狂う犬夜叉を力ずくで鎮め、その奇妙な二人連れの所へ近づく。

「あっ、やっぱり」
「そーじゃないかとは思っとったが…」
「…河童、だね」

 犬夜叉に殴られ、被っていた烏帽子は何処かに飛んでいってしまっている。その下には、ヒビの入りかけた皿が一つ。 弥勒の足元に擦り寄り、ひーひー泣きつく。

「いきなりぼてくりこかさんでもよかろーもん!! わしら、何も悪かことは言うとらんっっ!」
「そや、そや!! こげんあぶなか奴、放し飼いにしとったらいかん! しっかり綱つけとかんと!!」

 もう一発ずつ、その皿に拳固を食らう。

「もう、犬夜叉。可哀相じゃない、止めなさいよ」

 妖怪の類とはいえ、害をなしそうにもない連中まで酷い目に合わせる事はない。

「かごめっっ! こいつら、お前の事なんて言ってたか知ってんのか!?  足晒して、男誑かす性悪狐なんて言ってたんだぜっっ!!」
「まあ……」

 その言葉を聞いて弥勒と珊瑚は一瞬吹き出しそうになったのを、必死で堪(こら)えた。
 さっき、犬夜叉が叫んでいた台詞と重ねれば……。

「お前ら、バカじゃのう。犬夜叉の前でかごめの悪口なんぞ言いおって…。命知らずなのにも程があると言うもんじゃ」

 しげしげと河童達の顔を覗き込んで七宝が、ため息まじりにそう呟いた。

「そやけど、おめえはあの二人の子供やろ? かかぁ天下やな。おっ母はちゃんと人間に化けとるのに、おっ父のほうは半化けじゃもん。本当の事やろーもん」

  七宝はまじっ、と河童の目を見つめ、そして ────

「かごめがおっ母の代わりは嬉しいけど、犬夜叉がおっ父の代わりなんて、ぜっっったい嫌じゃっっ!!」

 かごめは顔を真っ赤にし、犬夜叉は頭から湯気を立てて怒っている。
 河童二匹と七宝の上には、特大の拳固が落ちてきた。
 今まで必死で笑いを堪えていた弥勒と珊瑚は、とうとう我慢しきれなくなって、腹を抱えて笑い転げている。

 どうにかこうにか笑いの発作を治め、弥勒が河童達に声をかける。

「何か、お困りのようでしたが…」
「そやそや。なあ、あんたら菅公様、見かけんやったやろか?」
「菅公様? その人がご主人様なの? どんな人?」
「かごめ! 聞いてやるこたぁねぇ。そんな連中放っとけ!!」

 犬夜叉の怒鳴り声に、河童二匹はすっかり青ざめ縮こまっている。

「……随分虫の居所が悪いんだね、犬夜叉」
「仕方ないじゃろ。図星じゃったからなぁ。かごめに関して情けない、は禁句じゃな」

 小声の会話も、癇(かん)が立つのか犬夜叉の耳がぴくぴくと動いている。

「大丈夫よ。口も態度も荒いけど、悪い奴じゃないから」

 可哀相な位縮こまっている河童達を宥め、言葉を促す。

「本当に本当やろな。もう、殴ったりはせんとやろな。わしら、なんも悪い事はせんのやけん。ご主人探さないかんとやけん」
「ささ、あなた達のご主人がどの様な姿形をしているのか、教えてもらえませんか? どこかでお見かけしているかも知れません」

 こういう時の弥勒の態度は、心底善良な僧侶そのもの。柔和な笑顔も優しい声も。
 その実、内面はとんでもない不良だったりするのだけれど。

 けっ、と後ろのほうで犬夜叉が毒づいた。

「どーせご主人ったって、河童のご隠居って所が相場だろーぜ。そんな河童の爺なんて見てねーよっ!」
「なんちゅう罰当たりな事ば言うとか、このばかちんがっっ!!」
「そや! わしらのご主人は、そりゃぁ立派な神様ばい!! 見た目は六十位の爺様じゃけど、もう六百年は生きとらす天神様やけんねっっ! 宰府の社(やしろ)には都からでも、もっと遠くからでもお参りに来よらすっちゃけんな!」

 この河童達は余程この主人を誇りに思っているのだろう。
 犬夜叉に怒鳴り上げられて、縮こまっていたとは思えない反撃ぶりである。
 河童達の言葉を聞いていた弥勒が、なにやら考え事をしながらぶつぶつと呟いている。

「菅公様、六百年、天神様に宰府の社…、もしかしてお前達の仕えているご主人とは、遙か西方は筑前の国、太宰府に社を構える右大臣にして大宰権師(だざいのごんのそち)、菅原道真公ではありませんか?」

  その名を耳にして、河童達の顔にぱっと喜色が浮かぶ。

「おお、そうや! 知っとうとや、知っとうとね!! ああ、よかった。どこに居(お)らすか、早よ教えんね!」
「悪さする前に、早よ連れて帰らんと、わしらがきつう叱られるけんね」

 もう河童達は見つかったも同然という喜びようで、弥勒は言葉を続けるのが少し気の毒になった。

「……ご高名な方なのでお名前だけは存じておりますが、お見かけした訳ではありません。今まで通って来た道筋でも噂は聞きませんでしたし…」

 まるでナメクジに塩をかけたかのように、河童達はしおしおと見るも哀れにしおたれてしまう。そんな河童達の前に、すいっとかごめが歩み出る。

「それがもし本当なら、私も会ってみたい」

 両手を胸の前に組んで、瞳を潤ませたかごめがそう言う。

「なんなんだよ、そのすが、菅原のなんとかって?」
「え〜っ、犬夜叉知らないの? 受験生にとってこれ以上有り難い神様は他に居ないのよ!」

 その一言が、カチンときた。
 自分より頼りにしているような、その様が。

 
 どげいんっ、と河童達を乱暴きわまりなく蹴り上げ言い捨てる。

「んな爺ぃ、見てもねーし聞いてもねーよっっ! てめぇらも、とっとと消えやがれ!!」

 脱兎(だっと)の如く逃げてゆく河童達。
 あ〜あ、とため息をつくかごめ。
 可哀相な目に合わせてしまったと、錫杖を鳴らし拝む弥勒。

「…子供じゃな」
「子供だね」

 あきらめ顔の七宝と珊瑚。

 犬夜叉の機嫌の様に悪くなりかけていた空は、とうとう雪よりは始末の悪い霙(みぞれ)まじりの重たい雨を落としはじめた。

 
 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 

 冷たい雨を避けて、慌てて飛び込んだのは見捨てられたような古い社の趾。辛うじて、雨風が避けられる程度のものだ。

「今日はもうここで足止めだけど、大丈夫? かごめちゃん。国に帰るのが明日になっちゃうけど」
「ん、模試そのものは明後日だもの。一日早く帰って、復習やなんかしておこうと思ってただけだから」

 犬夜叉はヘソを曲げて、一言も口をきかない。
 皆もこーゆー時の犬夜叉の扱いにはもう慣れている。

 ……触らぬ神に、祟りなし ──── である。


( もう、本当に子供なんだから )

 
 そうかごめが心に呟いたのと、ほぼ同時だった。
 弥勒もその気を察し社の扉を振り返る。
 かごめと弥勒、二人の視線が一点に集中する。

 次の瞬間 ────

「おや、先客がおられたのか。雨に降られてしもうて、暫し軒を貸してくだされ」

 老人特有の落ちついた、穏やかな声。
 扉を開けて入って来たのは……

( なんと、これは神々しい ─── )
( 間違いない、間違いないわ! 天神様よ!! )
( げっ、この爺ぃ、もしかして…… )

  三人三様、おまけが二人。

「これはこれは、美しき女性(にょしょう)が二人もおられる。このよなむさい爺でござるが、同席しても宜しいかな?」

 高砂の翁のような円満な笑みを浮かべて、かごめと珊瑚の二人を見やる。
 二人に厭はなかった。

( 神様って言うから、もっと近づきにくいのかしらと思っていたのに、こんなに人懐っこいのね )

「 ─── 大宰権師、菅原道真公であらせられますか。なぜ、このような所に?」
「ほほう、法師殿には我が正体、もうばれておりましたか。いやなに、学問について何やら聞こえましたのでな。少し様子を伺おうかと」

 その答えに、かごめの期待値が跳ね上がる。
 その様子が犬夜叉には手に取るように判り、またまた頭にくる。

「おい、爺ぃ。てめぇの手下が必死になって捜し回ってるぜ。さっさっと行ってやれってんだ!!」

 犬夜叉は天神様まで、あの河童達と同じように蹴り出そうとする。

「何してんだい! 犬夜叉!! 相手は神様だよっっ!!」
「犬夜叉! おすわりっっ!!」
「やめんか、犬夜叉っっ!!」

 狭い社の中をいろんな声が飛び交う。が ───

 天神様の御光(みひかり)が、かごめの言霊よりも先に犬夜叉の体をぽーんとはじき飛ばしていた。
 その後、かごめの言霊が効力を発する。


 ぐしゃ。


 今日、二度目のおすわりであった。

「……流石、天神様。犬夜叉如きじゃ、手も足も出ませんな」
「いやいや、若い者はこうでなくては」

 鷹揚(おうよう)に構え、何事も無かったように澄ましている。
 しかし、その瞳に宿る光は常人のものではない。

 全てを見通すかのような ───―

「それにしてもお主ら、面白い取り合わせじゃな。法師殿、お主は歳に似合わぬ法力を持っておるな。お主が持つもう一つの負の力に匹敵する程の。どれほど辛くとも、諦めぬ事じゃ。日々の精進がお主を導くであろう」

 言われて弥勒は、右手を無意識に押さえた。

「そして、そこな娘御」

 そう言って、珊瑚を振り返る。

「……辛かったであろう? お前はあまりにも沢山のものを無くしすぎた。じゃがな、お前が心強よう持てば時はめぐりて、やがてまたお前のもとへ戻って来る。負けるでないぞ」

 それから七宝に視線を向ける。

「えっ? オラか?」
「うむ、お前はまだまだじゃ。じゃがな、修行を積み己を鍛えれば、一角(ひとかど)の者になれようぞ。お前は神狐族じゃからな」

 七宝の顔が、照れて赤くなる。
 今まで、こんな風に言われた事はなかった。仲間たちと比べて、あまりの力の無さに落ち込む事も度々だったから。

「さて、と。お主ははて、どちらかのう?」

 言霊の束縛からようやく自由になった犬夜叉を見て、緊張感を感じさせぬ声音でそう問いかける。


「お主は人か、妖(あやかし)か。どっちじゃ?」

 
 はっ、とかごめは胸を突かれた。
 かごめは以前、犬夜叉がどちらでもないからどちらにも行けない、とそう寂しそうに呟いた事を覚えていた。

 

「…どっちも、だ」

 

 そっぽを向いて、ぼそっと呟く。
 その一言で、かごめの心に残っていた氷のような塊が溶けてゆく。

「うん、そりゃあお得で良い。どちらでもないより、どちらでもある方がずっとお得じゃ。善哉(よきかな)、善哉」

 ほっほっほっと恵比須顔で笑う天神様。

「……お得だって」
「そういう見方もあるのですね。いやはや、なんとも ─── 」
「そうじゃろか? 犬夜叉を買うても得にはならんと思うが」

 ぱこっ、と頭を犬夜叉に叩かれる七宝。

「俺って、お得なのか?」

 叩きながら、そうかごめに訊ねた。
 かごめはにこにこしながら、こう答える。

「そうよ、ずっとずっとお得なのよ。犬夜叉は犬夜叉のままで、そのままでいいって事なんだから」

 かごめは嬉しかった。

 自分たち以外の存在が、それも神様と言われるような存在に、今のままの犬夜叉を認めてもらえたようで。

「いやいや、娘御。そのままで、と言う事はありませんぞ。人である分と妖である分と、そのどちらともに修行を積まねばモノにはなりませんからな」

 天神様のそのもの言いは、見込みはあるが今まで勉強をさぼってきた劣等生に、愛のムチと称して山ほどの宿題をさせる学校の先生のようだと、かごめは思った。
 その時、ふと弥勒はある事を思い出し、天神様に尋ねる。

「……私の記憶に間違いがなければ、貴方様は確か太宰府の地に封印されているのではないのですか? 災いを起こした為に」
「封印?」

 聞き捨てならない言葉に、犬夜叉が敏感に反応する。

「おお、よくご存じじゃな。そうじゃ、わしが彼の地で亡くなりし折の、都で起きた天変地異や流行り病の事であろう。怨霊と化し、都に禍(わざわい)をもたらすわしを鎮める為、神の位を与え社に封印したと言うあれじゃな」

 それを聞いて、皆の体が一瞬退いた。

「……わしはもともと学者じゃからな、伏魔殿のような朝廷での陰謀策術には向いてはおらんのよ。太宰府の地に左遷させられて、どれほど気が楽になった事か。美味い物を食い、大陸からの新しい学問を学び、まさにこの世の春じゃった。まっ、美味い物の食い過ぎであまりにも早く死んでしまった事だけは、ちーとばかり心残りじゃがな」

 どこまでも、人間臭い神様である。

「それじゃ、天変地異や流行り病は嘘?」

 興味深気にかごめが尋ねる。

「いやいや、あながち嘘とも言えんがな。流行り病が起きたのは、ろくな政(まつりごと)もせずに争いが続き、巻き添えを食った哀れな民人達の躯(むくろ)を打ち捨てたままにしていたせいじゃ。灸をすえるつもりで雷を落としたのは本当じゃ。それで何人かは死んでしもうたが、おらん方が良い輩であったでな」

  ──── なんと言う神様なのだろう、この天神様は。

 「わしを封印した事になっておる陰陽師が、これまた話の判る男でな。きゃつも朝廷のやり方には、腹に据えかねておったようじゃ。で、そー ゆー事にしてくれた、と言う訳じゃ」

 結局、歴史の裏側なんてそんなものかも知れない。

「それで、お供を連れて諸国御漫遊と言う訳ですか?」

 いささか呆れた感の弥勒である。こんな御仁に仕えるあの河童達の気苦労が解る気がした。

「わしは学問の神であるからのう。常に見聞を広め、学識を研鑽(けんさん)せねばならんのじゃ」

 その言葉につつっとかごめが天神様に近づき、下から見上げるような哀願するような眼差しで見つめる。
 その様がこれまた媚を売っているように犬夜叉には見えて、頭はキレる寸前。

「かごめ、そんな奴をそんな瞳で見るな!」
「でもね、犬夜叉。ここで天神様と仲良くなっておけば、いい事があるかも知れないのよ? 特に私みたいな受験生にとってはね」

  受験、と言う言葉を出されたら、犬夜叉には二の句も継げない。かごめにとってそれがとても大切なものだと言う事は知っている。そして、自分ではなんの手助けもしてやれない事を。

「ほう、受験とな。見れば娘御、そなた巫女であろう? それも並々ならぬ霊力を持っておる。巫女の務めを果たしながら、なおかつ学門まで修めようとは感心な心掛けじゃ。よしよし、そなたの望み、叶えてつかわそう」

 やった! とばかりかごめの顔が喜ぶ。
 学問の神様に望みを叶えてやると言われれば、これ以上心強い事はない。

「わしの持つ知識の泉、学問の神髄をそなたに授けてやろう。どうじゃな、そこの娘御。そなたも一緒に受けてはみんかな?」

 天神様はかごめだけではなく、珊瑚にもそう声をかける。

「えっ、あたし? あたしは別にいいよ、学問なんて」
「知識や学問は、いくら身に付けても荷にはならんぞ? そればかりか、いずれそなたの身を助けぬともかぎらぬからのう」

 上手い事を言う、と弥勒もうなづく。

「のう、何故あの神様はオラ達には声をかけんのじゃろう? もっと賢くなれるのなら、オラもなりたいぞ」
「ん〜、そー言われりゃーそーだな」
「あの〜、天神様。私、あまり時間がないので出来れば手っとり早くお願いしたいんですけど」

 授けてやろう、受けてはみんか、と言う語調になにやらスパルタ式個人教授のような図が浮かび、かごめはそんなに時間はかけられないと念を押す。

 

 ─── 幽(かす)かに神気を帯びた馥郁(ふくいく)たる香りが漂ったような気がしたが、まだ誰も気づいてはいない。

 

「ほっほっほっ、これはまたえらく積極的な娘御じゃな。これより後の時代の娘とは、皆このように積極的なのかのう。良い良い、案ずるでないぞ。一晩もあれば充分じゃ」

 かごめがこの時代の人間ではない事も知っている。いつの間にか天神様 は珊瑚のすぐ側まで移動してきており、かごめも側に付いてきていたので、まるで天神様は両手に花の状態だった。

( 一夜づけ、で大丈夫かなぁ。随分自信があるみたいだけど…。てっ、なにっ、これっっ!! )

 天神様の両脇に控えていたかごめ・珊瑚の体がびっくん、と硬直し石になっている。その異様な気配に犬夜叉達が見たものは、弥勒でさえもしないようなニ人同時のお尻おさわりだった。

 ぶっちーん、と犬夜叉の頭の血管が切れた。

  「犬夜叉〜っっ!!」

 かごめの悲鳴が犬夜叉を衝き動かす。

「てめぇー、はなっからそのつもりだったなっっ! この、助平爺っっ!! かごめと珊瑚を離しやがれっっ!!」

 しゃっ、と鉄砕牙を抜き放つ。

 が、相手は神様。
 変化はしない。

「これがまた旅の楽しみでのう。土地々々の娘達に知識を授け、わしは春を頂いておる訳じゃ。わしと契りを結べば、わしと娘らは夫婦も同然。夫婦と言えば、一心同体。わしの知識は娘らのもの、とまあ、こう言う訳じゃ」

 とことん、とんでもない神様だ。
 犬夜叉は頭の血管が切れた所の騒ぎではなく、もう頭の中は怒りで真っ白。

「……さっさっと、俺のかごめから手を離せ」

 ぐるぐると獣めいた喉声で、声を絞りだす。

「この娘の望みじゃ。叶えてやるのが親切じゃろう」

 かごめはいやいやいやと、首を必死で横に振る。

「こんの〜、助平爺っっ!! ぼてくりこかすっっ!!」

 

「菅公様! いい加減になさいませっっ!!」

 

 犬夜叉の声と、妙齢な二人の女性の声が重なる。
 なぜこの時、犬夜叉が犬夜叉に山ほど殴られた河童達が口にした『ぼてくりこかす』と言う言葉を口にしたのか、定かではない。
 その声と同時に辺りには上品な梅の香りが漂い、薄紫の高貴な光が差ししめす。
 天神様はその嗄(しわが)れた首を犬夜叉の両手で締めつけられており、かごめと珊瑚の尻を撫で繰り回っていた両手はそれぞれ白梅、紅梅の枝で強かに打ち据えられていた。犬夜叉が散魂鉄爪を繰り出さなかっただけ、まだ手加減していたと言えるだろう。

 「あ、茜。白妙、お前達どうして……」

 天神様の声が震えている。

「 ─── どうして、ではありません。太郎・次郎が泣きついて参りました。また、このような無体な事を仕掛けられて……」


 そう答えたのは茜と呼ばれた貴婦人である。
 薄紅の領布(ひれ)と裳の大陸風の衣を纏っている。

「あまりにも悪さが過ぎますと、菅公様のお名に傷が付きますぞ。御身を慎みなさいませ!」


 こちらは白妙と呼ばれた貴婦人である
 純白の衣を纏っている。
 そこへ先程の河童達が駆け込んで来た。

「茜様、白妙様、菅公様は見つかったやろか?」

 社の中の犬夜叉達を見て、ぎょっと立ち竦む。

「…俺に縄つける前に、てめぇらの主人にしっかり縄つけとけ! こんなアブナイ爺ぃ、放し飼いにするなっっ!!」

 目一杯怒鳴りつけてやる。

「……お力のある神様だと言う事はよーく理解っております。が、しかし、これはあまりと言えば、あまりにも非道な行い。神にあるまじき事ではありませんか!」

 珊瑚も被害にあっているので、ここは弥勒も一言言わねば気が納まらない。

「確かに法師殿の言われるとおりじゃ。今回の事は我等の監督不行き届き故。我等に免じて、許してはもらえまいか?」

 素直に己が非を認め、深々と頭を下げる美女二人。
 元々女性に甘い弥勒の事、これ以上声を荒らげる気はなかった。

「いっくら力があるって言ってもな! こんなんじゃ周りがいい迷惑だぜっっ!!」

 まだ腹の虫が収まらないのは、犬夜叉。
 その後ろには、かごめが庇われている。

「その通りじゃ、狛(こま)族の若者よ。力は力。人に徒(あだ)なす神の力は、それでも尊いだろうか? 人を慈しむ妖の力はやはり邪なのだろうか? そういう事なのだよ」

 凛とした声で、白妙がそう言う。
 社の中を満たしていた薄紫の光は紫雲に姿を変え、三人とそのお供の河童達を包みはじめる。
 その様は、かごめの眼にはベテランの婦人警官に連行されるコソ泥の爺様のように見えた。

「そこな娘よ、迷惑をかけました。これを授けましょう。健闘を祈りますぞ」

 紫雲がふわり、と浮かぶ前に茜が一枚の御札をかごめに手渡した。
 やがて紫雲は西の空目指し、飛び去って行く。

 

「すごいもんじゃな、ああやって空を飛べるとは。オラもいつかは飛べるかのう?」
「そうね、それこそ修行の賜物って奴よね。がんばってね、七宝ちゃん。だけど、あんな大人になっちゃダメよ」
「なりとうとも、そうそうなれるものでもないと思うんじゃが」

 どうにか胸をなで下ろし、人心地ついたかごめが犬夜叉の背中から顔を覗かせ、そんな軽口を交わしている。

 

 犬夜叉はいつまでも、紫雲の飛び去った西の空を見つめていた。

 

「 ─── 羨ましいのですか? 犬夜叉」
「うるせー、放っとけ」
「あの方達は、飛べて当然なのですよ。なにしろ歌に名高い飛梅の化身ですからね。天神も、天翔ける神という意味ですし……」

 

「 ─── 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花

                 主なしとて 春な忘れそ ─── 」

 

 犬夜叉の背後で、かごめが詠う。

「なんでい、その歌」
「あの天神様が太宰府に流された時に作った歌よ。ねえ、犬夜叉。この御札、ちゃんと御利益(ごりやく)あると思う?」

 犬夜叉の眼の前で、ひらひらと御札をひらめかす。

「俺に聞くなっっ! 俺に!!」

 さも嫌そうに、犬夜叉は一言そう言い捨てた。

 

 明け方には霙まじりの雨もやみ無事国に帰ったかごめだが、模試の結果がどうであったのか、それこそ神のみぞ知る ─── である。


【完】
2003.1.17

 


【 あ と が き 】

時節がら、かごめちゃん頑張れ、受験生頑張れ、と言う事で天神様ネタ
なのですが、思いっきり罰当たりですね。
某子供番組で勝平さんが声を当てているキャラは、どうして博多弁なの
だろうとずっーと疑問だったのですが、映画のパンフレットをみて謎は
解けました。勝平さんは福岡の方だったのですね。

で、こういうのも有りか、と。かな〜り怪しげな博多弁が飛び交ってお
りますが…。


『ぼてくりこかす』は殴り倒すとか袋叩きにするとか、そーゆーニュア
ンスの言葉です。これは博多弁ではなく久留米近辺の言葉なのですが、
犬夜叉的なので、敢えて使ってみました。




TOPへ  作品目次へ


誤字などの報告や拍手の代りにv 励みになります(^^♪


Powered by FormMailer.