【 比翼連理 8 】



 打ち沈んだ雰囲気の中、急を知って駈け付けた宝子がそこに居た三人の顔を見比べ、掛けるべき言葉を探す。

「闘牙、一体何が…」

 その時闘牙の顔に浮かんだ表情の遣り切れなさは、その場に居た者の胸を締め付けた。

「冴が、な…」
「…宝子様、冴様のお姿が西国のお屋敷から消えてしまわれたのです! お屋敷には、冴様に仕えていた者たちの屍が残されておりました」
「なんと…、では冴姫はあの闘鬼の手に落ちたと!!」

 宝子のその言葉に微かの間を置き、闘牙は懐から何をか取り出し、それとともに冥加が持ってきた珠の欠片を宝子に投げ寄越した。

「これは…?」
「…我等、兄妹(きょうだい)に亡き母より授けられた護りの珠。お前なら判るだろう?」

 宝子が手にした珠とその片割れになる欠片を推し量る。闘牙が懐から出した珠は暖かく優しい『気』に満ちた波動を感じたのに対し、欠片の方は掌を焼きそうな熱く、禍々しい『気』に満ちていた。

 そして何よりも強く込められていたのは、冴姫の怨みの念。

 子を思う母の愛を上回るほどのどす黒い女の情念を受けた冴の守護の珠は、その力に抗し切れず砕け散った。その様が、宝子の掌の欠片からまざまざと伝わってくる。

「…冴姫は、全てを知ってしまったのか……?」
「ああ、闘鬼に先手を打たれてしまった。冴は…、闘鬼に連れ去られたというよりも、自ら進んで付いて行ったのだろう」

 深く、哀しげな表情の闘牙。護りたかったものの一つがその手を滑り落ちて砕け、残った残骸が冷ややかな光を投げ掛ける。

「申し訳ありませんっっ!! 闘牙様! もう少し早くお迎えに行っておりますれば、このような事には……」
「いや、お前が悪い訳ではない、冥加。下手をすれば、お前も今頃は生きては居なかったやもしれぬ」
「闘牙様…」

 哀しげな笑みを浮かべたまま、闘牙は宝子に話しかける。

「済まんな、宝子。折角お前がヒメ命様への仲介の労を執ってくれたのに、無にしてしまった」
「それは構わぬが…、ならば冴姫の替わりに玉藻姫の身柄を預かってもらってはどうだ? あそこならば、闘鬼と言えど手は出せぬ」
「宝子…、お前の力添えで元々女人禁制、いや祭事を取り仕切る神職ただ一人しか置かぬ神域に無理を言って冴を預かってもらうよう話を付けたのだ。今の懐妊した玉藻では、とうてい足を踏み入れる訳にはゆくまい」
「ああ…、そう… そうであったな」

 宝子の声からも、覇気が失せる。

「それにもし、そうでなくとも俺は玉藻を隠すような真似は、この腹の子に対してすまいと決めた。真正面から対峙するのみ」
「で、ではやはり、玉藻姫様を西国にお連れになるので…」
「ああ、俺も玉藻もこの子も逃げも隠れもしない。一族の者が俺達を受け入れぬと言うのならば、潔く離れるだけだ」

 暗く、重々しい声で宝子が口を開く。

「…そう簡単に、お前たちを一族から出すだろうか? それにお前も一族の者は見捨てぬと言った筈」
「判っている。その場合の事も考えてはいる」
「闘牙様…」

 そう呟いたのは、傍らに寄り添う玉藻。

「お前を日陰者の身にはしたくない。俺の妻として、胸を張っておれ」

 強い光を見せる闘牙の眸に、並々ならぬ決意を読み取る。一族の者が害を成そうと追いすがれば、この男は妻子を護る為にその手を一族の者の血潮で濡らす事も厭いはすまい。

「…そう、悪い方向へばかり考えなくとも良いかも知れぬぞ」

 取って付けたような語調の変化。怪訝な顔をしてそう語り始めた闘牙の顔を、他の者たちが見詰める。

「闘鬼と冴、か…。長老どもは大喜びだろうな。今の一族内でこれほど血縁の濃い婚礼もないだろう。俺としてもあの闘鬼の性格を知るだけに、冴を嫁がせるつもりはこれっぽっちもなかったのだが…」
「闘牙…」
「俺への怨みでこの二人が強く結びつくのなら、生まれて来る子は案外まともかも知れぬ」
「闘牙、それはどう言う意味だ?」
「俺への怨みを晴らさん為に設ける子であれば、二親からそれなりに愛しまれる事だろう。俺への怨みとその子にかける期待と。今までのような力の不均衡や、陵辱の果てと言う事にはならぬからな」
「闘牙様…」

 一族の内情を良く知る冥加の目が見開かれる。闘牙が何を考えているのか察するだけに…。

「…俺は、冴の子に期待したいのだ。一族の長に値する子であればと。その子が成長するに害をなすような者があれば、その者らを滅して一族を離れる。その子に取っては父である闘鬼やその口車に乗った長老達であろうとな」」
「…粛清者として、在ると。業な事だな」
「そ、そんな闘牙様! そのような事をなさればそれがたとえ一族の為であれ、末代まで一族の方々から追われましょうぞっっ!!」
「構わん、どうせそうなれば一族内には居れぬ身だ。外から、一族を見守ろう」
 
 誰がついた溜息か。深く長く吐き出されたその後には ―――

「ったく、無茶苦茶な男だな、お前は。同族殺しをやろうと言う者が堂々と妻子を連れて国入りをする、か。確かに、お前には影は似合わんな」
「…俺が冴にしてやれるのは、もうこれくらいだろう。もともとは優しい気性の妹だ。今は俺への怨みで闘鬼に縁付いたとしても、いずれ闘鬼が冴の禍になるのは目に見えている。冴に取って、そして一族にとって禍となるものをこの手で屠る。それが、俺から冴へのせめてもの償い」
「冴様とそのお子に一族を託されると…?」
「それが、一番相応しかろう」

 自らを崖っぷちに追い込んでも、護りたい者は守り抜くと言い切る闘牙。

 それこそが、『狛』の証。
 それ故に孤高の道を行く運命(さだめ)は、やがて父から子へと引き継がれてゆく ―――


   * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


「無理をさせたな、冴」

 …あの後、闘鬼の手を取った冴と闘鬼は代々の長が眠る塚の中に篭っていた。

 この場は妖犬族に取っては、一番の聖域。何者にも侵されぬよう幾重にも結界が張られ、その中に入れる者は長の直系と同行者のみ。その場にさらに二人は互いの結界を絡め、天蚕(てんさん)が、自分の身を吐き出した生糸で幾重にも包み繭の中で変態するように、二人は新たなモノを生み出そうとしていた。

 祖霊を祀る塚の中を、このもっとも濃い血脈を保つ聖婚の新床(にいどこ)に選んだ二人の胸に秘める思いが、その空間を濃密なものにしていた。

 冴が闘鬼の手を取った、その夜の事。
 冴はこの場で闘鬼を受け入れた。その行為は、ひ弱な冴に取っては命がけの行為でもあった。屋敷からろくに外に出た事も無い、ある意味もっとも純粋なままひっそりと咲いた花だった冴。
 誰もその身に触れさせぬまま、敵わぬ実兄への恋慕で焦がれていた哀れな花。
 その花を躊躇いも無く散らし、あれほど忌み嫌っていた異母兄の腕に抱かれているのも、実兄・闘牙への果たせぬ激情の裏返し。

「いいえ、まだ…。あの女に遅れたくはありませぬから……」

 闘鬼の激しい求めに必死で応え続け、窶(やつ)れの色の浮かぶ清楚な顔(かんばせ)に不似合いな滾るような血の色を湛えるその双眸。
 この歳にしては閨房事は何も知らぬまま過ごしてきた冴は、闘鬼にされるままにその身を投げ出した。そんな冴の有り様に、内心慄きを隠せない闘鬼。それは ―――

( …俺は今まで星の数ほどの女を抱いてきたが、こんな女は初めてだ ――― )

 正直、冴くらいの美貌の持ち主の女は他にもいた。むしろ冴よりも肉惑的な女は今の愛人である黒巫女の夾華を始め食傷するくらいに喰らってきた。それなのに…

 その病弱さゆえに全てのものから隔離されて生きて来た冴は、一点穢れもない聖なる象徴のようなもの。陽に当たる事も稀なその肌は雪の白さも欺き、滑らかさ艶やかさは極上の真珠のよう。
 掌を雪の肌に置けば、吸い付くような肌触りに伝わる冴の惧れ。これほど純真で真っ白なものを己の思うがままに陵辱出来る、異常なまでの昂ぶり。

 抱いてみて、更に瞠目した。
 
 こんなに具合の良い女は抱いた事が無い。
 これが『相性』かと思う。肉付きは薄く、性技の一つも知らない、童女のような冴の躰。
 生木を裂くように己の猛りを銜え込ませた時の背中を走った衝撃は、闘鬼が生まれて初めて感じたもの。

( 繋がった ――― )

 深い、深い、一体感。これが、『血が呼び合う』と言う事か。
 肉の衝動を鎮めるために抱いた女は数知れない。
 束の間埋めたその後の、胸に広がる空虚な冥穴に男女人妖問わずに、その体も命も投げ込んできた。
 埋まるはずも無いその無為な行為。それが今 ―――

 自覚はなかった。この荒々しい行為の中に、自分の心を満たすものが生まれ始めた事に。
 夢中で冴の体を、いや『冴』そのものを貪っていた。
 その激しさが冴の身を危うくするかも知れぬとの、思いを巡らす余裕もなく。
 冴を抱いて、闘鬼はもう何度も達していた。

「もう、十分だろう。無理をして、お前が体を壊しては元も子もない」

 組み敷いた冴の体を開放し、その横に大きく仰向けになる。
 心地よい疲れと、深く吸い込んだ祖霊の霊気が体の細胞一つ一つに染み渡り、賦活してゆく。
 傍らで冴が、息も絶え絶えな様でようよう半身を起こしかけた。
 その様子に気付き、起き上がった闘鬼が冴の体を支える。

「闘鬼様…」
「闘鬼様、か。まぁ、そのうち呼び名も変わるだろう。無茶な奴だ。止めろと言えば、止めてやっても良かったのに、初めて男に抱かれて、そのまま三日三晩抱かれ続けるなどと」
「…私は子が欲しいのです。他の何者にも負けぬ由緒正しきこの妖犬族の血脈を伝える子が! 祖霊の加護を受ける事の出来る子が!!」
「冴…」

 次代の長になる子を欲したのは闘鬼も同じだが、有体に言えば『子』そのものにそう高い関心がある訳ではなかった。長になろうと思ったのも、確とした理由がある訳ではなかった。だが冴は子を産める性として、今となっては闘鬼以上に子に執着を見せ始めていた。

「…闘鬼様の胤は、私に付いたでしょうか?」
「ああ、多分…な。だが、そう先を急がずとも……」

 きっときつい視線を闘鬼に投げ掛ける。
 あの儚く優しげだった冴とは思えぬほどの変貌振り。
 ぎらぎらと燃える赤い眸には、闘鬼の姿は映ってはいなかった。

 手に入れかけたものが、闘鬼の手から滑り落ちた瞬間でもあった。


 ――― もし、この二人の結びつきがこんな形でなければ…。


 冴が闘牙を慕うように闘鬼に想いをよせ、闘鬼がせめてもうすこし冴を異母妹としての情愛をかけていれば、この婚礼はここまで禍々しいものにはならなかっただろう。生まれた子も、また…

 支える闘鬼の手を外し、ゆらりと冴が立ち上がる。まだおぼつかない足取りで一歩踏み出す。細い足の線に従って、闘鬼が冴の胎内に放ったものが収まりきれずに、溢れ滴り落ちる。

「ならば、ここに居る必要はありませぬ。さぁ、闘鬼様。参りましょう」

 振り返り、投げ寄越した凄みをました冴の視線。
 一族随一のその妖力を開放しつつある冴に、闘鬼は訳の判らぬ暗いものを芽吹かせていた。


   * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 主が留守な館の中庭で、彪兒は空の色を見ていた。西方には暗い赤味を帯びた雲が低く懸かり皐月の頃の色とも思えぬ。反して東方の色は光が増したせいか空の青さそのものが宝玉のような内なる光に淡く輝く。一目で相反するものの衝突が間近に迫っている事を告げていた。

「如何なさいました? あなた」

 闘鬼の館内にも官宅を与えられている彪兒の妻が、空を思案気に見上げている様を不審に思い声をかけた。その手には人間の子どもであれば、四・五歳にも見える男の子を一人連れている。無表情で濃い赤い眸と、鋼のような光沢を湛えた髪が目を引く子どもだった。

「ああ、お前か。いや、なに…、大きな波が来そうな気配だと思ってな」
「まぁ…」

 彪兒の歳若い妻が眉を顰める。

「…知っているか? どうやら闘牙様が妻を娶ったらしいぞ」
「闘牙様が?」
「お前もワシに縁付く前は、闘牙様に色目を使っておったからな」

 たちまちその面が苦虫を噛み潰したように渋くなる彪兒の妻。

「思い出したくもありませんわ、あんな方の事。性質の悪い他所の女妖ばかりを相手になさる悪食ぶりには、もう辟易です。娶った女と言うのも、どうせその類の女でしょう」

 この妻が取り付く島も無い闘牙を諦めて、自分に乗り換えた事を知っている彪兒には、妻の言葉に込められたある種の嫉妬を感じていた。

「…あれ程、気楽な独身(ひとりみ)が良いと仰ってましたのに、今更妻帯なさるとは。闘鬼様と冴様の婚礼が整いそうなので焦られたのかしら?」

 そう言っ彪兒の妻の声には、明らかな侮蔑の響きが込められいる。『長の座』欲しさと。

「冴様との婚礼、か。首尾よく行ったものやら、どうやら…」

 三日前、闘鬼が単身で冴の館を襲ったその後、闘鬼より放たれた死舞烏の伝令で彪兒は事の次第を承知していた。冴が自ら闘鬼の手を取った事も、他の者の邪魔の入らぬうちに冴をモノにする事も。
 闘牙の裏切りで冴が逆上し、その勢いで闘鬼の手を取ったとしても、いざ事に及んだ時、今までの仕打ちや闘鬼への嫌悪感が首をもたげて闘鬼を拒むやもしれない。そうなれば、結果は…

「どうしようもないものならば、新たな『長』を立てる事も考えねばな。そう、今の長の血脈に拘るのも限界かもしれんな」
「あなた…?」

 彪兒は妻が連れている我が子に目を向けた。
 殆ど今の一族内では、もうまともな子が生まれる事はない。しかし、彪兒の子は幸いなのか、今のところこれと言った異常は見られなかった。
 彪兒は我が子の艶のある髪を掬い、顔を覗き込む。彪兒の胸に浮かぶ思いは ―――

( そうだ、何も今の長の血脈に執着せずとも良いではないか。力ある者であれば、長の座に座っても。そう、それがこの子であってもな )

 一族の粛清を考えていたのは、彪兒も闘牙も同じ。その見ている方向はまるで違ってはいたが。

「いや、何でもない。それよりお前、館の女官達を差配して何時でも宴を執り行える準備をしておいてくれ」
「宴? それでは、もしや…!」
「うむ、首尾よく事が進んでいれば、今日明日にはお披露目になられるだろう」
「まぁ! それではこうしてはおられませぬ。急ぎ手配にかかりますわ」

 浮き立つような足取りで、彪兒の妻は館内に子ども共々戻っていった。

( この企みはまだ、己が胸の内に留めておくのみ。闘牙様達の出方も身は見計らねばならぬし、闘鬼様の方の守備もな。どちらにせよ、お二方のお子を拝見させて頂いてからの事 )

 彪兒の口元に浮かぶ笑み、事この件に関しては一歩先んじている者の持つ余裕ゆえか。
 闘鬼・闘牙、先の長の血を引く者の子等が、己の子の足元にも及ばぬその時には。


 晴れやかな季節と裏腹な、凄愴な風が吹き荒れ始めていた。
 それが形になるまでは、まだ今一時の猶予が必要であったが。


   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 彪兒の妻が宴の準備に取り掛かって、半日もした頃だろうか。
 何処からとも無く暗雲に朱を交えた様な色合いの妖雲が闘鬼の屋敷に降り立った。その中からは、冴を伴った闘鬼の姿。

「お帰りなさいませ、闘鬼様。そして、奥方様」

 生まれついての脆弱な体を闘鬼に投げ与え、無理の利かぬ体力の無さをその身に溢れる妖力で補う。何かの折に目にした冴の姿は、儚げで楚々としていた。春先の淡雪のように、夏の蜉蝣(かげろう)の羽根のように。

 今、その面影は何処にも無い。
 強烈な妖力に彩られた冴の顔はある意味、美しかった。闘鬼と結ばれた事によって、『女』としての色香も醸し出している。何よりも、冴の胸で燃え滾る想いの焔(ほむら)が、今までにない精彩を与えていた。

「…今更、お前に言うまでもないな」
「上々の首尾と、お祝い申し上げます。闘鬼様と冴様の婚礼を一族の者は皆、待ち望んでおりました。只今、わたくしの愚妻に申し付けまして、祝宴の手配をさせております。お支度が整うまで、どうかお部屋でお休みくださいませ」
「人間どもの慣例を模しての所顕し、という事か。彪兒、お前が冴の義父として万時、整えよ」
「はい、承知」

 闘鬼と彪兒が話している間、冴は一言も発さず、その様子を冷ややかな眸で見ていた。冴に取っては、闘鬼の妻などと言う称号も要らぬし、闘鬼そのものも、一族の将来も要らぬ。

 燃え盛る胸の思いは、ただ一つ。闘牙の手を取った女妖に負けたくない、その思いだけ。

 闘牙の女が産む子と、自分が産む子。
 子を産む事の出来る『性』である者であるが故に、男よりも濃く強い思いが血肉を分け、腹を痛める『我が子』に向う。

「冴、宴の支度が整うまで奥で休んでいるがいい。今日からここがお前の屋敷だ」

 冴の身を気遣い差し出された闘鬼の手を無視すると、冴は一人先に立って歩んでゆく。
 その後姿には…

 その冴と入れ違いで、彪兒の妻が現れる。

「あなた、闘鬼様が御帰館あそばしたと侍女が伝えてきましたので、ご成婚のお祝いを述べに参りました」

 自分と余り歳の変わらない、彪兒の妻。親子ほど、いや祖父や孫ほど歳が離れていようと妖怪の世界ではさして障害にはならない。障害になるのは、その力の偏りか。

「ああ、お前か。これからお前は冴様付きの女官長として万事整えてくれ。体の弱い冴様だが、我が一族に取っては掛け替えの無い御身。無事、その日を迎えられるよう経験者のお前が良くお教え差し上げなさい」
「はい、あなたのお役に立てるのでしたら、誠心誠意お仕え致しますわ」

 大役を仰せつかった彪兒の妻のほんのり上気した顔。そんな妻を労わるように見守る彪兒。今までそんな物には一切の関心を払わなかった闘鬼が、彪兒夫妻の会話に耳を立てる。
 そこには確かに、夫婦の間に流れる『情』のようなもの。闘鬼はそれを感じずにはいられなかったのだ。

「こちらに伺う途中で、冴様にお逢いいたしました。まだお支度が途中でしたが、奥方様の部屋に侍女を付けてご案内させていただきました」
「…そうか、大儀だな。少しばかり無理をさせた。何か滋養のある飲み物でも持って言ってやってくれ」
「御意のままに」

 優雅に軽く腰を折り、彪兒の妻は闘鬼の前を下がった。彪兒の厳しい顔にも微かに笑みが浮かんでいる。

( これが、夫婦というものか… )

 冴を抱くまでは、闘鬼に取っては『女』とは欲望を満たす為に、衝動を吐き出す肉の道具だった。思うが侭に嬲り、蹂躙し、責め殺す事も茶飯。雌雄の交わりで子が成るのが当たり前なら、自分の抱いた女妖達に子が出来ても当たり前だと思っていた。

 ただ出来ても産ませるか産ませないかはまた別の問題。

 子を持つ事が、自分が長になる手段でなければ、今でも闘鬼は子など欲しいとはそう思いはしなかった。だからこそ、自分の子であっても『キ』であった胎児らを虫けらのように殺す事が出来たのだ。

 根本的に何かが欠けている。

 その闘鬼が、冴を抱いて微かに変化し始めていた。本来ならこれは喜ばしい変化であったはずなのだが、それが更に凶運を呼び込む事になる。

 
 ――― 狂奔する運命の流れの中に…


    * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「冴様。今日からお側にお仕え致します、彪兒の妻で白琳(ばいりん)と申します。御用は全てこの私にお申し付けくださいませ」

 そう名乗った女妖は傍らに人間の子どもの歳で五歳ばかりに見える子を連れていた。

「…その子は、貴女の?」
「はい、鋼魏(こうぎ)と申します」

 白琳と冴はそう年の頃は変わらない。
 しかし子を持つ母として、また彪兒の妻としての自負からか落ち着きと自信に満ちた色香を漂わせていた。

「貴女に取っては、宝物ね」
「冴様も、時期ですわ。立派なお子を授かりましょう。ですが、その前に闘鬼様の奥方としてのお披露目を致しませぬと」
「闘鬼様の奥方……」

 ふっ、と口許に浮かぶ冷笑。
 闘鬼に抱かれたからと、情が移った訳ではない。否、自分の中に闘鬼の居場所などは微塵もないのだ。今までもこれからも冴の心の中には、実兄・闘牙への想いしかない。
 それが恋慕から憎悪に変わったと言うだけの違い。闘牙に対する憎悪に比べれば、闘鬼への嫌悪感など今の冴には些細な事だった。

「…急の事でしたので、お披露目のお衣装が間に合いませんでした。闘鬼様の母君が先代様に輿入れなさった折にお召しになっていた物ですが…」

 ふわりと冴の肩に掛けられた重ね一式。赤地に金糸銀糸で細かに模様を織り込んだ、目にもあえやかな上衣。下に重ねる衣(きぬ)も艶やかな光沢を放ち、しっとりと肌に馴染む。

「…今なら、あの女妖(ひと)の気持ちが判る。きっと、こんな気持ちでお母様や私たち兄妹を見ていたのだと…」
「冴様…」

 肩に掛けた衣に手を添え、ぽつりと呟く。その表情に遣り切れない心の懊悩が仄見える。

「…業な事。倫(みち)を外した想いなのに、それが今の私を動かす力になっている。子どもの頃、絶対あんな女妖にはならないと思っていたのに…」
「冴様、お時間がございませぬのでお支度にかからせて頂きます」

 これ以上、冴に話をさせると外部の者に聞かれると拙い事まで出てきそうに気配が漂い、白琳はさり気なく冴の話の腰を折り、慌しく冴を飾りつけ始めた。
 そんな白琳の心中を察したのか、くすっと冴の口許から零れた笑みはぞっとするほどの冷気を含んでいた。

「そう…、今の私にこれ以上相応しい衣装はないでしょう。白琳、お前気付いていましたか? この衣を織り上げている糸に」
「糸…? いえ、なんでも闘鬼様の母君が輿入れの際に持参された物の中で、一番価値のある物だととしか」
「一体この装束一式織り上げるのに、どれだけの処女(おとめ)の命が散らされたのでしょうね。織り糸を紡ぐ材料として」
「では、このお衣装は…」
「人間と言わず、妖怪と言わず特に美しい髪を持った者のその髪を紡いで織った物。だからこその美しさ」

 艶然と微笑んでみせる冴に、その装束は良く映えた。


 ――― 一族の重鎮を集めた披露の宴の壇上に。

 互いに装束を改めた、闘鬼と冴が打ち並ぶ様は雛(ひいな)の様。悪趣味なのか、既に意識が人間どもと同化しつつあるのか、人間の貴族の風習を模したようなこの馬鹿げた宴。
 最上段に据えられた女雛のように身じろぎもせず、醒めた眸(め)で冴はその様を見ていた。
 
 『所顕し』 ―――

 人間の貴族どもの風習。『家』を継ぐのは女、『官』を継ぐのは男。
 この時代の貴族の婚姻は男が女の元に通う、通い婚。出世しそうな男を婿に迎えられた家はますます栄え、また家柄の良い娘を娶る事の出来た男は、それを後ろ盾に宮中での昇進を図る。
 正式婚姻は、先に既成事実ありき。
 実際にその家の娘と寝て具合が良ければ、その後娘側の舅(しゅうと)が婿と従者を招いて公表するという作法。

( なんと馬鹿馬鹿しい事。我等、妖でありながらそこまで人間におもねるか )

 闘牙でなくとも、妖としては末期だなと冴は感じた。
 腐敗した人間どもの真似をして嬉々としている様は。

( …構わぬ、私も一族には未練はない。あるのは ―― )

 そっと、婚礼衣装の上から下腹に手を当てる。祖霊の前での交わりで、闘鬼は胤が付いたと言ったが冴自身にはまだその自覚はない。闘鬼も今までのようにはっきりそうだと言えなかったのは、冴との妖力が拮抗している為、己の胤が冴に『喰われる』事もありと考えたからであった。

「闘鬼様、此度はめでたき仕儀、お祝い申し上げます」

 白々しくもこの婚礼の作法に則り、冴の義父役の任を負っている彪兒が言上を捧げる。

「…異母妹との婚礼は可でも、形の上だけは他所の家の娘にして迎える、か。とんだ茶番だな、彪兒」
「そうは仰いますな。仮にも我が血統正しき妖犬族の長とその奥方との婚礼でありますれば、踏む手順と言う物もありまする」
「ふん、馬鹿らしい! 牡(おとこ)と牝(おんな)、やる事やって仔を成せばそれで済む話の筈」
「また、そのような見も蓋もないような事を言われる。まぁ、それも否とは申しませぬが」

 若く短慮で粗暴な闘鬼らしく、苦笑いするしかない彪兒。

 …やはり、この闘鬼では長は務まるまい。

 むしろ闘鬼はお飾り、冴に取り入り、後々産まれるであろう二人の間の仔を手中に収めた方が得策。冴は長く屋敷に篭っていた世間知らずの姫。海千山千の老獪な彪兒なら簡単に手玉に取れる。

( どんなお子が産まれるか楽しみですな、闘鬼様。冴様は体のひ弱なお方。産褥で身罷られる事もあるであろう。なれば、その子の養い親として託されるだけの信用を得ておかねば… )

 彪兒の思いは、昏い笑みとなって頬に浮かぶ。醒めた眸をしている冴に向っても、女主に対しての礼を取り形式に則った言上を奏する。その後で…

「冴様、お疲れではありませぬか? 御帰館後、そうお休みになられぬ内にこの席への御参上。無理をなさってはなりません」

 どんな腹を持って言った言葉か、その顔からは読めなかったが、この馬鹿げた宴に何時までも付き合うつもりも無い冴には、丁度好い言葉。

「そうですね、流石に疲れました。部屋に戻って休みましょう」

 その言葉を受けて、彪兒の妻の白琳が先に立つ。冴の手を取り、その場を退席した。女達の姿が消えると同時に彪兒は、一番確かめたかった事柄を闘鬼に尋ねた。

「今の冴様のご様子を拝見するに、上手くいったと見てよろしいのですな?」
「ああ、多分な」
「…判らぬものですな。こう申しては何なのですが、あれほどこの婚礼を嫌がっていたお方。事、成就には多少手荒な事も致し方ないかと思っておりました」
「…あれには闘牙の裏切りが余程許せなかったのだろう。自ら進んでその身を俺の前に差し出したぞ」
「ほう…」
「…『子』への執着は俺以上だ。孕む事を望んで初花を散らした俺のモノを銜え込み、男を知らぬ肌が狂う様は壮絶ですらあった」
「では、きっと良いお子が授かりましょう。これで我が一族も安泰ですな」

 彪兒の言葉に、闘鬼の表情が好色さを浮かべる

「そうなると、ちと惜しいな。体の弱い冴が孕めば、無理はもうさせられまい。抱き足りないと思った女はあれが初めてだ」
「闘鬼様にそこまで言わせるとは…。見かけだけでは判らぬものですな」
「今まで抱いた女の中では、最高の女だ。もし今孕んでいるのなら、その子を流してでももう一度抱きたいほどに」
「そこまでの執心ぶり。冴様は女冥利につきましょう」

 人で無いものの哂(わら)い声が乾いた響きを辺りに響かせる。虚宴の空気に。


 
 ――― 子を流す。

 その思いこそを抱いている二人の女達。

 闘牙の実妹にして、闘鬼の妻となった冴。
 闘鬼に偽られ、虚妄な嫉妬心にその身を妬く闘鬼の愛人、黒巫女の夾華。
 二人の暗い想いが向う先は、闘牙の妻・玉藻の許に。
 その身に宿る、闘牙と玉藻の子に!!

 女達の、目に見えぬ闘いが始まっていた。


   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「本当に大丈夫なのだな、闘牙」

 いよいよ玉藻を連れて、宝子の社を後にしようとする闘牙。その闘牙の行く末を案じ、どうしようもないのだがそう声を掛ける事しか出来ない宝子。

「…宝子様、吉宝様。今までのご恩、決して忘れは致しません。本当にありがとうございました」

 闘牙の傍らに立つ玉藻が二人に向って深々と頭を垂れる。

「おそらく闘牙以外に頼る者もない西国へ、貴女一人を送らねばならぬのは私も辛い。まして、この先女手のいる貴女の事。せめてもの餞(はなむけ)に、この者達を一緒に連れて行っておくれ」

 そこには宝子の髪を依り代にした式神が三体。力ある妖が自分の体の一部である、そう爪や皮膚、血の一滴でも不用意に残す事はない。下賎な妖怪どもにはそんな微々たる物でも、妖力を増す為の大きな糧になる。残す意思なくその身を離れたものならば、時を置かず消滅するもの。

 ましてや、霊力・妖力の依り代とも言われるその頭髪を、宝子は玉藻に与えた。これはかなり危険な事でもある。呪力に長けた者がもし万が一それを手にしたとしたら、それを使って本体である宝子さえ操る事が出来るのだ。

「宝子、それは…」

 その危険性は闘牙だとて熟知している。

「良いのだ、闘牙。玉藻は言わば、私の妹のようなもの。姉として、出来る限りの事をしてやりたい。許されるなら、無事玉藻が出産を終え、お前たちのこれからが安泰になるまで側に付いていてやりたいくらいだが、それは出来ぬ話。だからこそ、だ」
「宝子様…」

 宝子が先を促すように、その手を玉藻の前に差し出した。別れる為に握り離す、その手。玉藻は宝子へ返す想いを込めるように、差し出された手を握り締めた。

「この恩は、一生忘れぬ。お前は、俺に玉藻と言う生涯の伴侶を与えてくれた。深く礼を言う」

 まだ玉藻が握り締めたままの手をそっと外し、その手に闘牙の手を重ねる。

「いや、お前たちは出会うべくして出会ったのだ。人間たちの言葉ではないが二世を誓い合った仲なのか、前世からの絆のように。私はほんの少し、手を貸したぬ過ぎぬ」

 宝子を時を見るように、空を見上げた。
 この大社の上空は皐月の爽やかな大気の中、光が透き通り風が踊る。その目を転じて、遥か西方に眸を凝らす。赤と黒の混じった暗雲が次第に影を濃くしてゆく様が見て取れた。
 大事な親友と、妹のように思っている者をあの空の元へ送らねばならぬかと思うと、心は石を抱いたように重くなる。それでも、送り出さねばならんのだ。

「では…」

 何時までも尽きそうにはない、別れの時を闘牙が終らせるように声にした。側で冥加が目を赤くして、ぐすぐすと泣いている。

「闘牙様が奥方を娶られてのお国入りですじゃに、先触れも出せぬとは…。この冥加、先代様に申し訳が立ちませぬ」
「形式など要らぬ。必要なのは共に在りたいと言う、この想い。行くぞ、冥加!!」


 一言そう呼ばわって、闘牙は人型を解いた。五月の太陽に眩くその巨体を煌かし、その背に宝物のように玉藻を乗せ。疾風のように社の上空に舞い上がると、色々な想いを振り切るように光の箭となる。


 闘牙達の立ち去った空を、宝子は何時までも見上げていた。


【9へ続く】

TOPへ  作品目次へ


誤字などの報告や拍手の代りにv 励みになります(^^♪


Powered by FormMailer.