【 比翼連理 1 】



 ―――― 日は長くなりつつあるが、まだ風は身を切るように冷たい。


 朧たけた、薫り高い紅梅白梅がようやく綻び始めたこの頃、寒さは一段と増す。が、それも人間であればの話。
 その偉丈夫な男は豊かな銀髪を頭頂近く一つに結わえ、する事もなく人間の真似をして設えた己の居の濡れ縁で、不興を囲っていた。

 そこへ ――――

『じゅゅゅゅゅ〜〜〜〜〜 』

 すかさず、ぱ〜んっっ!! と ――――

「お、お館様ぁ〜〜〜」

 大きな手の下で紙のように叩き潰された、憐れな蚤妖怪。
 形(なり)は極小でも、その性(さが)故か、叩き潰されても捻り潰されても、死ぬ事がないのは、吸血族の端くれであるからか。
 量は僅かでも、吸った相手の妖力や生命力を糧として、不死性を持つ妖怪。

「…またお前か、冥加。それに俺は、お館ではない」
「何を仰せられます、闘牙様。一族の皆様方がこぞって、兄君の闘鬼様よりも長に相応しいと推しておられますのに」
「…【長】など、面倒なだけだ。やりたい奴にやらせろ」
「また、そのような事を仰る。この西国を平定されたのは他ならぬ、闘牙様では御座いませぬか」
「平定したつもりはない。俺の邪魔だったから、叩き伏せたまで。国など作った覚えもない」
「闘牙様〜」

 西国一、いや当世随一かも知れぬこの大妖は妖怪でありながら、ひどく鷹揚でかなり気紛れな性質をしていた。全ては気の向くまま、心のまま。
 時にそれは、目も覆いたくなる程の凄惨な地獄絵図を描く事もあるが、大抵はこの男が本気で動き出す前に、相手が平伏してしまうという図式が出来上がっていた。

 ちらりと、人間の貴族の庭を模して作らせた庭を一睨みし、また面白くもなさそうに己の腕に突っ伏せる。

「…何か、面白い事はないのか? 冥加」
「そ、そんな… 面白い事と申されましても…」
「退屈だ。退屈過ぎて、厭きておる」
「闘牙様…」
「…憂いのう」

 そう言うと、行き成り起き上がり、生来の豪快さも顕わに大きく伸びをし首をコキコキと鳴らす。 そして、また 溜息。

「ははぁぁ〜ん、そーゆー事で御座いますか。左様で御座いますな、もう 猫も鳴く季節で御座いますれば」
「猫? 俺は、狛(いぬ)だが」
「物の例えで御座いますよ。闘牙様、奥方をお迎えなされませv 一族の長ともなろうお方が何時までも独り身であられるのも、実は気になっておりましたし…。奥方を迎えられれば、そんな憂さなど消し飛んでしまいますわい」

 得々と話を進める冥加を、不意に不穏な気配が覆った。
 先程まで、長閑な事この上なしな風情を漂わせていた闘牙が、すっとその気配を潜ませ、険しい気を漂わせる。

「…期待を裏切って悪いがな、冥加。俺は妻を娶る気もなければ、子を持つつもりもない」
「闘牙様!!」

 気楽な、この極楽とんぼのような気ままな生活を続けたいと言う男の我侭とは異なり、その言葉には重い響きが含まれていた。
 冥加はそれを訝りながらも、ここでこの誇り高い妖犬族のましてや【長】の血を絶やす訳にはゆかぬと、小さな体に似合わぬ気概を込めて闘牙に詰め寄る。

「馬鹿な事を仰ってはなりませぬ、闘牙様! …確かに、先代の【長】の血脈を引いておられるのは闘牙様の他に、兄君・闘鬼様も御座りますが、あのお方は性格に難が御座います。それ故に、一族の重鎮方も兄君よりも闘牙様を推される訳ですし…」
「…………………」
「何よりも、この血故の【妖力−ちから−】では御座いませぬか! 綿々とその妖力を高め、伝えられてきたその尊き【血脈】を闘牙様の代で途絶えさせる訳には参りません!!」


 一瞬流れる、重く冷たい気。


「…冥加、お前 俺の血を如何思う?」
「は? 血、で御座いますか? 何を思うとは…、そう それはもう大変美味しいと…」

 ふっ、と闘牙の横顔に浮かんだものは、冷笑か遣り切れなさか。

「…美味い、か。そうか、ならば、他の奴等は如何だ?」
「他の…、ご一族の方々で御座いますか…」

 冥加は口を開きかけて、あわあわと口篭もる。

「…えっと、そう、その…、何と申しますか……」
「言葉を濁さずとも良い。不味いのだろう?」

 そう言い捨てた闘牙の皮肉にも聞こえる声。

「…は、まぁ、その……、はい」
「…多分に、俺の代まで、だ。もう既に、【キ】なる化け物が目覚めつつある。俺でさえ、この身を流れる妖力におぞける程に」
「闘牙様…」
「…妻を娶りたくともな、相手がおらんのだ。俺のこの血を押さえられる程の、妖力を持つ者がな。我が子が、【己の血】に内裡(うち)から喰らわれてゆくのは見たくない」
「………………」


【血の澱み】――――


 吸血族の冥加だからこそ、闘牙の言葉の意味は恐ろしい程に良く判った。

「…一族のお歴々方が、兄上を長の座から外されたのもそう言う訳であろう? 我が【狛】の一族は、ニ身をもって一対とす。」
「闘牙様…」
「己が何者であるかも判らぬ者が満ち、その使命も忘れ…」
「闘牙様、もう言いなさいますな」

 冥加が辛そうに、顔を背ける。
 この闘牙が妖怪として、【狛】として、偉大で勇猛な他の者の望む姿であればあるほどに、今の一族の中で異端となる。


 故に、一身。
 故に、独り。


 闘牙はぶるり、と身震いをすると人形(ひとがた)を解き、巨大で猛々しくも神々しい本来の姿に変化する。
 すい、と上空を透き通ったそれでいて燃え盛る焔のような赤い眸で睨み据え、一蹴にして天高く舞い上がる。

「闘牙様! 何処へ参られますっっ!!」

 冥加の声に答える事もなく、その巨体は東の空を目指した。


  * * * * * * * * * * * * * * * 


 朧梅が一輪、二輪綻び始めた境内を、上代の大陸風な巫女装束に身を包んだ美丈夫な大巫女と、その大巫女の妹巫女になる年若い月巫女・如月と弥生の二人が、今から執り行う祭事ごとに使う祭器を奉げ持って歩いていた。

 ふと、大巫女・宝子が西の空を仰ぎ見る。西の空の一角に、俄かに紫雲が立ち込め、時折金色の妖光が漏れ差す。

「…ふ…ん。この忙しい時に、やっかいな男が来たものだ」
「…お姉様?」
「弥生、お勤め中はお姉様なんて呼んではいけないの。大巫女様ですよ」

 月巫女の任に就いて間もない一番年下の弥生をすぐ上の姉である如月が嗜(たしな)める。

「お前達、祭器を祭場に奉じたら、文月と葉月に神酒の支度をして花渡り縁へまで持ってくるように私が言いつけたと伝えておくれ」

 そう言って、二人の妹巫女を先に行かせると、ますます近付いてくるその紫雲を困ったような、それでいてどこか楽しんでいるような表情で待ちうけた。
 紫雲は境内の上空で収束するとその中から、白銀の巨体を煌かせる一頭の大狛(いぬ)の姿を地上に降ろした。轟音と衝撃、吹き荒れる旋風。それらが全て納まった時、そこには闘牙の姿があった。

「…相変わらず、騒々しい奴だな闘牙。もう少し、静かに訪ねる事は出来んのか」
「相変わらずはお前もだな、宝子。その口の悪さはな」

 親しさ故の、軽口を互いにたたき合い。
 闘牙に取っては自分の領分でもあるだろう西国よりも、ここの方が数倍も気楽に過ごせた。

「すまんな、闘牙。私は今からお勤めがある。花渡りに神酒の用意をさせたから、暫らくそこで待っててくれ」
「ああ、俺は構わん。ここの酒は美味いからな」

 勝手知ったる風情で、悠然と広大な境内の南面へと歩みさる。その後姿を見ながら宝子は、闘牙がここに来た訳を考えていた。


 花渡りの縁は、その名の通り季節季節の花々が咲き移って行く様を楽しむ為に作られた座敷と庭であり、縁であった。闘牙の性格を知る宝子は、座敷に上げるような畏まった接待よりも、気楽で野趣味に溢れる縁での持て成しをするのが常だった。

 闘牙が花渡りの縁に来て見ると、もう既にこれも宝子の妹巫女で若干年嵩な二人が神酒の用意をして待っていた。

「すまんな、急に押しかけて。ここの酒は美味いし、咲く花はどれも見事だ。お前達も宝子に負けず、美しい」

 気安さからか、軽口を叩く闘牙を二人は澄ました顔でやり過ごし、その手に杯を持たせ神酒を注ぐ。

「…お前達、名はなんと言う? 名を知らぬでは、話し掛けにくい」

 文月と葉月は思わず顔を見合わせた。度々、ここを訪れては神酒を飲み上げて行くこの若き妖犬の男の酌の相手を務めるのは、もう数度。その度にこの男は、同じ事を聞く。同じ様な巫女装束の所為か、宝子を始めとする十三姉妹。姿・顔形が似ている所為か、見分けがつかないのか?

 ……いいや、男は当代一とも言われる狛の大妖。

 鼻の鋭さは何者にも勝るだろう。
 それが、この有り様。

 つまり…、最初から覚える気がないのだ。
 宝子を別とすれば、残りの十二人は全てひっくるめて宝子の妹巫女。それだけの存在であった。

 闘牙に取っては、【女】とはそう言うもの。
 
 自分の中に残る事も、残す事もしなかった。一夜を共にした女妖(おんな)も居たが、それも気紛れ。己の血を残す事を忌避している闘牙が、その女妖達をその後どうしたかはつまびらやかにはすまい。

 そう。ここで【玉藻】に出遭うまでは。

 まこと、ここの神酒は美味である。もともとが「倉稲魂命−うかのたまのみこと」が主神であれば、そこで採れた稲穂から作られた酒が美味なのは道理である。
 酒豪でもある闘牙の事だから、酒に呑まれる事は決してないが、それでも心地良く酔いたい時には、しばしばここを訪れていた。

 宝子の妹巫女達は、来るとあらかた呑み上げてしまうこのうわばみ男を冷ややかな目で見ていたが、どちらかと言うと男勝りな性格の宝子は良い飲み友達と認めて、嫌な顔一つせずもてなしていた。

 花渡りの庭も今は端境か、咲いてる花も数少なく、そこここに綻び始めた朧梅の、光を集めた蜜のような花弁が目に付くだけである。
 しかし、香りの高さは風雅にして高貴たるもの。凛とした冬の気と、清澄な光の中に香りの花が咲く。

「おい、お前達。俺は勝手に手酌でやるから、下がってていいぞ」

 その一声に、文月と葉月の二人の妹巫女はそそくさと席を立った。酔っ払いはしないが、それでも酒飲みの相手は気が進まないのは、神職に就いている巫女ならば仕方あるまい。酒場の酌婦ではないのだから。

 闘牙は巫女達が去り、ひっそりとした風情の庭を愛でながらゆっくりと杯を重ねた。鼻の利く狛(いぬ)なればこそ、花の香りの風に乗る様さえ、それは一幅の「図−え」になる。
 その「図」の中に、見事に調和して鮮やかな、しかし決して派手ではない美しい香りが忍び込む。闘牙が気を惹かれてそちらの方に視線を向けると、幾重にも重なる梅が枝の向こうにたった一輪咲いた白梅のような端正な女人の姿。
 祭事ごとに招かれた賓客なのか、懸け守りを身に付けた正装で咲き始めたばかりの梅の花を見ている。髪の色は氷を思わせる青銀で白絹のような滑らかな輝きを放ち、顔(かんばせ)は白磁のような透き通った肌をして瞳は深き金の色、小さな唇は何種類もの紅梅の赤を重ねたような趣のある色をしている。何より目を引くのが、額に頂く月の紋章。

 …いや、それらのものがなくともこの女人は、闘牙の心を捉えるのに充分過ぎるほど美しかった。

 一瞬、我を忘れて魅入ってしまった闘牙の視線に気付いたのか、梅が枝の向こうで女人は微かに口元に笑みを浮かべ、軽く会釈を送るとそれこそ風が香りを運び去るようにふっ、と消えた。

「…まるで、蝋梅の精のような女性(にょしょう)だな」

 微かに残る花の香りを楽しみつつ、闘牙は宝子が縁に現れるまでその女人の余韻を肴に、さらに杯を重ねた。



「すまぬな、闘牙。この時期は何かと忙しくてな」

 一仕事終えたらしい宝子が、手回し良く追加の神酒を用意して現れた。

「いや、構わん。ただの気晴らしだからな」
「気晴らし…か。何かあったのか?」
「なに、下らん事だ。冥加の奴が、妻(さい)を貰えと五月蝿くてな」

 ああ、やはりそんな事があったのだな、と宝子は得心する。

「貰えばいいではないか。いい年をした男がいつまでも独り身でいるのは、むさくて敵わん。そうすれば、ここも少しは静かになる」

 そう言い捨てた宝子にちらりと視線を走らせ、悪戯気に言葉を続ける。

「そうか。嫁に来るか、宝子。お前となら楽しく暮らせそうだ」

 飲みかけていた神酒を吹き出しそうになって、思わずむせる宝子。

「な、何を言う! 私は大巫女ぞ!! からかう相手が違おう!」
「そうか? お前は美人だし、酒の飲みっぷりも良いし、俺は気に入っているのだが」
「お前のような暴れん坊。押さえておく自信はないわ」

 話題を変えようと、庭に目をやり言葉を続ける。

「…少し花の時期には早かったな。もう一旬後なれば、ここも見事に咲き誇るのだが」
「いや賓客だろうと思うが、先ほど見事な【華】を見せてもらった。あれは、さぞかし名のある姫君と見たが…、いや、或いは……」
「…華? さて、誰であろう…? 先ほどの祭事の賓客は皆、それなりの年を召した方ばかりであったが」
「ふむ、ではやはりあれは囚われ人か。懸け守りのように見えたが、【封印】と見たのは間違いなかったか」

 軽くあごに手をかけ、その女人の佇んでいた蝋梅の木に視線を向ける闘牙。その様を見て、宝子がほろりと言葉を零す。

「封印? ああ、その方ならば宇迦の神である我が父上の預かりし姫君の事であろう。滅多に外には出ぬお方だが」
「何か、曰くがあるのか?」

 そう会話を続けながらも、二人の手は盛んに杯を酌み交わしている。互いを信頼しあった、隠し事をしようと言う気にもならない程、通じ合った二人である。
 これで色恋沙汰にならないのが不思議で、またこの二人らしくもある。その宝子が、ふと口ごもりそれから闘牙の顔を改めて見直し、何を思ったのか普段ならば他言せぬであろう事柄を口にした。

「…あの姫は、九尾狐族の最後の一人だ。もともと女系の一族であったが、他と交わる事を良しとしなかった為、系統を継ぐ男子に恵まれずあの姫の父を最後に、とうとう女妖ばかりの一族になってしまった」
「ふ…ん」
「そうなるに至って初めて、他から胤(たね)を貰い受ける事にしたのだが、【血】の濃さは妖力の【強さ】。神狐族と並ぶ程の力の強さを持つ一族だけに、そこまで高められた妖力に、悉(ことごと)く男の方が負けるのよ」
「女の方で子が増やせぬなら、最後に残った男が頑張れば良いだけではないか。そう、宝子。お前の親父殿のようにな」
「それを言うな、闘牙! 妹達はそれを気にしておる。まぁ、相性もあるのだろうがいろいろ手を尽くして、あちらこちらの姫君と娶(わせ)てみたそうだが、上手く行かなくてな」
「そうは言うが、あの姫の母者が居るのだろう? ならば、問題はないではないか」
 
 ふうぅぅ、と宝子は大きく溜息をついた。そして、一段と声を潜めた。

「…そこが、問題なのだ。実はあの姫、実姉を母に、実弟を父に生まれた姫なのだ」

 あまり物事に動じない闘牙が、僅かに眉根を寄せた。妖怪であるから、人界の倫理は何ほどでもない。それでも、生物としての禁忌はある。


 それが、これ【近親相姦】の罪であった。


「…そうか、それは【業】だな」
「ああ、あの姫の罪ではないのだが、その為にあの姫はあのようなか弱き女の身でありながら、極限までに高められた一族の妖力の全てを、受け継がされている。その為、我が父が封印を施したのだ」

 その話は、どこか闘牙の身にもつまされる話であった。




 ―――― 【玉藻姫】

 それがあの女人の名であった。本当の名もあるのだろうが、一族最後の一人にして最強の女妖。
 その名は、代々一族中の最強の者に与えられる称号のようなもの。今更、本当の名を呼ぶ者はいない。

 高められた妖力に反し、その肉体は脆く果敢無くなっていく。言わば華奢な陶器に、溢れんばかりの金銀財宝を無理矢理積め込むようなもので、それにどれだけの価値があろうと、結局は限界を超えて壊れてゆくのだ。

 姫の父母が、一族で最後に子を成した二人であった。
 それが実の姉弟であっても。
 もう、他の一族の者は死に絶えていた。


 【二人】しか、居なかった。


 そこに至るまでに、中には一族最強の力を持ちながら、禍を振り撒き封じられた者もいた。
 しかし多くの者は精神の高潔さを保ちながら、迫り来る運命を受け入れてゆく。
 妖(あやかし)は時を重ねる事でも、その力を強大にしてゆく。その妖力と肉体の均衡が崩れた時、その身は一瞬にして消え去るのだ。

 姫の父は姫が生まれる前に、姫の母は姫を産み落とすと同時に身罷った。姫の母は生まれてくる子供の事を思い、宝子の父である現倉稲命・吉宝に助けを乞うたのだ。
 宝子の父・吉宝は姫が生れ落ちると同時に、懸け守りに込めた【呪】でその妖力を封印した。少なくとも、この呪が効力を発している間は姫の身は安泰なのである。

 そして、妖力の全てを封じられた姫は、【隠された存在】としてひっそりと、この社の片隅で生きて来た。


「…そうか、ここには良く足を運んでいたが、そんな姫君が居たとは知らなかったな」
「ああ、あの姫君が外に出る事そのものが珍しいし、そこにお前が来合わせたのもなにかの巡り会わせだろう」
「ふ…ん、徒花(あだばな)同士、か?」
「闘牙…」

 自嘲気味に吐き出された闘牙の言葉に、宝子の言葉が詰まる。

「…今は、全てが変わりつつある。神意を持ってあった存在が堕ちて行く時代だ。お前達だけではない」
「ほぅ。その口ぶりだと、まだ何かありそうだな」
 
 酒を飲む手を止め、上目遣いに宝子の表情を伺う。
 ここまで腹を割った仲だ。隠し立てするつもりもなかった。

「ちょっと、東の要が、な…」
「東、か。確か、代替わりしたばかりだったな」
「ああ…、今はまだはっきりそうだとは言えぬが、厄介な事に私のこの手の【勘】は良く当たる」

 神酒を奉げる酒器からではまどろっこしくなったのか、宝子は酒蔵から菰(こも)樽を運ばせ、手酌どころか二人とも柄杓で直に汲んでは飲み上げている。甚だ行儀の悪い事ではあるが、それだけ気の置けない二人であった。

「さて…、少しは気が晴れた。そろそろ、腰を上げるか」
「おお、もう帰るのか」
「ああ、これ以上飲むと、お前の妹巫女たちに睨み殺されそうだ」
「うむ、そう言えば大分飲んだな」

 二人の周りには、空になった酒樽が五・六個転がっている。
 この二人ならば、ヤマタノオロチとでも呑み比べをしそうだ。

「…お前が男なら吉宝殿も、さぞ安泰だったろうな」
「どこも何かの種は抱えている、と言う事だ。我らもまた、系統には恵まれてはおらぬ」
「だから頑張っている訳だな、吉宝殿は。あの元気さだ、いずれ系統男子にも恵まれよう」

 ふっ、と宝子の顔に浮かぶ冷笑。

「…いずれ、我らは消え行くものどもなのかも知れぬな」
「それを、お前が言うのか?」
「…【ヒト】の心に接する私だからこそ、だ」

 剛毅な宝子らしからぬ、陰を含んだ声。


 どれだけ飲んでも、その身に負う任の重さに酔えぬ二人でもあった。


 * * * * * * * * * * * * * * *


 解決にはならぬとしても、腹を割って話せる相手に話すだけでもいくらかは救いだと思う。闘牙に取っては、宝子はまさしくそういう存在であった。異性間での友情が成り立つ例は稀ではあるが、それだけに大事にしたい相手でもあった。

 宝子の社を後にし、さて戻るとしようと考えて冥加の顔が浮かんだ。

「うむ…、冥加、か」

 今はまだ、あまり見たくない顔だと気が萎える。ふと、しばらく顔を見てなかった北の館に住む妹の冴(さき)の事を思い出した。
 かなり以前、二人の母である女妖が身罷ってからは、一人で数人の侍女と共に暮らしている。

 先代の長には二人の妻(さい)がいた。一人は一族の中でも有力な血筋の従姉妹の姫。
 もう一人は闘牙・冴兄妹の母になる、妖犬族の中でも長の血筋とは遠い影の薄い家柄の娘であった。
 なぜ先代の長がそんな家の娘を妻に迎えたか、闘牙には薄々判っている。先代の長は、異母兄・闘鬼の血の澱み故の【性-さが-】を誰よりも熟知していた。


 少しでも、この濃くなりすぎた【血】をさらさらと流れるものに変えたいとの思いから。


 それは、闘牙においては良い形で顕われた。しかし、妹・冴姫には一族全体が負っている業のような形で、澱みは顕われた。
 そう、あの宝子の社で見かけた女人と同じく、冴姫も己の身に蔵する妖力に喰われてゆく姫であった。

 あの庭で見かけた女人・玉藻姫と妹・冴姫。
 似ていると思い、久しぶりに顔を見たいと思った。

「…元気にしているだろうか、冴」

 誰言うともなく声に出し、闘牙を包んでいた妖雲は少し方向を変えた。

 北の館はその昔、稀なる占術の力を持ってクニを治めていた古代の女王と、その女王に仕える八人の媛巫女が住んでいた楼閣の址に建てられていた。
 それはまだヒトが天地の理に深い畏敬の念を抱き、その意思に従っていた時代。ヒトがヒト以外のモノの声を聞く事が出来た時代。
 その頃、【ヒト】と【狛-いぬ-】は手を携えてクニをヒトをその日々の暮らしを守っていた。


 今はもう、遥か遠い時代の話 ――――


「お兄様!」

 館の渡り縁から空を見上げ、唐衣を纏った冴がか細い手を振る。
 妖雲から人形(じんけい)を取って野趣味に溢れる庭に降り立つ。

「冴、久しぶりだな」

 急な訪れなのに、唐衣を纏って出迎えた所を見ると…

「…知らせたのは、宝子か? 冥加か?」
「冥加ですわ、お兄様。お兄様を怒らせてしまったと、うろたえておりました」
「それでお前に取り成してくれと、泣きついた訳か?」
「意地悪を言うものではありませんわ、冥加は冥加なりに一族の事を思っての事…」

 闘牙は庭から縁に上がり、奥座敷へと歩を進める。その後につき従いながら、冴が言葉を続ける。奥座敷の、いつも冴が使っている部屋へと足を踏み入れ、付いて来た妹の方へ視線を投げた。

「…冴、そんな堅苦しいものはさっさと脱げ。無理をして起きていたのだろう」

 そう言うなり、大きく手を叩き館付きの侍女を呼ぶ。呼ばれた侍女は、闘牙の命で冴姫の装束を軽装のものに改めさせ、床に休ませる。

「…わたくしがこんな体でさえなければ、冥加にあんな心配はさせぬものですのに。いえ、わたくしがお兄様の同母妹でさえなければ ――― 」

 常に熱を帯びているその身を、体調の悪さからではない【熱】で薄紅く染め、消え入りそうにそう言葉を零す。

「冴 ――」

 そう語りかけた闘牙の声には、静かな、しかしどこか何者も寄せ付けぬ響きがあった。

「お前は、俺の【妹】だ。例えお前が健康な体を持っていたとしても、異母妹であったとしても、俺にとっては大事な大事な妹だ。それ以外のものでは有り得ない」
「お兄様……」

 熱っぽく潤んだ瞳で闘牙を見詰めると、その身を羞恥で紅く染め、床に伏す。

( これが、血の【澱み】か ――― )


 そして、あの姫の母も自分の実の弟を、こんな眼差しで見詰めたのだろうかと思うと、心は冷え遣り切れなくなってくるのだった。


 血は広く拡散させねばならない。
 もし、この血が禍でしかないのなら……


 ただもう 消えて行くのみ ――――




【2へ続く】

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