【 ひかりさく −比翼連理外伝2− 】
―――― 目の前を、おもうさま(御父様)がまるで紐に繋がれた犬のように、うろうろしてらっしゃる。
対屋のおたあさま(御母様)の部屋の前。
幾重にも几帳を張り巡らし、衝立を立て。
その間を、おたあさま付きの女房や産婆や乳母が忙しそうに出たり入ったりしている。
「一よ、一の姫。もう随分長く掛かっているようだが、大丈夫であろうか? お前の母は…」
私の父君である、武内某(たけのうちなにがし)はその昔は、宮中にて大臣(おおおみ)まで勤めた家柄の裔であるが、今は官位を頂き岩清水の神職を務める。神職と言っても、実際の神事を執り行う神官ではなく、いわば神社の保護者のような立場。
宮中内の政争と無縁の、穏やかな日々はこの優しいがどこか頼りない父君には似合いだと、幼いながらも異常に聡い一の姫は見ていた。
この父君は、また大変愛妻家でもあった。
一の姫の母が某に嫁いだのが数え年十三の時。母姫が十の折に見初め、時を待って迎えた珠玉の花嫁。それから間もなく一の姫が生まれ、次は嫡男をと望んで、早五年。それはまた、某の妻に対する濃やか過ぎる情ゆえに、なかなかお子が授からぬのだろうと言う日々の果ての、今日であった。
「おもあさま、しっかりなさって! おたあさまも頑張っておりまする」
「ああ、一よ。お前はほんにしっかり者じゃ。私はあのように苦しそうな声を聞くと、もうどうしようも堪らぬほどに震えがくるのじゃ」
「わたくしがついております! 大丈夫!!」
おろおろと落ち着かぬおもうさまを励まし、私は瞳をおたあさまの部屋と向けた。
今、ここで ―――
私のきょうだいが生まれようとしている。
この子は……
何か、大きな『運命−さだめ』を持った子 ―――
私には、生まれてくるその前から、そんな予感がしていた。
私の中に流れる、遥か昔の祖霊の「霊力」が教えるのか、それは確信に満ちて。今までにも何度か宣託めいた事を知らせ、それはどれも現実の事となった。
「…一が男であれば、この家も安泰であったろうな。時折お前のように、祖霊の力を発現できる者が生まれ出るからの。勿体無い事じゃ」
おもうさまが私を見つめ、まじまじとそう呟かれた。それは、私自身が思っている。
なぜに、『姫』などに生まれついたのか?
外で身軽に駆け回る舎人の子らを羨ましく思って見ている自分がいる。どうにもこの『姫』という女童の身体が借り物めいて、意にそぐわない。
「…のう、一よ。今度生まれ出る子は、若じゃろうか? 姫じゃろうか?」
何か話してないと不安で仕方がないのだろう。
男であれ、女であれ、今はどうでも良い事を埒もなく口の上らせる。
今 心に思う事は、おたあさまと生まれてくる子の無事、それだけ。
…しかし、確かに少し時間がかかり過ぎか?
昼前から産屋に入ったと言うに、もう陽が暮れようとしている。
( …大丈夫。安心して生まれておいで。この私がお前を護ってあげよう )
早春の宵の風は冷たさだけではなく、何か『新たな』ものを含んで一の姫の髪を撫で上げて行った。
* * * * * * * * * * * * * *
そろそろ日も暮れようかという時分。
春告花の咲く頃は、また一段と冷え込むものだが、その冷たさもやがて来る春の暖かさを忍ばせて、どこか明るさを感じさせる。
かつての荒廃した様子を微塵にも感じさせずに、その庭はあった、良く手入れをされたその庭の主は、西国にその者ありと知られた大妖であった。
白銀の髪は今の季節の風を思わせ、豪胆な風貌はこれから廻り来る季節を思わせる。
庭の片隅に歩を進め、一本の梅の木に手を伸ばす。
神木と言って良いほどに歳経た、蝋梅の木。
春を先んじて、その蕾を綻ばせる。
懇意にしている大社の大巫女より譲られた思い出の木。
ここに根付かせてから幾星霜。
決して枯れた訳では無いのに、今まで花を咲かせようとはしなかった。その蝋梅の枝に、一輪の蕾。
「父上、枯れた木など見て、面白いのか?」
その大妖に、怖れる事なく声をかけてきた者。
良く似た白銀の髪、黄金の眸。
頬を彩る妖線も。
異なるのは額に頂く、月の紋章。
「…殺生丸か。お前には、これは枯れた木に見えるか」
「一度も花をつけた所を見た事がありませぬ故」
「そうだな、これはお前の木でもないからな」
「…?」
そう言うと、闘牙王は眸を空へと向けた。
いよいよ日は暮れて、月が上ろうとしている。
「…ようやく、時 至りたか」
蝋梅の枝が小さく震えた。
* * * * * * * * * * * * * *
産屋を光が包んだ。
それは、ためらいがちな月がようやく空に上った頃の事。
後を追うように、可愛らしい赤子の泣き声が続く。
「う、産まれた!」
武内某は、姉姫の手を握り締めそう叫ぶ。
一の姫はその手を引いて、産屋に入って行った。
産まれたばかりの赤子を取り巻く、姫の母の疲れは見えるが嬉しそうな顔と、喜ばしそうな顔。
「わ、若か? 産まれたのは、嫡男か?」
そう、問うのは某(なにがし)。
「若ではありませぬが、それはもう美しい姫にございますよ。殿」
乳母やが母の胸から姫を預かり、某に見せる。
産まれたばかりの赤子でありながら、この美しさはどうであろう!!
「一の姫様の聡明な美しさ、二の姫様の全てを魅了せんこの美しさ。成長の暁には、素晴らしい婿殿を選び放題。お家は安泰にございます」
この時代、家は女が継ぐもの。男は宮中での官位を継ぐ。家柄も良く、見目麗しい姫であれば、宮中に上がる事も有り得よう。乳母やの言った『婿殿』にどの辺りまでの殿方を含んで居るのかは…。
( …気の早い話。それに、必ずしも縁付く訳でもなかろうに )
…およそ、僅か五歳の姫の思考とも思えぬほどに大人びているのは、この姫もまた只者ではないからだった。
( ん? 二の姫の額…、これはアザか? なにやら月の形のようだが… )
その紋章(かたち)は月の光の加減だったのか、一の姫の見ている前で薄くなり、やがて消えてしまった。
「おお、そうじゃ。そうじゃ。早速、姫に名をつけてやらねばな」
名を付けお披露目の暁には、都中の評判になるだろうこの姫は。
一目見れば、その変わる事のない美しさに惹き付けられてしまう。
そう、天空の月が夜毎その姿を変えても、美しさが変わらぬように。
「月…」
そんな思いがあったのか、一の姫の口から零れた言葉。
「うん、月、か? 一の姫」
聞き留めた某は、ふと夜空を振り仰いだ。
空には出る事を躊躇ったような、十六夜の月。
「うむ、月、十六夜か。よし、この姫の名は『十六夜』じゃ。早速、宮中に伝令を走らせねばな」
一の姫もまた、十六夜の月を仰ぐ。
その空の向こうにあるものを、見つめるように。
* * * * * * * * * * * * * *
誰も居なくなった妖の庭に、月の光が差し込む。
花が咲くにはまだ早い、春の庭。
闘牙王が見ていた蝋梅に、一条の月の光。
その光の中で、小さな小さな音を立てて咲く一輪の花。
――― 二百年ぶりに咲いた、光の花であった。
【完】
【 あとがき 】
まぁ、あれこれ書くまでも無いような気がしますね。
もう、読まれた内容そのまんまです、はい^^;
そうなんです、玉藻さん=十六夜さんv
なのでこの「比翼連理」の連載当初はタイトルを( 闘牙王×殺母(十六夜)編 )と表記していたのです。「比翼連理」ってタイトルそのものが、中の良い夫婦を表す言葉ですし…。心惹かれる存在は、何時でも変わらないのです。時間がどれ程流れようとも、求める物は『その存在』。
犬君もそうです。桔梗に惹かれ、その生まれ変わりであるかごめに惹かれる。親子良く似ているんですv
殺生丸もやがて、そんな『存在』に出遭う事になるのです。
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