【 至上の愛 】






 ――――― 光が貫く。

 
 全てのものが、あるべき姿に。

 
 砕け散り、光の奔流となった四魂の珠は全てのものを浄化し、本来の『容器(いれもの)』であった翠子とそれを取り巻く諸々の妖怪どもまで浄化しつくし、消滅していった。

 もうこの世に四魂の珠は、存在しない。

 

 ――――― 全てのものは、あるべき『場所』へ。

 

 

      【  至 上 の 愛  】

 

 
 目の前で起こった事実を、犬夜叉はまだ受け入れる事が出来なかった。

 奈落との最終決戦。

 かごめと桔梗が発動させた『四魂の力』は、ありとあらゆる力を飲み込み、それを浄化せしめる力へと、いや『あるべきものをあるべき姿へと』導いた。

 
 聖なる光の中で ――――

 
 影も形もなく焼け尽くされた有象無象。
 ほんの一握りの土塊(つちくれ)になってしまった、桔梗と奈落。

 
 そして ――――

 
 光の中に融けていった、かごめ。

 

「……い、一体、どう言う事なんだっっ!! これはっ!!!」

 

 足元に屈み込み、土塊をその手に掬い上げた弥勒が掠れた声で呟いた。

 

「……全てが終わった、と言う事ですよ。犬夜叉」
「終わった? 何が終わったってんだ!!」

 
「……長きに渡る、この四魂の珠を巡る因果がです」

 
 弥勒の右手には、澄んだ光の玉響(たまゆら)が今にも昇天しつつあり、左手には、慈しむような優しさを感じる光が右手の光に寄り添おうとしていた。

 
「犬夜叉、この光。一体、なんだか判りますか?」

 弥勒の問いかけに、首を横に振る犬夜叉。

 
「……桔梗様と、奈落…、いや鬼蜘蛛の魂ですよ」
「 ―――――― !!!!」

「桔梗様の魂は、お前と共に闘い本懐を遂げられた。過去の過ちをそのような形で雪(そそ)がれ、今はただ道を踏み外した鬼蜘蛛を思う、その慈しみしか残ってはおらぬ」
「き、桔梗、が……?」

 静かに弥勒が肯定する。

「……鬼蜘蛛も『人』としての死を迎え、ようやく安らぎを得る事が出来た。桔梗様が導き手となられ、もうこの世に未練もなかろう」

 弥勒の手から零れる土が、一つの小さな山を作る。

「……やがてこの土の上にも、名もなき草花が芽生える事だろう。それもまた、命の輪廻」
「弥勒…、かごめ、は? かごめは一体どうしたんだっっ!!!」

 詰め寄る犬夜叉を痛ましげな瞳で見据え、開きかけた唇は言葉を形作る事を躊躇っている。

「おいっっ!! はっきり言えよっっ!! かごめは、かごめはどうなったんだ!!!!」

「……かごめ様は、還られたのだ」

 重々しく、それだけを口にする。


「…還る? 帰る……? じゃ、井戸を通れば、また逢えるんだな?」

 犬夜叉の言葉に首を横に振り、絞り出す様に弥勒は言葉を繋いだ。

「おそらく、あの井戸は使えまい。かごめ様は、光の中に還ってゆかれたのだ。四魂の珠もない。この時代とかごめ様の時代を繋ぐものは何もない」
「み…みろ……く……」

 弥勒の襟首を縊り殺しそうな勢いで締め上げ、唸るような声を零す。

「あの光は、『御光』であろう。四魂の珠の消滅とともに、かごめ様をご自分の時代へと送られる為の」
「くっっ…!!」
「犬夜叉……」


 ……犬夜叉の手から力が抜け、弥勒は開放された。

「犬夜叉……」
「…か、か…ごめ。かごめっっ ―――― !!!!!」

  犬夜叉の絶叫が、辺り一面に谺(こだま)する。

 

 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
 

 

( う、う〜ん。誰か、呼んだ? )

 
 深い、深い海底の底から、ゆっくりと浮かび上がる様に意識が覚醒してゆく。

 
 ――――― 犬…夜叉……?

 
 ぽっかりと、心に浮かんだ名はそれだった。
 こんな時、覚えている感覚は井戸の底の冷たい土の感触。

 
 しかし ―――――

 
( あ…れ? 柔らかくて、温かい……? これ、お布団の感触? )

 
 そう気付くと同時に、瞼の裏に眩しい朝日の光が差し込んで来る。
 耳には目覚まし時計のアラーム。階下の台所から聞こえる生活の音。
 がばっと、跳ね起き周りを見回す。

 そこは見慣れた、自分の部屋。

「……? 私、いつの間にここに帰って来たのかしら?」

 
『時』の流れの不可解さに、頭を傾げながらかごめは台所へと降りていった。

「あら、おはよう。かごめ」
「ん〜、おはよう、ママ。ねぇ、私 いつの間に家に帰って来たのかしら?」
「 ――― ? いつの間にって、昨日ちゃんと学校から帰って来て、それからずっと家にいたじゃない。変な子ね、寝惚けてるの?」
「学校? 違うわ、ママ。私、向こうに行ってたじゃない!」

 朝食の支度の手を止めて、ママが不思議そうな顔で見ている。
 いや、ママだけじゃない。
 おじーちゃんも、草太も。

「……かごめ、『向こう』とはどこの事じゃ?」

 お茶を飲みながら、朝刊を読んでいたおじーちゃんがそう尋ねる。


「……やだ、おじーちゃん。向こうって行ったら戦国時代に決まってるじゃないの」

 三人の視線が一斉に、怪訝な色に染まる。


「……やだなぁ、ねーちゃん。やっぱり寝惚けてるよ」
「かごめ、受験勉強もいいけど、夢の中まで歴史の勉強をする事はないのよ」
「あまり根を詰めるでないぞ、かごめ」


 背筋に冷や水をかけられたような気がした。

 夢 ―――― ?
 今までの事が、全て夢?

 まさかっっ!!!


「……もう、皆で私を担(かつ)ごうとしてるんでしょ? ねぇ、草太。あんた、犬夜叉なら知ってるでしょ?」
「……犬夜叉? 誰、それ? ゲームのキャラクター?」

 足元が崩れてゆく。

 私は慌てて、骨食いの井戸へと走った。
 祠の格子戸を開けて、愕然とする。
 井戸にはきちんと蓋がかけられ、蓋と井筒との間にはもう何百年もたったような封印の護符が張られていた。
 
 そう、もう何百年もの間、開けられた事のないことを証明するかのように。

 
「…う、嘘、でしょう? あれ…が、皆 夢……?」

 

 いや ―― っっ!!! 犬夜叉、犬夜叉 ―――― !!!!

 

 悪夢だった。

 まるで自分が自分ではないような感覚で学校に行ってみると、欠席していた筈の授業の内容は全て頭に入っており、念の為に絵里達に聞いてみても長期欠席どころか皆勤賞ものらしい。

 

 ―――― この世界であの時代の事を、犬夜叉の事を知っているのは、私だけ。

 この確かな想いも、今は記憶の中だけ。
 犬夜叉に繋がるものは何もなく、誰にも話せず、只々この想いだけ。

 満たされた中の、孤独。

 私は、一人 ―――――

 


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 

 やがて時は経ち、時は往き過ぎ ――――

 
 その間、私は『この想い』を胸に秘め続け、時折私に注がれる優しい瞳には気付かないふりをし続けて来た。

 草太が大学を卒業した。
 跡を取り、結婚もした。
 おじーちゃんは、ひいおじーちゃんになった。

 私の周りで確実に時が流れてゆき、知っていた筈のものが変わってゆく。

 私は大学を卒業した後、大学院に進み今だに勉強を続けている。
 せめて自分の『時間』だけはあの時のまま、留めておきたくて。
 それでもいつしか私は、『日暮先生』と呼ばれるような者になっていた。

 変わらないのは、私を見つめ続けるあの人の瞳だけ。
 そう、もう中学時代からずっと。

 

 ―――― あれから、二十年。

 
 
 ……夢ダッタノカモシレナイ。

 
 記憶の中の姿は今でも鮮明で、でも……

 遠すぎる。

 

 ずっと、ずっと孤独(ひとり)だったから、変わらないものが欲しかったのかもしれない。

 それは、『あの人』も自分の想いも傷つける事だとしても。

 

「……日暮、君が他の誰かをずっと想っているのは知っている。だから、僕の方を向いてくれとは言わない。ただ、君の側に居る事を許して貰えないだろうか?」
「北条君……」
「まだ、役不足だろうか?」

 あの頃よりずっと男っぽくなって、だけど私を見る瞳の色は変わらない。
 私だけを見ていてくれた、その瞳。
 私が、胸の中の犬夜叉を見つめていたのと同じに。

 記憶の中の犬夜叉は、抱きしめる事が出来なくて……

 

 ―――― 私は、北条君の手を取った。

 

 

 

 

 穏やかに『時』が流れる。

 
 神社の境内一隅に、新居を構え ―――― 

 

 私達の間に生まれた新しい命には、『美冴』と名づけた。
 密かに私が込めた想いを、北条君は知っていたかも知れない。
 このまま時が果てれば、あれは十五歳の少女だった私が見た、『犬夜叉』と言う美しい夢になるのだろう。

 
 そう、夢に ――――

 

 

 

 そして、ある日。

 
 広い境内の片隅。

 

 一本の御神木。

 

 いつの間にか、それを見上げる事が私の習慣になってしまっていた。
 その私の目の前に飛びこんで来た、鮮やかな赤。

 
 光を弾く、金と白銀。

 そして、そして ―――――

 

 

「かごめっっっ ―――― !!!!!」

 ……ずっと、ずっと、ずっと聞きたかった、この声!

「…い、いぬ…や…しゃ? 犬夜叉っっ!!!」

  一挙に『時』が遡る。
 あの頃の私に!

「犬夜叉、犬夜叉、犬夜叉 ―――― 」

 他に何も言えなくて。
 胸にしまい込んで、叫ぶ事の出来なくなったこの名を繰り返し。

「……すまねぇ、かごめ。迎えに来るのがこんなにも遅くなっちまって――――」

 犬夜叉の言葉に、改めてその姿を瞳に焼き付ける。
 少し、大人っぽくなったかしら?

 体中、傷だらけのように見えるのは?

 
 それより、どうやってここへ ―――― ?

 
 私の疑問に気付いたのだろう。
 犬夜叉が口を開く。

 
「……あの後、骨食いの井戸は閉じちまった。いや、本当の事を言えば『元』に戻った、って言うんだろうな」
「…『元』に?」
「ああ、もともとあの井戸は何処に繋がってるか判らねぇ、得体の知れねぇ井戸だ。だから、捜した」
「捜した…?」
「……あの井戸を通って、色んな所へ。そして、見つけた」
「あっ…!」

 ……それが、どれほど危険な事か。

『まともな』世界に繋がっていれば、まだ良い。
 亜空間だったり、まだこの地球(ほし)が出来たばかりの始源の時代だったり、あるいは ――――

 それを承知で、私に逢える事だけを信じて、自分の事なんて全然顧みないで……。
 無茶で、無鉄砲で、バカ……

「犬夜叉っっ!!」
「かごめ、かごめっっ!!!」

 犬夜叉の胸に飛び込む。
 しっかり抱きしめられて。


 ―――― 『時空(とき)』を越えて、めぐり逢う二つの魂。

 

 

    ――――― 見つめて 心の奥をその瞳で

          感じて 熱い想いをその体で ―――――

 

 

 

 ああ〜ん、ああ〜んん。

 ベビーベッドで大人しく眠っていた美冴が、突然火が付いたように泣き出した。
 明日の講義の為、資料を揃えていた僕は手を止め、美冴を抱き上げる。

 
「よしよし、ん〜オムツは大丈夫だね。おなかが空いたのかな? ママ、捜しに行こうか?」

 泣いてぐずる美冴をあやしながら、表へ出る。
 かごめは時間があると、よくあの御神木の所に居る。

 多分、今も。

 

 

 ――――― 良かった。

 
 ちゃんと覚えてる。
 この温かさも、この匂いも。

 

 夢じゃなかったんだ。

 

 

 かごめの耳に、だんだん近付いてくる赤子の泣き声。
 その声で、はっと我に返る。
 咄嗟に身を離し、その場で硬直する。

 

「どうしたんだ、かごめ?」
「あ…、わ、私……」

 改めて、あの頃と殆ど変わらない犬夜叉の姿を見、そして『現在』の自分を思う。
 そして、そこへ ―――――

「ママー、美冴が泣いて仕方がないんだけど ―――― 」

 美冴を抱いて ――――

「か…ごめ?」
「私…、私、もう 犬夜叉には相応しくない」
「かごめ?」

 すうっっ、と深呼吸して今生の思いで事実を告げる。

「……私、ね。結婚、したの。赤ちゃんもいるわ。犬夜叉以外の男(ひと)の手を、取ってしまった」
「かごめ……」

 泣きたいのに浮かべる笑顔は、どんな顔になるのかしら。
 ああ、美冴が泣いている。

 

「ああ、ママ。やっぱりここに ―――― 」

 言いかけた言葉が、途中で途切れる。
 ママ、いや、かごめ…、日暮の影に居るあれは……。

 時代掛かったいでたち。
 『人』ならぬその姿。

 いつか、その日が来るかも知れないと覚悟もし、来なければいいのにと願いもした。


 あれが、日暮の…、待ち人。

 
 一際、美冴の泣き声が大きくなる。
 操り人形のように、日暮が僕の手から美冴を抱き取った。

 
「……構わねぇ。かごめはかごめだ!! 他の何者でもねぇっっ!!! 俺の…、かごめ、だ」

 
 『彼』の言葉に、日暮の瞳から大粒の涙が溢れて来る。
 僕はその涙を、美しいと思った。
 どこかで、僕の心が凍り付いてゆく。

 
「…犬夜叉……、北条君…」

「…彼が、日暮の待ち人、なんだろ? 僕が引き止めても、君は行くんだろう?」

「…いい、の? 北条君。許して…、くれるの?」

「君の心に、僕ではない誰かが棲んでいたのは知っているから。それでも、僕はいいと思ったから……」


『彼』が、腕を広げ日暮を迎えようとする。
 日暮が、夢遊病者のようにおぼつかない足取りで、一歩一歩彼に近付いて行く。

 僕は、意を決して最後の願いを告げた。

「だけど!! だけど…、美冴だけは置いて行ってくれっっ!! 僕が、日暮と暮らした日々の形見に、美冴だけは……」

 日暮の瞳が驚きで、見開かれる。
 僕は改めて、彼の様子をまじまじと見詰める。

 
「……君達が、これからどこへ行くか僕は知らない。でも、きっと尋常ならない世界なんだろう? そんな所へは、娘はやれない」

 きっぱりと、そう言い切る。

「……僕の、最初で最後のわがままだ。美冴はやれない!!」

 日暮は、腕の中の我が子を見詰めた。
 美冴は、母親の腕の中で安心したのか先ほどまでの大泣きが嘘のようだ。

 

 凍りついたような時間が流れ ―――――

 

「……ごめんね、美冴」

 一声そう呟いて、日暮は僕の手に美冴を託した。

「ありがとう、北条君。私、幸せだったよ」

 

 それが、僕の見た日暮の最後の笑顔。
 彼は何も言わず深々と頭を下げ、僕の前から日暮を掻っ攫っていった。

 

 

 

 ああ〜ん、ああ〜んん。

 

 美冴が泣く。
 母親が行ってしまったのが判るのだろうか?

 
「よしよし、もうママの子守唄はないけれど、代りにパパが歌ってやるからな」

 
 いつか。

 美冴。お前が大きくなったらきっとお前は、ママの事を尋ねる日がくるだろう。
 そうしたら、話して聞かせてやろう。

 君のママがどんなに素敵な女性(ひと)だったか。

 僕の愛した女(ひと)が、どんなに素晴らしい人だったか。

 

 

   ―――― 季節がめぐりゆけば 心も変わってゆく

        それでも この手の愛は信じよう

        あなたと 愛すべき人達のために

        歌って聞かせたい 心の歌を ―――――

 

( 日暮…… )

 

   ―――― 君が 好きさ………

 

 

 

 あの頃のように ―――――

 
 背中にかごめの温かい重み。
 『井戸』に飛び込み、時空を翔ける。

 
 どこへ着くか、俺にも判らねぇ。
 でも、今は一人じゃない。

 
 かごめが、いる。

 

「……私、ひどい母親かな」
「かごめ……」
「でも私、後悔なんかしてないわ」
「ああ、これが俺達の在り方なんだ」

 

 もう離さない!!

 やっと手に入れた。

 この大切なもの。

 

 

  ―――― 空にきらめく星達よりも この世の花よりも

       美しいものがある それはあなたへの愛

       互いの心の絆 永遠(とわ)に輝くもの ――――

 

 

 これが、私達の ―――――   愛。

 


 【完】
2004.2.25

      


【 あ と が き 】

ぷーにゃんさんから頂いていた12345番キリリク小説、『至上の愛』
UPしました。今回は作品BGMとして、アルフィーの「至上の愛」・
「A Last Song 」のイメージでお話をまとめてみました。
全編に歌詞を織り込むのではなく、ラストのここ一番のシーンのみに歌
詞の一部を引用しました。

このお話、犬かごファンには「痛い」内容かも知れません。
キリリクで書くお話なら、もう少しロマンティックな優しいお話の方が
良いのかも知れません。

ただ、この曲を使ってとリクをいただいた時に、曲名を見た瞬間、生半
可なものは書きたくないなと思ってしまったのです。
後はもう、私の我侭です。

まぁ、それをフォローする意味合いもあったのですが、同じような設定
で先に『かよい文』を書いたような訳で…。
最初は『かよい文』と『至上の愛』を同時UPさせようかとも思ったの
ですが、一時期の『秋時』君バッシングで二の足を踏んでしまいました。

ん〜、この犬かごはちょっと…、と思われるかも知れませんね。

ぷーにゃんさんの意向にそぐわないものかも知れません。
私なりの、『至上』を突き詰めた結果です。
どうか、お受け取りくださいませ。

杜  拝。




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