【 小夜時雨 】




  ――――― 一雨毎に、寒くなって行くような秋も終わり。

 

 今日も昼過ぎからは鉛色の雲が厚くなり、空気が重たく湿り気を含んでいる。
 夕刻、隣り村からの使いで楓と珊瑚は出掛け、七宝もその家の幼い子達の子守り役にと駆出された。

 
 かごめは二・三日前より国に戻っており ――――

 
 留守をかこつ男衆、二人。

 
「……ふむ。楓様も珊瑚も事が事なだけにいつ戻るやら。さて、夕餉がまだですね。犬夜叉、お前どうします?」

 楓の小屋の奥の床には、背中を見せてふて寝している犬夜叉。
 あまり気のなさそうに、そう弥勒は声をかけた。

「……いらねぇ」

 ポツリ、と返ってくる応(いら)え。

 
 実際、犬夜叉は半妖故(ゆえ)か、あまり食事を口にする事はない。
 どちらかと言えば、自分の好みの物がある時だけ手を出すような感じでその辺り、人間であろうと動物であろうと食い漁る下衆な妖怪とは一線を画しているような気がする。
 ふとこれが殺生丸のような『完璧』な妖怪であれば、人間が生き長らえる為に口にする糧など必要ないのではないかとさえ思う。
 犬夜叉の『人』である部分が、それらを恋しがっているのでは、と。

「そうですか。では、敢えては用意しますまい。私は、コレがあればいい。お前もやりますか?」

 くいっ、と呷る仕草をしてみせる。
 たちまち、犬夜叉の眉間に皺が刻まれた。

「けっ! んな、不味いもん。よく飲めるな!!」
「ふふ。これの味が判らぬ様では、まだまだお前も『子供』と言う事ですね。例え、何百年生きていようと」
「何ぬかす!! 俺のどこがガキだってっっ!!!」

 クスリ、と弥勒が腹の内で北痩笑(ほくそえ)む。
 こんなしんみりしそうな日には、このくらいの酒の肴がなくてはと。
 あからさまな弥勒の挑発にまんまと乗ってしまう犬夜叉は、やはり『子供』だ。

「では」

 そう言うと弥勒は犬夜叉と自分の間に五合徳利を二本、どこからともなく取りだし、湯のみ茶碗も二つ並べた。

「ふむ、やはりなにかつまむ物もあった方が良いか」

 さらにガサゴソと竈(くど)の辺りを漁り、盆代りの平笊(ざる)に干し魚、鷹の爪、荒塩、漬物の類などを乗せて前に置く。

「……なんだよ、これ? 食うもんねーじゃねーか!」
「酒呑みのつまみなんてこんな物ですよ。腹を膨らませる為のものではありませんからね」
「ちぇっ! おい、ほら、あれ。かごめが持ってきた干し芋。あれはねーのかよ?」
「……あれは、お前が真っ先に食べてしまったでしょう。かごめ様が持って来たものには目の色変えますからね、お前は」

 
 ……男二人。

 侘しく、色気もそっけもない酒盛りの始まりである。

 
「……なぁ、今夜の楓婆ぁの用件って、何かヤバイんじゃねーのか?」
「おや? どうしてそう思うんです?」
「ん〜、珊瑚の奴が退治屋の支度をしてたからよ。婆ぁの代りに、お前が行った方が良かったんじゃねえか?」

 弥勒は自分の茶碗に酒を注ぎながら、犬夜叉の茶碗にも酒を満たしてやる。

「……お前、使いの者の話をちゃんと聞いてましたか?」
「話、ってあれだろ? 隣村の庄屋の若嫁に『物の怪』が憑いたから祓って欲しいって、話だろ?」
「で、その若嫁の状態は?」
「へっ? ああ、ハラボテで今にも赤ん坊が生まれそうだって……」

 あっ、と気付いたように口篭もる。

「そーゆー事ですよ。話に聞いた所ではその若嫁に憑いてるのも『物の怪』なのか、若嫁の幸せを妬む者の『生霊』なのか判りませんがたいした事はないでしょう。むしろ、女手の方が必要な訳で」
「そっか……」
「産屋(うぶや)は女の戦場ですからね。男の私などが赴いた所で、何の役にも立ちはしません」

 楓はこの近在でも名の通った薬師(くすし)でもある。
 今回のように、御祓いも必要であれば医療的処置も必要になりそうな場面に打って付けな人材である。
 助手で珊瑚が付けば、恐いものなしであろう。


「……雨、降ってきたな」

 空気の匂いを嗅ぐように、犬夜叉は顔を虚空に向けそう呟いた。
 その声の後を追うように、弥勒の耳にも静かに大地を濡らす雨の音が伝わる。

「弥勒、お前は珊瑚に伝えたのか?」
「……何をです?」

 コクリ、と手にした茶碗の酒を飲み下す。

「……かごめが言ってたぞ。お前と珊瑚が良い『むーど』だとさ」
「そう言うお前こそ、どうなんです? 心を決めたのですか?」

 互いに問い掛け、互いに押し黙る。
 夜更けに降り始めた雨が幾重にも帳(とばり)を下ろし、二人だけを『世界』から隔絶する。

「…俺、は……。望んじゃ、いけねぇんだ……」
「お前がそう言うのなら、私も同様です」

 静かで、凛とした声で。

「弥勒……?」
「お前が『望めない』、その理由はなんです? 桔梗様との約束ですか? かごめ様との『時空(とき)』の隔たりですか? それとも、お前が『半妖』だからですか?」

 歯に衣を着せぬ物言いで、事の核心を突いてくる。

「弥勒、お前……」
「……『出来ない』理由なんぞ、言い出せば星の数ほど出てくるでしょう。 要はお前がどうしたいか。どう『なりたいか』、ではありませんか?」

 いつにない、真剣な響きを含んだ声だった。

「……そう言うお前は、まだ良い。その気になりゃ、お前の『望み』は叶うだろうさ。だけど、俺は……」

 ……そう、まだどうしたらいいか判らない。

 かごめには、側にいて欲しい。
 だけど、それがあいつの『未来(さき)』を潰してしまいそうで、俺なんかに関わったばっかりに、あんなに儚く逝っちまった桔梗(あいつ)みたいな目に逢わせてしまいそうで……。


 そう、桔梗だって……。

 
 今のまんまじゃ、あまりにも救われねぇ。
 それに、俺は ―――――

 
「 ―――― 無茶を承知で、我侭を通す事も『時』には必要なのではありませんか? 私にも、『なりたい』私と言う姿があります」
「弥勒……」


 
「……お前は笑うかも知れませんがね。子や孫に囲まれて、静かに老いる事。傍らに共白髪の伴侶が居てくれたら、もう何も言う事はありません」

 そう言いながら、弥勒はじっと自分の右手を見詰めた。

 気鋭の法師であった祖父が奈落の呪いを受けた後、何を思い、弥勒の父を儲けたのか。
 またその父も、どのような思いで弥勒を儲けたのか。

  ―――― 判らない。

  一族の無念を晴らす為?
 仏法の守護者として、『奈落』を滅せねばならぬ為?

 
 しかしその為に愛する我が子に、このような忌まわしいモノを引き継がせて良いものか。
 愛する妻に夫の無残な死に様と同じ道を行く、我が子の悲惨な未来を見せたくはないと思う。

 それとも、己一代でカタが付くと侮っていたのか?

 
( いくら私でも、そこまで楽天家ではありませんからね )

 それでも、戯れに子を産んで下されとふれまわり ――――

 だけど、出逢ってしまった。
 生きて居たいと、ずっと共に在りたいと思う者に!

 だから、倒すっっ!!
 何が、何でも!!!


 ―――― でもまだ今は、言うべき『時期』ではないだろう。

 

「犬夜叉。お前の『出来ない』理由はなんです? 桔梗様ですか? 私は桔梗様程のお方なら、敢えてお前を地獄の底に引き摺り込むなどと、浅ましい真似は今更なさいますまいと思うのですがね。それとも、お前に未練があるのですか?」
「未練……? 判らねぇ…、ただあんな姿の桔梗は見ていたくねぇ。 たった一人で闘ってる、あんな姿は」

 外は時雨れてきたのだろう。
 雨の音だけが大きく響く。

「……桔梗様はお前との事だけではなく、奈落…いや、『鬼蜘蛛』との事にも決着を付けようとなさっているのだと私は思います。そして、それは私達の立ち入る話ではないのです」
「桔梗が、自分でケリを付ける……?」
「はい。犬夜叉、桔梗様の全てがお前に向いていると思うのは、お前の驕りではないのですか? 桔梗様は桔梗様なのですよ」

「あっ……」

  ――――― 静かに、それだけ深くその一言は犬夜叉の胸に響いた。

 
「……お前は、全て一人で背負い込もうとする節がありますからね。五十年前、お前の知らない所で桔梗様を挟んで、お前と鬼蜘蛛が対峙していた。そうですね?」
「ああ、まぁ、そう言う事になるんだな……」

 
 そうだ、俺は『鬼蜘蛛』なんて知らなかった。
 桔梗がどんな思いで、鬼蜘蛛を介抱していたのか?
 儚い『人の命』を殊更に慈しむ、巫女故か?

 もし、あの時。

 桔梗が鬼蜘蛛を構っていると知っていたら、俺はどうしたろう?
 やはり、嫉妬で面白く思わなかっただろうか?
 例え桔梗が俺の方を向いていてくれたとしても。

 それとも『巫女』だからと、納得してしまうか。

 
「……桔梗様を欲するあまり、鬼蜘蛛はその身を数多の妖怪どもに喰らわせ、『奈落』を生じせしめた。古(いにしえ)の書にもあるが、徳を積みし聖(ひじり)においてさえ、垣間見た宮中の女御の美しさに心奪われ、恐ろしき『鬼』に変化したという」
「弥勒……?」
「私は思うのですよ。桔梗様の側に、お前が居ようと居まいと『奈落』はこの世に生じてしまったのではないかと。そして、それを止める事が出来たのは、桔梗様ただお一人。桔梗様はそこで、『道』を誤られたのだと」

  ……夜更けの雨は、更に激しさを増したようだ。

 犬夜叉の胸に吹き荒れる、嵐の如く。


「……お、俺が…、誤らせたのか? 俺が、あいつと共に生きたいと願ったから……」

  弥勒が静かに首を横に振る。
 この不器用で乱暴な、そして優しい魂を憐れに思いながら。

「……誤るのは、『他人(ひと)』が誤るのではない。『己』が誤るのだ」

  弥勒は更に言葉を続けた。

「奇(くす)き縁(えにし)により、『死人』として黄泉帰られた桔梗様。黄泉がえった当初(はな)は、お前に裏切られたと思っていたのです。お前を恨みもしましょう。真実が判った所でもう、もとには戻れぬ。 今その場所には、かごめ様が居られる」
「桔梗が俺を地獄に引き摺り込もうとしたのも、かごめを憎むのも……」
「ええ。そう当初は、です。が、桔梗様はもともと霊格の高いお方。そして、『人器』を最初に満たしたのは、『陰の気』とは言えかごめ様の『魂』に育まれたもの。おのずと『正しき道』を歩まれます」
「では……?」
「桔梗様はもう、お前を求めてはおられないでしょう。成すべき事を成す為に、今は動いておられるように思えるのです」

 俺の脳裏に浮かんだのは、あの光景。
 俺を愛染の情を持って地底(ちぞこ)に引き摺り込もうとしながら、その想いに応えようとした俺に鋭利な刃を押しつけた、桔梗。

 あの時、俺に放たれたあの言葉の意味は ――――

「……桔梗様は、犬夜叉お前にも我々にも関わって欲しくないのかもしれませんね。かごめ様から『四魂の欠片』を奪ったのも、そう考えれば合点が行くでしょう。『四魂の珠』もろとも奈落を滅するおつもりでしょうから」
「そ、そんな……。一人じゃ、絶対無理だっっ!! 現に殺されかけたじゃねーかっっ!!」

 どこまでも凛々しく孤高な魂。
 奈落の瘴気の中に堕ちていったあの叫びは、恋情を越えた魂の叫び。

 そう、存(あ)りたいのか? 桔梗。
 果たすべき『使命』を果たす為?
 死してなお、『巫女』としてある為か?

 あの時、道を違えてしまった『自分』の為に。

「……もう一度訊きます、犬夜叉。お前はどう『在りたい』のですか?」

 改めて、己自身に問い掛ける。

 ……桔梗は、もう自分の『道』を歩み出している。
 弥勒や珊瑚だって、望む『将来(みち)』があるだろう。

 そして、かごめ……。

 こっちの世界であれだけの目に逢いながら、それでも『あっち』の世界の事も疎かにしないお前。
 お前の『未来(みち)』は、『お前の時代』にあるのだと、認めたくないけど知っている。

 ならば、俺は……。

「……俺は、桔梗に逢うまでは、只々強くなりたかった。どこにも居場所がなかったから、弱い『人間』よりも誰にも負けねぇ強い『妖怪』になりたかった」
「犬夜叉……」

 
「『現在(いま)』は…、俺は俺のままで、このままで強くなりたいと、心の底からそう思う!! これから先、なにがあろうと立ち向かえる様に!!!」

  ああ、そうだ!

 俺は、俺はもう、何も失したくねぇ!!
 この仲間たちも、この居場所も。


 そして、かごめ。
 お前のその笑顔も!!!


 だから…、今 俺は俺に出来る事をやるっっ!!!
 奈落の野郎をぶっ潰す!!
 諸悪の根源の『四魂の珠』は消滅させる!

 
 ……それが、どんな結果を呼ぼうとも。

 

「……『現在(いま)』を精一杯生きる。お前らしい答えですね、犬夜叉。『昨日』はもうどんなに足掻いても戻ってくる事はない。それは三千世界の果てにある浄土と同じ事。また『明日』も何が起こるか判らないこの御世では、我々では如何ともしがたい事もあるでしょう」
「弥勒……」
「お前の言うとおり、『現在』が大事だと言う事ですよ」

 
『現在』の積み重ねが、『未来(あす)』になる。

 ならば夢を見る事も許されるのではないだろうかと、弥勒は思う。
 出来る事ならば、共に歩んで欲しい『魂』だから。

 
 例え、『時空(とき)』を異にする二人であると判ってはいるけれど。

 

 何時しか小夜時雨も通り過ぎ、雨音の途絶えた静寂の中に朝を告げる小鳥達の囀りが聞こえてくる。
 小屋の筵(むしろ)越し、夜闇の墨のような色が少しずつ注ぎ込まれる清水に薄められる様に、明るくなってゆくのが判る。
 
「ああ、とうとう夜明かししてしまいましたね。なんだ、犬夜叉。結局お前、飲まなかったのですね」

 そう言いながら犬夜叉の手から、ひょいと湯のみを取り上げ最後の酒を飲み干してしまう。
 いつの間にか、弥勒の足元には空になった徳利が四・五本転がっている。

 
( ? いつの間に増えたんだ??? 最初は二本じゃなかったか? )


 
 目を丸くしている犬夜叉を尻目に、弥勒が微笑む。

 
「さて。楓様や珊瑚が戻ってくるまで、一寝入りしますか。お前は?」
「ん〜、俺は別に眠くもねぇからよ。ちょっと散歩でもしてくらぁ!」

 うう〜ん、と伸びをし軽やかに楓の小屋を後にする。
 犬夜叉の散歩の先が、かごめの許である事はお見通し。

 『将来(さき)』がどうなるか判らないのなら、『今』を大事にして欲しいから。

 共に過ごせる時間を大切に、と。

 

(  ……後は成る様になれ、か )

 
 薄目を開けて犬夜叉を見送り、夜中の雨に洗われたすがしい朝の空気の中でしばしまどろむ。

 

 ―――― 男衆、二人。

 何と言う事はない、雨の夜の夜語り。

 

 
 おまけは、こっそりと秘蔵していた酒まで飲み上げられていた楓の激怒ぶりと、すっかり酔っ払って寝こけていた弥勒を見つけた珊瑚の凍りつくような笑顔。
 犬夜叉がかごめと共に戻って来た時には、弥勒の怪我が治るまでもう少し、二人の時間が過ごせたと言う事である。


 
【完】
2004.3.17

【  あ と が き  】

すっかり遅くなってしまいましたが、15000番キリリクその1、小
箱様への小説です。
小箱様からのリクは、楓×弥勒・楓×犬夜叉の夜話シリーズ(?)の3
弾のような感じで、弥勒×犬夜叉で、との事でした。
内容的にはシリアス風味との事でしたので、今回二人の会話のメインに
桔梗様に入って頂きました。我が杜ワールドでは桔梗様、すでに達観さ
れております^^; 犬君に関心はありますが、既に恋着はないものと考え
ています。

あまり色気のない話ですが(…って、男二人で色気のある話だったらア
ッチの話になっちゃいますね(-_-))、どうかお納めくださいませ。


小箱まなみ様へ

花紋茶寮管理人 杜 瑞生拝。





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