【 幕 間 −時空(とき)を繋ぐ者− 】
―――― 静かな境内で、茜色に染まる空を見上げながら、あいつ等の事を思い出す。
その思い出は、まるでほんの昨日の事のように。
「おい、××。何を見ている」
横柄な口を利きながら、こちらに来るのは犬妖の『血』を引く兄弟の片割れ。その身には、叔父と同じく『人』の『血』が半分流れている。やんちゃで利かん気な弟の後ろには、物静かで、それ故に器の大きさを感じさせる兄が控えている。
「なんじゃ、その口の利き方は。目上の者をもっと敬わぬか」
そう言いながら、あの者に託されしこの二人に眼を向ける。
歳の頃は、七・八歳。
似ては似つかぬ、双子の兄弟。
いや、見るものが見れば、これまたこれ程に良く似た兄弟もおるまい。
その父に、またその叔父に。
見た目は七・八歳の童(わらべ)でも、並の人間の大人以上の年月を生きて来ている。
「……将来(さき)の正一位殿を捉まえて、なんと言う口の利き方ぞ。口を慎まぬか」
弟を諭すその物言いには、すでに『長』としての風格が備わっている。
一方弟の方は、乱世を疾風の如く駈け抜けて行ったかつての『仲間』のように、風雲児めいた気概を感じさせる。
共に白銀の髪を持ち、金色の獣眼に果てない世界を映し出す。
かたや犬耳を持ち、こなた先祖返りでもしたのか三叉の尾を揺らす。
「……お前達は、まことよう似ておる。懐かしいのう、あの頃が」
すっかり暮れなずんでしまった空を見上げる。
空には宵の明星が煌き、後を追って上る月。
―――― そう。あの頃より、もう幾星霜。
この身もすっかり変わってしまった。
背は伸び、髪も伸びた。
枯葉色だった髪の色も、歳経た分色が淡くなり、陽の光より月の光の方が似合う、白金(しらがね)色。
晴れた日の空の色を映した瞳の色も、今では星が棲む藍の色。
( ……判ってくれるかのう、この姿で。一緒に居る時には色んなものに化けたが、『己の大人』の姿に化けた事はなかったからのう )
改めて、過ぎてしまった『時』の流れを想う。
「なぁ、お前。本っ当に親父を助けたり、そのなんだっけ、『奈落』とか言う化け物と渡り合ったって言うけど、本当(マジ)かよ」
これこれ、と兄が諌めるが、そんな事で引くような弟ではなさそうだ。
「だってさ、お前。その頃って今の俺達と大差ねーだろ? んな事、出来んのかよ? あの親父を助けるなんてさ」
兄が弟の袖を引くが、一向に意に介そうとはしない。
「何じゃ、お前は。ワシの言う事が信用ならんと言うんじゃな」
「信用するもしないも、そんな最初(はな)っからホラ吹いてんの、みえみえじゃねぇーかっ!」
兄が引きとめる手を、煩(わずらわし)げに振り払う。 その様に ――――
「いい加減にせんかっ! この馬鹿者がっっ!!」
自分の言葉を聞きそうもない弟に腹を立て、兄の雷が落ちる。まぁ、確かに多少誇張して話して聞かせたのは否めないが。
「父上が我等の後見にと、定め選ばれし方ぞ。確かにその当時は、まだ幼き身であられたろうが、それでも父上・叔父上の為、粉骨砕身身を挺して一緒に戦われた事は紛れもない事実。この方を疑うという事は、我等の父上を疑う事と同じぞ。判っておるのか、夜叉丸っっ!!」
「だってよー、絶〜対っっ怪しいって。こいつその話をしている時、な〜んか目が泳いでる事があるんだよなぁ。特に俺が突っ込んだ時なんかさぁー」
「まだ言うかっっ! 大体お前は何故そう素直ではないのか? 亡くなられた母上も嘆いていらっしゃったが、乱暴で口が悪くて頑固で手が付けられぬと、どれほど心を痛められていた事か。それをお前、判っておるのかっっ!!」
……一見物静かで落ち着いて見えるこの兄も、実は無類の『おしゃべり』であった。
それはもうこの兄弟の『母』そっくりで、本当に幼い時などはあの幼児特有の甲高い声でのべつくまなくしゃべり続け、周りの者の頭と耳をどれほど痛めた事か。
流石に最近はそれではいけないと、父を見習い口数少なく過ごそうと努力しているようなのだが、逆上すれば元の木阿弥。
攻撃ならぬ、『口撃』と変ずる。
「だ、だけどよ、天生丸。お前こいつの話、怪しいとは思わねぇのかよ? 俺達ぐらいの力で親父や叔父貴を助けて、敵を叩き伏せるような真似出来ると思うか?」
「狭いっ! 狭すぎるぞ、夜叉丸。それはお前の了見が狭すぎる。今のお前にそう出来ぬからと、他人もそうであると決め付けるのは己の了見の狭さを公言するようなもの。仮にそうであったとしても、その位の心情で父上や叔父上に同道していたと、何故考えぬ?」
「私とて、言葉をそのまま鵜呑みにするほどお人好しではないわ。だが、そう言いたくなる気持ちの裏を考えぬか。あの折何も出来なかった己を恥じ、こうであればと思う気持ちの切なさを汲み取るも、男としての度量であろう。確かにただのお邪魔虫だったかも知れぬ。足手纏いかも知れぬ。それでも一緒に居たかったのだと、何故判らぬっっ!!」
―――― そう、なのだ。
『一緒』に居たかった。
あの、『仲間』たちと。
ずっと、一緒に。
……叶わぬ、『夢』であったけれども。
だけど……
ガツンッ、ゴインッッ!!
目の前に、頭にコブを作った子犬のような兄弟。
「口が過ぎるぞ、天生丸。いくらお前の言葉が真実でも、ちと痛すぎるんじゃ。ま、夜叉丸に言われるくらいじゃ、ワシの話も只のホラ話に過ぎぬかも知れぬな」
ふとした、既視感。
ああそうか。あの頃、オラが言った言葉に激怒してよくあいつが殴っていたのは、きっとこんな感じだったのだろう。
今となっては、それも懐かしい。
あの頃のオラを支えてくれていた、あの『手』の痛さや暖かさ。
どんなに見透かしても、もうその姿を捉える事は出来ないけれど。
「……そんなに、逢いたいのか?」
そんなオラの心を透かしたように、あれほど悪態をついていた夜叉丸が、あの頃のあいつを幼くしたような顔で覗き込む。
頑固で乱暴な態度の裏側に隠された優しさを、垣間見せて。
「ああ、逢いたい。あの『仲間』は、ワシにとって一番大事な ――― 」
―――― 色んな事があった。
今でも初めて出遭った時の事は、鮮やかに覚えている。
父を殺され、その仇を取る為に「四魂の欠片」をあいつらから奪おうとした。
犬耳の半妖と奇天烈な態(なり)をした巫女と。
まさかその後、生死を共にする仲間になろうとは思いもしなかった。
出遭って間もないオラを、自分の身を挺して庇ってくれた、『かごめ』
オラの代わりに、命を賭けて仇を取ってくれた、『犬夜叉』
それから、生まれながらにその右手に呪いを穿たれた、『弥勒』
一族を謀略の末惨殺され、あまつさえ弟まで殺戮の道具にされた、『珊瑚』
……正直な所、お父(とう)の仇さえ取れれば、後は関係ない話じゃった。
そう、『奈落』なんて、オラには関係なかったんじゃ。
だけど、何故かこいつらから離れられなくて……。
いつに間にか、『旅の仲間』になっておった。
「ん? どうした? 神妙な顔をして」
じっと聞き入っている二人の顔を、見比べる。
「うん…。なんだかお前、今にも泣きそうな顔してたから…」
「馬鹿な事を言うな。大の大人が子供の前でそうそう涙を見せるものか。お前の気のせいじゃ」
「えっー、なんだよ、それっっ!! 大人は悲しくても泣けねーのかよ! 俺の事、素直じゃねぇっていつも言うくせに、大人の方がよっぽどひねくれてんじゃねーのかっっ!!」
顔を赤くし、プンプンに腹を立てながら食って掛かる。
ああ、お前によく似ているが、こいつの方が泣いたり笑ったり怒ったり…、よほど忙しい。
なぁ、犬夜叉。
お前が両親の庇護のもとで暮らす事が出来ていれば、きっとこいつのような子供時代をすごしたのだろうな。
「……『大人』が、泣かないんじゃない。『男』は、泣かないもんなんじゃ」
きょとんとした顔。
やがて、にやっと笑い納得したような顔をする。
「そーゆー事なら、判る。男は簡単に泣かないもんだもんな」
今まで静かにやりとりを見ていた天生丸が、言葉を繋ぐ。
「…大事な『思い出』。我等にも、そう言うものを手にする事が出来るであろうか?」
「おお、出来るとも。お前達はこれからじゃ。これから色々なものに出遭い、乗り越え、そして『大事な』ものを見つける。その時その時を大切に、己に出来る事を尽くせば、それはいずれお前達の『宝』となろう」
ふー、と大きなため息。
「んーなーんかさぁ、それって、すっげー疲れそう。やんなきゃなんねーのかな、やっぱ?」
「これ、夜叉丸!」
ははは、と笑みを零す。
まだまだ、『子供』じゃ。
「…そう、これは『義務』ではないし、『強制』でもない。あくまで『己』の心一つじゃ。やりたくなかったら、やらずとも良い。そーゆー事じゃ」
敢えては、言うまい。
……いずれこの世を去らねばならないその時に、唯一持って行けるのが、その『思い出』と言う名の『宝』である、と言う事は。
だからこそ、『出遭い』を大切にして欲しい。
同時にこの世に生を受けた双子であっても、それぞれが持っている『時間』の流れは決して同じものではないのだから。
時と時が交わって、『歴史』が織り成される。
いずれ、お前達も気付くだろう。
自分たちもまた、『歴史』と言う大きな舞台に立っていることに。
その時、お前達がどんな行動をとるのか、それはお前達の『自由』だ。
オラはただそれを、見守るだけ ――――
「……随分、遠い眼をしておられる。『時』の果てまで見ているような」
「お前の一族は、どれだけ長く生きるんだ?」
無垢なる子供の問いかけは、時として何物よりも鋭い事がある。
「……そうじゃなぁ、まだ爺様が健在じゃし、お前等の爺様と変わらぬはずの我が伯母上はあのとおり、歳経てますます意気軒昂じゃ。五・六百年は生きるんじゃなかろうか?」
そう答えて、あれからの『時』の流れを眺め見る。
天下分け目の戦いは、残った二人の仲間を看取る少し前だった。
それから世は三代替わり、戦国の世の殺伐とした気風も和らぎ、数多(あまた)の人死にが出る事も、稀になった。
それと共に、あれほど世の中を跋扈(ばっこ)していた、凶悪な妖怪どもも姿を消した。
殺し殺されるのが当たり前だった戦国の世が終わりを告げ、虐げられていた民人(たみびと)が、希望を持って暮らせるようになったからかも知れぬ。
「とんでもねー長生きだな。確かにお前んとこのあの爺ぃは、まだくたばりそうにないもんな」
「これっ、夜叉丸!! なんと言う非礼を!」
「だって本当の事じゃんか! なぁ、七宝!!」
今ではこの名をそんな風に呼び捨てる者は、もう数える程。
爺様の跡目と言う事で、今じゃ『次代様』などと、尻の穴がくすぐったくなるような呼ばれ方をしている。
今でもそう呼んでくれるのは、爺様と大巫女の伯母上とこの兄弟ぐらいじゃ。
―――― 七宝っっ!!
―――― 七宝ちゃん!
……もう一度、あの声でそう呼ばれたい。
「……そうじゃな、ワシも後五百年程は生きるつもりじゃ」
『時』を越える事の出来ぬオラには、日々を重ねて『そこ』へ行くしかないのじゃから。
託された『想い』と共に。
「……『仲間』に逢われる為か?」
静かに天生丸が問う。
「えっ、でも、お前の仲間って……」
その時の経緯(いきさつ)を、昔からこの兄弟の父に仕えてきた下僕の小妖怪から聞かされていた夜叉丸には、とても無謀な事に思えた。
『時』を重ねて『そこ』に行き着いたとしても、はたして『そこ』に仲間がいるか、どうか……。
「お前だって知っているんだろ? その時の事。だったら……」
「言うな、夜叉丸!」
天生丸が夜叉丸を制す。
「……信じているんじゃ。絶対、『そこ』に存在(い)る! とな。信じて、ワシは時を渡って行くのじゃ。そう、また逢える日を楽しみにしてな」
―――― そう、絶対 存在(い)る!
絶対、じゃ!!
のう、そうじゃろ?
かごめ、犬夜叉。
すでに日はとっぷりと暮れ、星の光が夜空に溢れる。
星よ、幾千幾万もの星よ。
遥かな昔から、遠い未来まで照らし出すお前達なら知っておろう?
あの者達が、どこにいるのかを。
そして今一度、オラをかごめや犬夜叉に逢わせて欲しい ――――
「ふ〜ん、そっか。お前の大事な仲間って奴に逢ってみたかったけど、俺達じゃ無理みたいだな。俺達の孫かひ孫か…、親父が俺達をお前に託したように、俺達もそうするんだろうな」
「夜叉丸…?」
「……我等の祖父君も父上も齢(よわい)三百年を越える大妖怪であった。なれど、我等は『半妖』。父上達のように、長く生きる事は適わぬだろう。だからこそ、『時空(とき)』を繋げと言われた。『時空』の彼方で待つ者に、伝えたい事があると」
「……伝えたい事?」
「 ――― 今は、言えぬ。父上との約束を破る訳にはゆかぬ故。『秘密』と言う事だ」
>
―――『秘密』と、口にした父親に良く似た端麗な顔には、どこか悪戯めいた笑みが浮かんでいて、あの冷酷無比戦国一の大妖怪と言われたあの者の言葉を、何としても聞き出したい気持ちに駈られたが……。
―――― 秘してこそ、『花』とも言う。
いずれ、聞く事が出来るだろう。
時の彼方で再び巡り会えた、その時に。
かごめ、オラの事、判ってくれるかのう?
いつもいつも、かごめには助けてもらった。
だけど、今は違うぞ。
今なら……
犬夜叉、かごめを泣かせてはおらぬか?
オラも、もうあの頃のチビ助ではない。
勝負なら、いつでも受けて立つ。
もしお前がかごめを泣かせるような事をしているのなら、オラがかごめを貰うからな。
のう、かごめ ――――
【終】
2003.8.15
= あとがき =
…随分お待たせしてしまいました。3333番のキリ番を踏まれたれっ
かぽん様より頂いたリクエスト小説です。
しかし、内容が…なシロモノですね (^^;)
お題を頂いていたのですが、あまり上手く消化できなかったような、と
にかく今回は難しかったです。
最初書こうとしていたのは、力不足で落ち込む七宝ちゃんをみんなで励
ますような内容を考えていたのですが、あまりにも茶番ぽくて途中で書
けなくなりました。
でも、どうしても七宝ちゃんを主役にしたくて、この話になりました。
本当はこの話、連載中の「犬神奇談」のエピローグの部分になります。
ここまで書く予定はなかったのですが (…と言うより、連載そのもの
が止まっていますので)、これだけ読まされても????な謎だらけな話
だろうと思います。
おまけに、主要メンバーは殆ど出てきませんし…。
れっかぽん様、このような拙いものしか今回書けませんでしたが、どう
かお納め下さいませ。
TOPへ 作品目次へ