【 夏 夢 −三幕目 暁光− 】




 人の人生など、何が起きるか判らない。

 自分だけではなく、すこし周りを見回せば本当にそうだと思う。例えば今、姉上と一緒におられるかごめ様はこちらとは別の世界のお方。桔梗様と旅をしていた時に聞いた話では、今よりもっと先の時代に住む方だとか。そこはこの戦乱の世に比べ、人はもっとずっと心安らかに暮らせる場所。かごめ様も巫女ではなく、ただの学問所に通う娘として暮らされていると。

( ……『四魂の珠』の因縁ゆえに、かごめをこちらに呼んでしまった )

 そう零された時の、桔梗様の横顔。そして言われた一言。

( かごめは、私の先の姿だそうだよ。もしそうなら、私は『私』を信じて、今の自分に出来る最善を尽くす事が大事なんだろう )

 もう、この頃にはお心を決めておられていたのだろう。稀代の巫女と称され、奈落誕生の折の謀(はかりごと)でお命を落とし、それからなんの因果か死人として蘇られた桔梗様。なんと波乱に満ちた生き様だろう。
 この俺にしてもそうだ。退治屋としては父上にも認められながら、その心根の弱さから償っても償い切れないほどの罪を重ねた。でも今こうして自分の身を振り返ると、弱かった俺の心が強くなる度に、俺に力を与えてくれる大きな存在が側に在る事に俺は感謝している。

 最初、心を持たないまま欠片を埋め込まれ目覚めたのは、あの奈落の下だった。少しずつ俺の心に『俺自身』が戻って来た頃に、俺は神楽に助けられて奈落の下から逃げ出した。その後は、桔梗様のもとに。俺のこの欠片が奈落を倒す切り札になると仰って、俺も桔梗様と共に闘う道を選んだ。だけど、桔梗様も奈落の手で二度目の最後を迎えられ……。

 今の俺の主は、殺生丸様。この戦国で一番の大妖怪。その強さ、壮絶さに俺はこの方こそ、奈落を倒す方に違いないとついて行く事にした。この時の、俺の心の中には奈落を倒す事だけがぎゅうぎゅうに詰まっていた。それだけが俺に出来る唯一の罪滅ぼし、俺が操られ殺してしまったたくさんの人たちへの ――――

 殺生丸様のもとには、俺や騎獣の阿吽や長年お仕えしている邪見様の他に、普通の子どものりんもいる。こんな所にいるのが場違いな、正直危険すぎてある意味足手まといではないかと思うくらいだけど、それでも殺生丸様はりんを連れ歩く。
 今までも殺生丸様の弱点だと気付いた奈落に何度も利用された。神楽にも攫われた事があったし、うっかり俺もりんを殺しそうになった事もあったけ。ああ、そういえばその時は真っ先に殺生丸様が駆けつけてこられて、俺を縊り殺そうとされたんだ。あの時の俺は、こんな俺なんて死んだ方がましだって思っていた。だけど俺のそんな諦めきった眼を見、何を思われたのか殺生丸様は俺を殺さなかった。まだその時は、殺生丸様とりんの関係がどんなものだか知らなかったけど。


 ―――― 今じゃ、りんが殺生丸様にとってどんな存在かってのは、身にしみるほど良く判ってる。冥界の底での、あのお姿を見てしまえば。


 夜明け前、ふと目覚めて俺はそんな事をつらつらと考えていた。流石に何度もりんが攫われるのに危惧したのか、最近ではりんをいつも手元に置かれるようになった殺生丸様。今もりんは殺生丸様のもこもこの中でぐっすり寝入っている。俺の傍らでかすかに笑ったように夜気が揺れた。

( あ〜あ、見てられないね! あの人間嫌いで有名だった殺生丸が、すっかりあんな小娘に手懐けられてさ )

 婀娜な口調と蓮っ葉な台詞だけど、その響きは意外にも温かい。俺も今はまだ、冥界と現界の狭間にいるせいか、実はこーゆーモノが見えてしまう。いや、俺の中に桔梗様の光そのものがあるせいか、その霊力の影響かもしれない。

「神楽……」

( ねぇ、琥珀。自由って良いもんだねぇ。こんなにも心が軽くなれるもんなんだ )

 幽かな燐光が瞬いて、うすぼんやりと浮かんだ姿は在りし日の神楽の姿と少しも変わりがない。唯一変わったのは、その柔らかに笑う表情だろうか。

「……でも生きて、その上で自由になりたいとは思わなかった?」

( そりゃ、無理さ。あたしはあいつの分身として生まれたんだ。この髪の毛一本から爪の先まで、あいつで出来てるんだよ。生きたままじゃ、こんな風にはなれなかった )

「心は神楽のものだけど、その体はどこまでいっても奈落の物ってこと…?」

( ああ、そうだ。もしこのあたしの『心』まであいつの一部なんだとしたら、『あたし』は一体どこにいるんだろうね? )

 それは誰の心の中にもある、無限の時からの問い掛け。


 『魂(命)』はどこから来て、どこへ行くのか。この『命』はどこに繋がるのか。『魂』は命に乗ってどこまでゆくのだろうか? 心が宿るのは、魂なのか命なのか。


「難しいね。体がなきゃ、命は存在出来ない。命と魂は別物なのかな? 魂と心って同じもの? 俺には判らないや」

( 別物なんだろうね。あたしなんてそう思わなきゃ、この先やってゆけないよ。考えてもご覧? 命と魂が同じなら、奈落から生まれた『あたし(命)』の魂まであいつの物って事になる。この『心』もあいつの想いの一欠片なのかい!? そんなの、あたしゃ真っ平だよ!! )

 そう言いながら、神楽の視線はもう一度殺生丸様とりんの上に注がれる。おれも薄々とは勘付いていた。神楽が殺生丸様に何らかの想いを寄せていた事に。それを殺生丸様もどこかで感じてたんじゃないかと。

( ……命ってさ、魂が呼び合った男と女が繋がれば、時期生まれて来るもんだ。でも、その生まれた命には親とは違う魂が宿ってる。自分の子どもへの想いと、自分の連れ合いへの想いはまるっきり違うもんだろう? )

「うん、そうだね。子どもが親の身代わりになるのは変だ」

 分身と言う、あいまいな命だった神楽。生み出した奈落の『子ども」でも無ければ、『兄弟姉妹』でもない。まして、もう一人の『奈落』でもなく……。

 それでも、神楽の『魂』はちゃんとそこに有る。神楽の『心』に彩られて。

「神楽は殺生丸様が好きだったんだろ? 今なら、りんのようになってみたい?」

 ぽっと、幽玄な姿なのにその白い頬に赤みが差したように俺には感じられた。

( ……『魂』が違うからねぇ。あたしはりんにはなれないよ。殺生丸の求めている魂が、『りん』なんだからさ )

( ああ、でも安心しな。自分がそうなれないとしても、妬む気持ちはこれっぽっちも無いんだ。あたしにも判るから、あの子の魂の優しさや強さなんかに触れる時の心地良さはね。琥珀、あんただって気がついてるんだろ? )

 逆に問い返されて、俺の顔が赤くなる。

( あたしもいつまでここに居られるか判らないけど、出来うる限りあの子のあの笑顔を見ていたいんだよ。奈落に胸に風穴を空けられて川に落ち流された時、恐がる事無く助けてくれようとした。奈落の言いつけであの子を攫ったあたしをだよ? 嬉しかったんだ、だから ―――― )

 不思議な子だと思う。ただの何の力もない子なのに、子どもらしい何気ない行いや言葉が大きく周りの者達を動かしてゆく。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 間もなく夜も明けようと言うのに、夜気が騒ぐ。こちらが気付いているのを知ってか知らずか、声を潜めながら話をしている。腕の中のりんの温もりを感じながら、あの者らの視線に晒されるのは甚だ不愉快。話している内容は、殊更言うまでもない事。

( そう…。りんだからこそ、だ。他の者ならば、ここまで執着せぬものを )

 あの時、天生牙でも蘇生出来ず逝かせる事だけが救いだった奈落の分身・神楽。お前の魂は今、自由なのだな。

 お前の命を助ける事は出来なかったが。

 亡き者である神楽と生者と死者の狭間にある琥珀との囁きのような会話に、己がこうしてりんに触れていたいのは、その魂に触れていたいと思うからだと納得する。

( りんはさ、あたしたちから見たら丸っきり向こう岸に咲く野花みたいのものかもしれないね )

「向こう岸の、野花?」

( そう。血の川のあちらとこちら。あたし達はこの手でどれほど多くの命を奪い、血を流してきただろう。あんたもあたしも、あの殺生丸も。だけど、りんはそうじゃない。そうじゃないりんがああして笑ってくれるから、あたし達は救われた気がするんだろうね )

「……そうだね。りんが笑いかけてくれるから、俺もここにいて良いんだって思える」

( あたしもさ。あの子がいるから、ここに居るんだよ )


 この手で流してきた数多な血、人と言わず妖怪と言わず。流させる者と流す者。そうか、神楽も琥珀も知らぬのだ。りんが己が血潮の中に沈んでいた屍だった事を。これは皮肉なのか、それとも私が己を鑑みる鏡なのか。私が流させる血も、りんが流す血と同じ重みと。そして、母上の言葉を思い出す。

 命の重さを知り、慈悲の心をもって敵を葬る ――――

 今の天生牙には、冥道を開く力はない。冥道残月破を譲り渡した犬夜叉は、半妖ゆえの『人の心』のありように、知らずしてその心を知っていた。それをかつての私は、犬夜叉の『甘さ』と見ていたが。替わりに得たのがこの爆砕牙であるならば、なおその心を忘れてはならぬだろう。


 私にそれを教える指標。
 りん、お前はここにいる誰にとっても安らぎと言う名の導(しるべ)なのだな。


「神楽はりんと仲良しだよね」

( りんが人見知りしないからさ。いつでもあの笑顔で迎えてくれる。まぁ、特上の笑顔はあいつのものだけどね )

 言葉の端に笑みを含み、婀娜な視線をこちらに寄越す。

( あんた達があたしが死んだ事をりんに伝えなかったから、あの子の中のあたしはまだ生きたまま。生きてる頃の姿のままで、あの子の前に在られるんだ )

「りんといつもどんな話をしてる?」

( そうだね…、他愛も無い事さ。ああ、それから今のりんじゃ何の事か判らないだろうけど、一応あいつには気をつけなって言ってるけどね )

「あいつって、殺生丸様の事? 気をつけるって、何を…?」

( 今更言うまでもないだろ? あたしも野暮じゃない、別にそれが駄目だって言うんじゃないよ。だけど、時期を待てって事さ。あんただって今のりんに殺生丸の相手を務めるさせるなんて、無茶だって思うだろ。だけどあの御仁に人の世の理(ことわり)・倫理(みち)を判れって、無理な話だしさ )

「神楽、そりゃ俺もそう思うけどさ。でも……」

 確信を込めた神楽の言葉に、思わず普段は見ぬ振りをしている本音を漏らす琥珀。琥珀が首を竦める様にしたのは、私の視線を感じたからだろう。知らず私は腕の中のりんを更に強く抱き締めていた。その気配を察したのか ――――

( ふふん、あたしの声が聞こえているんだろう? 殺生丸 )

 私は腕の中のりんを起こさぬよう、低く落とした声音で答える。

「まだ現界を彷徨っているのか。今なら、腰の天生牙も威力を発揮できるだろう」

 込められるだけの威圧を込めて、そう言い放つ。

( おや、あたしはお邪魔虫かい? そうだねぇ、それも悪くは無い。あんたの手で気持ちよく昇天(いか)させられれば、女冥利に尽きるさ )

 婀娜な口調で答えつつ軽く腰をひねり、くびれたその様と対照的に殊更に豊満さを強調させるように胸の下で腕を組み誇らしげに乳房を持ち上げ、秋波を含んだ色っぽい視線で私を見る。側で見ていた琥珀が神楽の妖艶すぎる仕草にどきりとし、焦って流した汗の臭いが鼻腔を掠める。年若い琥珀さえ、神楽の言葉の中に男女の只ならぬ淫靡なものを感じたのだろう。そんな神楽の表情を、私は忌まわしげに見下した。

「下賎で下世話な事だな」

 神楽はそんな言葉が返ってくるのも予想していたのか顔色を変える事無く、むしろそれが本意とばかりに言葉を続ける。

( 今、あんた顔を顰めたね? あたしの顔に『女』を見たからだろ? 違うのかい )

「…………………………」

 返答なきが返答とばかりに、さらに神楽は言葉を畳み掛ける。

( りんも今は幼くとも、女だからね。いつかは、こんな顔をする日がくる。あんたがりんの初花を摘めば、その夜からでも )

( あたしは…、今のりんの笑顔が好きなんだ。あの子がどんなに瞳を輝かせてあんたの事をあたしに話すか、あんたは知らないだろう? 一点の翳りもない晴天のお日様のような笑顔で、嬉しそうに語るりんをさ )

「……りんは、りん。例え私が今、りんを抱いたとしてもりんが変わる事はない」

 神楽、お前には判るまい。りんの終わってしまった姿を二度も見てしまった私の胸の焦りなどは。守りたいと、触れていたいと、自分のものにしていたいと思った者の終焉の姿が、どれほど恐ろしいものか。

( そうかい? 女は化けるからね。変わらない風を装って、『女』の顔を幼い笑顔の下に隠すぐらいはするだろうさ。それも本能的にね。過ぎてしまった事は、過ぎてしまう前には戻せないもんだよ )

( 過ぎてしまう前に……? )

 何故か、その言葉が胸に響いた。

( その手にしている『りん』は、今だけのものだよ。人の時はあんたみたいな大妖怪から見りゃ、瞬きの間くらいなもんだろう。だから大事にしておやり。成るように流れに逆らわず、その時を迎えればいい )

 そう言った時の神楽の顔は、どこまでも優しく母のような姉のような慈しみに満ちていた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ……俺は、まるで薄氷を踏むような思いで言葉を交わす二人を見ていた。いつ殺生丸様の逆鱗に触れて、腰の天生牙を抜かれるかと。淡々と話しているけど、その内容は俺の顔を赤面させるような大人の話。

 そして、思う。

 あの良く笑う天真爛漫なりんも、いつかこの神楽のような表情を浮かべるのかなと。それはりんが殺生丸様の手を取った後か前かは判らないとしても。その時は、そんなりんをまるで別人のように感じて、寂しく思う俺がいるかもしれない。りんは本当に殺生丸様の事が好きだから想いが叶う事は良い事なんだって思うのに、出来れば今のこの時がずっと続けばいいと思っている自分がいる。

( ああ、ちょっと喋りすぎたかねぇ。もう夜も明けそうだし、そろそろ消えるとしようかね )

「えっ? ちょっと待って。こんな状態で、俺一人に……」

 慌てて俺は、言いたい事は言ったとばかりに引き上げようとする神楽を引き止めにかかった。あれだけ言われて、殺生丸様のご機嫌が良い訳は無い。確かに俺も最近のりんが絡む事柄への殺生丸様の反応に、そこはかとなくヤバイものを感じてはいたけどここまであけすけに言われては、どう出てくるか予想もつかない。
 なにしろ、『あの』殺生丸様だ。それなのに、神楽は俺の事などまるで関係ないと言わんばかりに、最後に殺生丸様の腕の中のりんの寝顔を覗き込む。

( ふふふ、なんて幸せそうな寝顔なんだろう。殺生丸、あんた自分の腕の中にどれだけの宝物を抱えているのか判ってるかい? )

「……まだ、何か言いたいのか」

 神楽の指先が優しくりんの前髪をかき上げる。俺やあの世の使いが見える殺生丸様や、神楽が死んだ事を知らないりん以外には、夜明け前の風が前髪を撫でたようにしか見えないだろう。

( ……あたしは自分のやった罪業を、今この姿で償い始めた所だ。酷な事を言うけど琥珀、あんたもいつかそんな時が来る。あたしほどじゃないにしても、あんたの手も血に汚れすぎたからね。そして、殺生丸 ―――― )

 殺生丸様の眸が剣呑さを増して、ぎらりと光る。

( 言うまでもないね。でもさ、あんたの番(つがい)になるかもしれない娘って意味だけじゃなく、りんを見てるとこの先がずっと明るい方へ続いてゆくような気がするんだよ。いや、そうでないといけないって気にさせる。それって凄い事じゃないかい? )

「りんが…?」

 神楽の言葉の意味を取りあぐねて、ぽつりと俺はそれだけ言葉にした。

( いや、りんだけじゃない。りんを通して見た、『人間に』かもしれないね )

「人間ごときに……」

 目の前の神楽は確かにあの神楽の姿なのに、その魂の変わりように俺は目を見張った。神楽は自分は罪を償い始めたところだと言っていた。それがこの変化をもたらしたのだろうか。

( りんや本当なら琥珀、あんたにもこの先笑って光の中で過ごして欲しいって気持ちがあるんだよ。あんた達は、この『先』を繋ぐ者達だから。あたしやあんたみたいに血で手を汚さなくてもいい明日を作ってくれるかもしれないだろ? )

「……だから、守れと。りんではない人間どもも」

( それがあんたが今まで殺してきた者たちへの、あんたが返せる答え。あんたはそれだけの力を手にしているんだ。今度は生かす為に、その力を ―――― )

「私に指図するな」

( おお恐い。指図されたって、従うような玉じゃないじゃないか。これ以上憎まれ口を叩いたら、それこそ天生牙で一刀両断にされそうだ )

 俺も、殺生丸様の左手が天生牙の鯉口を切るのを見た。

( そう遠くは無い、りんがあんたの妻になって女として幸せに笑う顔を見たら、あたしもとっとと地獄に堕ちてやるよ。そして、あたしの魂が現界に転生できるまでの永い時を、その笑顔を糧に渡って行くさ )

「神楽……」

( ……そうじゃないと、勝負にならないからね。いや、勝ち負けじゃないか。せめてあたしも、あんたの前にただの一人の女として立ちたいって、望みかねぇ )

「……………………」

( じゃ、今夜はこれまでだ。あっ、もう一言言っておくよ! 昼間でも、あたしの姿は見えなくてもりんの側にいるからね。りんがその気になるまで、手出しは無用だよっっ!! )

 今日の一番最初の太陽の光の中で笑った神楽の笑顔に、少し先のりんの笑顔が重なる。ここまで自由になれるものなのかと、神楽の軽やかさに驚きと少し羨望の混じった眼で俺は朝日に融ける神楽の姿を見ていた。自分の分を弁え、その魂に負った罪の深さも受け止め、殺生丸様への仄かな想いさえ強さに変える。

 ―――― いつか遠い先の代に、罪を償い奈落の分身なんかじゃなく一人の人間として神楽が立った時、殺生丸様は神楽の手を取るかもしれない。その時でも殺生丸様の傍らにりんがいて、その想いが叶わなくても、きっと今のような笑顔を浮かべて二人の幸せを望む事だろう。

 先の事は判らない。
 過去の事は変えられない。


 でも、今を大事に自分が出来る事を、最善を尽くす事が明日を作ってゆくんだと。
 『今』だけがよければ良いんじゃなくて、『明日』に繋がるから『今』が大事なんだと。


( だから神楽は、ああも殺生丸様にりんとの事で『時期』を待てって言ったんだな )

 朝日が射した自分達の周りに、もう神楽の姿はない。朝日の中できららかな光を反射させている殺生丸様のもこもこが動き、ふぁぁぁと長閑なりんの寝起きの声が聞こえてくる。

 本当に不思議な子だ。

 こんなにも、俺たちの中から温かい想いや希望や幸せを願わせる力を持っているなんて。明日を夢見させる事が出来るなんて。朝日の中、温かくなった胸の中のままなるべく視線を合わせないようにしながら殺生丸様のお顔を盗み見てみれば、殺生丸様もどこか険の取れたお顔のように見えた。りんとの繋がりを今生のものとしてしか感じておられなかった殺生丸様。だから、過ぎて行くりんの『時』に焦りを感じてもおられた。だけどあの神楽を見て、そうじゃないと感じられた。待っていても良いのだと。

 終わりは無いのだ、この想いに。
 繰り返すかもしれない、返さないかもしれない。
 それでも、それがその時の最善ならその結果を受け入れるだけ。
 そして、また次の高みに登ればいい。

 朝日が風に揺れた感じに、俺は胸がどきんとした。
 こんなに胸がドキドキしたのは初めてだ。
 風は、神楽を思わせる。

( ……やばい。俺、神楽に惚れるかも。叶いっこない話だけどでも想うだけなら、それが何かの糧になるなら、それも良いさ )

 
 光の中で俺は先に逝った二人の笑顔を思い出す。

 桔梗様はかごめ様に、神楽はりんに。
 自分たちの「なりたい将来(さき)」を見て、そうなれると確信して、還るべき所に帰って行くんだ。
 そして、俺もいつかは。

 今の俺の眼には、魂やら心やら命や想いという目には見えない、でもとっても大事なものが朝日の光の中できらきら輝いているように見えた。


【終】

2007.11.29 



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= あとがき =

「井戸端草子」様のサイト開設記念に贈らせていただいた「夏夢」三部作は、これにて完です。最後の話は、犬かごサイト様にお贈りするには余りにも自分の趣味丸出しな話になってしまいました^_^;
そしていつの間にか私の中では、「琥珀×神楽」が根付いていたりしますv


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