【 糸 車 】



 
 ―――― かごめが『現代』(あちら)に戻って、二・三日。

 すでに落ち着かなげな者が、約一名。
 気ぜわしげにその指は床を叩き、知らず知らずに体を揺すっている。

( ふ〜ん、まぁ、もうそろそろじゃな )
 
 横目でちらちらと様子を覗いながら、七宝は妙に大人のような顔をして胸の内で呟いた。
 イライラが極まったのか、いきなり立ちあがると ――――

 
「出てくるっっ!!」


 そう一声言い置いて、一目散に駈けてゆく。

 行く先は、そう。
 骨食いの井戸の中。
 かごめの許へ ―――

 
「……ようやく、腰を上げましたな」
「まったく。ケンカしてかごめちゃんが生国(くに)に帰るのも何時もの事だけど、結局迎えに行くんだから、ねぇ」

 犬も食わないケンカをしている二人だから、まわりの反応もこんなもの。
 犬夜叉が出て行った事で、楓の小屋の中はしばしの平安を得る。

「じゃが、いいよな犬夜叉は。かごめの国に行けるのじゃもの」
「なんじゃ、七宝。お前も、行ってみたいのか?」
「ああ、そうじゃ! 犬夜叉だけとはずるいではないか。かごめの国のような不思議な所、行ってみたいと思わぬ方がどうかしとる!!」

 七宝の言葉も判らぬではない。

「そうですね。行けるものなら後学の為にも、一度足を運んでみたいものですね」

 弥勒が七宝に同調する。
 それをふん、と珊瑚が鼻で笑い ――――

「法師様が行きたいのは、この前かごめちゃんが持ってきた絵付きの書物に載っていた、肌も露な娘達を見たいだけだろ!」

  しばらく前、かごめが珊瑚の為に持ち込んだファッション雑誌のグラビアを飾っていた水着ギャルのピンナップを、弥勒がこっそり見ていたのを珊瑚は知っていた。


 ―――― こちらでも、どうやら『犬も食わない』が始まりそうな気配である。

 
「……のう、楓お婆。お婆は思う事はないのか? ここを出て、遠くに行ってみたいとか」
「そう…じゃな。思わなんだな。いや、思うてはならぬのじゃ。わしは村治めの巫女じゃからな。どこにも行く事は叶わぬのじゃ」
「なんか、つまらぬのう。妖怪を鎮める事と、加持祈祷の繰り返しじゃろ? なんか、こう違う事をしてみたいとは思わぬのか?」

 幼いながらも犬夜叉達と旅を続け、修羅場も踏むが見聞も広めつつある七宝には、長の年月この狭い村だけで過ごしている楓の暮らしがひどく息の詰まるもののように感じていた。

「……そう、村は出た事はないがこの年まで生き永らえば、不思議な事の一つや二つはあるものよ。それがあるから、わしの人生も満更ではないわ」

 そう言って楓は遠い視線を虚空に送った。

 その隻眼に宿る光は、今まで七宝が見た事のない不思議な優しさを、否 かつて自分にも注がれていたあの懐かしい『光』を湛えていた。

 


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 


  ……もう何度、この井戸を抜けて来たのか判らない。

 
 五百年後の世界。
 本来の、かごめの『世界』

 
「ちっ、かごめの奴。毎度毎度迎えに来させやがってっっ!!」

 
 誰にも聞かれないように井戸の底で悪態を付き、思い切ったように井戸の外へ出た。
 時刻は、陽(ひ)の高さからまだ昼前か。
 匂いの強弱でかごめが在宅しているか不在かまで判るほど、この『場』に馴染んでしまった自分が在(い)る。

「…まーた、『学校』かよ。こっちに帰って来た時ぐらいゆっくり休みゃ良いのによ」

 かごめが帰って来るまで待つか、それとも気付かれぬうちに『戻る』か……。
 しばし思案しているうちに、背中をポンッ! と叩かれ口から心臓が飛び出そうなほど驚く。

 そこにはニコニコ微笑(わらい)ながら、箒を手にしたかごめのおふくろさん。

「かごめ、迎えに来てくれたのね犬夜叉君。まだねぇ、学校から帰って来てないのよ。ちょっと待っててくれる?」
「う”、ああ、まぁ……」

 歯切れの悪い返事を返しながら、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 
( ……一体どうしちまったんだ、俺? 背後に付いたおふくろさんの気配を察せられなかったなんて )


 そんな大事な事を怠ってしまうほど、ここは『安全』な場所。
 暖かで居心地がよくて、どこか懐かしい。

 
 ―――― それとも、おふくろさんが『特別』なのか。

 
「ねぇ、犬夜叉君。お昼、まだでしょう?」
「ああ…」

 何時ものように、当たり前に家の中に招かれて厨(くりや・台所)の飯台の側の椅子に腰掛けている。
 ふと、胸の中に芽生える疑問。

( ……そーいや、おふくろさんを始めこの家に人間って、どーして俺の事なんとも思わないんだ? )

 逆髪の結羅に襲われて、たまたま井戸に落ちてこちらの『世界』に帰って来たかごめを追い駆け、勢いで飛び込んだ俺。

 まさか、こんな世界。
 想像だにしなかった。

 いや、想像出来なかったのは ――――

 かごめの家族の、この反応。

( …いきなり、耳クイクイはねーだろっ!? )

 なんだか随分と昔の事のような気がする。
 ここのじいちゃんは俺を雑役夫のようにこき使いやがるし、草太はすっかり弟分を決めている。
 おふくろさんは ――――

 「ねぇ、犬夜叉くん。お昼、何が良い?」

 まるで当たり前のような態度で、そう、かごめの学校の友達かなにかのように。

 
 俺は五百年前の人間…、いや『半妖』だぜ?

 なぜ、気にしないんだよ?
 あんた達。


「犬夜叉君?」

 
 訝しげに、俺の顔を覗き込むおふくろさん。
 獣耳に獣眼。銀の髪。
 俺の風体が目に入らねぇ訳じゃないよな。

「…ああ、あれば忍者食を」
「忍者食? ああカップ麺の事ね。じゃ、うどんか蕎麦がいいわね」

 ガサゴソと戸棚を見ているおふくろさんの後ろ姿へ、思わず知らず問い掛ける。

「なぁ、なんであんた達はそうなんだ?」
「えっ? なにが『そうなんだ?』なの?」

 お目当ての大盛りのうどんのカップを見つけ出し、それを誇らしそうに俺に見せながら振り返る。
 炉の上で、薬缶がピーピーうるさい音を立てている。

「……だから『俺』の事とか、かごめがあっちの時代で危ねぇ目に逢ってる事とか、なんとも思わねぇのかと」
 
 そこで一旦、言葉を区切る。
 ここには俺を『異端者』だとか、『忌避すべき者』だとか、今までなら当たり前に注がれていた拒絶の視線はない。

 でも、だからと言って『それ』を俺が忘れていい訳もない。

「ふつーなら、自分の大事な娘が俺みたいな訳わからねぇ奴とつるんでたり、命狙われたりしたら、絶対嫌じゃねーか。親ならよ」

 絡むような物言いだと、俺も思う。
 だけど ―――

 
 コトン、と湯を注いだ忍者食を俺の前に置いて。


「…そう、ね。『親』なら、ね。でも、出遭っちゃったんだし…。かごめの、あの娘の変化を見れば、この出遭いが『間違った』ものではない事は良く判ってるから」
「…かごめ、大変なんだろ? そのー、ほれ『じゅけん』とか『てすとお』とかって。そう言うのは良いのか?」

  お茶と沢庵の切ったのを添えながら。

「勿論、あの娘が『あっちの世界』の事を理由にして、こちらで『やるべき事』を疎かにするようなら、私も考えるわね。でもかごめ、頑張ってるもの。なら応援するしかないじゃない」

 ああ、この女性(ひと)は自分の娘に絶対の信頼を寄せているんだ。
 そして、かごめを通して『俺』を見ている。

 自分の湯のみを用意して、俺の前に腰掛ける。

「……私はね、『偶然の出遭い』なんてないと思っているの。後から考えて見たらね、『出遭わなければいけない理由』があって出遭ったんだって、納得出来るのよ。その『時』は、その理由なんて判らないけどね」
「じゃ…、俺とかごめ、も?」

 おふくろさんは瞳だけで、頷く。

「…犬夜叉君、あなただけじゃないのよ。不思議なお客様は」
「へっっ!?」

 すっ、と辺りの空気の色が変わったような気がする。
 目の前のおふくろさんから感じる違和感。

 …いや、この『気』は知っている。
 ずっと昔に亡くした、懐かしい ――――

 
「…この『日暮神社』はもう千年からの歴史があるの。境内には樹齢千年のご神木やあの『骨食いの井戸』もあるわ。表立っての社史には残せないけど、あなたのような『客人(まれびと)』の記録もいくつかあるのよ」
「俺だけじゃないのか!?」

 
 ―――― そんなこと、予想もしなかった。

 
 驚愕で眼を見開いた俺に、おふくろさんの言葉が続く。

「そう…、あなたの前に訪れた『客人』は、女の人だったわ。もう四十年くらい前の話よ」

 淡々と、言葉を紡ぐ。

「で、その女は?」
「暫くはここに居たそうよ。どこから来たのかも名前も判らないその人は、巫女装束を纏ってこの神社の境内に倒れていたの。私が生まれて間もなく、その人はここに現れた時と同じように姿を消したと聞いたわ」
「おふくろさん……」

 うっすらと、おふくろさんが微笑む。
 その笑みは、俺などが知りようもない不可知な色彩に彩られていた。

「……『ここ』はね、そんな場所なのよ。『聖』や『邪』、『善』や『悪』って、一体『誰』から見たものなのかしらね。自分が見て、感じたものを信じるしかないのじゃないのかしらね」
「…………………」

「この『家』の者は、少なくともそうだわ」

 
 はっきりと、そう言い切る。

 
( ああ、そう言えば以前かごめにも、同じような事を聞いた事があったな。あの時にも、このおふくろさんには『敵わない』って思ったんだっけ )

 こんなおふくろさんに育てられれば、かごめがあんな風に育つはずだ。
 真っ直ぐに、その瞳見据えて。


「あら、ヤダ! それ、もう伸びちゃってるわよ。新しく作りましょうね」

 そう言いながら、俺の目の前に置かれた忍者食を下げようとする。
 確かに、見た目にもぬるくなっているのが判る。

 
 と、その時 ―――

 
「いいわよ、それ食べさせちゃっても! どーせ一個じゃ足りないんだし」

 何時の間に帰って来たのか、俺の背後にかごめが立っていた。

「あらお帰りなさい、かごめ。犬夜叉君、来てるわよ」
「かごめ…」
「見れば判るわよ。テストも終わったし、それ食べたら向こうに行きましょ。荷物、取ってくるわね」

 手をヒラヒラと振りながら、足取りも軽く階段を駆け登ってゆく。
 そんな娘の後ろ姿を眺めつつ ――――

 
「ね、犬夜叉君」

 
 片目でウインクしてみせる。
 その茶目たっぷりな仕草に、みょーにドギマギしてしまい、そのくせ胸中はやたら暖かく……。

 

 


「じゃ、行って来ま〜すっっ!!」

 何時ものように、駆け出してゆく二人を笑顔で見送る。
 その『絆』を絶対のものと信じて。

 
( ……『私』とかごめが親子であるように、あの娘はあなたと出遭った。そして私はまた犬夜叉、お前に逢えた。私が『ここ』に居ると言う事は、そう言う事なのですよ )

 

 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 



「へー、そんな事があったのか。不思議な話じゃな」

  滅多に話す事のない、楓の昔話。


「ああ何も覚えてはおらぬが、その間わしはとても『満たされて』いたと、そう思えてならんのじゃ。その頃を知る村の者がのう、あの頃のわしが一番綺麗だったと言う程じゃからな」

 年甲斐もなくほんのり頬を染めて話す楓の言葉に、七宝は手にした柿をポロリと落とした。

「…あはは、そうじゃな。楓お婆もいきなりお婆だった訳ではないものな」

 引きつり笑顔を浮かべる、七宝。

( ああ、そうあれは『夢』かも知れぬ。あの温もりは誰であったか判らぬ。この腕に残っていた柔らかく温かく、愛しいものはなんだったのか? 思い出そうとする度に、切なくて苦しくなった。それほどに大切に思える『もの』を、わしはこの手にしていたのだ )

  ……『理由(わけ)』あって出遭い、そして別れた。
 別れはきっと辛いものだったのだろうが、『あの事』がなければこのわしが手にする事も出来ないものであった事は、よく判っている。

「七宝、楓様の話は何だったの?」

 珊瑚が弥勒との痴話喧嘩に勝利し、落ち着いた所でそう声をかけた。

「うん、もう昔の事じゃが楓お婆、『神隠し』に遭った事があるそうじゃ」
「神隠し?」
「ああ、そうじゃ。ほんの二月(ふたつき)ばかりの事だそうじゃが、戻って来た時は随分面変わりしていたそうで……」
「何? 酷い目に逢って、やつれていたの?」
「いや、その逆じゃ。えろう綺麗になって帰って来たと。じゃが、その間の事を覚えておらぬと言うから、どこまで本当か…、痛てっ!!」

 そう言いかけた七宝目掛けて、鍋の蓋が飛んできた。

「…神隠し、ですか。もし珊瑚がそんな目に逢ったらば、例え蓬莱の山だろうが比良坂の向こうだろうが、お前を探しに行きますよ」

 珊瑚の手を取り、力説モード。
 調子の良い事言うんじゃないよ、と手を振り解こうとして、それが出来ず真っ赤になる珊瑚。
 馬に蹴られる前に、七宝はその場を離れた。

 
「そろそろ帰って来る頃じゃな、かごめ・犬夜叉」

 
 見上げた空は、茜色に染まり始めていた。

 
 
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

 カラカラ カラカラ 回り続ける糸車


 紡ぎ出すのは どんな糸

 

 糸の織り成す縁(えにし)の綾に 

 

 浮かぶはこの世の 不思議模様 ――――



【終】
2003.11.16


 
【 あ  と  が  き 】
 
8888番キリ番ゲッターの美峰様のリクエスト、かごちゃんのママは
どうして犬君を前にして、ああも冷静でいられるのか。実はかごちゃん
のママには何か『秘密』があるのでは、と。
 
…はい、杜もそう思います。

かごちゃんのママも『謎の人』です、杜ワールドでは。
前回、ぷーにゃんさんのリクの中に少し楓さんの件(くだり)は盛り込
みたかったのですが、テンポが悪くなるので割愛した部分を今回挿入す
る事が出来ました。
きっと、びっくり展開でしょうね、これは。
 
本当に遅くなってしまいましたが、美峰様。
どうかお納めくださいませ。


杜 瑞生 拝。




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