【 花 闇 】
───── 四月、卯月、花残月(はなのこりつき)
日に日に暖かくなり、花が一斉に咲き競う季節。
全てのものが『春』を享受する為に。
どことなく、人もものも浮き立つような感じは否めない。
そして一番ありがたいのは、野宿をしても夜気が身にしまなくなった事だろう。
今を盛りと咲き誇る、桜花の下で眠るのもまた趣(おもむき)がある。
そう、こんな夜でなければ。
村の外れのお堂を仮の宿とし、犬夜叉一行が足を止めたのはまだ日が暮れる前の事だった。
珍しく怪しい気配も何もなく、穏やかな一夜を過ごせそうな、そんな夜。
近くの村で祭りでもあるのか、遠く低く太鼓や鐘の音が聞こえてくる。
その音は、だんだん日が暮れるに従って人々を誘い出すような音律を持って響きわたる。
「……祭りでもあるんじゃろうか?」
お堂の前で火を囲みながら、七宝が子供らしい好奇心丸出しでそう口にした。
「そうですね。気候も良いし、祭りの季節ではありますね。何か旅に必要な良いものがあるかもしれません。様子でも見てきましょうか?」
弥勒が嬉しそうに、いそいそと立ち上がる。そんな弥勒をきつい目でちろりと睨み、珊瑚も立ち上がる。
「じゃあ、あたしも一緒に行くよ。猫も鳴く季節だからね。法師様も何にひっかかるか判ったもんじゃない」
「さ、珊瑚〜」
弥勒が情けない声を出す。
「えっ、何? 今の、どういう意味?」
弥勒と珊瑚、二人の会話を聞いて、かごめが首を傾げる。
その横で、ポンッと七宝が手を打った。
「なるほど、そーゆー訳じゃな。オラもそーゆー祭りがあると、お父に聞いた事がある」
ますます訳が判らなくて、両方の顔を見比べるかごめ。
「ねえねえ、一体どう言う事なの? 教えて、七宝ちゃん」
弥勒と珊瑚が止める間もなく ─────
「……夜這いじゃ。オラもよくは判らんのじゃが、なんでもその祭りに夜出掛けると朝、夫婦(めおと)になって帰って来る若い衆がおるそうじゃ。それで、夜這い祭と ── 」
七宝自身意味が理解ってないので、何でもないように話しているが、聞いているかごめは顔が赤くなっている。
「あ、まだ、そういう祭だと決まった訳ではなく、ただの豊作祈願の祭りかも知れませんし……」
弥勒が慌てて言い繕うが、かなり怪しい。
「よし、オラも一緒に行くぞ。のう、かごめも一緒に行こう」
弥勒の監視目的が半分、祭の夜店見物が半分で、七宝はもうすっかりその気になっている。
「そうだよ、かごめちゃん。祭りで法師様に何か買って貰おうよ」
遊ぶ金を無くすため、そんな事まで言いだす珊瑚。
「……うん、でも私、今日はいいわ。三人で行ってきて」
そう言って、後ろのお堂を振り返る。
その中には ──────
そう言った、かごめの気持ちは珊瑚にもよく判る。
勿論、気のきく七宝にも。
「そうですか。かごめ様が行かれないのなら、私も止めにしましょう」
そう苦笑いしながら、腰を下ろそうとした弥勒を珊瑚と七宝の二人が両側から引きずって行く。
「な、何をするのです? 珊瑚・七宝!」
「……自分の楽しみがフイになったからって、そーゆーいけずな事するこたぁないだろ、法師様」
「そうじゃ、そうじゃ。たまには二人にしてやらんと。なにかと難しい二人じゃからな」
そうして、火の側にはかごめが一人。
お堂の回りとその裏に続く山縁には、遅咲きの山桜が今宵限りと咲き誇っている。
見る者を酔わせるように、美しすぎて切なくなる程に。
「ねえ、犬夜叉。こっちに来ない? 桜が綺麗よ」
お堂に向かって声をかけるが、返事はない。
「ねえ、犬夜叉!」
「………桜は、嫌いだ」
お堂の中から出てこようとはしない犬夜叉にじれて、かごめが中を覗き込む。向こうをむいて、ふて寝しているその背中に流れる、濡れたような漆黒の髪。
そう、今宵は新月。朔の夜。
「……どうしたの? 何か変よ、犬夜叉」
「放っとけ。何でもねぇーよ!」
……何でもない訳はないのだろうが、犬夜叉が話したくないのなら、敢えては聞くまい。
思う事しか、自分には出来ないのだから。
過ぎてしまった『時』の中に、犬夜叉の哀しみや辛さがどれほどあったのだろうかと。
かごめはまた、火の側へと戻る。
犬夜叉を、一人にしてあげた方が良いように思えたので。
──── 暗闇の中で、夜目の効かぬ獣瞳(けものめ)を凝(こ)らし、必死で見つめる。
……桜は嫌いだ。
美しすぎて、儚すぎる。
俺を慈しんでくれた、あの人の笑顔のように。
ひとときの安らぎと引き換えに、忌まわしき因縁に絡め取られた彼の人のように。
桜は…、無くしたくない『今』と重なり過ぎる。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
月の無い、こんな夜の主役は、やはりこの夜空を覆う桜花(さくらばな)。
じっと見ていると、引き込まれそうな妖しさ。
漆黒の空に朧(おぼろ)に浮かぶ薄紅の花々は、時も場所も忘れさせる魔力を持っている。
( ……ちょっとだけなら、大丈夫よね )
焚き火に新たに柴木をくべ火種を少し大きくすると、かごめはそっとその場を離れた。
そうしておいて、夜空を覆う妖花に導かれるようにお堂の裏の山縁へと足を踏み入れる。
常の『力』を逸していた犬夜叉は思惟の海に沈んでいた為、かごめがその場を離れた事に気づいてはいなかった。
一歩裏山に足を踏み入れたかごめは、その桜のあまりの見事さに息を呑んだ。
咲き初めの清楚な感じとは打って変わり、満開の散り際寸前の爛熟(らんじゅく)した風情がある。
妖艶で憑(つ)かれそうな美しさ。
そんな桜に見惚れるかごめを、闇の中から粘つくような視線で見ている者達がいた。
かごめはすっかり桜に気を取られていたので、自分のすぐ側まで足音が近づいて来るのに気づかない。
──── そして、気づいた時は手遅れだった。
「ん? 誰? 犬や…」
…夜叉、と問いかけようとしたかごめの言葉は、最後まで発せられる事はなかった。
振り返り、驚きで瞳を見開いたかごめの鳩尾(みぞおち)に、男の拳が打ち込まれる。
意識が途切れる瞬間、かごめは犬夜叉の名を呼んだ。
「…………?」
想いの海底に沈んでいた意識が、現在の時の流れに戻ってくる。外で焚いている火の爆(は)ぜる音が小さくなり、常の感覚を失している犬夜叉でも人の気配が途絶えている事に気づく。
「かごめ?」
外へ呼びかけるが、返事はない。
嫌な胸騒ぎがした。
慌ててお堂の扉を押し開き外の様子を眺めるが、そこには消えかけた焚き火が侘(わび)しくあるばかり。
争った跡はないから、かごめが自分からこの場を離れた事は読み取れる。
弥勒達の後を追ったのかとも思ったが、それでもこの嫌な胸騒ぎは納まらない。
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( ……俺が付いているから、弥勒達はかごめを一人にもしたのだろう。それなのに――― )
ふと、見上げた月のない夜空に妖しく映える桜花。
「これ、か……」
犬夜叉はかごめが桜を見ようと誘った事、そしてかごめがその桜に誘われて裏山に入り込んだのだと確信した。
「かごめっっ! かごめっっ−!!」
声を限りに、呼び続ける。
選りに選って、こんな晩に!
夜目も効かねぇ、匂いも判らない。お前の声さえ、こんな『人間』の耳じゃ聞こえねぇ!!
これだけ大声で呼びかけても、返事がねぇって事はかごめの身に災難が降りかかっている事は間違いない。
焦る気持ちだけが空回りする。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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( ……う、うん。犬夜叉? )
犬夜叉に、呼ばれたような気がした。
妙に息苦しい。腕が痺(しび)れて、身体の自由が効かない。
それよりも、素肌に直に触れる夜気に心が凍りつく。
( な、なにっっ! 私、どうして…!? )
息苦しいのは、猿ぐつわを噛まされているから。腕が痺れているのは、後ろ手に縛り上げられているから。しかし、その他は一糸纏わぬ露(あらわ)姿を曝け出されていた。 気が付くと、そんな自分の姿を舐めるように見つめる視線にぶつかった。 それも、一人や二人じゃない。
四・五人は居るだろうか。
下卑た表情をし、獣欲でぎらついた目でかごめの肢体を舐めまわしている。
かごめが今まで出合ったどんな妖怪どもよりも性質(たち)が悪い。
「兄貴、今年はとんでもねぇ上玉がひっかかったもんですねぇ。祭りの晩には、祭りの陽気に誘われてか若い娘の一人や二人、人気のねぇ所をフラフラ歩いてるもんですがねぇ」
「まったくですぜ、兄貴。見てくだせぇ、この娘の肌。白くて肌理(きめ)が細かくて、まるでお姫様みたいだ。そこいらの廓の太夫じゃ、敵いやしねぇ」
かごめも伊達に妖怪どもと渡り合って来た訳じゃない。普通の娘のように恐怖で竦(すく)んだり泣きだす前に、まず自分をこんな格好にして勝手に値踏みをしているこの男達への怒りをたぎらせていた。
そんなかごめの瞳(め)に、男達の頭目らしき男が気が付いた。
「……娘、いい瞳(め)をしているな。俺はそういう気の強い娘の方が好みだ。甚振(いたぶ)り甲斐があるからな」
まわりの男達も、言葉の意味を解して卑らしい笑みをこぼす。
「おめぇ、男はまだだろう? 花に例えりゃ、四分・五分咲きってところだな」
自由の効かぬかごめの顔を自分に向けさせ、これ以上はないと言う程凶悪な形相を見せる。
「へへっ、安心しな。俺達が満開にしてやるからよ」
そのいやらしい言葉を吐いた唇を華奢なかごめのうなじに押しつけ、それと同時に節くれだった大きな手でかごめの乳房を掴み占める。
( いやっっ ───── !! 助けて、犬夜叉っっ!!! )
その初めての感触に全身粟立ち、心の底から『男』に対する恐怖が湧き上がってくる。
かごめの目の前が、覆いかぶさる男の影で暗くなった。
─────── !! ───────
漆黒の闇を覆う花闇の中で、犬夜叉は立ち止まった。
───── 確かに聞こえた。
実際に『耳』で聞こえたものではないが、あれは間違いなくかごめの声だった。
「こっちかっっ!」
夜目も効かず匂いも判らない筈の犬夜叉は、それでもまっすぐにかごめの元へ走りだしていた。
泣く声を聞きたいと、猿ぐつわは外されていた。
後ろ手に縛られていた手も、乗り掛かるのに具合が良くないと、これも外されてはいた。
そのかわり、肩口を二人の男に押さえられ、仰向けにさせられている。
かごめは必死で足を閉じ合わせていた。
そのすらりと伸びたかごめの足の膝頭に、頭目らしき男が手をかけ、無理やり押し開こうとしている。
( も、もう、ダメ。こんなの、絶対、イヤっっ!! )
多勢に無勢。か弱い少女と屈強な男とでは、最初から勝負にならない。
かごめの力が尽きようとしていた。
力を振り絞りぎゅっと閉じた瞳の端に、何か赤いものが見えた。
と、次の瞬間 ──────
かごめの身体は大きくて優しい手で起こされ、誰かの背中に庇われる。
その誰か ──────
(犬夜叉!! )
かごめが力尽きようとした、その一瞬。
疾風のように走り込んできた犬夜叉が、かごめに覆い被さろうとしていた男を弾き飛ばし、その背に庇ったのだ。
「大丈夫かっっ!! かごめ!」
「う、うん。大丈夫……」
犬夜叉は出来る事なら今この場で、この男達を叩き殺したい衝動に駈られていた。
「……なんだ、娘。こいつはお前の『男』か。祭りの晩に乗じて、お前達も乳繰り合うつもりだったんだな」
犬夜叉に撥(は)ね飛ばされながらも、まだ下司な口を叩いている。
「あんた達と一緒にしないで! 私達はそんなんじゃないわっっ!!」
犬夜叉の拳が、ばきりとなる。
今宵、今ここに『爪』がないのが悔やまれる。
誰にも見せたくない、かごめのこんな姿を舐めるように見ているこの男達の目玉をえぐり抜いてやりたい!!
「かごめ、これを着てろ!」
素早く自分の上衣を脱ぐと、かごめに渡す。
頭目が自分の後ろに控えている手下に目配せを送り、三人程の男達が互いに距離を取りながら、犬夜叉達を囲いこもうとする。
「…一人で乗り込んで来るたぁ、いい度胸だな小僧。見た所、良い家の伜(せがれ)のようだが、そんなこと、こっちゃ知ったこっちゃないからな」
「女にいいとこ見せようとしたんだろうが、それが命取りだな小僧。無事に帰れるとは思うなよっっ!」
その声を合図に、一斉に襲いかかってくる。
「かごめ! 俺の後ろから離れるなっっ!!」
一番手の男の拳を躱し、腰を落とした位置から男の鳩尾へ手刀を突き入れる。男はその一突きで、ぐうの音も出さず崩折れる。
「…こ、この野郎〜っっ!!」
犬夜叉の見事な技に、二番手の男が僅かに怯(ひる)む。見た目はまだ少年の域を脱してはおらず、腰に携えた刀も抜こうとはしない。
粋がるだけの見かけ倒しだと思っていたのだろう。犬夜叉の目が不敵に光る。
「…さっきの言葉、そっくりお前らに返してやるぜっ! 怪我したくなかったら、とっとと前をあけやがれっっ!!」
犬夜叉の気迫に、二番目の男は足が動かない。
この場は切り抜けられる、とそう思った時だった。
「犬夜叉っっー!!」
背後でおこる、かごめの悲鳴。
思わず振り返ると、闇に潜んでいたもう一人の男がかごめを羽交締(はがいじ)めにし、その頬に匕首(あいくち)を突きつけている。
「かごめっっ!!」
一瞬、隙を見せた犬夜叉の背中に、二番手の男の強烈な蹴りが入る。そのまま、地面に突っ伏す犬夜叉。
「へへっ、形勢逆転だな小僧。おめぇには、俺達の怖さを骨の髄まで叩き込んでやる必要がありそうだな」
さっきまで犬夜叉に怯んでいた男が急に態度を変え、頭目の方へと顔を向けた。
「どうしやす、兄貴」
「ちょっと待ってくれ、兄貴。こんなガキにやられたとあっちゃ、俺の顔が丸潰れだ。俺にやらせてくれ!」
最初に犬夜叉にのされた男が、正気付かせた仲間の手を振りほどきながら、犬夜叉に近づいてくる。手には側に落ちていたと思われる丸太を握りしめていた。
「…好きにしろ。お前達も手伝ってやれ」
凄惨な私刑(リンチ)が始まった。
常の犬夜叉なら、心配はない。
ただの人間がどれほど束になってかかろうと、びくともしないだろう。
だけど、今夜は朔。
自分の為にこんな事になってしまった事を、かごめは後悔した。
一頻(ひとしき)り殴る蹴るの暴行を続け、男達が肩で息をついている。
「…かごめに、手を…出す…な」
肌は裂け、自分の血に汚れてもまだ、意識はしっかりしていた。
「ほう、大したもんだな。並の奴ならとっくにくたばってるぜ。見かけより頑丈だな」
頭目が倒れ伏している犬夜叉の黒髪を引っ掴み、顔を上げさせる。
「…かわいい顔(つら)してるじゃね−か。ちっとやそっとじゃ壊れねぇ体ってのも気に入った」
犬夜叉を押さえつけている手下が、頭目を振り仰ぐ。
「兄貴?」
「あの女と二人並べて姦(や)っちまえ。大人の男の怖さをとことん叩き込んでやりゃ、ちっとは大人しくなるだろう。遊んだ後は、二人まとめて廓に叩き売りゃいい。いい値で売れるだろうぜ」
「なっっ!!」
今まで聞いた事もないような侮辱に、犬夜叉の顔は怒気で真っ赤になっている。
「お前みたいなのが好みだって客も、結構いるからな。可愛がってもらえるだろうぜ。おっと、動くなよ。あの女の顔が、二目と見れねぇ顔になるぜ」
ぐっ、と唇を噛みしめ怒りを押さえる。
──── しかし、怒りが納まらなかったのは、かごめ。
事の成り行きに気を取られ、かごめを捕まえている男に隙が出来た。
その隙を、かごめは見逃さなかった。
かごめは渾身の力を込めて、男の下腹部に、いや正確に言えば男の急所そのものに、怒りも込めて水月打ちを打ち込んだ。
「あ”う”ぇぁっっ!!」
悲鳴にもならない声をあげて、男が悶絶した。かごめはその手から匕首を奪い取ると、犬夜叉の元へ走り寄る。
かごめの形相と、手にした匕首とに怖れをなして犬夜叉の回りを囲んでいた男達が思わず退く。
「大丈夫! 犬夜叉っっ!!」
犬夜叉の傍らに寄り添う。
「…ああ、なんとかな。かごめ、お前は?」
「私は大丈夫っっ! 今まで、伊達に妖怪どもと渡り合って来た訳じゃないわっっ!!」
そんな二人の様子に、男達の怒りも激しくなる。
「兄貴! この二人、ここで叩っ殺してやりやしょうぜ!!」
「へっ、お前らにそんな事が出来るかよ」
犬夜叉の手には、かごめから渡された匕首。
その時初めて男達は、自分達を睨み付けているその瞳が、異形のものだと気が付いた。
──── 男達の目の前で、鉄砕牙ならぬ匕首が閃いた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
真っ暗な山道を、白と赤の二つの影が駆け降りてゆく。
どのくらい走ったのだろう?
赤い影が、力尽きたように足を止めた。
「はあ、はあ、あの連中、本当に追ってこないかしら?」
その傍らで足を止めた白い影が答える。
「ああ、大丈夫だろ。足の筋を切ってやったからな。当分は歩く事も出来ねぇはずだ」
犬夜叉は忌ま忌ましげに舌打ちし、そう吐き捨てた。
──── 本当なら、真ん中の『足』を切り落としてやりたかった!!
「ん? どうしたんだ、かごめ?」
座り込んだままのかごめが、セーラー服のスカーフで自分の首筋を何度も何度も擦りつづけている。
赤く、うっすらと血が滲むまで。
「かごめ!」
見る間にかごめの大きな瞳に涙が溢れ、声が震える。
「…だって、汚いんだもん! 誰にも触らせた事ないのに…。誰にも見せた事ないのに……」
自分で自分の身体を抱え込み、小さくなって泣いている。
今になって、怖さが出てきたのだろう。
暗闇で泣きつづけるかごめが儚くて、守ってやりたくて、そっと背中越しに抱きしめる。
一瞬ぴくりとかごめの身体が警戒したが、それがいつも自分を守ってくれる温かさだと気づき、ほんの少し身体の力を抜く。
「……お前は、汚くなんかないぞ」
「だって……」
犬夜叉の目の前にある血の滲んだ首筋が痛々しくて、優しく唇を寄せた。
「……お前に最初に触れたのは、俺だ」
「犬夜叉……」
「……お前の、生まれたままの姿を最初に見たのも、俺だ」
「……………」
「それじゃ…、駄目、か?」
精一杯の、犬夜叉の優しさ。
「…犬夜叉なら、いい。最初が…、犬夜叉なら」
重なり合う、お互いの心臓の音。
辺りを包む、花の闇。
さわさわと風が吹くたび、花が舞散る。
微かな星の光を受けて、在るかなしかの薄紅(うすくれない)。
灼熱の鉄の棒を呑んだように身体の中心が熱くなり、犬夜叉は一歩も動けなくなっていた。
そんな二人を埋めるように、花が散る。
花が散る ─────
ようやくの事で、犬夜叉がその手をそろそろと下に動かそうかとした、
その時。
「かごめっっー、どこじゃー」
「かごめちゃ〜んっっ。どこー」
「犬夜叉!! 一体どこに行ったんだっっ!」
二人を捜す、仲間の声。
「あっ…!?」
「おっっ!」
二人は慌てて、離れた。
「かごめ! 早く、いつもの着物を着ろ!!」
後ろを向いて、そうかごめを促す。
こんな所を見られたら、何と言われるか判らない。
「おい! 着替え終わったか?」
「うん、これ、ありがとう」
かごめがそう言いながら、犬夜叉の上衣を差し出す。
犬夜叉がそれを羽織り、襟を整える間もなく ─────
「あっ、かごめじゃ!」
草の陰から七宝が飛び出してくる。
その後、珊瑚・弥勒と続く。
「…一体、こんな所で何をしてるんですか。帰って見たら火種は消えてるし、二人とも姿も形もないものですから、心配したんですからね!」
「本当だよ。二人に何かあったんじゃないかって、気が気じゃなかったんだから」
……かごめの為にも、本当の事を言うのは憚(はばか)られた。
「……俺が誘ったんだよ。桜が綺麗だってな」
「犬夜叉……」
何やら瞳(め)と瞳で交わし合っている二人を見て、何かあったと弥勒は確信した。
「ほー、犬夜叉。お前が花見、ですか」
奥歯にものが挟まったような、弥勒のもの言い。
「なんだよ、俺が誘っちゃ悪りいのかよっっ!!」
どことなく赤い顔のかごめと、あちらこちらにアザを作り、襟の乱れた犬夜叉と。
「まあ、そーゆー事にしておきましょう」
弥勒は場数を踏んだ者だけが見せる、笑みを浮かべて。
「なんなんじゃ、あの三人?」
「さーねー、あたしにはわかんないけど」
風が吹き、また一頻り花が散る。
「…もう、桜も終わりですね。さあ夜も更けました。早く戻りましょう」
弥勒の言葉で、皆もと来た道を戻る。
今日と変わらぬ、明日へと続く道。
だけどこの花闇は、ほんの少しだけ犬夜叉とかごめの間の色を濃くした。
【終】
2003.4.30
【 あ と が き 】
tomo様より頂いたリクエストで書いた、杜にとって初めてのキリリ
ク小説です。ラブラブな犬かごシーンがほんの少しで、おまけにお預け
状態で終わってしまいました。一応、リクエストにあった『暗闇祭』と
かごめちゃんの危機(…かなりアブナイ設定で書いてしまいました。)を
助けに来る犬君、と言うお題はクリア出来たのでは…、と思うのですが
何分にもまだ未熟者ですので、お気に召して頂けたら、幸いです。
(…ちょっとヤリすぎた所もあるかと思いますが、その点、お許しくだ
さい。)
心を込めて、tomo様に進呈いたします。
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