【 サクラ サク 】




 犬夜叉の下に来て、早一年。
 村の所々で、白い色目の山桜が綻び始めていた。私はその桜を見ながら、ぽつりと呟く。

「桜、咲くかぁ。丁度一年前の今頃だったのよねぇ……」


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 私が志望した大学は、実家である日暮神社からはかなり離れていて、合格すれば一人暮らしをする事になっていた。

「なんで、そんな遠くの大学なんぞを受験するんじゃ?」

 じいちゃんがぶつぶつと不満顔で私に愚痴る。

「ん〜、歴史や民俗学や伝承などの研究をしてみたいのよね、私。志望した大学は、その分野で特出しているの」
「神社の娘なら、宗教とか信仰の勉強の方が役に立つのにのぅ」
「それも一緒に出来るわよ」
「でも、のぅ……」

 じいちゃんの愚痴に、なぜか私は寂しさを感じた。

「おじいちゃん……」

 なんと言えばいいのか分からなくて言葉に詰まった私に気付いたのか、乾いた洗濯物を持って通りかかったママが助け舟に入る。

「仕方ありませんよ、おじいちゃん。子どもはいずれ親元から巣立ってゆくもの。かごめにも、そんな時期が来たって事ですよ」
「いや! 男の草太ならまだしも、女の子が結婚する訳でもないのに、そんなに早く家から出てゆかんでも良かろう!?」

 おじいちゃんが必死で食い下がる。
 この時、おじいちゃんは何か予感していのかもしれない。

「じいちゃん、仕方ないだろ? 姉ちゃんにだって、姉ちゃんの考えが有るんだからさ。絶対その大学に受かると決まった訳じゃないし、受かったって、夏休みや冬休みには実家に帰省するんだし、帰って来ない訳じゃないんだぜ?」

 草太まで加勢してくれた。

「ごめんね、おじいちゃん。一生懸命に勉強するから、私の我儘を許して」

 私は他に言う言葉もなく、ただそれだけを言葉にしておじいちゃんの前で深々と頭を下げた。

「……分かった、勝手にせい! その代わり、その大学に落ちたらかごめ、お前はそのままこの日暮神社の巫女をやれ!! よいな!」

 三対一では分が悪いと思ったのかじいちゃんは、そう言い残すとその場から出て行ってしまった。

「良かったわね、かごめ。おじいちゃんから、お許しも出て」
「ママ……」
「その代わり、一校必受だぜ? その大学、かなりレベルが高いんだろ? がんばなきゃな、姉ちゃん」

 家族と、そんな遣り取りをした高校三年の秋。
 現代で、家族や仲の良い友人たちと充実した高校生活を送りながらも、戦国時代でのことは一日足りも忘れた事は無かった。歴史の授業中、偉人たちの生き様を学ぶたびに感じる、今もその偉人達が生きているような錯覚と、いやそんな事は無い、もうずっと昔に死んでしまった人達なのだという喪失感。

 戦国時代の犬夜叉たちも……。

 だから、あれから犬夜叉達がどう生きたのか、私は知りたい。
 その思いだけで決めた志望校だった。草太に言われたからではなく、自分のこの思いを叶える為に励んだ受験勉強。

 そうして迎えた大学入試。
 三年前のあのドタバタとした高校受験での経験がモノを言ったのか、大学入試は物凄く落ち着いて受けることが出来た。試験問題を読みながら、この充実した三年間の高校生活を思い返すくらいの余裕すら持って。

「今から考えると、とんでもない受験生だったのよね、私って。戦国時代で過ごす時間が多くなって、ロクに試験勉強も出来なくなっていたっけ。試験票がないって気づいた時の、あの心臓が凍りついた感じは今でも覚えてる。でも……」

 すぐ側に犬夜叉がいてくれた。犬夜叉の優しさと温かさに励まされて、臨んだ高校受験だった。そのお陰で補欠とは言え、志望校に合格。私は高校入試が終るとまたすぐに、戦国時代に戻って奈落との最終決戦を迎えたから、自分では高校合格の知らせをちゃんと受けていなかった。

「だからかな? 合格通知を受け取った時は、なんだかもう感無量だったわ」

 でも私はその合格通知を見た時に『終った』、と何か感じた。現実的に考えれば、『終った』どころか、これからやらなければならない事、始まる事が山と有るにも関わらず。

「ああ、そうか。犬夜叉が合格させてくれた高校の、その高校生活が終るって事なのかも」

 そう思った瞬間、私は犬夜叉に、珊瑚ちゃんや弥勒様、楓ばあちゃんや七宝ちゃん、あの皆の元に行きたい!! と心からそう願っていた。
 五百年の時の柵に雁字搦めの自分の心。
 目に見えない力に抗い、闇雲に走り出してしまいそうな衝動。


 そして、風が吹いた ――――


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「かごめ様、風が冷たくなってきました。お体に障ります」

 春先の夕暮れに仄かに白く浮かぶ山桜を見ていた私の後ろから、歳若い少女の声が聞こえた。

「あ、りんちゃん」
「楓様が気にかけておいでです。今は大事なお体ですから」

 そう言いながらりんちゃんは、私のふっくらと膨らんだお腹に優しい眼差しを向けた。

「ありがとう、りんちゃん。皆が気遣ってくれるから、初めての事でも安心していられるわ」
「そう言ってもらえると、りんも嬉しいです。かごめ様と犬夜叉様のややは、あたしがこの手で責任を持って取り上げさせてもらいますね」

 年下の、まだ十一・二歳の少女とは思えないほどしっかりとしたりんちゃんの言葉。私がいない三年の間にりんちゃんは楓婆ちゃんの下で、薬草の見分け方や煎じ方を習い、炊事や裁縫や機織の手業も覚え、産婆の手伝いまで小まめにこなす、今では立派な楓婆ちゃんの右腕代わりになっていた。

 現代の十一・二歳とこの時代の十一・二歳は驚くほど成熟度が違う。日々の糧を得るために、早い時期から労働に携わり責任のある暮らしをしているからだろう。娘の十四・五歳が嫁入りの適齢期と言われるのを肌で実感する。

「あの…、お願いがあるのですが、かごめ様」
「ん? なぁに? りんちゃん」

 少し口ごもり、りんちゃんが躊躇いがちにこう言った。

「……ややに、お腹に触ってもいいですか?」

 そう小さな声で言う。先ほどは責任を持って取り上げると言ったが、りんちゃんはまだ一人で赤子を取り上げた事は無い。また産婆も、産婦人科の医者の様に定期的な検診をする訳ではない。時折、生育具合や逆子ではないかその具合を見るために、触診をするくらいなものだ。

「楓婆ちゃんを見習って、触診の練習?」
「いえ、そういうんじゃなくて……」

 失礼な事を言ったのかと、りんちゃんの声が小さくなる。

「いいわよ。お腹に赤ちゃんがいる時は、沢山の人に触ってもらったほうが安産になるんだって」

 私はそう言って、りんちゃんがお腹を触りやすい様に少し上体を後ろにそらした。恐る恐るゆっくりと小さなりんちゃんの手が私のお腹に触れてくる。その小さな手の温かさ。一心に自分の手元を、そしてその先で息づいている、今は未だ生まれいずらぬ命に真剣な眼差しを注いでいた。私はふと、私と犬夜叉との間のこの子の存在に、りんちゃんは自分の未来を見ているのかもしれないと感じた。

「りんちゃんも、いずれこうしてお母さんになる日が来るのね」
「かごめ様……」

 お母さんと口にして、急に私は胸に詰まるものを感じた。
 あの日、私を笑顔で送り出してくれたママ。

 お母さん――――

 なんて懐かしくて、涙が出そうになる言葉だろう。

「……りんを、貰ってくれるでしょうか?」
「大丈夫よ。りんちゃんは可愛いし働き者だし、お年頃になればいっぱいお嫁に欲しいって人が現れるわよ」

 感傷的になりそうな気分を、明るい言葉で紛らわせる。

「たくさんの人じゃなくていいんです。りんは一人だけでいいんです」
「一人だけ? それは、殺生丸の事?」

 りんちゃんが、小さくこくんと頷いた。
 そんな心配しなくても、と私は思う。一年前にここに来てからどれだけの回数、りんちゃんの為に、あの人間嫌いな殺生丸が人里に通う姿を見た事か。
 りんちゃんが楓婆ちゃんの村に預けられたのは、人里に戻す練習だと言う。どちらでも選べるようにと。いずれ、りんちゃんがその『答え』を出すその日まで、あの大妖は何も言わずに通うのだろう。

 ―― 人と暮らすのか、妖と暮らすのか。

 それは、私も同じだった。

 ―― 現代で生きるのか、過去の戦国時代で生きるのか。

 そして、出した『答え』。

「……そうなればいいな、と思うりんがいます。でも、それはりんの我儘だって言うのも判っているんです」
「りんちゃん……」

 私のお腹に触れたまま、真剣な瞳を愁いに翳らせた様子が、まだ幼い少女だと思っていた私の眼には、とても大人びて見えた。

「……生きられる時が違いすぎるから、りんのせいで悲しい思いをさせたくないんです」

 それは、そのままあの時の私。
 五百年も過去の戦国時代に行く私。行けば戻る道もなく、ただただ途方も無い『時の壁』が立ち塞がる。

 ……そう、歴史的に見れば私は戦国時代の住人になって、名も無く一生を終える。
 愛する犬夜叉の許で。

 犬夜叉よりも、ママや草太やお祖父ちゃん、友達よりも早く。
 それが、私の出した『答え』。

 私は、お腹に触れているりんちゃの手に自分の手を重ね、お腹のお赤ちゃんの鼓動を一緒に感じさせた。

「だからよ、りんちゃん。だから、こうして『命』を繋ぐの。命のある者は、誰でもいつかはこの世を去らなければならないわ。心中でもしないかぎり、どんなに好き合っている二人でも、一緒に逝けるなんてことはそうそうないものだし」
「……………………」
「新しい命がそこに在るって、残された者にとっても残して逝く者にとっても、それが救いにならないかしら? 私はね、ここに来る事で、家族の目の前で死んだも同然の身なのよ」
「かごめ様っっ!!」

 りんちゃんがびっくりしたような瞳で、私の顔を見上げた。

「りんちゃんには難しいかもしれないけど、私が生まれた場所はね、今からずっと先の未来なの」
「未来?」

 聞き慣れない言葉に、りんちゃんが小首を傾げる。

「そう、未来。一年を五百重ねた先にあるの」
「一年を五百重ねたって…、殺生丸様が生きてきた時よりも長い時?」
「ん〜、どうかな? 同じくらいかも。だいたい殺生丸が幾つかなんて見当がつかないし、犬夜叉の歳が二百歳を越えているらしいってくらいしか判らないからね」

 一生懸命に理解しようとしているりんちゃん。そうして、気付いたように私の顔を見つめた。

「じゃ、ここにはかごめ様の家族は誰もいないんですか?」
「そう。ご先祖様は誰かいるだろうけど、私を産んで育てて見守ってくれた家族は誰一人としていないわ。私が来た道はもう閉じてしまったから、だから私はもう、私の家族がどう暮らしているかを知る事も出来ない。私が現代に残してきた家族は、もしかしたらこの時代に書かれた書付に、風変わりな巫女としての私の名前を見つけるかもしれないけど」

 りんちゃんの大きな瞳に涙が溢れる。

「かごめ様、かごめ様〜〜〜」
「泣かないで、りんちゃん。それが、私の選んだ生き方なのよ」

 口元をきゅっと噛み締め、零れそうな涙を懸命に堪えて私の顔を見ている。

「本当に、それで良かったのですか? かごめ様」
「だって仕方が無いわ。女って男より残酷で我儘な生き物だもの。好きな人の側にいられるなら、どんな犠牲も厭わない」

 業の深い事だと思う。
 もし、私が犬夜叉の許に来る事を諦めていれば……。
 あの家族と友人たちと、今も現代で平和に暮らしていただろう。
 私を待っていた犬夜叉は、諦めずに現代まで生き抜いて逢いに来てくれたかもしれない。

 もしくは、途中で諦めてしまって私の替わりになる誰かを見つけたかもしれない。

 私は家族とは死別同然で別れてきて、犬夜叉より先に逝くのを承知でここに来た。
 だからこそ!!

「でもね、私はこんな風にも考えているの。生まれてきたこの子に、私が家族への感謝と想いを伝えて、それをその子が自分の子に、またその子の子にって受け継がれて、いつか残して来た家族の許に届いたら良いなぁと」
「かごめ様……」

 私は幸せになる!!
 犬夜叉の側で、私はこんなにも幸せなんだって想いを、自分に犬夜叉に周りの皆に刻み込んで。
 私が居なくなったその後でも、その思いが優しく温かく残された人達を包み込んでくれるように。

 りんちゃんが、私の手をぎゅと強く握り締めてきた。

「かごめ様はお強いのですね。りんもそんな我儘が言えるだけの強さを持ちたい」
「自分の気持ちに嘘をつかない、そんな我儘を通すだけの強さを持った時こそ、りんちゃんが『答え』を出す時なのでしょうね」

 もう一度、手を硬く握りそして柔らかく微笑みあう。
 不思議な宿命に導かれた二人の少女の上に、咲き始めた桜が揺れる。


 サクラ サク
 サクラ サク

 それは一つの季節が終わり、人を新しい世界へ導く光の呪文 ――――
 
 振り返る事無く、真っ直ぐ頭を上げて、明日を見つめる。
 幸せになるために。
 誰かと共に、幸せを築くために。

 重なる『時』は、違っていても、『幸せ』を感じる事は出来るから。
 過去に、未来に、そして今を ――――


【 終 】

2010.11.4 



= あとがき =

蛇足を承知で、あの最終回からのかごちゃんの家族への想いを文章にして見ました。
原作ではかごちゃん、大学受験をしたかどうかは不明なままのですが… ^_^;
凛とした眼差しの、優しくて心が強いかごちゃんが私は好きで、CPとしては犬かごの括りでも、キャラ別に見たらかごちゃんの方に針が傾いています。
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