【 約 束 】



 ―――― あとは…、自分たちで身を守れ。


 そう言い残し、曲霊の首の元に詰め寄る殺生丸の後姿に、そこに居た者全ての胸に一瞬暗い影が走る。特にそれを強く感じたのは、この中で一番幼いりんだった。

「殺生丸様……」

 不安げなその呟きに、真っ先に気付いたのは先ほどまでりんの側にいた弥勒。その声にひかれてりんの表情を見る。少し釣り目がちな元気で勝気な瞳に浮かぶ憂いは、恋いうる夫を慮る妻のような、そんな大人めいた女人の色。

( ほぅ、これはこれは……。既成事実の有りか無しかは別にして、やはりこの二人の間にはなにやらありそうですな )

 先の言葉を残しただけで一切後ろを振り向く事ない殺生丸の姿に、自分たちは少なくとも今まで殺生丸が守護してきた者達を託されるだけには信頼されたのかと、その心の有りように変わりように驚きを感じた。
 しかしそれとは別に、今 皆の胸にきざした暗雲を現実のものにしてはならないという危機感のようなものも迫ってくる。そう、何があろうと曲霊ごときにあの殺生丸が殺されてはならないのだ。ここで待っているりんや邪見、そう犬夜叉の為にも。ならば、己の出来る事は ――――

「りん、殺生丸はお前の知る中で一番強いのでしょう? ならば、それを信じてあげなさい。そして ―――― 」

 じりじりと曲霊の砕けた体の破片に取り囲まれる中、弥勒は阿吽の背に乗るりんのもとに近づいた。そしておもむろにりんの小さな頭を自分の胸に抱き込むと、今度は小さくなってしまった殺生丸の背に向けて声をかけた。

「殺生丸! お前の伝えたい事は良く判った。もし、お前に何かあったとしても心配はするな! りんの事は、この私がちゃぁぁぁぁんと面倒を見る!! 決して寂しい思いはさせぬから、思う存分闘って来い!」

 そう言い放つなり、小さなりんの体をぎゅうっと抱き締めた。

「ほ、法師様っっ!!」
「弥勒! こんな時に手前ぇなにとち狂ってやがるっっ!!!」
「ひどいよ、法師様!! 殺生丸様に、何かあったらなんて…っっ!」

 明らかに場違いな濡れ事師のような己の振る舞いに、一気にその場の空気が変わる。

( お〜お、珊瑚も犬夜叉も怒り心頭ですな。まぁ、当然でしょう。さて、これであのお方がどう出るか……、肝心なのはそこですね )

 そんな空気を切り裂いて、振り向くことなく殺生丸からの殺気が弥勒の皮膚をぐさぐさと突き刺してくる。渦巻くように膨れ上がる怒気と妖気と殺気。へらへらと首だけで漂っていた曲霊もその変化に、一瞬己の禍々しい気を呑まれた。

「少しじっとして、りん。これも殺生丸をお前の元に無事帰還させるためのはかりごと」
「は、はかりごとって、法師様?」

 小さく柔らかなりんの体をもう一度抱き締め、幼い頬に自分の頬を寄せ耳元に唇を近づける。背中には切れ味鋭い白刃を突きつけられたような質量をもった強大な殺気。弥勒の一線を越えたような振る舞いにりんは全身を真っ赤にしているし、その後ろにはまた別の殺気が膨らみあがっている。

「気でも狂ったのかい! 法師様!! こんな修羅場で、年端も行かないりんに言い寄るなんて気違い沙汰だよっっ!!」
「弥勒、やめろっっ!! お前、あいつに微塵に引き裂かれたいのか!」

 いつの間にか闘いの場の空気は、この弥勒の奇行で先ほどとはまた別種の何ともいえぬほどの険悪な気が渦巻いている。そのせいか、砕かれた曲霊の体の破片どもの動きも心なしか鈍い。

「弥勒様、りん 恥ずかしいよ。こんな風なの、殺生丸様じゃなきゃ、りんいやだよ」

 そのりんの言葉に、弥勒は言質を取ったと言わんばかりの表情を浮かべた。そしてそれを証明するように、聞くものを凍てつかせるような響きの声が空から聞こえてくる。

「……待ってろ、法師。すぐさまこいつを片付けて、お前の首を刎ねにゆく! その汚らしい手をりんから放せ!」
「それは約束と取っていいんだな? お前はそいつを倒したら、必ずここに戻ってくるという意味でいいんだな!」
「ああ、そうだ!!」

 今までにないほどの妖気を吹き上げ、辺りは薄暗い妖雲に包まれる。その雲の中から、はっきりとそして力強い声が返って来る。もう、空に舞い上がったあの二人の姿は見えなくなっていた。
 あまりの事に、そこに残された者達の行動も思考も僅かの間だが停止していた。

「犬夜叉! 今だ!! 冥道残月破を使え!」

 弥勒の檄に、はっと我に返った犬夜叉が初めて残月破を放つ。自分達を取り巻いていた曲霊の体の破片は全て冥道の底へと叩き込まれていた。

「法師様、今の……」
「弥勒、お前 ―― 」

 りんの体を開放しながら、弥勒はぽりぽりと頭をかいていた。

「はは、単なる酔狂です。人の恋路を邪魔するほど無粋ではありませんが、あの時の場の空気がどうにも嫌でしたのでね。ああ約束された以上、必ず殺生丸は戻ってくるでしょう。そう、りんお前のもとに」
「法師様……」

 またもりんの頬が赤らむ。それは恥じらいというよりも、嬉しさからか。

「……そりゃ、あいつもああ言った以上、必ず戻ってくるだろうさ。お前を殺しにな」
「まったくもう…、法師様あんたって人は! りんの為とは言え、無茶をして ――― 」
「ん〜、ここから逃げたとしても、逃げ切れるものではないでしょうなぁ。さて、どうしたものか……」

 答えなど分かっていながら、そう嘯く弥勒。

「大丈夫だよ! ちゃんとりんからもお願いするから!! 殺生丸様に帰って来て欲しいからした事なんだって。りんに悪い事をしようとしたんじゃないって、りんも言うから!」

 背中に張り付いた殺気をこきこきと肩を回しながら落とし、弥勒は空を見上げた。

「そうですね。どちらにせよ、殺生丸がここに戻ってくるまでどうしようもない話ですね。で、相談ですが、殺生丸が帰って来た時に私はりんの側に居た方が安心でしょうか? それとも離れていた方が良いでしょうかね?」
「それは、まぁ… 難しい問題だね。取り合えず、そこにいる邪見でも抱えていたらどうだろう?」

 今まで話の端にも絡んでいなかった自分の名前が出て、邪見は慌てふためいた。

「や、やめてくれ〜。そんな事をされたら、ワシ なぁ〜んの躊躇いも無く殺生丸様に瞬殺されてしまうっっ!!」
「邪見様!?」

 妖犬姿の殺生丸に思った心の中の言葉を勘付かれている事を知ってか知らずか、珊瑚の言葉はあまりに無情。止めを刺すように、弥勒も言葉を重ねる。

「お前と殺生丸とは心が通じ合っているように見受けたが、それならば私の先ほどのりんへの振る舞いも理由あっての事と、その心語で殺生丸に伝えて欲しいものだな」
「〜〜〜кж£★!!〜〜¢дっっ!@@@@!!!!」
「なんだかもう、言葉が通じないみたいだぜ?」

 りん絡みの殺生丸の豹変ぶりを知らない犬夜叉達に、伝える言葉もない邪見はもうその場で泡を吹いて倒れてしまった。

「まぁ、何ごともなるようになる。そんなものです、この世の理は」

 涼しげな顔で、弥勒が一言もらす。
 上空で渦巻く妖雲から時折差し込む霊格高き白光や紫金の煌きに、弥勒は光臨を彩る彩雲の様を見ていた。

【終】
2007.8.3




【 あとがき 】

サンデー07.35号の犬夜叉感想を書こうとして、手が滑ってこんなSSになってしまいました^_^; かなりぶっつけな話で、弥勒様のオンステージ状態? 殺兄が無事戻ってきて、どうオチがつくかは考えていません。勢いって、萌えってこんなもんですよね♪


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