【 欠片の行方 】



 あの場所からそう離れてはいない、生い茂った藪がその入り口を隠している洞穴の中。そこに共に居るのは不快なのかどうなのか良くは判らぬが、彼らの主は洞穴を出たところから少し離れた大樹の下にあった。

「おおお〜ん。ほんっとうに死ぬかと思うたぞ、ワシっっ!!」
「良かったね、邪見様。咬まれたのが一匹だけで…。でも……」

 そう言ったりんの言葉は尻すぼみに小さくなり、洞穴の奥に横たわる者を心配げに見つめる。
 あの時、白夜の放った妖蛇に咬まれた琥珀と邪見。琥珀の身体に埋め込まれた四魂の欠片を妖蛇の毒で穢す為に。琥珀を殺す為なら、妖蛇をけしかけるなどというまどろっこしい方法(て)を取らずとも、その首を刎ね飛ばせば済む。

 そうしないのは、あそこまで浄化された欠片を穢せるのは、人間の持つ『負の心』だけだからだ。
蛇の毒で耐え難い苦しみを与え、悶え苦しませる。その苦しみの中から生まれる、全てに対する恨みや呪い、生にすがる醜いまでの執着心。それらが四魂の欠片を穢してゆく。

 洞穴の外に居ても、中の様子は手に取るように判る。琥珀が身を隠す洞穴の辺りに結界を張り、成り行きを醒めた目で殺生丸は見ていた。

 人間と妖怪の違いもあろう。
即死にもならぬようなぬるい毒ならば、長年殺生丸に仕えてきた邪見にとってはそう怖れるものではないのだが、りんと行動を共にするようになって、いささか感覚が人間化されてきたようだ。

 あのまま、琥珀をあの場に捨て置いて、奈落の思う通りになるのが面白くなく連れてきた殺生丸だったが、だからどうしようとは思ってはいなかった。

「…毒消し、探し行かなくちゃ。ねぇ、邪見様! どんな薬草がいいのかな?」
「ワシに聞くな! …ったく、人間とは面倒なもんじゃっっ!! ワシなんて、そんなもの使わなくともこれこのとおり、元に戻ったぞ」
「邪見様は妖怪でしょ!? それに咬まれたのも一匹だけだもん! 琥珀は…」

 心底心配そうにりんは洞穴の奥に近づき、琥珀の様子を見る。
 蛇の毒が身体にまわり、発熱して怖いくらい赤くなっている。浅い呼吸を走っているのと同じくらいの速さで繰り返し、水を被ったように汗が体中から搾り出されていた。

「琥珀…」

 りんにはあの白霊山の時、誤って妖怪たちの巣穴に迷い込んだ所を琥珀に助けてもらった事がある。何か理由(わけ)あって、奈落の下にいたようだが本当はとても苦しんでいるのだと、そう感じていた。

「ねぇ、邪見様! りん、今から地念児さんの所に行ってくる!! あそこなら、きっと良く効く薬草があると思うの!」
「な、何を言うんじゃ、りん! ここからあそこまでどれだけ離れていると思うんじゃ!? ましてや奈落の手先だったこんな小僧の事。放っておけばいい。助かるものなら助かるじゃろし、助からん時は助からん。そんなもんじゃ」
「ひどい! 邪見様っっ!!」


 ―――― うるさい。


 結界を張った洞穴の外。
 何時ものように大木の根方に腰を据え、風を読んでいた殺生丸は面白くないものを感じ、立ち上がった。
 ここに連れてきて半日余り。並みの人間なら蛇の毒ではなく、体力を使い果たして衰弱死している頃。もともとが死人に近い琥珀の体。四魂の欠片でその命を繋いでいる。

( ……皮肉なもの。欠片のせいで死ぬ事も出来ぬ )

 無理やり繋がれた命。今の状態では、苦しむだけ苦しんでも、その先にあるのはまたも苦しみだけ。だからこそ、四魂の欠片はより穢れてゆく。

( 止めをさすか…… )

 まだどうしようかとは決めずに、殺生丸はりんたちの居る洞穴へと入って行った。

「あっ、殺生丸様!」
「殺生丸様……」

 主の姿を見、何か指示を仰ぐかのように二人は声をかけた。
 そんな二人の声を無視し、奥に横たえた琥珀の様子を見に行く。

「…楽になりたいか、小僧」
「…せ、せっ…まる…… 俺… ま…だ……」

 殺生丸の爪先に妖しい光が灯る。
『毒花爪』、全てのものを溶かし去る猛毒。

「だめーっっ!! 殺生丸様っっ! 琥珀を殺さないで!!」

 りんが敏感に殺生丸の気配を察し、子犬のように飛びついてきた。

「りん…」
「琥珀は悪くない! 悪く無いのっっ!! 助けてあげて、殺生丸様!」

 りんの必死の思い。
 それは琥珀だからとかそういう次元のものではなく、今 目の前で苦しんでいる者がいるからという、純粋な気持ち。憔悴しきった琥珀の視線がりんの上に止まる。どこか哀しみと嬉しさと切ない色を浮かべて。

「……外に出ていろ、りん。お前もだ、邪見」

 ぴしゃりと一言、冷たく言い放す。

「殺生丸様っっ!!」

 悲痛さを込めて、りんが叫ぶ。

「邪見!!」

 殺生丸は長年引き連れた下僕の名を呼ばわり、りんを外に連れ出させた。


       * * * * * * * * * * * * * *



「…殺す……の…で…か……」

 身動き叶わぬ身体を必死で支え、毒で発熱したせいで朦朧とした意識と視界を並々ならぬ努力で、こちらに引き留める。

「……以前、見(まみ)えた時はそれがお前の望みだったな」
「……の後なら……、俺… 殺し…… いい」
「……………」
「奈落… 討つ…… ま………で…」

 そう言って殺生丸を見上げた琥珀の瞳。
 何もかも諦め殺される事を望んでいた、あの時。
 怖れも悲しみも…、心すら失くしていた者と同じ者だとは思えぬほど、瀕死の身体に溢れる闘気。

「お前の思惑など、私の知った事ではない」
「殺生丸…」
「だが、このままこの場に捨て置いて、あ奴が北叟笑(ほくそえ)むのも面白くは無い」
「………………」
「……どうせ、その身体。埋め込まれた欠片のせいで死ぬ事も出来ぬのだろう」

 がくがくしそうな腕でどうにか支えた琥珀の上体の、その背面に手を伸ばす殺生丸。

「やっ、やめ…ろっっ!! せっ…… !!」

 殺生丸の鋭い爪が、妖しい光を弾いた。


     * * * * * * * * * * * * * *


「あっ…!!」
「うん? どうしたんじゃ、りん?」

 殺生丸にきつく言われ、二人は殺生丸の結界の外に出ていた。

「う…ん、今ね、何か音が聞こえたような気がしたの」
「音?」
「うん、高い不思議な音。りん、前にも聞いたような気がする」
「そうか? りんの気のせいじゃ…、あれ? そう言えば、ワシも聞こえたような…?」

 埒もつかぬ、何でもないような話をしているのは、本題に触れるのが怖いから。それでも……

「…ねぇ、邪見様。どうしてりんたち、洞穴から出されたのかな?」
「なんじゃ、りん。お前、そんな事も判らぬのか?」

 邪見の答えに、りんの瞳に涙が溢れる。

「やっぱり、そうなのかな? 殺生丸様、琥珀殺しちゃうのかな…?」
「あ奴は奈落の手下だし、りん、お前を殺そうとした張本人じゃろ!?」
「でも! ほら、りん大丈夫だったし……」
「それでも、殺生丸様は殺生丸様じゃからな」

 りんの大きな黒目がちな瞳から涙が零れる。
それをりんはぐいっと拭うとしゃんと頭を立てて、追い出された洞穴の方を見据えた。
 藪に隠されていて、今りんが居るところからは良くは見えないけど、でもそこには ―――

「りん、もう一回殺生丸様にお願いしてみる!! 琥珀は悪くないって! 早く行かなくちゃ!!」
「あ、おい! りん!! 無茶はするなっっ!! 相手は殺生丸様じゃぞっっ!」

 邪見の言葉もなど聞くつもりもなく、りんはまた殺生丸の張った結界の中に飛び込んで行った。



「…何処へでも行くが良い。死ぬたくば、その腰の鎌で首を掻き切る事だな」
「…………………」

 そう言い捨てると、殺生丸は洞穴を後にした。
 今でも、こんなものなど欲しくは無い。
 かつてあの女妖が手土産に持参した時ですら、見向きもしなかった。
 殺生丸の強大な妖気に吹き払われ、元のままでそれは殺生丸の懐に。

( ふん…、あんな下衆を追うなど私らしくも無い。これ欲しさに、いずれその醜い姿で私の前に現れるだろう )


 その時こそは―――


 殺生丸の腰の天生牙が、使い手の意思に共鳴する。
 その音は、りん達が聞いた音とはまた違い、天生牙のもう一面の貌(かお)を表していた。
 好ましい匂いが近づく。
 殺生丸は、目の前の藪に視線を転じた。そこには…

「殺生丸様ーっっ! 琥珀、殺しちゃダメっっー!!」

 必死な顔で飛び込んでくるりん。
 勢い余って、藪から飛び出しそのまま殺生丸にぶつかる。
 その必死さが、なぜか癇に障る。

「あっ、せ、殺生丸様…」
「行くぞ、りん」
「あ、でも… 琥珀が……」

 心配気な表情で、洞穴を見ている。

「…もう、おらぬ」
「えっ、いないって…!? どういう…」

 りんの問い掛けに答える事無く、そのまま歩み出す。
 群れる気は毛頭ない。
 奈落を倒すなら、己一人でと。
 今までの借りを、全て返してやる。


 そう、あの女の分も ―――



 風は奈落と犬夜叉、一匹の妖狼の窮地と崩れ行く墓土の臭いを伝えていたが、それらのものに背を向け孤高の道を歩む。


 追って来るが良い、奈落。



 その時こそは ――――



【終】  
2006.6.22脱稿




【 あとがき 】

殺一行が瀕死の琥珀を拾って雲隠れしてから随分たったように思うのですが、原作の展開から言えばまだそんなに経ってないんですね。かごちゃんが梓山に向ってからまだ丸1日は経ってないように思われるので、せいぜいが半日くらいの事でしょうか?

原作でもこんな展開なら、この後殺生丸がかなりキーパーソン的な役割を果たしてくれるかな? 出番が増えるかなv との期待も込めて書いてみました。殺生丸程のキャラが、奈落なんて格下の存在を追い続けるのがちょっとイヤになりまして…、そう『お助け妖怪』の名称を返上させるには、相手の方が追い掛けて来て返り討ちに合わないと様にならな〜いっっ!! と思っちゃう訳なんです。

殺神的方向性は無い私ですが、神楽が殺一行に入ってても何ら拒否感も無い私です(^^)
神楽の片思いは可愛いなv と思うし、りんちゃんと仲良くしてくれるともっと嬉しいとさえ思うのです。
次元が違うと言うか、朴念仁な殺生丸と純粋無知なりんちゃんと言うある意味『戦国最強CP』なんで、嫉妬のしようがないと達観している、それよりも殺生丸には片思いでも、りんちゃんの可愛らしさにノックダウンしている神楽なので。(…あっ、この場合、桔かごのようなユリ要素は皆無ですからっっ!! アセっ)

そう言う話も書いてみたい私です♪


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