2002年度センター試験 文強勢問題について


 文強勢の問題というのは,次の問題をさします。

B 次の会話の下線部(1)(4)について,それぞれ以下の問い(問1〜問4)に示された@〜Cの中で最も強調して発音されるものを一つずつ選べ。

《状況》 JimRieが将来就きたい職業について話し合っている。

Jim: What job do you eventually want to have?

Rie: (1)I haven’t thought about it. Have you?

Jim: Yeah, I want a job (2)that allows me to travel.

Rie: Hmm, that would be nice, wouldn’t it? What kind of job?

Jim: I’d like to be a tour guide. (3)What would you like to do?

Rie: Now that you mention it, I guess I’d also like a job allowing me to travel.

Jim: Doing what?

Rie: (4)I’d like to be a pilot.

問1  3 

@ haven’t          A thought            B about               C it

問2  4 

@ that               A allows              B me                   C travel

問3  5 

@ would           A you                  B like                  C do

問4  6 

@ I’d                A like                  B be                    C pilot

 この問題の問1を私が間違えたこと。同僚も迷ったか,間違えたこと,そして生徒の成就率が悪かったこと。そのことをもとに第一の投稿を書きました。

センター試験は生徒の「英語力」を検定したか(2002年度版)

今から考えるとこの投稿には論旨が2つあって,それが判然としなかったと思われます。全体の調子が「私が間違えるような問題はよくない!」といったニュアンスにとられたと考えられます。そこで,私の勘違いを正すべく,斎藤氏からの投稿がありました。

「センター試験は生徒の〈英語力〉を検定したか」を読んで

これは私の前半の部分。「こんなに成就率の低い問題。それも他の英語力を反映していないような正解パターンの問題は指導のしようがない」といった点を捉えて,音声学の専門の立場から,「ルールさえ知っていれば,別に難問ではない」といったご教授でした。

 しかし,私は「自然な英語」,「間違えた生徒はやはり不自然な英語だ」といった点に反応して,反論を加えました。

「センター試験は<生徒の英語力>を検定したか」(その2)

この文章には挑発的なところがあり,「私がこれだけのサンプルで調べたから,優秀な学生と教授を抱える東京外国語大学で同じような調査をして,その結果を公表してから,この問題に意味があると主張してもらいたい」といった激烈な感じがありました。その調子に答えるような感じで,今度は明らかな反論が斎藤氏から出されました。

「センター試験は生徒の英語力を検定したか(その2)」について

これは私の語調を受けてやはりきつい内容でした。「(私のレポートは)音の強弱も判断できないような教師が一杯いることを示しているだけだ」「こうした教師の指導を受けてセンターで点数を取れないのは生徒にとって不幸なことだ」といったしめくくりで,私としては大いに不満が残りましたが,誌上討論の原則「反論は2回まで」ということで収束しました。


この形式の問題はセンター試験にしか存在していないこと。そして,この試験が他の発音の試験と同じく,生徒にとっては運試しのようなところが多いこと。確かに発音は日常の学習の積み重ねですから,アクセント,発音,強勢などに目を向けさせることに異論はありませんが,それがテストに反映しているとは個人的には考えていません。

 こうした考えを持つのは,次のような故若林先生の主張を英語教育誌上などで若い頃に触れたためです。

第6章発音テスト

英語のテストとなると,必ずと言っていいほど「発音問題」が出題される。そして,その「発音問題」は,すべて「紙と鉛筆にょるテスト(paper-and-pencil technique)」なのである。しかし,この「紙と鉛筆」による発音問題は,本当に生徒の発音の能力を測っているのであろうか。

1.「紙と鉛筆」でなぜ発音をテストするのか

 英語の先生たちに聞いてみると,発音テストを「紙と鉛筆」方式で行う理由には,次の2つがある。

(1)この形式のテストが高校入試あるいは大学入試に出されるから,生徒たちに慣れさせておく必要がある。
(2)たとえこの形式のテストの信頼度が低くても,発音の重要さを自覚させるために必要である。

 (2)が消えれば(1〕も消える。そして,上級学校の入試にこういうテストが出されなければ(1)はなくなる(はずである)。しかし「発音は重要」というスローガンは余りにも強力である。強力すぎるがゆえに,これが「紙と鉛筆」に結びつくことの不合理さは無視される。
 大学入試センター試験にも同じ形式のテストがあり,ある出題委員にその出題理由を尋ねたところ,多くの委員やセンターの意見は(2)と同じであるとのことであった(断っておくが,私が尋ねた委員は,発音の「紙と鉛筆」によるテストには反対であったにもかかわらずこういうテストが出される)。

2.「紙と鉛筆による発音テスト」批判の前に

 批判を始める前に,私(若林)の昔の経験について述べておきたい。25年以上も前になるが,語の強勢を問うテストを「紙と鉛筆」で出題した。正解者は50%であった。テスト施行後,テープ・レコーダーを使って,学生全員に,テストに出した単語を実際に発音させるテストを行った。結果は,単純に言うと「紙と鉛筆」の正解者の半数は強勢の位置を間違え,誤答者の半数は強勢の位置を正しく発音した。簡単に言えば,次の表のようになる。

正答者 誤答者
正発音者 25% 25%
誤発音者 25% 25%


 私の発音についての「紙と鉛筆」不信はこのときに始まった。たとえば「イントネーション」である。(↓)や(↑)が「紙と鉛筆」で正しく答えられても,実際に発音させてみると,音調のコントロールができていない者が非常に多いのである。つまり,彼ら生徒たちは,音声訓練ができていなくとも(つまり実際には音声による英語ができなくとも),単に「紙と鉛筆」形式のテストにいかにうまく答えるかの勉強をするだけである。実際にどう発音するかには全く関心がない。
 発音に関する関心を生徒たちから奪ったのは,まさに「紙と鉛筆」による発音テストであると私たちは考えている。生徒たちにとっての最大の関心は,テストでいかに良い点をとるか,ということである。実際に正しく発音できるかどうかということと「紙と鉛筆」とは,全く関係がない。「発音に関心を持たせるためには,紙と鉛筆でもテストを行わせるのがよい」という主張は論拠を失っている。

(「無責任なテストが『落ちこぼれ』を作る」(若林俊輔・根岸雅史 著,1993年, 大修館書店)
第6章 37ページ

この本は私のテスト作成のバイブル的な本であり,同僚にも読むことをときに触れ勧めています。もっともこの本を読んで,これに忠実に作ろうとすると現在の私のテストのほとんどがボツになります。それでも,こうしたテスト作成の心構えを持つことは大変意味があると思います。世の中あまりにひどいテストが多すぎます。

斎藤氏とのやりとりの中で論点がねじれてしまいましたが,私は正解そのものに真正面から「違う」とは主張していません。そんなことして音声学の専門家に勝てるわけがありません。それから,斎藤氏の最後のまとめのように,「文強勢」の問題一般を問題にしつつも,個別の問題について疑問を呈しており,他の3問についてことさら疑問を投げかけたわけでもありません。文強勢の問題を普通に出したら成就率は8割を超え,場合によっては9割近くの正答率をはじき出す,生徒にとっては点の取りやすい問題なのです。特殊な問題を除いては。第3問が特殊かどうかが議論の分かれ目でした。
今となると,thoughtが強く発音されるような指導も必要かと思っています。

私にとっての発音指導はクラブ指導の一環であって,教室では個々に指導したり,徹底的に直したりすることはできません。そのなかで,文の区切り,強勢などはやっているつもりですが…

かくして,この問題は収束しました。

なお,斎藤氏の投稿文の掲載に当たっては快諾をいただきました。誌上討論だと文だけがむき出しになり,かなりきつい調子になります。それはWeb上のやり取りにも共通していますが。
なお,2003年度入試は問題がありませんでした。あまりの問題になさに今年度の「センター試験は…」の投稿はありません。私の勤務校の平均も150点にせまり,「自分としては過去最高」という生徒も一杯おりました。


(2003年2月8日)