河合塾騒動とは,99年9月に三年生対象の全統記述第2回模試の問題について河合塾,模試プロジェクトとの間で交わされた一連の書簡交換と,その結果として「英語教育」(大修館書店)のforum欄に投稿した記事をまとめて,勝手に「河合塾騒動」と命名しています。
それは素朴な疑問から始まりました。99年の9月某日,前日三年生対象に実施された模試が学年の担当ではない私の机上に配布されました。一応問題を解いたのですが,語法問題で引っかかりました.
そこで河合塾に手紙を書きました.
しかし,その回答はあまりに誠意のないもので,怒り心頭に達し,次のような文にまとめました.
河合塾,怒りの告発
ちょっと激烈だったので,forumに投稿する前に,河合塾長野事務所の責任者に経緯を説明し,この文章を発表する旨を伝えました。
長野事務所はすぐに東京事務所に連絡(この模試の英語だけ東京が担当したとのことです)。教務部長という方と「失礼があった」とということで,学校まで見えられました.
私もちょっと激烈な文章だったので,公にするのがためらわれたので,もっと落ち着いた次の文章を発表し,河合塾に手紙を書きました.
この当初には2ヶ月後,二通の反応がありました.1通は匿名。匿名がKHRという,「河合塾」を想起させるような名前。もう1通は浅野博先生でした。
そこで,私はことの真相を明らかにするために,二通目の投書をしました。
この投書を持って,私の中では河合塾騒動は終止符を打ちました。
模試関係では,担当者は身構える,簡単には誤りを認めない。大学で入試の正解を公表しないのとはずいぶん違いますが,そんな保身的な態度が垣間見られました.
2000年の11月頃(?)だったと思いますが,任意団体(主催者は不肖ですが,長野県長野高校で開催され,係の長野高校の職員があたります)による,予備校実力講師を招いての,高校現役教師対象の「指導力向上セミナー」なるものが開催されます.
公立学校職員を生徒に見たてて,予備校講師が授業するもので,その授業を通して指導力を向上させようとするものです。
この会の担当は河合塾講師で,里中哲彦氏と新津信治氏。午前中は里中氏の渋い授業。午後は新津氏であった。
この人の紹介は,「全国模試の統括者,平均点を80点前後におさめる,受験界のプロ…」などなど。
授業をするわけではなく。「私と英語」という感じのメリハリのない話をだらだらと続けていました.午後だったし,少し注意力が散漫でしたが,そのうちに突如,なんの脈絡もなく,「これから英文を訳してもらいます.それでは,○○先生!」と私を指名。
このとき確信しました,匿名だったり,変な返事を書いた張本人が新津氏であることを。
私は実は英文を「見事に」訳すことができませんでした。(というよりもう考えてもいなかったのです。)
この英文はかなり難しく,日本語にするのが難物。それを新津氏は承知していて,脈絡もなく指名してきたのです。
「河合塾騒動」はとんだ結末を迎えたのです。そして,その訳をしたご褒美ということで,講師二人の共著になる構文集をもらいました。