〜6〜

ミリエラは闇の中でうずくまった。あんなに激しい攻撃を未だかつて受けた事はなかった。自分の技を見破られ、退けられた事は一度として経験した事がなかったのだ。

悔しかった。こんな屈辱はあるか?必ずこの仇は…。

躍起になってもう一度あの少年の瞳を支配しようとしたが、何度試してみても彼の瞳に入り込む事は出来なかった。


「あ…俺は…。」
アシルはサンディの背中に背負われたまま、目を開いた。
「ああ、気がついたか。」
サンディは嬉しげに答えた。
「どうしたんだ?俺は…。」
「俺にも良くわからない。でも、この森には不思議な力が働いている様だね。俺はまだ修行が足りないようで、なんだか良くわからないけど。」
寂しげにサンディは言った。
「降ろしてくれ。」
「あ、ああ。」
サンディは腰をかがめ、背負ったアシルを降ろした。

「…ありがとう…。」
ぼそっと照れくさそうにアシルが言った。
「…いや…。」
同じ様に照れくさそうにサンディも言った。

その時、ふいに後ろから優しい竪琴の音がした。アルフが皆を元気づけようとして、竪琴を手にとったのだ。
「アルフの竪琴は見事だわ…。」
サミュアが感心していう。こんな繊細な音色は滅多にお目にかかれない。次のミスティリディは決まりだ、とサミュアは内心思った。だが、何か気にかかる。自分はこの少年にあった事がある気がするのだ。いつのことだろう?どう記憶をさかのぼってみても、思い出せない。16、7の少年に会ったことがあるとすれば、この10年ほどの間のはずだ。サミュアは首を傾げた。

『どうなさいました?』
よほど不思議そうな顔をしていたのだろう、ラファエルが心を飛ばして問いかけてきた。
『余はアルフォラードに会った事がある気がするのだ。』
『お気付きでしたか。』
『何か知っておるのか?』
『アルフォラードはあなた様が黒魔術から救い出された、アルフォーネでございます。』
『アルフォーネ!?』

サミュアはゆっくりと頷いた。

あれは10年くらい前の事だ。一部の天使が職務を放棄して結集している、という情報が入った。獣王が姿を現し、人々を惑わせているのだ、とピン、ときた。目立たぬ様に、数名の剣天使を連れ、サミュエルは彼らが集っている場所(アルフの家)に乗り込んだ。

そこで目にした物のおぞましさで、サミュエルは目を見開いた。集っていた人々は、黒い装束で妖しい呪文を唱えながら輪になって1人の少年を取り囲んでいた。少年はうつろな目をして、裸で中央に立っていた。その体の特徴はまさしく少年だった。だが、どこか不完全だった。

この者は神(私)の作った者ではない。サミュエルはすぐにそう思った。体に少年の特徴〜生殖器〜を持ってはいるが、それ以外は全て女の子の持つものだったからだ。腕や足の筋肉も、顔の作りも。

中央の少年、それは黒魔術により改造された少女であったのだ。そしてそれを中心になって行っていたのは、この少年の両親…。獣王に生け贄として捧げるつもりであったと言う。

サミュエルはこの館を焼き払い、黒魔術を行った天使達を捕らえた。だが、この少年の両親は姿を消してしまった。恐らく獣王が手引きをしたのだろう。

魂を封じられ、呆然と突っ立っている少年に、サミュエルは自分のマントを外してそっとかけた。
「かわいそうに…。」
サミュエルはやさしくこの少年の頬を撫でた。
「黒魔術を行ったものを滅ぼさない限り、あなたの体は戻らない…。」
サミュエルはこの少年のこめかみを掴んだ。そして小声でルーンを唱えた。

「私は…!」
真冬の事だった。この少年は俄に震えだし掛けられていたマントにくるまった。そして恐る恐る周りを見回した。廃虚の中に数名の剣天使と、神々しい女神が立っていた。
「あ…、あなた様は…。」
「余はスラ・マリサナ・サミュエル。」
「スラ・マリサナ!!」
少年はお辞儀をしようと跪いた。そして自分の体の変調に気がついて、慌ててマントの中を覗き込んだ。
「ああ!いったい私は!?」
少年は気を失いそうになり、思わずよろけた。
「危ない!」
軽くサミュエルはそう言うと、腕を差し出し、少年を支えた。

「サミュエルさま…。」
少年の頬に涙が伝わった。
「いったい私はどうすればいいでしょう…。」
サミュエルは優しく囁いた。
「余の元に来るか?学びの舎にはいり、自分の可能性を探るが良い。今から新たな人生を作るのだ。」
「男としてでございますか?」
「そなたの両親を見つけだし、術をとかねばならぬ。それまでは少年として過ごすしかない。」

この少年は肩を震わせた。微かに嗚咽が聞こえ、涙がさらに頬を伝わった。

サミュエルはおもむろに屈みこむと、この少年を抱き上げた。
「余の元に来るが良い。そしてそこで生を全うする方向を見つけるのだ。道は必ずある。」
「サミュエル様…。」
「そなたの名前は…?」
「アルフォーネ…。アルフォーネ・ラヴィー…。」

サミュアはアルフを見た。面影は残っている。確かに女の子と言えなくもない綺麗な顔だち。だが、今の彼はあの時想像も出来なかったほどに、明るい。きっと学びの舎に入ってすぐ、サンディやヴェスと友達になったのだろう。男の子である見かけに最初は戸惑い、悩んだ事だろう。だが、長い年月をかけ、受け入れていったのか…?

アルフの竪琴に聞き惚れていたサンディが、くるっと振り向き、一言、二言声をかけた。何を言ったのか聞き取れなかったが、アルフは満面の笑みを浮かべた。その微笑みを見て、サミュアもにっこり微笑んだ。

まもなくとっぷりと日がくれて、森のはずれの宿についた。宿と言うより森の番小屋のような粗末なものだ。無愛想な主人が出迎え、客室に案内してくれた。まずはラファエルを。続いてサンディ、アルフ、ヴェス、アシルを。最後にサミュアを。
「スラ・マリサナ…。」
部屋に入ると、宿屋の主人は、深々と頭を下げ、跪いた。
「お久しぶりでございます。いかがなされました、そのような下級天使のいでたちで…。」
心配げに見上げるその目には、魔道士の力を秘めた輝きが潜んでいる。
「ラディアン。お役目御苦労だ。森はとても良く管理されている。」
「もったいないお言葉です。」
「そしてそなたの息子アザリアンにも世話になっている。」
「こちらこそ、あの不肖の息子をイアンの魔道士に取り立てて下さっただけでも、心から感謝しております。」
「今日ここを訪れたのは、あのヴィヒテスの山の麓にある村について知りたいからだ。もう一日くらい歩いた所で辿り着くと思われる、樫の木のあるあの村だ。」

ラディアンと呼ばれた宿屋の主人は、目を見開き、そして首をふった。
「おやめください、スラ・マリサナ。あの村は何やら妖しい動きをしております。ヴィヒテスの山に黒い霧がかかる様になって以来、闇の拠点になっている可能性がございます。」
「知っておる。だからこそわざわざ出向いておるのだ。」
「あなた様にもしもの事があったら!」
「余などおらぬとも、まだ右目も左耳も、沢山の神が控えておる。心配などいらぬ。」
「何をおっしゃいます!」
ラディアンはすっくと立ち上がった。
「あなた様のお悪い癖だ。昔からそういう投げやりな言葉をおっしゃっては、我々をお試しになる。」
「試している訳ではない。」
「いいえ!」
毅然とした態度で真直ぐに自分を見つめるラディアンの眼差しが突き刺さった。

サミュエルは笑い出した。
「わかった、わかった。そなたにはかなわぬ。」
「当たり前でございます。息子に地位は譲りこそいたしましたが、私はあなた様付きの魔道士でございますからね。シルヴィルム様なき後、我々があなた様をお守り申し上げてきたのです。」
「そうだな。余1人では大した事は出来ぬからな。」

「その通りでございますよ。この天界はあなた様お一人ではありません。天使も、魔道士も、吟遊詩人も御名あなた様の御無事をお祈りし、あなた様にお仕え申し上げておるのです。お一人で早まった事をなさいません様に。」
「ありがとう、ラディアン。」
サミュエルは嬉しげに笑った。この古老の魔道士は、それでも心配だ、と言わんばかりの目でサミュエルを見た。
「どうしても行かれるとおっしゃるならば、私か私の息子、アザリアンをお連れください。」
「そうも行くまい。そなたはこの森の管理が忙しく、アザリアンは余の為に天宮で働いてくれている。その仕事を投げ出してまで、ついてきてもらう訳には行かぬ。」
「しかし!」

サミュエルは微笑んだ。
「余を思ってくれるそなたの気持ちは嬉しいぞ。だが、ひとり魔道士を連れておるのだ。今にアザリアンの良い相棒になるであろう、大いなる力を持った魔道士を。」
「それはいったいどちらに…。」
サミュエルは大きな声で笑った。そしてそれ以上は口を閉ざしてしまった。

「ヴェス…。ヴェスタルト…。」
その晩の事、ヴェスタルトは疲れも手伝って早々眠りについたが、自分の名前が優しく呼ばれたのに気がついた。目を開いてみると、そこは一面の闇で、今自分がどこにいるのか、本当に目が覚めているのかもわからない状態だった。そして思わず起き上がり、寝台から立ち上がった。
「僕の名前を呼ぶのは誰…?」
「私よ、ヴェスタルト。ああ、なつかしいわ。あなたはずいぶん大きくなったわね。大きくなって、ステキになった…。」

ヴェスは声のする方に目を凝らした。自分の少し先に、人の気配がして、人影が浮かび上がった様に思った。
「君は誰?なぜ僕を知っているの?」
「あなたは、私が見えるのね。私を忘れてしまったの…?」
その人影は、次第にはっきりとしていき、1人の美しい女の姿になった。髪も目も闇に溶け入るかのような黒い色。
「ミリエラ…?」

ヴェスタルトの顔に喜びの表情が浮かんだ。
「ミリエラ!君は突然いなくなった。ここで何をしているの?ここはどこ?」

クスクス、と言う笑い声が聞こえた。ミリエラはヴェスの問に答えもせず、艶かしい笑みを浮かべた。
「久しぶりね、ヴェスタルト。私を覚えていてくれてありがとう。」
ヴェスタルトは戸惑った。これは夢だろうか?自分の知っているミリエラは、確かに美しかったけれど、こんな顔で笑うような人ではなかった。

「君は本当にミリエラなの?」
戸惑った顔で突っ立ったまま、ヴェスタリアンは尋ねた。
「もちろんよ、私を忘れてしまったの?」
媚びるような微笑みを浮かべたまま近寄ってくるミリエラを避けようと、ヴェスタリアンは一歩後ろに下がった。
「君はミリエラではない。僕の知っているミリエラでは!」
「何を言うの?」
クスクスと再び艶かしい笑い声をたてて、ミリエラはヴェスタリアンの近くまで寄ってきた。
「私のヴェスタルト。あなたは私のもの。ね、そうでしょう?」
ヴェスタルトは再びこれをかわそうと、後ろに下がろうとした。だが、金縛りにあった様に動けなかった。
「さあ、いらっしゃい、ヴェスタルト。これからはいつも一緒よ。」
「いやだ!僕にはなりたいものがある。そして一緒にいたい人がいる。君が誰だか知らないが、君と一緒に行くつもりはない。」

ミリエラの顔は怒りの余り上気した。
「あの女ね?下級天使の輪っかをつけた、あの女の側にいたいのね?」
ヴェスは図星をさされて真っ赤になった。もちろん、サミュアだけではなく、サンディやアルフともずっと一緒にいたいと思う。だが、今は心の底からサミュアと一緒にいれたらいいと思っているのだ。

あの人と一緒なら何でもできる気がする。

その証拠に今日やった事もない魔道ができる様になったではないか。サミュアと一緒だからできたのだ。あの人が『できるはず』と言ってくれるだけで本当にできてしまう。こんな不思議な事ってあるのだろうか?

「ヴェス、あの女の正体が見たくない?」
ミリエラは不敵に笑った。
「正体?」
ヴェスタリアンはうろたえた。
「人は皆心の中に闇なるものを宿しているもの。あなたが憧れて止まないあの天使も同じでしょう。それでもあなたはあの女の側にいたいかしら?」
「心の中に…入るのか?」
「見てみたいでしょう?見せてあげるわ。」
ミリエラはヴェスタリアンの腕を掴んだ。

ヴェスタリアンは抵抗しなかった。見たくないと言えば嘘になるのだ。あの人はどこの誰で、自分達の元になぜ来たのか、何をしようとしているのか知りたくてたまらない時があるのだ。特にあの人の上手な魔道を見た後には、いきなり姿を消してしまうのではないかと不安に駆られる。学びの舎で学ぶ事など何もなさそうだからだ。

ヴェスが抵抗しないのを見て取ると、ミリエラはヒステリックに笑った。

                  (続く)