〜4〜
「なんだ、それは…?」
「わ、よせ、俺の…!!」
ヴェスが自信なさげに唱えたルーンで、目の前にはいろいろなものが天宮から送られてきた。だが、目的のお弁当はなかなかやってこない。
「サミュアさん、どうしよう…?」
半べそ状態のヴェスを楽しむ様に、サミュアはにこにこその様子を見ていた。だが、ますます自信がなくなってきているヴェスの様子をみて、ぱちん、と指を鳴らした。
目の前に送られてきていた沢山のものたちは、跡形もなく消えた。
「大丈夫、あった所に戻したわ。」
何ごともなかったような顔でサミュアは言った。
「最初からサミュアさんにやってもらえば良かったんだ。」
今頃気がついた様にサンディが言った。
「いいえ、私よりヴェスの方がいいわ。彼はきっと魔道が上手になる。」
「そんなこと、ない!」
赤くなって咄嗟に言い返したヴェスは、ふと見つめたサミュアの瞳に、力強い何かがみなぎっているのを見た。そしてその力が自分に流れ込んでくるような錯覚。その時ヴェスの心に直接稲妻のような響きを持った声が聞こえた。
『あなたがやるのだ。ヴェスタルト。あなたがやらねばならないのだ。』
『あなたはだれ!?』
『目を閉じるがいい。そして天宮の部屋を思い描くがいい。そなたはそこに目的のものを見つけるはず。』
ヴェスは小さく頷いた。
『そのものを心の中央に捕らえよ。そして祈るのだ。ワレ、コレヲノゾム』
「ワレ、コレヲノゾム…。」
バリバリっと音がした。
その直後、目の前にはサンディがあれほどまでに頑張って用意をしたお弁当が現れた。
「できた!!」
ヴェスがこんなに飛び上がって喜びを表現したのを、仲間達は初めて見た。ヴェスはサミュアを見た。誉めてくれるのを期待して。
だが、サミュアは、儚げに微笑んだだけだった。
「今のは何?」
間もなくそこにラファエルとアシルがやってきた。バリバリ、という音をたどってきたのだろう。
「シェラ・ラファエル。ヴェスがこれを天宮から転送しただけです。」
大した事ではない、と言いたげな口調でサミュアがラファエルに言った。賭けは自分が勝つのだ、と言いたげな眼差しで見つめながら。
「転送の魔道を、ヴェスタルトが!?」
まだ教えた事もないそんな高級な魔道をいつの間に身につけたのだろう?
その時、またサミュアは誰かに見られている感覚に陥った。今度はさっきとは違う。突き刺さるような冷たい視線…。ふいにサミュアはアシルの方を振り向いた。
「ひっ!」
ミリエラは小さな叫び声をあげた。闇を背負っている輩はその暗闇でつながっており、感覚器官を共有する事ができるのだ。ミリエラは同じ臭いのするアシルの目を借りて、ヴェスタルトの様子を探っていた。しかし、予定外でついてきた女の視線を受けたとたんに体が凍り付きそうになった。
「なにをしておる?」
眠りから覚めたのか、低いうなり声のようなルディリスの声が地の底から響いた。
「ル、ルディリス様…。」
「ふ…ん、覗き見などしておるのか。どうしておる、私の奴隷は。」
「そ、それ…が…。」
がたがたと震えるミリエラを見て、ルディリスはいぶかしんだ。
「見せてみるがいい。」
『ラファエル。』
サミュエルは近くにいるラファエルに心を飛ばした。
『はい、サミュエル様。』
『どうも先ほどから、視線を感じるのだが…。』
『はい。私もそう思っておりました。』
『そなたもそう思うか。』
サミュアはゆっくりと周りを見回した。と、ふいにアシルの顔に真っ赤な蠍の模様が一瞬浮かんだ。
「あれは…!」
サミュアがアシルの目を見つめた瞬間、その模様は消え、視線も消えた。
「今のは…、ルディリスの徴…。アシルがなぜ…?」
サミュアはもう一度アシルを見つめ、そして考え込んだ。
「う!」
ルディリスは、軽いうめき声をあげた。自分と同じ類いなるものの目を借りて、辺りをうかがっていたのだが、下級天使の女と目があったとたん強い衝撃を受けた。
「何者だ、あの女は!?あの高慢な女によく似たあの天使は!?」
「わ、わかりませぬ。」
ミリエラは怒りを露にした獣王を恐れて暗闇に身を寄せた。
「調べろ!あの女の正体を!そして殺せ!!」
「わ…かりました…。」
消え入るようなミリエラの言葉を聞きもせずに獣王は闇に姿を消した。
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「ところでラファエル先生はアシルと一緒にどこに行くの?」
サンディは満腹で大変満足げになりながら聞いた。
「フォンティエルに頼まれて、泉に水を汲みに行くのです。アシルも手伝ってくれるそうなので。」
アシルはぷいっとそっぽをむいた。
「俺達はヴィヒテスの山の方に行くんだけど、先生達は?」
「私たちも同じです。」
「じゃあ、ちょうどいいや、一緒に行きませんか?多い方が楽しいから。」
屈託のない笑み。アシルはそんなサンディが心の底から憎いと思っていた。自分にはないこの明るさ。それが自分の羨望から来ている、と言う事は薄々勘付いてはいたが、認めたくはなかった。
ラファエルは盗み見る様にサミュアを見た。気にとめるふうもなくアルフと談笑している。
「では、そうしましょう。」
にっこりとラファエルはサンディに微笑んだ。願ってもない申し出だった。
「さ、出かけようぜ!」
サミュアは歩きながら、目を閉じ森の様子をうかがった。微かな泣き声が聞こえた気がした。
『泣いているのは誰?』
サミュアは森に呼び掛けた。
『どうしてそんなに悲しそうに泣いているの?』
『坊やが、私の坊やが死んでしまう…。』
すぐに返事が返ってきた。
『森の獣に襲われて、逃げてる間に崖から落ちた。』
『あなたの坊やは動けるかしら?』
『自分1人じゃとてもムリ。』
『ならばこの霧にお乗せなさい。』
間もなく森の中にさーっと霧が立ち篭めた。
「あれ、どうしたんだろう?こんなにいいお天気なのに、霧が深くなってきた。」
不思議そうにアルフが言った。
「この森では時々ある現象です。神のお使い、と呼ばれています。」
ラファエルは先生らしくアルフに説明した。
「あら、あれは何かしら?」
サミュアは自分達の前に霧に導かれたかの様にやってきて、うずくまったものを見た。すでに息絶えているのではないか、と思われるほどに憔悴し、瀕死の重傷を負ったウサギだった。
「まだ生きてるよ!」
駆け寄ったアルフが皆に向けて叫んだ。サミュアはヴェスを促して、ウサギの側に寄った。
「ヴェスタルト、癒しの魔道を!」
「い…癒しの魔道…?」
話には聞いた事がある。手を当ててルーンを唱えるとたちどころに傷が癒えると言う、魔道の基礎でありながらもっとも難しいとされるものだ。特にその魔道士の力が歴然としてしまう。
「死んでしまうわ、早く!」
「でも一回もやった事がない!」
「誰でも皆最初はそうよ。あの偉大なるアザリアンですら!」
「でも…。僕にできるだろうか?」
「お願い、助けてあげて!」
「教えて下さい、どうすればいいのか!」
真剣な眼差しが返ってきた。本気で癒しの魔道が使いたいものだけが持つ眼差し。
「手を、このウサギにそっと当てて。」
二人はウサギの脇に屈みこんだ。そしてヴェスは恐る恐る右手をウサギにかざした。サミュアは自分の左手をヴェスの手に重ねた。
「願うのです。この傷が癒える様に、心から願うのです。」
サミュアの声が次第に変わってきた。最後の方は地鳴りの様に地面から沸き上がっている感じがした。驚いてヴェスはサミュアの目を見た。美しいとび色の目は、今まさに黄金の輝きが放たれようとしていた。そしてその波打つ黄金の髪は、いつの間にか地面を埋め尽くすかの様に広がっていた。
「あ…あなたは…!?」
『祈るのです、他に邪念を持ってはならない。傷が癒える事だけをひたすらに祈るのです。』
ヴェスの手に、熱いものが流れ込んでくる感覚がした。サミュアの手から流れてきているのか、と最初は思った。だが、それは自分の肩を通って腕に流れてきているのがすぐに分かった。何かが自分の中から沸き上がり、流れ込んでいる!
ヴェスはふいに気が遠くなりかかった。恐い!何か自分の中にある扉が、大きな力で開かれようとしている感覚。その激しい流れを押さえようとしてみれば見るほど、その力は荒れ狂い、咆哮した。
「ヴェス!?どうしたの!?」
遠くの方から、美しい方の声がした。
「扉が…、ひら…く…。」
「ヴェス!?ヴェスタルト!!」
ヴェスタルトは目の前が徐々にぼやけていくのを、ぼんやりと眺めていた。それと同時に自分の中から沸き上がった激しい力にのせられて、地面から突き上げられた感じがした。そしてどこまでも、どこまでも登っていくような感覚。
目をあける事もままならず、抗う事も出来ずに、ヴェスタルトはまどろみのような時間に身をゆだねた。体が熱く、軽く、心地良かった。
「しまった!!」
サミュアは叫んだ。
「心が、魂が飛び出してしまった!!なんて力なの!?」
そして『時止め』のルーンを唱えると、稲妻のような素早さでヴェスタルトの魂を追いかけた。
(続く)
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