〜3〜

「サミュエル様…!」
控えの間の大天使達は、皆呆然とした。
「危険すぎます、お一人でヴィヒテスの山にいらっしゃるとは!」
まず反対したのはガブリエルだ。
「余1人ではない。4人だ。」
「そんな年端も行かない子供達など数に入りませんよ!」

サミュエルはにっこりとガブリエルを見つめた。
「余が良いと申しておるのだ、ガブリエル。」
「あ…。も、申し訳ございません!」
ガブリエルはあわてて跪いた。そして許しを乞う様に見上げた。
「余を心配してくれるそなたの気持ち嬉しく思う。だが…。」

「我々がついております、シェラ・サミュエル。」
静かにミカエルが言った。
「必ず我々がお守りいたしましょう。」
「いや、誰の警護もいらぬ。」
サミュエルは頑にそう言うと、窓の外に聳えるヴィヒテスの山を見た。
「いいか、誰もついてくるでないぞ。そなた達と一緒では、あまりに目立ち過ぎる。」
睨み付ける様にミカエルを見据えるサミュエルには、取りつく島もない様子が見て取れた。だがミカエルはそれでも食い下がった。
「サミュエル様、もし闇の輩の罠だったら!?あれほど探したエリクシールがそんなにやすやすと出てくるなど、不自然でございます。」
「確かに、ミカエル。だからこそ、余が直々に出向こうと言うのだ。罠であれば都合がよい。息の根を止めて帰ってくるまで。」
「しかし、お一人では!」
「ミカエル…。」
威圧感のある声が響いた。ミカエルは知っている。この声はそれ以上の発言をもう許しはしない、と言う宣言のようなものだ。悲しそうな顔でミカエルは跪くと、サミュエルの瞳を見つめた。心配でたまらない、という表情だった。

「サミュエル様、私は恐らく御一緒する事になると思いますよ。」
したり顔でラファエルが一歩前に出た。
「いえ、サミュエル様の護衛につくつもりは毛頭ございませんが、ちょうどフォンティエルに頼まれた泉水を汲みに行く予定です。たまたまヴィヒテスの山の向こうまで行かなくてはいけないんですよ。奇遇でございますね。アシルも一緒です。」

サミュエルは小さく溜め息をついた。
「それならいたしかたあるまい。」

ラファエルはにっこりと笑った。
「おっと、ミカエル。私の方も護衛はいらないからな。」
ミカエルはラファエルを睨み付けた。

サミュアがサンディやアルフの部屋を訪れて以来、4人はそれぞれの部屋に頻繁に行き来する様になった。
「それにしても、生活臭のない部屋だなあ…。」
サミュアの部屋に来る度にアルフは呟く。おおきなソファ、大きな鏡、大きなベッド、揺れる真っ白なレースのカーテン。その雰囲気にそぐわない古ぼけた机。たったそれだけだ。服は?食事は?食器一つ見当たらないではないか。

4人は毎日の様に集まっては、旅行の計画を少しずつたてているのだ。まずはヴィヒテスの麓の村に一泊し、そこにある有名な樫の木を見つける事にした。もちろんサミュアの提案だ。
「じゃあ僕が宿の予約を入れる。」
しっかり者のアルフが名乗り出た。
「じゃ、俺は昼飯の準備だ。弁当を4人前持っていく。」
食い物のことになったら譲れない。サンディは続いて名乗りをあげた。
「じゃ、私は水筒と、途中お水が汲める泉や川を調べておくわ。」
サミュアがそっと口を挟む。
「あと何が残ってるかな…?」
出遅れたヴェスがちょっと困った様に言う。
「では、あなたは薬草を少し用意して下さいな。」
「薬草?」
「もしあなたが癒しの魔道がお得意なら必要無いけれど。」
「とんでもない!」
慌ててヴェスが叫ぶ。癒しの魔道などやった事もなかった。どんな怪我でも瞬時に治してしまうと言う魔道士の基本の技だ。
「でも、薬草って、良くわからない…。」
「教えてあげるわ。」

サミュアが立ち上がった。
「いらっしゃい。」
サミュアはヴェスを手招きして、ベランダに出た。そして呟く様にルーンを唱える。扉などなかったはずのベランダの柵に小さな切れ込みが入り、それが二人を招く様に開いた。
いつの間にか中庭に出る階段までできている。

ヴェスは目の当たりにしながらも夢を見ているような気がした。そして熱にうかされた人のような顔で、サミュアの後についていった。
「サミュアさんって魔道が上手だな。」
少し考え込みながらアルフはサンディに言った。
「そうだね。こんな便利に使いこなしている人を初めて見た。大天使様も俺達の前では余りお使いにならないし。」
「…。」
「どうした?」
黙り込んでしまったアルフをいぶかしげに見つめながらサンディは聞いた。
「サミュアさんってどこかで会った気がするんだ。あんな綺麗な人だから、忘れちゃうはずないんだけど、思い出せないんだ。」
「俺は初めてだな。」

「まあ、いいじゃないか。ヴェスとも良い雰囲気だし、仲間が増えるのは嬉しいよ。」
楽天的なサンディの言葉を聞いて、アルフも少し安心した顔をした。
「それもそうだね。だけど、一つ気になる事があるんだよ。」
「なに?」
「ヴェスはサミュアさんに、大天使様の控えの間の前で会ったって言ってただろう?大天使様に何の用があったんだろう。」
「そりゃ、まあ…。ねえ?」
「どなたかの恋人ってことはないんだろうか?そうしたら、きっとヴェスは傷つくよ。」
「聞いてみる?」
「誰に?」
「ラファエル様。」
「ばか!聞いたって教えてくれるもんか!」

「で、君たちが私に聞きたい事があるってのは?」
いつものような優しげな笑みを浮かべたラファエルが聞いた。
「大天使様、大天使様には恋人がいらっしゃる?」
「おい、サンディ、そんないきなり聞くな!」
あわててアルフがたしなめる。

ラファエルはみるみるうちに真っ赤になった。
「我々大天使には、特定の恋人を持っているものは誰もいないよ。でも、それと同時に皆あるお方に恋している。私もガブリエルも、ミカエルも、みんなみんな同じ方に憧れているのだ。」
二人とも、こんな夢見るような恥ずかしげな笑みを浮かべたラファエルは初めて見た。それはまるで少年のような微笑みだった。
「それはいったい…。」
「われわれの憧れ、それはスラ・マリサナ。われわれはあのお方のためにのみ存在しているのですよ。」
「どんな方ですか?僕達はお会いした事がないけれど。」
「全ての美、全ての善、全ての愛。そして全ての光。」
「サミュアさんとどちらが綺麗?」
無邪気に聞くサンディに、ラファエルは儚げに微笑んだ。が、それに対する答えはしばらく待ってみたけれども、ラファエルの口からは返ってこなかった。

その日、サンディはとびっきり早起きをして、お弁当を用意した。そしてそれをかばんに詰め込むと、意気揚々と皆を起こしに回った。

「全く!お前は遊びに行く日はどうしてそんなに元気なんだ?いつもは起こしたって起きない癖に!」
アルフが呆れ果てて言う。
「あったりまえよ!もう一年前からこの日を楽しみにしていたんだ。さ、行こうぜ!」



サミュアは『徒歩』でどこかに出かけるのは久しぶりだった。いつもは時を止め、空間を切り裂いて瞬時に移動するからだ。大地を踏みしめ、草木の香りを嗅ぎ、鳥の声に耳を傾けるなどどのくらいぶりだろうか?だが、出かけてしばらくしてサミュアは、複数の誰かに見られているような気持ちになった。

『余に着いてくるなと申したであろう?監視もいらぬ!』
少し腹をたてた様子でサミュアはミカエルやガブリエルに心を飛ばした。
『申し訳ございません!しかし、心配で落ち着いていられません。』
すぐにガブリエルから少し慌てた様子の返事が返ってきた。
『これが私の任務と心得ましてございます。』
怒った調子のミカエルからの返事はやや遅れて返ってきた。
『ならぬ!』
サミュアのきつい口調の返事が返った時に、ガブリエルもミカエルも自分達が諦めねばならない事を察した。
「ガブリエル、ラファエルに期待しよう。あのお方はいちど言い出したら、絶対聞かない方だ。」
「そうだな、ミカエル。ラファエルに任せよう。」
二人の天使は鏡に投影していたサミュエルの姿を静かに消した。その残像が完全に鏡から消えるまで、二人は愛おしげにサミュエルを見つめていた。
「御無事で…。」

一方ラファエルも誰かに監視されているような気がして、辺りをきょろきょろ見回した。だがもちろん自分とアシル以外の誰の姿も認められなかった。
「どう為さったのです?ラファエル先生。」
心配そうにアシルが聞く。
「いや…なんでもない。なんか人の気配がしただけだ。」
首をひねりながらも、ラファエルはその正体の探索を諦めた。



「さあ、この辺りでメシにしようぜ!」
サンディが勢い良く言った。出発して3時間、確かに少しお腹がすいているが、昼には早いと思われる時間だ。
「もう昼か?いくら何でも早すぎるだろう?」
一応アルフが反対する。だが、食い物のことになると誰がなんと言おうとも、サンディは絶対譲らないのを皆知っている。

『ごめんなさい、サンディ。お弁当は天宮に帰ってもらうわね。』
サミュエルは心の中でそう呟くと、さらに心の中でルーンを唱えた。

「あれ!?そ、そんなバカなあ!」
ふいにサンディの絶叫が聞こえた。やっと皆の了承をとって、木陰に陣取って朝から頑張って準備をしたお弁当を取り出そう、とした矢先のことだった。
「どうしたんだよ?」
アルフが仕方無しに聞いてみる。
「…弁当…忘れた…。」
「なんだって?あれほど張り切って準備したのに?」
「…ううっ…。」
サンディが大事そうに抱えてきた包みの中には、先ほどまで使っていた枕が入っているだけだった。

「おまえ、ばかか?」
アルフが呆れ果てた声で言った。
「何とでも言ってくれ。俺は大バカだ…。たぶん玄関に置き忘れたんだと思う。」
「どうするんだよ。俺達だけならまだしも、サミュアさんもいるのに…。」
うなだれているサンディに、サミュアは優しく言った。
「私は大丈夫だけど、天宮に忘れてきたなら、ここまで転送すればいいじゃない?」
「転送!?」
ヴェスが驚いて聞き返した。
「そう。簡単な魔道でそのくらいはできるはず。ヴェス、やってみて。」
「僕が…?でもそんなことやった事ないし…。」
尻込みしかけたヴェスの顔を覗き込む様にサミュアが続けて言う。
「ね?お願い…。きっとできるから…。」
「やってみる。」

サミュアはにっこり微笑んだ。
「でも、サミュア、どうすればいいの?」
サミュアはハッとした。こんなひたむきな目を最近見た事があっただろうか?心が洗われる思いがする。サミュアは手の組み方を教え、ルーンを教えた。
「でも、ルーンは心で使うもの。言葉なんか知らなくても心が言葉を紡ぎます。とにかく、心から祈ってみて。きっとできるから。」
ヴェスは決心したような目でサミュアを見つめた。そして大きく息を吸い込んだ。

                   (続く)