〜11〜
子供達はサミュアに何も聞かなかった。それぞれが1人で抱え込むには余りにも重い荷物を抱え込んでしまったかの様だ。これは運命だったのだろうか?自分はどこから来たのだろう?これから何をすればいいのだろう?
途切れ途切れの歌はまだ聞こえてくる。導く様に。応えるようなアルフの竪琴の調べも続いている。
「先ほどから匂いがする。穢らわしい血に混じって聖なる水、エリクシ−ルの匂いだ。行こう。」
重い口をサミュアは開いた。
「どこに行くのですか?」
アルフが切羽詰まっているような切実な叫び声を上げた。
「エリクシ−ルを辿って、魂の救出に。」
サミュアは答えた。
「魂の救出…?誰のですか?」
自分も救って欲しい!という顔でサミュアの顔を覗き込む。
「私には今回の一連の出来事が、だいたい掴めたのです、アルフ。ミリエラのことも、あなたやヴェスタルトの事も。」
「僕の事…?」
「あなた方がここに来る事になっていたのは恐らく救われるため。」
〜私を信じなさい〜そう言わんばかりの強い瞳でアルフの瞳をサミュアは見つめた。
「僕は恐いのです。」
アルフは震えながら言う。
「危険な冒険も難しい試験も、僕は恐くない。でも僕は自分自身を知るのが恐いのです。どこの誰かを知るのが、何をするべきか考えるのが恐いのです。何故生まれて来たのかも。」
「分かっていますよ、アルフ。」
サミュアは暖かい手でアルフの髪をそうっと撫でた。
「あなたは自分の過去を捨てようとした。傷ついたままそれを見るまいと蓋をしてしまったのです。でも傷口は却って開いて見つめる必要がある事もあります。これ以上哀しみを増やさないためにも。」
アルフは竪琴を弾く手を止めた。そしてしゃくりあげる様な声が漏れた。
「あなたの過去を取り戻しにいきましょう。あなたにはその必要があるのです。」
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ミリエラの歌声は樫の木の根元から聞こえていた。
「ここか。」
ミカエルが注意深く木に近寄る。
ピシュッピシュッ…。
複数の何かがミカエルめがけて飛んで来た。ミカエルは目にも止まらない早さで腰の剣を抜き、それらを切り捨てた。
ぽとり、と足下に落ちたのは黒い羽のついた小さな矢だ。
「う…。」
羽からは何か黒い細かい粉末が飛び散った。
「そこか…。」
ミカエルは手にした龍すら一刀の元に断ち切ると言う断龍剣を低く構えた。身体が次第に痺れてくるのを感じる。あの黒い粉か…。
木の上に人の気配を感じた。サンディも無意識に腰に手をやる。
「動かないで下さい。」
木の上に姿を現したのは、先ほどひとり帰ったはずのアシルだった。
「アシル!」
身構えたサンディの手が止まった。
「僕は皆さんと闘いたくない。でも闘わなくてはならないのです。あなた方がここから先にいらっしゃると言うのならば…。」
「やめて、アシル!」
アルフが叫んだ。
「アシル、何故君が僕達と闘おうとする?」
「憎いからだ。」
アシルは何の表情も見せずに淡々と答えた。
「乗っ取られてしまっているのか?」
アザリアンは呟いた。
そして静かに両手を胸の前で組み合わせ印を結んで、小さくルーンを唱える。
「微かに彼の意志は感じられる。完全に操られてはいないが、彼の五感のほとんどは闇の意識に操られている。いや、操られているのは表面だけだ。何かが彼を守っている…。」
「主(あるじ)は…?」
サミュアがアザリアンに問いかけた。
「…ルディリス…。」
サミュアが一歩前に出た。
「ミカエル、そこをお退きなさい。」
ミカエルは痺れた手を押さえ、小さく頭を下げるとサミュアに場所を譲った。
「アシル…、かわいそうに。あなたもなの…?」
「サミュアさん…。来ちゃだめだ。僕はあなただけは憎んでいない。あなたにだけはこの姿を見られたくない…。」
アシルは恥ずかしそうに俯いた。
「アシル、獣王ルディリスはどこ?彼に会わせてちょうだい。」
「それはできません。」
「何故あなたが彼をかばうの?」
「僕は彼の僕(しもべ)だから。」
「何故イアンの魔道士の息子であるあなたが、穢らわしい闇の僕にならなくてはいけないのですか?」
「わかりません。しかしそれが僕の運命だった気がします。僕は今大変満ち足りて心地よい思いで一杯です。」
ふいにサミュアが鋭く何かを呟いた。と、同時にアシルの背中に赤い十字架が光り、その光に撃たれたかの様にアシルは仰け反った。
「うっ!」
アシルは気を失い、木からまっ逆さまに落ちた。
どさ…と言う音が聞こえ、ミカエルが無事に彼を受け止めた。眠りについてしまったかの様に意識がない。
「なるほど。彼が操られずにすんだのは、貴女様が守護の魔道をかけられたからですか。」
感心した様にアザリアンが言った。
「先ほど彼を帰す時に念のためにかけておいた。この子は昨日ルディリスに瞳を貸していたのでね。」
サミュアは天宮をでたばかりの時に視線を感じた事を思い出したのだ。彼の後ろにサソリの徴が見えた。
「ヴェス、癒しの魔道を。」
サミュアが当たり前の様に言う。
「は…、はい。」
ヴェスも戸惑う事はなかった。昨日で慣れたのか、それともこの異様な雰囲気に飲まれたのか。
ヴェスはまずミカエルに歩み寄った。そして痺れた右腕に両手のひらをそっとかざす。昨日の様に知りもしないルーンが口をついて出る。ぼうっと手のひらが光り、その光が少しずつ広がってミカエルの腕を包み込んだ。そしてそれが収まった時、ミカエルの腕のしびれはすっかり治っていた。
「ありがとう。シェラ・ヴェスタリアン(親愛なる魔道士ヴェスタルト)」
「いえ…。」
ヴェスタルトはぽうっとミカエルを見つめた。思い付く中で最高の賛辞だったのだ。名前の最後にイアンをつけて呼ぶ、それこそこの世で最高の魔道士に対する尊称だからだ。そしてそのヴェスタルトをアザリアンが頼もしげに見つめた。
「さあ、ヴェスタリアン、アシルも診てやってくれ。」
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「ただいま戻りました。」
アシルが目覚めてほどなくガブリエルが戻って来た。そして手にした青い見事な薔薇をサミュアに差し出した。それは縁の所が七色に輝き、青は水より透き通って見えた。
「御苦労でした。」
サミュアはその薔薇を受け取った。その虹色の輝きはサミュアの指先を伝って消えた。そして、ゆっくりとサミュアは頷いた。
ヴェスタルトは目を丸くしてその様子を見た。さっきもそうだった。この2人は美しい魔道の花を通じて会話をするのだ。何を調べて来たのかは自分達にはわからない。でもあの薔薇や先ほどの百合は知っているのだ。
サミュアは皆の顔を覗き込んだ。まずミカエルがゆっくりと頷き、跪いた。続いてガブリエルがそのあとに続いた。さらにラファエルもそれを習った。そしてそのあとに、少し大袈裟な身ぶりで恭しくアザリアンが跪いた。
「子供達はどうなさいます?」
戸惑って立ち尽くしている4人の代わりに、ラファエルはサミュアに聞いた。
「連れていく。」
「危険ではありませんか?」
「だが、彼らは行かなくてはならない。」
サミュアの言葉を受けて、皆ガブリエルを見る。ガブリエルも決意を固めた顔で頷きながら言う。
「私もそう思います。」
「彼らは私が守る。そしてそれが私と、あの人の責任…。そしてここにエリクシールがある。まるで我々が揃うのを待っていたかの様に突然私を呼んだエリクシールが。時は熟したのだ。」
サミュアはラファエルを振り向いた。
「ラファエル、そなたは泉の管理人フォンティエルから何の泉水を汲んでくる様に言われておる?」
「いえ、それは…。ヴィヒテスの山の向こうの泉水とだけ…。もし見つからなければフォンティエルに訪ねようと思っておりました。」
「エリクシールがフォンティエルを呼んだのだな。」
サミュアは4人の子供達を見回した。そして4人がゆっくりとサミュアに頷くのを見て取った。誰も後戻りなど出来ないのだ、と感じていた。そして何故ここに来なくてはならなかったのかも、何となく漠然と分かった気がしたのだ。これが天意と言うものなのだろうか?
思えば不思議な巡り合わせだった。歳の頃も同じこの4人。皆それぞれの事情で暖かい家庭を持たず、ただ天宮に存在する学びの舎に身を寄せている。なぜ同じ時期に同じような境遇の者が集まったのか。
サミュアはキッと唇を噛み締めた。
合図であったかの様に、大天使と魔道士の長は立ち上がった。そしてサミュアは目を閉じ、手を軽く下に下ろして身体の力を抜いた。さらに言葉にならない声が唇からこぼれ落ちる。何を言っているのかわからない。だがその匂いからそれが創世記のルーンであることが伺えた。神の言葉、神の言語…。
ヴェスタルトはほんのりとサミュアの身体が光りはじめるのを、恐れながらも強い力で惹き付けられる思いで見つめていた。その光は徐々に強くなり、銀白色に覆われていく。そして気がつくとサミュアの髪は踝のあたりまで伸び、瞳はとび色に輝いた。
〜余はスラ・マリサナ…余こそはこの世を統べる神の目サミュエルなり〜
ヴェスの意識の中にそう聞こえた。言葉ではなく心の奥底に沸き上がる様に。そう、これは夕べ心の庭に辿り着いたとき、地の底から響き渡ったあの声だ。あの蒼銀の龍すら従えた…。
そうか、と思った。この余でただ1人心に龍を住まわせる方…。ミリエラが恐れおののいたのはそう言う事だったのだ。
地面が揺れた。そして赤い炎が火柱となり、目の前の樫の木から吹き上げた。音はしなかった。だが、それは直視できないほどに邪悪に赤い炎だった。
「ああ!」
悲鳴のような溜め息が4人の子供達から沸き上がった。叫び声にならなかったのだ。息がつまるような恐ろしさのあまり、これが彼らの精一杯だった。
サミュエルは剣を構える仕種をした。そのとたん手には一振りの見事な剣が握られた。それはサミュエルの銀白色のオーラと同じ色の光に包まれ、見事な細工も光ってかすんで見えた。サミュエルはその剣を赤い炎に向かって振り下ろした。と、炎が二つに割れ、中から青白い炎が生まれ、赤い炎を包み込んだ。
「きゃああああ!」
地の底から女の張り裂けそうな叫び声が聞こえた。
〜蘇れエリクシールよ、聖なる水、命なる水、炎の水、余は汝の主人なり〜
青い炎がいきなり水に変わった。いや、もともと青い炎の発する水であったのだ。エリクシールは燃える命の水、炎の泉の泉水なのだから。
樫の木があった場所、今は燃える青い水が吹き上げている場所がふいに盛り上がった。そして天を突くかのような勢いで何か大きなものが吹き出し、地面が粉々に砕けた。
〜行くぞ〜
そんな声が心に響いた時、ヴェスは自分達がエリクシールの青い炎に包まれたのが分かった。まるで自分を守るかの様に、それは優しく身体に絡み付いてくる。
なす術はない、己の運命をスラ・マリサナに委ねよう。
ヴェスタルトはぼんやりした頭の芯でそう考えた。
青い光に包まれたまま、ヴェスは自分が砕けて地面の中に連れられていくのが分かった。こんなところに地底に通じる道があったとは。そこに昨日のミリエラがいると言うのだろうか?彼女は何故こんな真っ暗な闇の世界に…?
しばらくするとどんどん地底へ地底へと降りていっていた動きが止まった。ここが奈落の底だろうか、耳をすませてみると、微かに水の滴る音が聞こえた。さらに暗闇に目を凝らすと、ぼんやりと人影が2つ、目の前に浮かび上がる。エリクシールの炎に包まれ、青いスクリーンを通して眺めているようで、そこに浮かび上がる映像はどこか絵空事の様に感じられる。
サミュエルは大天使、魔道師の長、4人の子供達を連れて地の底に辿り着いた。息苦しいほどに血の臭気が漂い、外気と交わらない隔絶された世界だったのだという事がわかる。
サミュエルは自分の目の前にその闇を掻き集めて1人の男の姿が浮かび上がるのを見ていた。それは次第に形を作り、鎧に身を固めた姿になっていく。
久々に対峙する宿敵を前に、サミュエルは逸る気持ちと何故か慕う気持ちが複雑に入り交じるのを不思議に感じていた。この懐かしい気持ちはなんだろう?自分はこの者を滅ぼしたくてたまらなかったのだ。異様なまでの嫌悪感。
この男が形をなすまでにかかった時間はほんの一瞬であっただろう。だが、サミュエルにとってはとても長い時間の様に思われた。剣を抜きたい、この輩の脳天に我が剣を振り下ろしたい!だが、充分に形ができるまで待たねばならない。さもなければ再び闇の中に溶け込んで、取り逃がしてしまうだろう。
この闇の支配者とサミュエルの間に言葉はなかった。いつもそうだ。言葉はいらない、ただ憎しみがあるだけだ。そしてその憎しみに満ちたままの心を持て余す暇もなく剣を抜き放った。
「良いか、スラ・マリサナには何人たりとも近寄らせてはならぬ。」
天使の長ミカエルはラファエルとガブリエルに申し渡した。
「この時空だけは我々で守り抜くのだ。」
ヴェスタルトは目を凝らした。自分は青い炎に守られて身動き一つ出来ずにいる。隣を見ればそのような青い塊が3つ、アルフとサンディとアシルだろう、それがぼんやりと浮かんでいる。一体自分達は何故ここにいるのだろう?到底役にたてるとは思えない。だが、ここに来なくてはならなかったという。そしてその外側には先ほど見た餓鬼のような輩がひしめいているのが見えた。
ヴェスタルトは自分の無力さが口惜しくなった。ここにいて、自分は何の手助けも出来はしない。無力な目覚め前の人形も同然だった。力が欲しい、皆の仲間になれるだけの!
そう願った瞬間、ヴェスタルトの口から本人すらも知らない言葉が流れ出た。
〜創世の御名において、我主なるお方に敵するものは、地に返り滅び給え〜
そんな意味の言葉だろうか?ルーンではあるが普通のルーンとは違っている様だった。恐らくこれは先ほどサミュエルが使っていた創世記のルーンであろう。
それと同時にヴェスタルトは身体を覆っていたエリクシールの守護から解き放たれ、闇の中に投げ出された。そして肩で息をしながら目を凝らす。
「ああ!」
ラファエルが悲鳴にも似た声をあげた。目の前の餓鬼達が断末魔の叫びとともに、次々に溶けていったからだ。
「還元の魔道だ…。」
呆然とラファエルが言う。原子を元のあるべき状態に戻すというこの素晴らしく高度な技は、もちろん学びの舎で学んだものではないだろう。もともと知っていたとも思えない。
「素晴らしい…。」
アザリアンが感嘆の声を漏らした。
「まるでナーシアンスの再来の様だ。」
アザリアンはそう言うと、ハッとした顔をしてガブリエルの顔を見つめた。
(続く)
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